成績表
りん子的独り言(エラそう)
わたしは勉強ができない(山田詠美さんの『ぼくは勉強ができない』好きです^^)
中学の数学のテストで3点を取ってしまったこともある。
それも、答えは間違ってるけど途中まで合ってるからとお情けの3点^^;
しかも、運動神経もよくない。
かけっこはいつも、ビリ。
逆上がりも二重飛びもできない。
歌を歌うのは好きだけど、音符は読めないし、特別うまいわけでもない。
唯一、得意と言えたのは絵を描くことだったけど、工作が下手だったから基本中くらい。
成績表はいつも真ん中。
ときどきちょい下になっちゃったり^^;
大人になってからは、ダメな恋愛を繰り返すは、離婚はするは、家族や友だちに心配をかけて、ごめんって思ってた。(『怒らない私』などなど)
いまは『アンテナ』のせいだって思えるようになっているけど、棘を感じて心が痛い自分に『なぜこんなに弱いんだろ』と自責して。
それを知ってる数少ない友人からは『もう少ししっかりしたら?』とため息をつかれる。
なんとなく、人騒がせな人間だった。
だから、ごめんって。
こんなとき、こんなふうに思っていた。
『優しさの成績表』があればいいのに、って。
学校のお勉強は数字で表せる。
かけっこだって、目に見えてわかる。
心配かけたり迷惑かけたり、そんなことも迷惑かけている人がいるから事実として残る。
だけど、優しさって、数字にならないし計れるものじゃないから、ひっそりと目立たないんだ。
だから『優しさの成績表』。
幼なじみの子は、私よりかけっこ早いし、器用だった。
運動会のリレーに選ばれ、家庭科の課題もささっとこなしちゃう。
りん子ちゃんはトロいって、いつも言われていた。
だけど、私は知っていた。
ゴミ収集車の横を通り抜けるとき、作業員のおじさんがいるすぐ横でわざと『くさーい』というその子の無神経さを。
人は目に見えるもので、どうしてこうも優劣をつけたがるんだろって思った。
それなら、わかりにくい優しさにも成績表があればいいのに。
誰もわかってくれないなんて愚痴をいうつもりもないけれど、わかりやすく成績表があればいいのに。
かけっこの順番を決めるみたいに。
そしたら、トロいって言われるばかりじゃなかったかもしれない。
だれか点数つけてくれないかな。
私、人の陰口言わないよ。
みんなが言っていても、言わない。
卵が押し潰されそうになったら、できるだけ側にいる。
言葉を選び、だれも傷つかないでいてほしいと努めている。
だれもそんなことに気づいていないだろうけど、私なりの優しさ。
お勉強ができないことは、褒められたことじゃないけど^^;
その目立たないことに点数をつけて私なりの優しさを評価してくれる成績表があればいいのに。
(私やっぱり正当な評価を望んでいるんだね。『あなたに合う鍵』)
そんなふうに思っていた、ずっと。
数年前のこと。
仕事先の無神経な言葉をスルーできず、泣く私。
那智さん、私、なんでこんなことで傷ついてしまうのでしょう。
なんでこんなに弱いんでしょう。
りん子は弱いんじゃない、優しいだけだ。
ある日、那智さんがくれた成績表。
(『子守唄』)
それはいまでも私のお守り。
優しさの成績表。
きっとあるよね、点数はつけられないしひっそりとしているけど。
誰かと比べるんじゃなくて、はなまるつけてもらえるような。
いまの私はあると信じている。
わたしは勉強ができない(山田詠美さんの『ぼくは勉強ができない』好きです^^)
中学の数学のテストで3点を取ってしまったこともある。
それも、答えは間違ってるけど途中まで合ってるからとお情けの3点^^;
しかも、運動神経もよくない。
かけっこはいつも、ビリ。
逆上がりも二重飛びもできない。
歌を歌うのは好きだけど、音符は読めないし、特別うまいわけでもない。
唯一、得意と言えたのは絵を描くことだったけど、工作が下手だったから基本中くらい。
成績表はいつも真ん中。
ときどきちょい下になっちゃったり^^;
大人になってからは、ダメな恋愛を繰り返すは、離婚はするは、家族や友だちに心配をかけて、ごめんって思ってた。(『怒らない私』などなど)
いまは『アンテナ』のせいだって思えるようになっているけど、棘を感じて心が痛い自分に『なぜこんなに弱いんだろ』と自責して。
それを知ってる数少ない友人からは『もう少ししっかりしたら?』とため息をつかれる。
なんとなく、人騒がせな人間だった。
だから、ごめんって。
こんなとき、こんなふうに思っていた。
『優しさの成績表』があればいいのに、って。
学校のお勉強は数字で表せる。
かけっこだって、目に見えてわかる。
心配かけたり迷惑かけたり、そんなことも迷惑かけている人がいるから事実として残る。
だけど、優しさって、数字にならないし計れるものじゃないから、ひっそりと目立たないんだ。
だから『優しさの成績表』。
幼なじみの子は、私よりかけっこ早いし、器用だった。
運動会のリレーに選ばれ、家庭科の課題もささっとこなしちゃう。
りん子ちゃんはトロいって、いつも言われていた。
だけど、私は知っていた。
ゴミ収集車の横を通り抜けるとき、作業員のおじさんがいるすぐ横でわざと『くさーい』というその子の無神経さを。
人は目に見えるもので、どうしてこうも優劣をつけたがるんだろって思った。
それなら、わかりにくい優しさにも成績表があればいいのに。
誰もわかってくれないなんて愚痴をいうつもりもないけれど、わかりやすく成績表があればいいのに。
かけっこの順番を決めるみたいに。
そしたら、トロいって言われるばかりじゃなかったかもしれない。
だれか点数つけてくれないかな。
私、人の陰口言わないよ。
みんなが言っていても、言わない。
卵が押し潰されそうになったら、できるだけ側にいる。
言葉を選び、だれも傷つかないでいてほしいと努めている。
だれもそんなことに気づいていないだろうけど、私なりの優しさ。
お勉強ができないことは、褒められたことじゃないけど^^;
その目立たないことに点数をつけて私なりの優しさを評価してくれる成績表があればいいのに。
(私やっぱり正当な評価を望んでいるんだね。『あなたに合う鍵』)
そんなふうに思っていた、ずっと。
数年前のこと。
仕事先の無神経な言葉をスルーできず、泣く私。
那智さん、私、なんでこんなことで傷ついてしまうのでしょう。
なんでこんなに弱いんでしょう。
りん子は弱いんじゃない、優しいだけだ。
ある日、那智さんがくれた成績表。
(『子守唄』)
それはいまでも私のお守り。
優しさの成績表。
きっとあるよね、点数はつけられないしひっそりとしているけど。
誰かと比べるんじゃなくて、はなまるつけてもらえるような。
いまの私はあると信じている。
まだ『NO』の続き
非日常的な日常
『まだ「NO」』の出来事を少し詳しく。
カラオケボックスに先にチェックインして待つ。
この部屋は内装が落ち着いていて那智さんが好きな部屋。
今週はじめて顔を見るから、ちょっと嬉しいな。
ガラスドアが開いて那智さんが入ってきた。
左手奥のソファに座る私の横に腰掛けた。
るんるん、那智さんだ〜^^
ほとんど体を那智さんのほうに向けて顔をぐーっと近づける。
ニコニコ、会いたかったです〜^^
甘えたいモード。
那智さんの手が伸びた。
ニットのサマーセーターにその手がかかる。
ガバッ!!
手を差し込むなんてどころじゃない。
まったく遠慮なくセーターを勢いよく胸の上までたくし上げられてしまった。
突然の展開に驚き、きゃーきゃーする私。
とても不思議なんだ。
誰に見られているわけでもないし、こんなような空間『脱衣所』とどこが違うんだって思う。
だけど、普段露出しない部分を、相応しくない場所晒すのって、ものすごく心が揺さぶられる。
肌が外気に晒されてひんやりする以上に、すべての神経に冷や水を浴びせられたように鳥肌が立つ。
それが嬉しいからか。
那智さんが可愛がってくれることで喜んでいるのか。
拒否権なしが染み込んでいるのか。
とにかく私は抵抗しない。
ただただ、きゃーきゃーなってるだけ。
更に、むき出しになたブラのホックを外しにかかる。
いやー、無理です那智さん。
胸が丸出しになっちゃう。
いやいやしながらも、されるがまま。
でも、隠れていたブラの部分の肌も晒されて、更に刺すような快感。
ああ、私、これが好きなんだ。
とてもとても気持ちいい。
あり得ない場所であり得ない部分の肌を晒すこと。
気持ちいいとはいえ人目は気になるから、ちらりとガラスドアに視線を送る。
ああ、角度によっては見えちゃうよ〜。
必死に腕で隠す。
その腕をパンパンと弾いて。
乳首を摘まれる。
ああああ、ダメです、那智さん。
隠していられない。
いつからか、乳首はクリトリスと同じくらい、もしかしたらそれ以上に感じる場所になっている。
いつの日か、那智さんに触ってもらえるならどこででも乳首を出す女になってしまいそうで怖いと危惧するほどの性感帯になってしまったいるのだ。
だから、那智さんが乳首を摘んだだけで、恥ずかしいとか怖いより、気持ちいいからもっともっとという気持ちが上回ってしまう。
恥ずかしいとか怖いがなくなってくれればいいのだけど、それがなくならずの気持ちよさ優先なので、葛藤の嵐。
ただ、減らないものを上回るわけだから、これがものすごい快感だ。
見えちゃうからいやと振っていた首が、喜んでいる自分が恥ずかしいのいやいやに変わるのだ。
摘まれ弾かれ潰され。
気持ちよくて、腰が揺れる。
もっともっとと那智さんのほうに胸を突き出してしまう。
そんな自分が恥ずかしくて、でも、気持ちいいことを優先できてしまうことが嬉しい。
手を取られた。
ドアのほうに連れていかれる。
いやー、無理です、那智さん。
見えちゃう、人が来たら見えちゃう。
首の下で丸まるセーターとブラ。
むき出しの上半身。
ドアの外の光が、自分のあり得ない姿を一層浮き彫りにするようだ。
その光のほうを見て、後ろから乳首をまさぐられ、立ったまま腰を揺らす。
もう、どうしていいかわからないほど、気持ちいい。
誰か、見て、と思ってしまう。
那智さんに気持ちよくしてもらって、いやらしく腰を振るはしたない女の姿。
男性の欲望の目に晒してくれないだろうか。
女性の軽蔑の目に晒してくれないだろうか。
いまなら、那智さんに守ってもらって傷つかないでいられるような気がする。
傷つかず、いやらしい自分の快感に溺れられるような気がする。
気がつくと私はソファに横になり、那智さんに膝枕されながら、まだ乳首を可愛がられている。
「やめる?」
首を振った記憶はある。
「やめていい?」
もう一度聞かれる。
やめないで
と思った。
「人が来てもやめないよ。りん子、見られたいんだよね、見られるの好きだろ?」
見られながら那智さんに気持ちよくしてもらうのが好き。
と思った。
思ったのだ。
この日、私は生理だった。
だから、乳首だけしか触られていない。
それなのに、こんなに感じたのは、やはり『あり得ない場所であり得ない部分を晒す』ことが大きかったのだろうか。
もう、このためなら、何かを捨ててもかまわないんじゃないかと思ってしまうほどの快感だった。
で、あとから、那智さんから聞いたのだけど。
私はこのとき、思っていたことを口にしたのだそうだ。
人に見られそうでも乳首を愛撫することをやめないでほしい。
むしろ、人に見られながらが好きだ。
と。
確かに、露出は私の願望のひとつだったし、那智さんによってその快感を育てられているとは思う。
だけど、いつも『ごめんなさい』と思っているので、ほんとうはコンセンサスを得た中での『人の目』がいいのだと思っていた。
見知らぬ人の心を波立たせてしまう種類の露出に嫌悪感さえ抱いていた。
だから、好きでやめないでと積極的に口にしたことが信じられない。
でも、そう思った記憶はあるし、その時のいろんな荷物を放り投げて両手を広げてダイブするような快感の記憶が、口にしてしまったことを認めざるを得ない気もしている。
那智さん曰く、ドアのほうに連れて行ったときも、私はとてもとても嬉しそうだったのだそう。
うう、信じられない、無理と思ったはずなんだ。
だけど、やっぱり同じように、お父さんに手を引かれてお化け屋敷に入るような安心と痺れるような感覚が記憶に残っている。
そして、那智さんにもう一度聞かれた。
りん子、全裸でコンビニに行きたいんだろ?
私の知っている私と、感覚の記憶とどちらが正しいのか、見極めるのが怖い。
私は、かつて嫌悪していた女になりたいのだろうか、とても怖い。
だから、まだ『NO』と答えている。
『まだ「NO」』の出来事を少し詳しく。
カラオケボックスに先にチェックインして待つ。
この部屋は内装が落ち着いていて那智さんが好きな部屋。
今週はじめて顔を見るから、ちょっと嬉しいな。
ガラスドアが開いて那智さんが入ってきた。
左手奥のソファに座る私の横に腰掛けた。
るんるん、那智さんだ〜^^
ほとんど体を那智さんのほうに向けて顔をぐーっと近づける。
ニコニコ、会いたかったです〜^^
甘えたいモード。
那智さんの手が伸びた。
ニットのサマーセーターにその手がかかる。
ガバッ!!
手を差し込むなんてどころじゃない。
まったく遠慮なくセーターを勢いよく胸の上までたくし上げられてしまった。
突然の展開に驚き、きゃーきゃーする私。
とても不思議なんだ。
誰に見られているわけでもないし、こんなような空間『脱衣所』とどこが違うんだって思う。
だけど、普段露出しない部分を、相応しくない場所晒すのって、ものすごく心が揺さぶられる。
肌が外気に晒されてひんやりする以上に、すべての神経に冷や水を浴びせられたように鳥肌が立つ。
それが嬉しいからか。
那智さんが可愛がってくれることで喜んでいるのか。
拒否権なしが染み込んでいるのか。
とにかく私は抵抗しない。
ただただ、きゃーきゃーなってるだけ。
更に、むき出しになたブラのホックを外しにかかる。
いやー、無理です那智さん。
胸が丸出しになっちゃう。
いやいやしながらも、されるがまま。
でも、隠れていたブラの部分の肌も晒されて、更に刺すような快感。
ああ、私、これが好きなんだ。
とてもとても気持ちいい。
あり得ない場所であり得ない部分の肌を晒すこと。
気持ちいいとはいえ人目は気になるから、ちらりとガラスドアに視線を送る。
ああ、角度によっては見えちゃうよ〜。
必死に腕で隠す。
その腕をパンパンと弾いて。
乳首を摘まれる。
ああああ、ダメです、那智さん。
隠していられない。
いつからか、乳首はクリトリスと同じくらい、もしかしたらそれ以上に感じる場所になっている。
いつの日か、那智さんに触ってもらえるならどこででも乳首を出す女になってしまいそうで怖いと危惧するほどの性感帯になってしまったいるのだ。
だから、那智さんが乳首を摘んだだけで、恥ずかしいとか怖いより、気持ちいいからもっともっとという気持ちが上回ってしまう。
恥ずかしいとか怖いがなくなってくれればいいのだけど、それがなくならずの気持ちよさ優先なので、葛藤の嵐。
ただ、減らないものを上回るわけだから、これがものすごい快感だ。
見えちゃうからいやと振っていた首が、喜んでいる自分が恥ずかしいのいやいやに変わるのだ。
摘まれ弾かれ潰され。
気持ちよくて、腰が揺れる。
もっともっとと那智さんのほうに胸を突き出してしまう。
そんな自分が恥ずかしくて、でも、気持ちいいことを優先できてしまうことが嬉しい。
手を取られた。
ドアのほうに連れていかれる。
いやー、無理です、那智さん。
見えちゃう、人が来たら見えちゃう。
首の下で丸まるセーターとブラ。
むき出しの上半身。
ドアの外の光が、自分のあり得ない姿を一層浮き彫りにするようだ。
その光のほうを見て、後ろから乳首をまさぐられ、立ったまま腰を揺らす。
もう、どうしていいかわからないほど、気持ちいい。
誰か、見て、と思ってしまう。
那智さんに気持ちよくしてもらって、いやらしく腰を振るはしたない女の姿。
男性の欲望の目に晒してくれないだろうか。
女性の軽蔑の目に晒してくれないだろうか。
いまなら、那智さんに守ってもらって傷つかないでいられるような気がする。
傷つかず、いやらしい自分の快感に溺れられるような気がする。
気がつくと私はソファに横になり、那智さんに膝枕されながら、まだ乳首を可愛がられている。
「やめる?」
首を振った記憶はある。
「やめていい?」
もう一度聞かれる。
やめないで
と思った。
「人が来てもやめないよ。りん子、見られたいんだよね、見られるの好きだろ?」
見られながら那智さんに気持ちよくしてもらうのが好き。
と思った。
思ったのだ。
この日、私は生理だった。
だから、乳首だけしか触られていない。
それなのに、こんなに感じたのは、やはり『あり得ない場所であり得ない部分を晒す』ことが大きかったのだろうか。
もう、このためなら、何かを捨ててもかまわないんじゃないかと思ってしまうほどの快感だった。
で、あとから、那智さんから聞いたのだけど。
私はこのとき、思っていたことを口にしたのだそうだ。
人に見られそうでも乳首を愛撫することをやめないでほしい。
むしろ、人に見られながらが好きだ。
と。
確かに、露出は私の願望のひとつだったし、那智さんによってその快感を育てられているとは思う。
だけど、いつも『ごめんなさい』と思っているので、ほんとうはコンセンサスを得た中での『人の目』がいいのだと思っていた。
見知らぬ人の心を波立たせてしまう種類の露出に嫌悪感さえ抱いていた。
だから、好きでやめないでと積極的に口にしたことが信じられない。
でも、そう思った記憶はあるし、その時のいろんな荷物を放り投げて両手を広げてダイブするような快感の記憶が、口にしてしまったことを認めざるを得ない気もしている。
那智さん曰く、ドアのほうに連れて行ったときも、私はとてもとても嬉しそうだったのだそう。
うう、信じられない、無理と思ったはずなんだ。
だけど、やっぱり同じように、お父さんに手を引かれてお化け屋敷に入るような安心と痺れるような感覚が記憶に残っている。
そして、那智さんにもう一度聞かれた。
りん子、全裸でコンビニに行きたいんだろ?
私の知っている私と、感覚の記憶とどちらが正しいのか、見極めるのが怖い。
私は、かつて嫌悪していた女になりたいのだろうか、とても怖い。
だから、まだ『NO』と答えている。
ここにいる
独り言
ほんの少しドアをノックしていただいて、そして、いろいろな事情が重なって。
コメントで登場してくださるバタフライさんにお会いする機会に恵まれた。
約束の待ち合わせ場所。
目印はもちろんKIRAさんのサテンリボンのチョーカー♪
時間や場所は私のわがままを聞いていただいた。
そして、三たび餃子&ビールデート^^
(ちなみに、那智さんもmineさんも、全部違う餃子屋さん、どんだけ餃子屋知ってるんだ、わたし!!)
さわやかな、そして、こちらをリラックスさせてくれるような笑顔。
コメントで感じるおおらかさに、更に輪をかけたような笑顔の方だった。
わくわく、うきうき。
餃子にビール。
でも、たくさんお話を聞かせていただくうちに、このおおらかさは様々な経験から来る強さなんじゃないかと思った。
そして、支えてくれた方や元気をもらった方への感謝の気持ちと、パワーのお返しをしたいという姿勢にも強さを感じる人でした。
人は、元気ばっかりじゃないよね。
だけど、それを抑える強さを感じました。
きっと、御主人様の存在があるから、強く優しくいいられるのでしょうね。
そんなことを感じさせてくれるバタフライさんでした。
人はひとりでは生きていかれないと、時々目にする言葉。
それって、助け合い支え合うという意味はもちろんだけど。
私が、私たちが、ここに存在していると実感できて、生きていると思えるのではないかしら。
ちょっと大げさかな。
人生を豊かにしてくれる、という感じかな。
那智さんは、ブログをはじめる時に。
りん子の自己主張のため。
那智さんの楽しみのため。
そして、社会性のため。
と言っていた。
この『社会性』というのは、仲間を増やすということよりも(それは二次的なこと)、2人がここに存在している証という意味が大きかったらしい。
自分たちのことをブログに書き、読んでくださる人がいて、そこに私たちがいると証を残したい。
コメントのやり取りをして、より実感したい。
そして、お会いする機会に恵まれればその存在証明はもっと強く感じられる。
餃子とビールを楽しみながら。
お互いのノロケや考え方を話し。
大切な印を披露して。
端から見たら、些細なことかもしれないけれど。
あの時、私たちは、確かに存在していましたね。
テーブルで向かい合いながら、その後ろにいるお相手の存在もしっかりと感じられましたよ。
小さな、でも、とても豊かな存在証明。
ね、バタフライさん^^
お土産たくさんいただいて、お見送りもできなくて、とっても恐縮ですが。
楽しい時間をありがとうございました〜。
ブログだけではないけれど、人ってこうやって自分の存在を実感して豊かな人生にしているんだな〜。
新しい出会いと新しい確認に調子に乗って♪
『那智さんとわたしは、ここにいるよ〜^^』
ついでに。
いま、出張中の那智さんにも、ちょっとアピール♪
『那智さ〜ん、わたしはここにいますよ〜^^いいこにしていますよ〜』
うふふ、たまにはアピールもいいものだ、よね^^
(いや、しょっちゅうアピールしているか^^;)
ほんの少しドアをノックしていただいて、そして、いろいろな事情が重なって。
コメントで登場してくださるバタフライさんにお会いする機会に恵まれた。
約束の待ち合わせ場所。
目印はもちろんKIRAさんのサテンリボンのチョーカー♪
時間や場所は私のわがままを聞いていただいた。
そして、三たび餃子&ビールデート^^
(ちなみに、那智さんもmineさんも、全部違う餃子屋さん、どんだけ餃子屋知ってるんだ、わたし!!)
さわやかな、そして、こちらをリラックスさせてくれるような笑顔。
コメントで感じるおおらかさに、更に輪をかけたような笑顔の方だった。
わくわく、うきうき。
餃子にビール。
でも、たくさんお話を聞かせていただくうちに、このおおらかさは様々な経験から来る強さなんじゃないかと思った。
そして、支えてくれた方や元気をもらった方への感謝の気持ちと、パワーのお返しをしたいという姿勢にも強さを感じる人でした。
人は、元気ばっかりじゃないよね。
だけど、それを抑える強さを感じました。
きっと、御主人様の存在があるから、強く優しくいいられるのでしょうね。
そんなことを感じさせてくれるバタフライさんでした。
人はひとりでは生きていかれないと、時々目にする言葉。
それって、助け合い支え合うという意味はもちろんだけど。
私が、私たちが、ここに存在していると実感できて、生きていると思えるのではないかしら。
ちょっと大げさかな。
人生を豊かにしてくれる、という感じかな。
那智さんは、ブログをはじめる時に。
りん子の自己主張のため。
那智さんの楽しみのため。
そして、社会性のため。
と言っていた。
この『社会性』というのは、仲間を増やすということよりも(それは二次的なこと)、2人がここに存在している証という意味が大きかったらしい。
自分たちのことをブログに書き、読んでくださる人がいて、そこに私たちがいると証を残したい。
コメントのやり取りをして、より実感したい。
そして、お会いする機会に恵まれればその存在証明はもっと強く感じられる。
餃子とビールを楽しみながら。
お互いのノロケや考え方を話し。
大切な印を披露して。
端から見たら、些細なことかもしれないけれど。
あの時、私たちは、確かに存在していましたね。
テーブルで向かい合いながら、その後ろにいるお相手の存在もしっかりと感じられましたよ。
小さな、でも、とても豊かな存在証明。
ね、バタフライさん^^
お土産たくさんいただいて、お見送りもできなくて、とっても恐縮ですが。
楽しい時間をありがとうございました〜。
ブログだけではないけれど、人ってこうやって自分の存在を実感して豊かな人生にしているんだな〜。
新しい出会いと新しい確認に調子に乗って♪
『那智さんとわたしは、ここにいるよ〜^^』
ついでに。
いま、出張中の那智さんにも、ちょっとアピール♪
『那智さ〜ん、わたしはここにいますよ〜^^いいこにしていますよ〜』
うふふ、たまにはアピールもいいものだ、よね^^
(いや、しょっちゅうアピールしているか^^;)
「よかったね」
独特な幸福感
過去エントリーでも書いているけど。
那智さんと知り合って抱かれるたびに徐々に快感を覚える私を、『80%満足して20%嫌悪する』と言われたことがある。
『羞恥心をなくさないで』という那智さんの無意識の予防線とも取れるのだけど、この言葉はとてもショックで、それからずーっと足枷となり、解放する障害となっていた。
(『満足と嫌い』『矛盾は嫌い』)
どんなに『80%満足が大きな満足か』と教えてもらっても、好きな人に嫌悪されるくらいならそんな大きな満足なんていらない。
まして、私は快感を優先させる女性を嫌悪しているんだよ、自分がそうなったら自己嫌悪するに決まってるじゃないですか。
だから、那智さんだけでもその私に嫌悪しちゃいけないの。
手放しで『快感を優先させるりん子が好き』と言ってくれないと、私はいつまでたっても、どこかでブレーキをかけ、その自分を嫌悪してしまうの。
こんなふうにずっと訴えていた。
いつからか、那智さんから『20%嫌悪』の空気が感じられなくなっていた。
本人に確認しても、そうらしい。
激しく抱き合ったあと、多分お互い『嫌悪しないか』『嫌悪していないと信じられるか』と心を見極めていた時期もあったと思う。
那智さんは『思った側』だから、早々にその見極めは終わったはずだ。
ある時期から、もっともっとと快感を優先させることを喜び育ててきた。
『思われた側』のダメージは大きく、僅かに確認する作業は続いた。
そして、たくさん感じて乱れてしまえばしまうほど、自己嫌悪することで『20%嫌悪』の代わりにしていたようだった。
『荷物を預けること』は覚えた。(『荷物を預けるということ>』)
快感を優先させてしまえるようになっている。
ただ、後でチクチクと自己嫌悪する。
そして、時々、乱れる自分を客観視してしまって、抱かれながら突然覚醒してしまうこともあった。
(『濃い3』)
それは『20%嫌悪する』と言っていた那智さんを無言のうちに責めているようでもあって、なんだかいい気分じゃなかった。(実際心の中で責めていたと思う)
「乗りたかったら乗りな」
フェラチオをしているとよく那智さんは言う。
この場合はね^^一回抱かれた後で、もう一回射精しようとフェラチオをさせている時に多い。
自分はどちらでもいいけれど、りん子がもう少し感じたいなら乗ってもいいよという意味。
特にね、次会えるのが不確定な時などによく言うのだ。
体も心も寂しくならないように、という気持ちが大きいのだと思う。
(まあ、上で腰振る私を見る楽しみもあるでしょうけど^^;)
だけど、最初の頃はほとんど乗らなかった。
いまでも、基本的に乗らない。
いま乗らないと、寂しくなりそうと思う時だけ、乗るのだけど、すごーく勇気がいるのはかわらない。
「乗りたかったら、乗っていいよ」
また言われた。
仕事でいろんな地方に行ったり来たり。
北へ行き、ちょい東に移動して、一度拠点のビジネスホテルに戻って、また西へ。
出張はよくあるけど、そういう種類の仕事が年に1回ほどあるのだ。
そんな合間、拠点のビジネスホテルの狭い部屋での2時間足らずのデートのときだった。
一度いろいろ(?)抱かれたあとで、フェラチオをしながら『乗ってもいいよ』と聞かれたのだ。
くわえながら首を横に振る。
ほんとは、もっと欲しかったし、いま那智さん立て込んでいて次会える予定も立っていないから、もう一度抱いてもらったほうが穏やかに過ごせる予感はしていたのだけど、やっぱり自分から騎乗位というのは、ためらう。
(欲情すると穏やかでいられないこと『ファーストプライオリティ123』『実験結果』などなど長いですけど、お楽しみください^^)
「じゃあ、乗りなさい」
こういうとき、命令して背中を押してくれる。
普段命令をしない那智さん、『私の幸せ』に繋がるようにそういう時に発動してくれるのだ。
乗りたいと思って乗れずにいたのを促してもらった嬉しさと照れ臭さで、那智さんと目を合わすことができない。
恥ずかしがりながら、上に乗る。
ああ、那智さんのおちんちんが気持ちいい。
あっという間に恥ずかしさを吹き飛ばすような気持ちよさが来る。
自分の意志とは関係なく腰を揺らす。
何もかも恥ずかしくて、首を横に振る。
前後に揺れる腰。
左右に振れる首。
恥ずかしさや嫌悪感が、更なる快感を呼び寄せそうになったとき。
視界に鏡が映った。
ああ、なんでいままで気づかなかったんだろう。
ビジネスホテルの狭いシングル。
ベッドのすぐ横にドレッサーを兼ねたデスクがある。
そこに大きな鏡が取付けられていたのだ。
一瞬、鏡の中に女性の姿も見えた。
気づくまではなんでもなかったのに。
そこに自分の姿が映っていると知った途端に、急速に醒めていった。
「いやー、那智さん、鏡がありました!!」
そういって仰向けになっている那智さん肩に顔をうずめる。
一気にシラフに戻ってしまったのはほんとうだ。
だけど、別の感情にも気づいているの。
それは。
その『わたし』を見たい。
という衝動。
いやらしく腰を振るはしたない『りん子』を見てみたい。
ものすごい自己嫌悪に襲われるのは、確実だ。
だけど、その嫌悪感さえも、快感になってしまいそうだ。
この別の感情は100人中2人くらいの少数の私。
多分、私の中の98人が、その2人をねじ伏せたんだ。
だから、余計に覚醒させた部分もある。
男の人の上に乗って腰を振る私もいや。
それを見たいと思ってしまう私もいや。
20%嫌悪されるような私を、私が嫌悪する。
瞬時にそんな分析ができるはずはなく、ただただ自分の姿に嫌悪してどんどん気持ちが醒めていく。
「那智さん、醒めちゃいました」
顔をうずめて訴える。
フェラチオに戻ろうとしたら。
「続けて。鏡を見てごらん。」
「いやです。」
「見なさい。」
ああ、命令。
見せることで羞恥心を煽るのだろうか。
なんだか、それは醒める一方な気がする。
この羞恥プレイは私の幸福に繋がるのだろうか。
だからこその命令?
ノロノロと上体を起こす。
「よかったねって。」
え?
何を言っているの?
目を見て問いかける。
「鏡を見て、よかったねって言ってみな。」
「わたし…に?」
「そう。」
いやだ、恥ずかしい。
鏡を見て自分に声をかけるの?
見るだけでも恥ずかしいのに、もっと恥ずかしいことを。
できないと首を振る。
「ううん、言ってみな、よかったねって。」
頭を上げ、おそるおそる顔を横に向ける。
裸の私がいる。
うつむき加減の私の目を一瞬だけ見て。
「よかったね。」
ああ、恥ずかしいよぉ。
おまんこに那智さんのおちんちんんを感じる。
きゅんとなる。
腰が2,3度がくんと揺れる。
恥ずかしい!!
また、那智さんの胸に顔をうずめる。
「起きて、もう一回。よかったねって。」
チラッと鏡を見て
「…よかったね。」
ああ、また腰が揺れる。
下から乳首を潰される。
気持ちいい。
「ほら、よかったねって。」
もう一度鏡に映る私を見つける。
今度はさっきよりしっかりと。
頬、ううん、顔全体が紅潮して桃色に染まり、汗をかいてくしゃくしゃの髪が張り付き、目尻が下がった、とてもとても幸せそうな私がいる。
その私の目を見て、言う。
「よかったね。」
満面の笑み。
幸福と快感は連動しているのか。
それとも、快感に溢れた女の表情に興奮したのか。
「よかったね」というたびに、腰が動き、さらに気持ちよくなって、また激しく腰が揺れる。
そのいやらしく動く腰を見て、もっと興奮する。
そこはかとなく残る嫌悪感も、心地よい快感へ変換している。
はしたない幸福な私を眺めながら、私は私を許した。
那智さんはずっと前から、許してくれていたんだ。
私が、許せなかった。
「よかったね」と促してもらって、はじめて許せた。
私が、私を許すためのおまじないが『よかったね』だったのだ。
まだ上手にまとまっていないから書いていないけど、ふたりにとって『りん子の自己嫌悪』というのは、実は大事なファクターでもあるんだ。
そして、嫌悪感はひそかな快感に繋がることも自覚してきている。
だから、自己嫌悪が完全になくなることが、ふたりにとって幸福なこととは一概には言えないの。
今回は、嫌悪感を僅かに残したままでプラスに作用させることができたように思う。
私を拘束していた自己嫌悪や罪悪感と『20%嫌悪』の足枷から解き放たれた時間。
私を、私が許す。
とても楽で、身軽で、嬉しくて、幸福な時間だった。
それにしても、『よかったね』はなかなかにくい手を使ってくるな〜と身内ながら感心してしまった^^
それくらい私には効果絶大でした^^;
過去エントリーでも書いているけど。
那智さんと知り合って抱かれるたびに徐々に快感を覚える私を、『80%満足して20%嫌悪する』と言われたことがある。
『羞恥心をなくさないで』という那智さんの無意識の予防線とも取れるのだけど、この言葉はとてもショックで、それからずーっと足枷となり、解放する障害となっていた。
(『満足と嫌い』『矛盾は嫌い』)
どんなに『80%満足が大きな満足か』と教えてもらっても、好きな人に嫌悪されるくらいならそんな大きな満足なんていらない。
まして、私は快感を優先させる女性を嫌悪しているんだよ、自分がそうなったら自己嫌悪するに決まってるじゃないですか。
だから、那智さんだけでもその私に嫌悪しちゃいけないの。
手放しで『快感を優先させるりん子が好き』と言ってくれないと、私はいつまでたっても、どこかでブレーキをかけ、その自分を嫌悪してしまうの。
こんなふうにずっと訴えていた。
いつからか、那智さんから『20%嫌悪』の空気が感じられなくなっていた。
本人に確認しても、そうらしい。
激しく抱き合ったあと、多分お互い『嫌悪しないか』『嫌悪していないと信じられるか』と心を見極めていた時期もあったと思う。
那智さんは『思った側』だから、早々にその見極めは終わったはずだ。
ある時期から、もっともっとと快感を優先させることを喜び育ててきた。
『思われた側』のダメージは大きく、僅かに確認する作業は続いた。
そして、たくさん感じて乱れてしまえばしまうほど、自己嫌悪することで『20%嫌悪』の代わりにしていたようだった。
『荷物を預けること』は覚えた。(『荷物を預けるということ>』)
快感を優先させてしまえるようになっている。
ただ、後でチクチクと自己嫌悪する。
そして、時々、乱れる自分を客観視してしまって、抱かれながら突然覚醒してしまうこともあった。
(『濃い3』)
それは『20%嫌悪する』と言っていた那智さんを無言のうちに責めているようでもあって、なんだかいい気分じゃなかった。(実際心の中で責めていたと思う)
「乗りたかったら乗りな」
フェラチオをしているとよく那智さんは言う。
この場合はね^^一回抱かれた後で、もう一回射精しようとフェラチオをさせている時に多い。
自分はどちらでもいいけれど、りん子がもう少し感じたいなら乗ってもいいよという意味。
特にね、次会えるのが不確定な時などによく言うのだ。
体も心も寂しくならないように、という気持ちが大きいのだと思う。
(まあ、上で腰振る私を見る楽しみもあるでしょうけど^^;)
だけど、最初の頃はほとんど乗らなかった。
いまでも、基本的に乗らない。
いま乗らないと、寂しくなりそうと思う時だけ、乗るのだけど、すごーく勇気がいるのはかわらない。
「乗りたかったら、乗っていいよ」
また言われた。
仕事でいろんな地方に行ったり来たり。
北へ行き、ちょい東に移動して、一度拠点のビジネスホテルに戻って、また西へ。
出張はよくあるけど、そういう種類の仕事が年に1回ほどあるのだ。
そんな合間、拠点のビジネスホテルの狭い部屋での2時間足らずのデートのときだった。
一度いろいろ(?)抱かれたあとで、フェラチオをしながら『乗ってもいいよ』と聞かれたのだ。
くわえながら首を横に振る。
ほんとは、もっと欲しかったし、いま那智さん立て込んでいて次会える予定も立っていないから、もう一度抱いてもらったほうが穏やかに過ごせる予感はしていたのだけど、やっぱり自分から騎乗位というのは、ためらう。
(欲情すると穏やかでいられないこと『ファーストプライオリティ123』『実験結果』などなど長いですけど、お楽しみください^^)
「じゃあ、乗りなさい」
こういうとき、命令して背中を押してくれる。
普段命令をしない那智さん、『私の幸せ』に繋がるようにそういう時に発動してくれるのだ。
乗りたいと思って乗れずにいたのを促してもらった嬉しさと照れ臭さで、那智さんと目を合わすことができない。
恥ずかしがりながら、上に乗る。
ああ、那智さんのおちんちんが気持ちいい。
あっという間に恥ずかしさを吹き飛ばすような気持ちよさが来る。
自分の意志とは関係なく腰を揺らす。
何もかも恥ずかしくて、首を横に振る。
前後に揺れる腰。
左右に振れる首。
恥ずかしさや嫌悪感が、更なる快感を呼び寄せそうになったとき。
視界に鏡が映った。
ああ、なんでいままで気づかなかったんだろう。
ビジネスホテルの狭いシングル。
ベッドのすぐ横にドレッサーを兼ねたデスクがある。
そこに大きな鏡が取付けられていたのだ。
一瞬、鏡の中に女性の姿も見えた。
気づくまではなんでもなかったのに。
そこに自分の姿が映っていると知った途端に、急速に醒めていった。
「いやー、那智さん、鏡がありました!!」
そういって仰向けになっている那智さん肩に顔をうずめる。
一気にシラフに戻ってしまったのはほんとうだ。
だけど、別の感情にも気づいているの。
それは。
その『わたし』を見たい。
という衝動。
いやらしく腰を振るはしたない『りん子』を見てみたい。
ものすごい自己嫌悪に襲われるのは、確実だ。
だけど、その嫌悪感さえも、快感になってしまいそうだ。
この別の感情は100人中2人くらいの少数の私。
多分、私の中の98人が、その2人をねじ伏せたんだ。
だから、余計に覚醒させた部分もある。
男の人の上に乗って腰を振る私もいや。
それを見たいと思ってしまう私もいや。
20%嫌悪されるような私を、私が嫌悪する。
瞬時にそんな分析ができるはずはなく、ただただ自分の姿に嫌悪してどんどん気持ちが醒めていく。
「那智さん、醒めちゃいました」
顔をうずめて訴える。
フェラチオに戻ろうとしたら。
「続けて。鏡を見てごらん。」
「いやです。」
「見なさい。」
ああ、命令。
見せることで羞恥心を煽るのだろうか。
なんだか、それは醒める一方な気がする。
この羞恥プレイは私の幸福に繋がるのだろうか。
だからこその命令?
ノロノロと上体を起こす。
「よかったねって。」
え?
何を言っているの?
目を見て問いかける。
「鏡を見て、よかったねって言ってみな。」
「わたし…に?」
「そう。」
いやだ、恥ずかしい。
鏡を見て自分に声をかけるの?
見るだけでも恥ずかしいのに、もっと恥ずかしいことを。
できないと首を振る。
「ううん、言ってみな、よかったねって。」
頭を上げ、おそるおそる顔を横に向ける。
裸の私がいる。
うつむき加減の私の目を一瞬だけ見て。
「よかったね。」
ああ、恥ずかしいよぉ。
おまんこに那智さんのおちんちんんを感じる。
きゅんとなる。
腰が2,3度がくんと揺れる。
恥ずかしい!!
また、那智さんの胸に顔をうずめる。
「起きて、もう一回。よかったねって。」
チラッと鏡を見て
「…よかったね。」
ああ、また腰が揺れる。
下から乳首を潰される。
気持ちいい。
「ほら、よかったねって。」
もう一度鏡に映る私を見つける。
今度はさっきよりしっかりと。
頬、ううん、顔全体が紅潮して桃色に染まり、汗をかいてくしゃくしゃの髪が張り付き、目尻が下がった、とてもとても幸せそうな私がいる。
その私の目を見て、言う。
「よかったね。」
満面の笑み。
幸福と快感は連動しているのか。
それとも、快感に溢れた女の表情に興奮したのか。
「よかったね」というたびに、腰が動き、さらに気持ちよくなって、また激しく腰が揺れる。
そのいやらしく動く腰を見て、もっと興奮する。
そこはかとなく残る嫌悪感も、心地よい快感へ変換している。
はしたない幸福な私を眺めながら、私は私を許した。
那智さんはずっと前から、許してくれていたんだ。
私が、許せなかった。
「よかったね」と促してもらって、はじめて許せた。
私が、私を許すためのおまじないが『よかったね』だったのだ。
まだ上手にまとまっていないから書いていないけど、ふたりにとって『りん子の自己嫌悪』というのは、実は大事なファクターでもあるんだ。
そして、嫌悪感はひそかな快感に繋がることも自覚してきている。
だから、自己嫌悪が完全になくなることが、ふたりにとって幸福なこととは一概には言えないの。
今回は、嫌悪感を僅かに残したままでプラスに作用させることができたように思う。
私を拘束していた自己嫌悪や罪悪感と『20%嫌悪』の足枷から解き放たれた時間。
私を、私が許す。
とても楽で、身軽で、嬉しくて、幸福な時間だった。
それにしても、『よかったね』はなかなかにくい手を使ってくるな〜と身内ながら感心してしまった^^
それくらい私には効果絶大でした^^;
徒然に「自己嫌悪」のこと
独特な幸福感
『よかったね』のおまじないで、自己嫌悪や那智さんの『20%嫌悪』から解放された時間を経験した私。
じゃあ、これから、毎度気楽に気持ちいいことを優先してしまえて自己嫌悪を感じないでいられるかというと、これはまた違うことのように思う。
私が私を許せるのは、那智さんに許してもらってはじめて安心してできることだと思うので、那智さん次第なんだ。
もしかしたら、許してばかりじゃつまらないと思えば『今日はダメ、嫌悪して苦しんで』というでしょうし。
そう言われれば、私はやはり解放できないはずだ。
勢いその状態で自分が許ししまっても、嫌悪感がマイナスに作用して幸福にはなれないと思う。
解放できるかできないかは、結局は那智さん次第。
ただこの『那智さん次第』という関係が維持できていれば、恐らく毎回気持ちいいことを優先してしまっても、かつての『20%嫌悪』の状態には戻らないのではないかと思ってる。
私のほうでも、一回解放できたからって、何十年も背負っていた性に対する罪悪感(これは羨望の裏返しの罪悪感)、そんな自分への嫌悪感(羨望しているからね)は簡単には拭いされないと思ってる。
今回は『よかったね』が効果があったけど、次また同じようになれるとも思っていない。
次、できなければ、また別のおまじないをくれるかもしれないし、なにもしないでいるかもしれない。
行為のあとで、お話しするという方法で解決してくれるかもしれない。
これも、那智さん次第でいいのだ。
私がするべきことは、おまじないに感謝しつつも、毎回毎回素直に反応することだと思ってる。
そして、もうひとつ。
僅かに残る嫌悪感も、実は大きな快感の要素でもある。
被虐願望があるくせに、大切にされながら酷いことをしてくれないと傷つくという面倒な性癖を持っている私だけど。(『被虐の種類』『諸刃の刃』『お散歩の裏話2』)
この、僅かに残る嫌悪感を上手に快感に変換させることができれば、もしかしたら、傷つかずに堕ちるということができるんじゃないかと思えたの。
傷つかずに堕ちることが那智さんとの間で可能になれば(いまでも可能な気もするけど)、被虐願望は更に深いところで叶うかもしれない。
それって、嬉しいような、でもかなり怖いような気がする。
いままでよりももっと深く感じられると思うけど、何かがエスカレートしてしまうかもしれないものね。
ただ、僅かに残る自己嫌悪や罪悪感が、快感に変換できることはわかった。
それがわかったいま、自己嫌悪を簡単になくしてしまうのはもったいないとも思ってる^^;
私が『気持ちいいことを優先させる女』を嫌悪していたのは、それがうらやましいから。
そして、そうなる自分を嫌悪するのは、その先にもっと大きなモンスターがいることを無意識に自覚してブレーキを踏んでいるのだと思う。
自己嫌悪のカラクリは全部解明できていないけど、多分そんな感じだろう。
そのモンスターがいる(いてしまう?)限り、私の嫌悪感は減ることはあっても、なくならないのではないかと思っている。
で、それを上手に飼いならし、時に許し解放してくれる那智さんを、私はとても必要になる。
私が必要とすれば、那智さんは手を貸してくれる人だから、また解放してくれる。
解放してくれれば、私はもっと那智さんに執着する。
シェフ那智さんからすれば、この執着は満足だろう。(『対等で上下』)
この循環がふたりの関係をより密にして、お互い離れられないものにしていくのだと思う。
だから、ふたりの間で『りん子の自己嫌悪』というのは悪いことばかりじゃなくで、完全になくならなくてもいいものだと思ってる。
何かに固執してしまう関係は、もしかしたら健全ではないかもしれないけど、ずっと抱えていた厄介なモンスターを一緒に抱きしめてくれる人の存在は、ちょっとくらい歪んでいても、やはり私には必要だ。
手放したくない。
だから、自己嫌悪も、悪くないと思えるようになっている^^
徒然にシリーズ^^
『徒然に「痛みのこと」』
『徒然に「露出のこと」』
とかもお楽しみくださーい^^
『よかったね』のおまじないで、自己嫌悪や那智さんの『20%嫌悪』から解放された時間を経験した私。
じゃあ、これから、毎度気楽に気持ちいいことを優先してしまえて自己嫌悪を感じないでいられるかというと、これはまた違うことのように思う。
私が私を許せるのは、那智さんに許してもらってはじめて安心してできることだと思うので、那智さん次第なんだ。
もしかしたら、許してばかりじゃつまらないと思えば『今日はダメ、嫌悪して苦しんで』というでしょうし。
そう言われれば、私はやはり解放できないはずだ。
勢いその状態で自分が許ししまっても、嫌悪感がマイナスに作用して幸福にはなれないと思う。
解放できるかできないかは、結局は那智さん次第。
ただこの『那智さん次第』という関係が維持できていれば、恐らく毎回気持ちいいことを優先してしまっても、かつての『20%嫌悪』の状態には戻らないのではないかと思ってる。
私のほうでも、一回解放できたからって、何十年も背負っていた性に対する罪悪感(これは羨望の裏返しの罪悪感)、そんな自分への嫌悪感(羨望しているからね)は簡単には拭いされないと思ってる。
今回は『よかったね』が効果があったけど、次また同じようになれるとも思っていない。
次、できなければ、また別のおまじないをくれるかもしれないし、なにもしないでいるかもしれない。
行為のあとで、お話しするという方法で解決してくれるかもしれない。
これも、那智さん次第でいいのだ。
私がするべきことは、おまじないに感謝しつつも、毎回毎回素直に反応することだと思ってる。
そして、もうひとつ。
僅かに残る嫌悪感も、実は大きな快感の要素でもある。
被虐願望があるくせに、大切にされながら酷いことをしてくれないと傷つくという面倒な性癖を持っている私だけど。(『被虐の種類』『諸刃の刃』『お散歩の裏話2』)
この、僅かに残る嫌悪感を上手に快感に変換させることができれば、もしかしたら、傷つかずに堕ちるということができるんじゃないかと思えたの。
傷つかずに堕ちることが那智さんとの間で可能になれば(いまでも可能な気もするけど)、被虐願望は更に深いところで叶うかもしれない。
それって、嬉しいような、でもかなり怖いような気がする。
いままでよりももっと深く感じられると思うけど、何かがエスカレートしてしまうかもしれないものね。
ただ、僅かに残る自己嫌悪や罪悪感が、快感に変換できることはわかった。
それがわかったいま、自己嫌悪を簡単になくしてしまうのはもったいないとも思ってる^^;
私が『気持ちいいことを優先させる女』を嫌悪していたのは、それがうらやましいから。
そして、そうなる自分を嫌悪するのは、その先にもっと大きなモンスターがいることを無意識に自覚してブレーキを踏んでいるのだと思う。
自己嫌悪のカラクリは全部解明できていないけど、多分そんな感じだろう。
そのモンスターがいる(いてしまう?)限り、私の嫌悪感は減ることはあっても、なくならないのではないかと思っている。
で、それを上手に飼いならし、時に許し解放してくれる那智さんを、私はとても必要になる。
私が必要とすれば、那智さんは手を貸してくれる人だから、また解放してくれる。
解放してくれれば、私はもっと那智さんに執着する。
シェフ那智さんからすれば、この執着は満足だろう。(『対等で上下』)
この循環がふたりの関係をより密にして、お互い離れられないものにしていくのだと思う。
だから、ふたりの間で『りん子の自己嫌悪』というのは悪いことばかりじゃなくで、完全になくならなくてもいいものだと思ってる。
何かに固執してしまう関係は、もしかしたら健全ではないかもしれないけど、ずっと抱えていた厄介なモンスターを一緒に抱きしめてくれる人の存在は、ちょっとくらい歪んでいても、やはり私には必要だ。
手放したくない。
だから、自己嫌悪も、悪くないと思えるようになっている^^
徒然にシリーズ^^
『徒然に「痛みのこと」』
『徒然に「露出のこと」』
とかもお楽しみくださーい^^