ショウウィンドウと洗濯バサミと鞭3
非日常的な日常
『どこでもわんこ』の時間は終わりホテルに入る。(『ショウウィンドウと洗濯バサミと鞭1、2の続きです。まだ続いていますよ〜^^)
途中コンビニに寄ったりしたので、少し平静を取り戻したようだ。
服を脱ぐように言われる。
那智さんが麻縄を用意した。
ああ、縛ってくれるんだ。
最近あまり縛ってもらっていなかったから、縛ってほしかったんだ、そのことは伝えてあった。
那智さんの縛りたいとわたしの望みが重なって、嬉しかった。
首に縄を掛け胸の前で結んでいく。
どわぁっと鳥肌が立った。
那智さんといろいろなことをしていると、人の体って面白いと感じることがある。
この鳥肌もそうだった。
裸になってからしばらく経っているのに、縄を掛け縛りだして少ししてから『どわぁっ』と全身に鳥肌。
それで、それが全然ひかないの。
毛穴まで喜んでいるみたい。
「すごい鳥肌です。ふふっ、体って面白いですね。」
縛られながら、割と冷静にこんなことを言う。
冷静でいられなくなったのは、その縄を足の間通しぐっと引かれて背中で結ばれてからだ。
両手も縛られ頭の後ろで固定された。
無防備な姿。
きつく掛けられた股縄を那智さんがくっと引くたびに、どんどん冷静さが遠くにいってしまう。
ああ、もうだめ、恥ずかしいけどものすごく感じてしまっている。
那智さんが引く動きに合わせて腰が動いてしまう。
気持ちいい。
胸を絞り出すように、両手を上げ、淫靡な姿が完成した。
わたしの体にそっと手を掛け、そばにある椅子に座るように移動させてくれる。
僅かに自由な足で腰掛ける。
縄が当たって気持ちが良い。
ここでも腰を動かしてしまうことを我慢できない。
那智さんが鞄から何か取り出した。
洗濯バサミだった。
とても久しぶりに使うそれをわたしはあまり好きじゃない。
那智さんの手で握り潰してもらったほうが、ずっと気持ち良いからだ。
どんな痛みになるのか、過去の記憶を思い出しすこしだけ怖いなと思った。
最初に右。
まずじわりとした鈍い痛みを感じる。
この洗濯バサミの強度は多分強いほうらしい(あまり他を知らないので^^;)。
鈍痛を感じながら、次は左の乳首へ。
じわじわと痛みに鋭さが加わる。
これが、あとどれくらい強く鋭い痛みに変わるのか、その予感に怯える。
乳首を見ると見事に潰れて洗濯バサミの重さでひしゃげている。
見ているだけで痛さが増すようだ。
でも、思ったいたより痛さがすくない。
股縄と鈍痛。
怖さがすこし減り、このふたつに感じはじめていた。
また那智さんが鞄のほうへ。
今度は鞭を手にしている。
わたしは両手を上げ椅子に腰掛けて無防備で、乳首を洗濯バサミで歪めている。
怖い!!
この状態で鞭?
どこに?
それともベッドにうつ伏せにするの?
それなら洗濯バサミは?乳首をベッドで押しつぶすの?
感じはじめた体が一気に正気に戻るようだ。
一瞬の間にいろいろなことを考える。
どの道を想像しても恐ろしい。
声にならない声でいやいやと首を振っていたはずだ。
ビシッ!!!
痛い!!!
そんなわたしの小さな訴えなど見向きもせず、露になっている太腿へ鞭を振り下ろした。
それも、想像以上の力で。
もちろん、肉の厚い打たれなれたお尻に比べれば弱い、でも、慣れない太腿には充分なダメージだった。
じんじんと皮膚が痺れてくる。
痛い。
とても痛いけど、耐えられない痛みではない。
だけど、それ以上に怖い。
全裸で両手を上げて腰掛ける無防備な太腿に打ち据えられる鞭。
いくつもの赤黒い線が浮き出る。
怖い。
怖くて、呻き声のような嗚咽のような声が漏れてしまう。
ああ、もしかしたら喘ぎ声かもしれない。
だって、わたし、恐怖に感じている。
この感覚ははじめてかもしれない。
いつも『痛いことを快感に変えるには怖さは邪魔』と思っていた。
でも、このとき、この恐怖に痺れてしまっていた。
拘束されているわけではないから、いざとなれば逃げられる。
だけど、逃げることはないと感じていた。
だって、この恐怖の中の痛さに快感を覚えてしまったのだもの。
それは、那智さんが絶対限界を超えることをしないと信頼しているから。
いや、限界はいつも少しずつ超える、だから、わたしは『那智さんが広げる限界の幅を信頼している』ということだ。
いままでにない打ち方で感じる恐怖とそこに見合った痛さ、そのバランスがきっとよかったのかもしれない。
はじめて、恐怖を味わいつづけたいと思っていた。(いや、ほんとの怖さとは違うのでしょうけどね^^;)
那智さんが鞭を構える。
怖い、怖い、怖い。
試すように反対の太腿にもう一発。
いたーい!!!
床をどんどんと踏みならし、痛さを振り払う。
ああ、でも、このひりひりした恐怖感が、いい。
洗濯バサミで潰れた乳首が揺れ、そこの痛さに気付く。
「どうでもいいけど、落ちないでね(笑)」
いつの間にか座る位置がずれていて、お尻半分椅子からはみ出していた。
よいしょと抱き、ちょっとちゃんとした位置に直してくれる。
ふと、こんな瞬間も、好き。
そのあとだ。
鞭を打つ姿勢が変わった。
横から打つ姿勢だ。
いや…、体は怖過ぎる。
両手を上げた脇腹に鞭が震われた。
随分力は抜いてくれていると思う。
でも、那智さんの持っている分厚いゴムのバラ鞭は体に巻き込むと皮膚を抉るようだ、切りっぱなしの角ばった淵は切れるように痛い。
そして、当然のように怖い。
数回、脇腹へ。
そして、次は乳首の洗濯バサミを振り落とすように弾く。
ぎゃーーーーーぎゃーーーーー。
大声で叫ぶ。
刺すように、痛い。
痛くて体を揺らすと、もっと痛くなる。
2回、3回。
恐怖で感じていたことがウソのように、怖くて怖くてしかたがなくなっている。
那智さんが本気で洗濯バサミを叩き落とそうと思っていたら、どうしよう、恐ろし過ぎる。
でも、なぜか、終わってほしくないと思っているのだ。
ベッドに移動させられた。(と思う)
洗濯バサミを弾き、揺らし、痺れている乳首をいたぶる。
もう、痛くて痛くてたまらない。
それなのに、腰が動いてしまっている。
股縄に擦り付けるように。
だんだん意識が遠のいていく。
那智さんが洗濯バサミを摘み、じりじりと引っ張り出した。
潰された乳首がさらに形を歪めて伸びる。
うわぁぁぁ。
痛い、痛い。
引き、戻し、リズムを刻むように往復する。
くいくいっと引かれるたびに、腰が動く。
あああ、痛い、痛い。
痛いことが気持ちいい。
頭が、『痛いことが気持ちいい』に支配されてしまって、真っ白になる。
わたし、あまり『頭が真っ白になる』という表現を使いたくないんだ。
だって、そんなに簡単に真っ白になれないもの、こうやってブログに書けるってことは記憶があるわけで、真っ白じゃないと自分では思ってるの。
だけど、このときのことは使ってもいいかなと思う。
頭が真っ白になった。
ただ、痛いことが気持ち良くて。
声を出しているのか、那智さんがどこにいるのか、全然覚えていない。
どれくらいの時間が経ったのかわからないけど(多分、すぐかな)
洗濯バサミを外されたところから記憶がある。
新たな痛みと恐怖で意識が戻ったようだ。
洗濯バサミって、外すときも痛いんだよね。
それで、ひとつ覚醒。
そして、那智さんは必ず、外して歪んだ乳首をさらに指で潰すのだ。
潰して転がして、押しつぶす。
これが強烈に痛い。(やったことある人います?痛いですよね!?)
このときもきっとするだろうと予測できてしまったから、恐怖でまたひとつ覚醒する。
少し意識が戻ったわたしの乳首は、半分ほどに潰れたままだったそうだ。
外しても元に戻らないから、那智さんはちょっと心配になったらしい(酷い!!そんなになるまで挟み続けたの!?)
少し覚醒したわたしに、強烈な痛み。
半分に潰れ痛みでじんじんと痺れている乳首を思い切り潰す。
縦に潰れたそれを戻すように上下に摘むのだ。
ううううわわああああああああああああ。
とんでもなく痛い。
痛みが脳まで刺すみたいだ。
それをぐりぐりと握り潰す。
もっと、もっと痛くする。
それを今度は親指でぐーーーっと押しつぶし乳首を乳房に埋め込むのだ。
これ以上叫べないほど叫んだような気がする。
乳首の皮を剥いて肉に針を刺しているようだ。
さっきの洗濯バサミで引っ張ったよりも、もっと痛い。
痛さの限界の幅を少し広げられた。
こうなると、さっきの『痛いことが気持ちいい』にはなれなかった。
だけど、やめてほしいとは思わない。
痛くて痛くてしょうがないけれど、なぜやめてほしいと思わないかというと。
痛いことが、いい、から。
もちろん、最中にこんな判断はしていない。
でも、そうだった。
痛いことが限界に近づくと『痛いことが気持ちいい』になれた。
そして、ちょっと限界を越え幅を広げられると、すぐ快感にはならなかった。
新しい感覚は『痛いことが、いい』
快感にならなくても、その痛みがいいと感じてしまったのだ。
かつて洗濯バサミがきらいだったわたしが快感を覚えたように、もしかしたら、これがいつか『痛いことが気持ちいい』になるかもしれない。
そうしたら、また限界の幅を少し広げられてしまうのだろうか。
そして、追随するように新しい『痛いことがいい』が増える。
『痛覚に訴えるものはエスカレートすると危ない』というようなことを以前那智さんは言っていた。
だから、扉を開けるのを慎重にしないといけないと。
『痛いことが気持ち良い』
『痛いことがいい』
これを交互に上乗せしていくことは、那智さんのいう通り、怖い。
ピアスも開けられない。
指に刺さった棘も抜けない。
そんな怖がりのわたしが、なぜここまで来られたのかわからない。
わかっているのは、那智さんじゃなきゃぜったいに無理だということと限界の幅は那智さんが決めるということ。
エスカレートせず、でも、限界を見極めてくれると信頼しているということ。
痛いことでも、感じ方が違うとはっきり感じられた洗濯バサミだった。
『どこでもわんこ』の時間は終わりホテルに入る。(『ショウウィンドウと洗濯バサミと鞭1、2の続きです。まだ続いていますよ〜^^)
途中コンビニに寄ったりしたので、少し平静を取り戻したようだ。
服を脱ぐように言われる。
那智さんが麻縄を用意した。
ああ、縛ってくれるんだ。
最近あまり縛ってもらっていなかったから、縛ってほしかったんだ、そのことは伝えてあった。
那智さんの縛りたいとわたしの望みが重なって、嬉しかった。
首に縄を掛け胸の前で結んでいく。
どわぁっと鳥肌が立った。
那智さんといろいろなことをしていると、人の体って面白いと感じることがある。
この鳥肌もそうだった。
裸になってからしばらく経っているのに、縄を掛け縛りだして少ししてから『どわぁっ』と全身に鳥肌。
それで、それが全然ひかないの。
毛穴まで喜んでいるみたい。
「すごい鳥肌です。ふふっ、体って面白いですね。」
縛られながら、割と冷静にこんなことを言う。
冷静でいられなくなったのは、その縄を足の間通しぐっと引かれて背中で結ばれてからだ。
両手も縛られ頭の後ろで固定された。
無防備な姿。
きつく掛けられた股縄を那智さんがくっと引くたびに、どんどん冷静さが遠くにいってしまう。
ああ、もうだめ、恥ずかしいけどものすごく感じてしまっている。
那智さんが引く動きに合わせて腰が動いてしまう。
気持ちいい。
胸を絞り出すように、両手を上げ、淫靡な姿が完成した。
わたしの体にそっと手を掛け、そばにある椅子に座るように移動させてくれる。
僅かに自由な足で腰掛ける。
縄が当たって気持ちが良い。
ここでも腰を動かしてしまうことを我慢できない。
那智さんが鞄から何か取り出した。
洗濯バサミだった。
とても久しぶりに使うそれをわたしはあまり好きじゃない。
那智さんの手で握り潰してもらったほうが、ずっと気持ち良いからだ。
どんな痛みになるのか、過去の記憶を思い出しすこしだけ怖いなと思った。
最初に右。
まずじわりとした鈍い痛みを感じる。
この洗濯バサミの強度は多分強いほうらしい(あまり他を知らないので^^;)。
鈍痛を感じながら、次は左の乳首へ。
じわじわと痛みに鋭さが加わる。
これが、あとどれくらい強く鋭い痛みに変わるのか、その予感に怯える。
乳首を見ると見事に潰れて洗濯バサミの重さでひしゃげている。
見ているだけで痛さが増すようだ。
でも、思ったいたより痛さがすくない。
股縄と鈍痛。
怖さがすこし減り、このふたつに感じはじめていた。
また那智さんが鞄のほうへ。
今度は鞭を手にしている。
わたしは両手を上げ椅子に腰掛けて無防備で、乳首を洗濯バサミで歪めている。
怖い!!
この状態で鞭?
どこに?
それともベッドにうつ伏せにするの?
それなら洗濯バサミは?乳首をベッドで押しつぶすの?
感じはじめた体が一気に正気に戻るようだ。
一瞬の間にいろいろなことを考える。
どの道を想像しても恐ろしい。
声にならない声でいやいやと首を振っていたはずだ。
ビシッ!!!
痛い!!!
そんなわたしの小さな訴えなど見向きもせず、露になっている太腿へ鞭を振り下ろした。
それも、想像以上の力で。
もちろん、肉の厚い打たれなれたお尻に比べれば弱い、でも、慣れない太腿には充分なダメージだった。
じんじんと皮膚が痺れてくる。
痛い。
とても痛いけど、耐えられない痛みではない。
だけど、それ以上に怖い。
全裸で両手を上げて腰掛ける無防備な太腿に打ち据えられる鞭。
いくつもの赤黒い線が浮き出る。
怖い。
怖くて、呻き声のような嗚咽のような声が漏れてしまう。
ああ、もしかしたら喘ぎ声かもしれない。
だって、わたし、恐怖に感じている。
この感覚ははじめてかもしれない。
いつも『痛いことを快感に変えるには怖さは邪魔』と思っていた。
でも、このとき、この恐怖に痺れてしまっていた。
拘束されているわけではないから、いざとなれば逃げられる。
だけど、逃げることはないと感じていた。
だって、この恐怖の中の痛さに快感を覚えてしまったのだもの。
それは、那智さんが絶対限界を超えることをしないと信頼しているから。
いや、限界はいつも少しずつ超える、だから、わたしは『那智さんが広げる限界の幅を信頼している』ということだ。
いままでにない打ち方で感じる恐怖とそこに見合った痛さ、そのバランスがきっとよかったのかもしれない。
はじめて、恐怖を味わいつづけたいと思っていた。(いや、ほんとの怖さとは違うのでしょうけどね^^;)
那智さんが鞭を構える。
怖い、怖い、怖い。
試すように反対の太腿にもう一発。
いたーい!!!
床をどんどんと踏みならし、痛さを振り払う。
ああ、でも、このひりひりした恐怖感が、いい。
洗濯バサミで潰れた乳首が揺れ、そこの痛さに気付く。
「どうでもいいけど、落ちないでね(笑)」
いつの間にか座る位置がずれていて、お尻半分椅子からはみ出していた。
よいしょと抱き、ちょっとちゃんとした位置に直してくれる。
ふと、こんな瞬間も、好き。
そのあとだ。
鞭を打つ姿勢が変わった。
横から打つ姿勢だ。
いや…、体は怖過ぎる。
両手を上げた脇腹に鞭が震われた。
随分力は抜いてくれていると思う。
でも、那智さんの持っている分厚いゴムのバラ鞭は体に巻き込むと皮膚を抉るようだ、切りっぱなしの角ばった淵は切れるように痛い。
そして、当然のように怖い。
数回、脇腹へ。
そして、次は乳首の洗濯バサミを振り落とすように弾く。
ぎゃーーーーーぎゃーーーーー。
大声で叫ぶ。
刺すように、痛い。
痛くて体を揺らすと、もっと痛くなる。
2回、3回。
恐怖で感じていたことがウソのように、怖くて怖くてしかたがなくなっている。
那智さんが本気で洗濯バサミを叩き落とそうと思っていたら、どうしよう、恐ろし過ぎる。
でも、なぜか、終わってほしくないと思っているのだ。
ベッドに移動させられた。(と思う)
洗濯バサミを弾き、揺らし、痺れている乳首をいたぶる。
もう、痛くて痛くてたまらない。
それなのに、腰が動いてしまっている。
股縄に擦り付けるように。
だんだん意識が遠のいていく。
那智さんが洗濯バサミを摘み、じりじりと引っ張り出した。
潰された乳首がさらに形を歪めて伸びる。
うわぁぁぁ。
痛い、痛い。
引き、戻し、リズムを刻むように往復する。
くいくいっと引かれるたびに、腰が動く。
あああ、痛い、痛い。
痛いことが気持ちいい。
頭が、『痛いことが気持ちいい』に支配されてしまって、真っ白になる。
わたし、あまり『頭が真っ白になる』という表現を使いたくないんだ。
だって、そんなに簡単に真っ白になれないもの、こうやってブログに書けるってことは記憶があるわけで、真っ白じゃないと自分では思ってるの。
だけど、このときのことは使ってもいいかなと思う。
頭が真っ白になった。
ただ、痛いことが気持ち良くて。
声を出しているのか、那智さんがどこにいるのか、全然覚えていない。
どれくらいの時間が経ったのかわからないけど(多分、すぐかな)
洗濯バサミを外されたところから記憶がある。
新たな痛みと恐怖で意識が戻ったようだ。
洗濯バサミって、外すときも痛いんだよね。
それで、ひとつ覚醒。
そして、那智さんは必ず、外して歪んだ乳首をさらに指で潰すのだ。
潰して転がして、押しつぶす。
これが強烈に痛い。(やったことある人います?痛いですよね!?)
このときもきっとするだろうと予測できてしまったから、恐怖でまたひとつ覚醒する。
少し意識が戻ったわたしの乳首は、半分ほどに潰れたままだったそうだ。
外しても元に戻らないから、那智さんはちょっと心配になったらしい(酷い!!そんなになるまで挟み続けたの!?)
少し覚醒したわたしに、強烈な痛み。
半分に潰れ痛みでじんじんと痺れている乳首を思い切り潰す。
縦に潰れたそれを戻すように上下に摘むのだ。
ううううわわああああああああああああ。
とんでもなく痛い。
痛みが脳まで刺すみたいだ。
それをぐりぐりと握り潰す。
もっと、もっと痛くする。
それを今度は親指でぐーーーっと押しつぶし乳首を乳房に埋め込むのだ。
これ以上叫べないほど叫んだような気がする。
乳首の皮を剥いて肉に針を刺しているようだ。
さっきの洗濯バサミで引っ張ったよりも、もっと痛い。
痛さの限界の幅を少し広げられた。
こうなると、さっきの『痛いことが気持ちいい』にはなれなかった。
だけど、やめてほしいとは思わない。
痛くて痛くてしょうがないけれど、なぜやめてほしいと思わないかというと。
痛いことが、いい、から。
もちろん、最中にこんな判断はしていない。
でも、そうだった。
痛いことが限界に近づくと『痛いことが気持ちいい』になれた。
そして、ちょっと限界を越え幅を広げられると、すぐ快感にはならなかった。
新しい感覚は『痛いことが、いい』
快感にならなくても、その痛みがいいと感じてしまったのだ。
かつて洗濯バサミがきらいだったわたしが快感を覚えたように、もしかしたら、これがいつか『痛いことが気持ちいい』になるかもしれない。
そうしたら、また限界の幅を少し広げられてしまうのだろうか。
そして、追随するように新しい『痛いことがいい』が増える。
『痛覚に訴えるものはエスカレートすると危ない』というようなことを以前那智さんは言っていた。
だから、扉を開けるのを慎重にしないといけないと。
『痛いことが気持ち良い』
『痛いことがいい』
これを交互に上乗せしていくことは、那智さんのいう通り、怖い。
ピアスも開けられない。
指に刺さった棘も抜けない。
そんな怖がりのわたしが、なぜここまで来られたのかわからない。
わかっているのは、那智さんじゃなきゃぜったいに無理だということと限界の幅は那智さんが決めるということ。
エスカレートせず、でも、限界を見極めてくれると信頼しているということ。
痛いことでも、感じ方が違うとはっきり感じられた洗濯バサミだった。
ショウウィンドウと洗濯バサミと鞭4と感じたこと
非日常的な日常
洗濯バサミで『ぎゃぁぁぁぁぁ』となって、少し落ち着いたらふと鎖骨が痛いことに気が付いた。
きつく縛った縄が鎖骨に強く当たっていたようで、きりきりと痛んでいたらしい。
「那智さん、ここ痛いです。」
「そう、今日はきつく縛ったからな。外すね。」
そういって両手を体の縄を解いてもらった。
なんだかちょっと惜しい気分。
そのあとはベッドにうつ伏せになっての鞭打ちだった。
最初の一発目から強かった。
痛みをやり過ごす時間もくれずに、数発。
この日は容赦ない打ち方だった。
途中、その中でもかなりMAXに近い威力で打たれたとき。
痛いと感じるのと同時かもしかしたら一瞬前か、自然と涙がせり上がってきた。
おもしろい。
人は痛いと体が感じると、意識として伝達される前に涙が滲むんだ。
感情が入る前の痛みによる涙は、じわっと滲む程度の涙だった。
(確かに、ぼろぼろと涙が溢れるのって、感情が入り交じって泣けるみたいなところあるものね)
信じられない力で打たれ涙を滲ませながら、わたしは笑ってしまっていた。
『痴人状態』のくすくすと笑う可愛らしいものじゃなくて、吹き出して爆笑、みたいな笑い方をしていた。
わたしの予想を超える力で打たれ。
『そこまでする!?』みたいな驚きに、なんだか吹き出してしまったのだ。
でも、涙が滲むほど痛い思いもしている中で、そんなふうに笑い出すこと自体、ヘンだよね。
痛がってるわたしと。
吹き出しているわたし。
それに、そのヘンなわたしを見て、更にそれを笑うわたし。
そして、あとからじわじわと、痛いことが気持ちいいと感じはじめているわたし。
また、これで感じて、それを許してしまえて、喜んで笑い続ける。
何人ものおかしなわたしがいるみたいだった。
鞭で打たれ、枕を抱えて『あははは』と笑うわたしを、椅子に腰掛け那智さんはタバコを吸いながらどうなふうに思って見ているのだろう。
この日は那智さんは思い切り打ちたかったらしい。
いつもの様子を見るような打ち方ではなくて、次から次へと鞭を振るう。
どれもとても強い。
大声で笑ったり、近寄っていって号泣したり、痛さに呻きながら快感に浸ったり。
おもしろいくらい感情がくるくると変わる。
もう、どんな感情になってもいいや、しーらない。
そんなふうに手放してしまった。
痛い痛いと呻きながら、大喜びでのたうち回っていた。
「動いちゃダメだよ」と言われた。
那智さんが鞭を打つときにこういうことを言うのははじめてだと思う。
いつもは、わたしの好きなようにさせてくれるのに。
もしくは打ちたければわたしがどんな体勢でも打つのに。
お尻を差し出す姿勢のまま「動いちゃダメ」なんて。
怖かった。
自由に動けるということは、痛いことを受け入れるひとつ命綱だったから。
でも、その命令は、わたしの被虐嗜好を刺激する。
さっき、はじめて怖さで快感を感じたばかり。
それと似たような甘美な恐怖で、一瞬覚醒した脳は、また感じはじめていた。
それからの数発は、ごめんなさい、覚えていない。
多分、とても痛かったはずだ。
喜んで痛がっていたように思う。
ショウウィンドウと洗濯バサミと鞭、いろんな種類の刺激を受けた日。
それをひとつひとつ思い出しながら書いている。
あの時のあの感情や快感はどんなふうに表現したら伝わるだろう。
ぼんやりした記憶を掘り起こし砂を払い、改めて我が身を振り返る。
そしたら、いまさらだけど、気が付いたことがあるの。
わたし、気持ちいい、気持ちいいっていっぱい書いているけど。
それは、砂を払い落として、書くときになってはじめて自分でも目にするようなことなんだ。
もちろん渦中でも気持ちいいのだけど。
わたしは、ショウウィンドウの前で四つん這いになりながら喘いでいるわけでもないし、洗濯バサミを外して乳首を握り潰されたときは痛さで悲鳴を上げているわけで。
特に、こういう極端なことをしているときは、モラルや恐怖や苦痛と必死に闘っているという感覚が強いのです。
那智さんったら、酷いことさせて、酷いことして!!!って、いっぱいいっぱいになっているはずなんです。
それが、いざ書こうとして、思い出し砂を払い言葉を選んでいると、気持ちいい気持ちいいになっているのだ。
自分は必死なだけのつもりなんだけど、もしかしたら意識はずっとずっと遠くに飛んで行っているようなんだ。
どうやら、わたしは、わたしが思っているよりもずっとその最中に快感を覚えているらしいと、書いていて気付いたの。
痛い!!恥ずかしい!!!と必死になっている中で、それをちょっと快感が上回ったときを『快感』と思っていたけれど、実は、必死を丸ごと飲み込んでしまうような快感だったらしい。
だって、ショウウィンドウのわんこのことを書きながら、『ああ、わたし、あのときあのまま那智さんが散歩をはじめたら付いて行ったはずだ』と思ったの。
思い返して、それくらい感じていたと認識したんだ。
これは、どうしたもんかと思う。
那智さんに『荷物を預ける』とか『委ねる』といって、わたしは快感に没頭できるようにしているけれど、それでもそれはわたしが想像する『わたし』の範囲での没頭だと思っていた。
でも、その範囲は、違っていたようなのだもの。
どんなに自分を手放しても、それは『わたし』の範囲内だと思っていたけど、どうやら、その範囲は思った以上に大きいようで、書きながら驚いてしまったのです。
自分の知らないうちに、想像外のわたしになる。
これはちょっと、怖い。
わたしはよく那智さんに「あのときのわたしどうでした?」と聞く。
ビデオ撮影しているわけじゃないから、必死なときの自分はどういうふうなのか知りたくて。
そうすると、ほとんどこう返ってくる。
「とても気持ち良さそうだったよ」
それを聞くといつも「いや、気持ち良かったかもしれないけど、かなり必死でした!!」と、ちょっと否定したい気持ちになっていた。
那智さんったら、わたし気持ちいいばっかりじゃないんですよ!!って。
四つん這いの背中だけを見て、どうしてわかるの!!って。
でも、もしかしたら、それが本当の姿かもしれないと、思えてしまった。
どんなに荷物を預けても、わたしは『わたし』でいられると思っていた。
でも、那智さん、わたし、わたしの想定する『わたし』でいるように制御できないかもしれない。
那智さんが手を掛けてきたりん子は、もうわたしでは制御できない女になってしまっている。
わたしの限界の幅は那智さんが決めると書いたけど。
わたしの快感の幅も、もうわたしの管轄外のことになってしまったみたい。
それは、とても怖くて、とてもとても幸福なこと。
自分で自分をコントロールできない怖さと。
従属感を満たし、同化する幸福。
那智さん、わたし、やっぱり那智さん仕様だ。
洗濯バサミで『ぎゃぁぁぁぁぁ』となって、少し落ち着いたらふと鎖骨が痛いことに気が付いた。
きつく縛った縄が鎖骨に強く当たっていたようで、きりきりと痛んでいたらしい。
「那智さん、ここ痛いです。」
「そう、今日はきつく縛ったからな。外すね。」
そういって両手を体の縄を解いてもらった。
なんだかちょっと惜しい気分。
そのあとはベッドにうつ伏せになっての鞭打ちだった。
最初の一発目から強かった。
痛みをやり過ごす時間もくれずに、数発。
この日は容赦ない打ち方だった。
途中、その中でもかなりMAXに近い威力で打たれたとき。
痛いと感じるのと同時かもしかしたら一瞬前か、自然と涙がせり上がってきた。
おもしろい。
人は痛いと体が感じると、意識として伝達される前に涙が滲むんだ。
感情が入る前の痛みによる涙は、じわっと滲む程度の涙だった。
(確かに、ぼろぼろと涙が溢れるのって、感情が入り交じって泣けるみたいなところあるものね)
信じられない力で打たれ涙を滲ませながら、わたしは笑ってしまっていた。
『痴人状態』のくすくすと笑う可愛らしいものじゃなくて、吹き出して爆笑、みたいな笑い方をしていた。
わたしの予想を超える力で打たれ。
『そこまでする!?』みたいな驚きに、なんだか吹き出してしまったのだ。
でも、涙が滲むほど痛い思いもしている中で、そんなふうに笑い出すこと自体、ヘンだよね。
痛がってるわたしと。
吹き出しているわたし。
それに、そのヘンなわたしを見て、更にそれを笑うわたし。
そして、あとからじわじわと、痛いことが気持ちいいと感じはじめているわたし。
また、これで感じて、それを許してしまえて、喜んで笑い続ける。
何人ものおかしなわたしがいるみたいだった。
鞭で打たれ、枕を抱えて『あははは』と笑うわたしを、椅子に腰掛け那智さんはタバコを吸いながらどうなふうに思って見ているのだろう。
この日は那智さんは思い切り打ちたかったらしい。
いつもの様子を見るような打ち方ではなくて、次から次へと鞭を振るう。
どれもとても強い。
大声で笑ったり、近寄っていって号泣したり、痛さに呻きながら快感に浸ったり。
おもしろいくらい感情がくるくると変わる。
もう、どんな感情になってもいいや、しーらない。
そんなふうに手放してしまった。
痛い痛いと呻きながら、大喜びでのたうち回っていた。
「動いちゃダメだよ」と言われた。
那智さんが鞭を打つときにこういうことを言うのははじめてだと思う。
いつもは、わたしの好きなようにさせてくれるのに。
もしくは打ちたければわたしがどんな体勢でも打つのに。
お尻を差し出す姿勢のまま「動いちゃダメ」なんて。
怖かった。
自由に動けるということは、痛いことを受け入れるひとつ命綱だったから。
でも、その命令は、わたしの被虐嗜好を刺激する。
さっき、はじめて怖さで快感を感じたばかり。
それと似たような甘美な恐怖で、一瞬覚醒した脳は、また感じはじめていた。
それからの数発は、ごめんなさい、覚えていない。
多分、とても痛かったはずだ。
喜んで痛がっていたように思う。
ショウウィンドウと洗濯バサミと鞭、いろんな種類の刺激を受けた日。
それをひとつひとつ思い出しながら書いている。
あの時のあの感情や快感はどんなふうに表現したら伝わるだろう。
ぼんやりした記憶を掘り起こし砂を払い、改めて我が身を振り返る。
そしたら、いまさらだけど、気が付いたことがあるの。
わたし、気持ちいい、気持ちいいっていっぱい書いているけど。
それは、砂を払い落として、書くときになってはじめて自分でも目にするようなことなんだ。
もちろん渦中でも気持ちいいのだけど。
わたしは、ショウウィンドウの前で四つん這いになりながら喘いでいるわけでもないし、洗濯バサミを外して乳首を握り潰されたときは痛さで悲鳴を上げているわけで。
特に、こういう極端なことをしているときは、モラルや恐怖や苦痛と必死に闘っているという感覚が強いのです。
那智さんったら、酷いことさせて、酷いことして!!!って、いっぱいいっぱいになっているはずなんです。
それが、いざ書こうとして、思い出し砂を払い言葉を選んでいると、気持ちいい気持ちいいになっているのだ。
自分は必死なだけのつもりなんだけど、もしかしたら意識はずっとずっと遠くに飛んで行っているようなんだ。
どうやら、わたしは、わたしが思っているよりもずっとその最中に快感を覚えているらしいと、書いていて気付いたの。
痛い!!恥ずかしい!!!と必死になっている中で、それをちょっと快感が上回ったときを『快感』と思っていたけれど、実は、必死を丸ごと飲み込んでしまうような快感だったらしい。
だって、ショウウィンドウのわんこのことを書きながら、『ああ、わたし、あのときあのまま那智さんが散歩をはじめたら付いて行ったはずだ』と思ったの。
思い返して、それくらい感じていたと認識したんだ。
これは、どうしたもんかと思う。
那智さんに『荷物を預ける』とか『委ねる』といって、わたしは快感に没頭できるようにしているけれど、それでもそれはわたしが想像する『わたし』の範囲での没頭だと思っていた。
でも、その範囲は、違っていたようなのだもの。
どんなに自分を手放しても、それは『わたし』の範囲内だと思っていたけど、どうやら、その範囲は思った以上に大きいようで、書きながら驚いてしまったのです。
自分の知らないうちに、想像外のわたしになる。
これはちょっと、怖い。
わたしはよく那智さんに「あのときのわたしどうでした?」と聞く。
ビデオ撮影しているわけじゃないから、必死なときの自分はどういうふうなのか知りたくて。
そうすると、ほとんどこう返ってくる。
「とても気持ち良さそうだったよ」
それを聞くといつも「いや、気持ち良かったかもしれないけど、かなり必死でした!!」と、ちょっと否定したい気持ちになっていた。
那智さんったら、わたし気持ちいいばっかりじゃないんですよ!!って。
四つん這いの背中だけを見て、どうしてわかるの!!って。
でも、もしかしたら、それが本当の姿かもしれないと、思えてしまった。
どんなに荷物を預けても、わたしは『わたし』でいられると思っていた。
でも、那智さん、わたし、わたしの想定する『わたし』でいるように制御できないかもしれない。
那智さんが手を掛けてきたりん子は、もうわたしでは制御できない女になってしまっている。
わたしの限界の幅は那智さんが決めると書いたけど。
わたしの快感の幅も、もうわたしの管轄外のことになってしまったみたい。
それは、とても怖くて、とてもとても幸福なこと。
自分で自分をコントロールできない怖さと。
従属感を満たし、同化する幸福。
那智さん、わたし、やっぱり那智さん仕様だ。
湯たんぽ
独り言
前エントリーは、もうわたし浸っちゃってて、恥ずかしい^^;
リアルタイムでの感情放出はなるべく避けようと、できるだけ事後に書くようにしている。
例えば那智さんとの間に起こったマイナスなことでも、その渦中では『愚痴』になってしまうからに解決したあとに書いたり(で、結局『ノロケ』だらけ!?)、 性的なこともしばらく頭の中で熟成させてから書くようにしている、そうすれば同じ『ノロケ』や『気持ちいい』でもより伝わるかなって思って。
ただ、下書きや書き貯めという賢いことができない性格で、頭の中ではこねくり回すけどダーーーッと書いたら、もうアップしたくてしょうがなくなっちゃうのです。
だから、書きながら盛り上がってしまうと、そのまま『投稿!!』にしてしまうから、あとから読んで、ああ、ちょっと浸っちゃって恥ずかしいとなってしまうのです。
じゃあ、一日置くとか何度も読み返すとかすればいいのに!!…できない;;
もう、この堪え性のない性格は、直りませんね。
ということで、恥ずかしさを払拭するために後日フォローするはめになるのです。
ああ、でも、内容のできはともかく、週休3日程度でよくこれだけ話題を見つけられるよね!?と自分で自分をほめてあげたい。
いいよね、ほめてあげても!?
あと、ついでにもう一個、自画自賛しちゃう。
このブログ、那智さんと会うたびに、そのことを書いているわけでもないのです。
新しい快感を発見したり、この感情この感動を書きたいと強く感じたときに書こうと思えるのです。
だから、ここに書かれていない『セックス』や『デート』は他にもあるんだ。
那智さんと出会って5年半。
わたしは、いまも『書きたい』と思える発見や感動がある。
快感なんて、いまだに発展中だ。
それは、那智さんが変わらずわたしをかまい愛してくれているからだと思うのだけど。
それを見逃すことなく、感動や快感に繋げられるわたしでよかったと思う。
それを伝えれば、那智さんはまたわたしを可愛がってくれる。
相乗効果。
そういう関係を一緒に作ってくれたことに、感謝の気持ちです。
それには、このブログも多いに役立っていて、でも、これを続けるにはふたりの力だけじゃ無理な話。
やっぱり読んでくださる皆さんにも、感謝なのでした。
おお、いけない、また熱く浸ってしまう^^;
そうそう、あともうひとつ!!
那智さん曰く『1cmのことを3mに書く』わたしの文章。
簡潔な文章の書ける人なら一話で済むところを五話くらいまで引っ張ってるのだから、これで更新回数稼げている!?
もしかしたら、これが一番日々の更新に役立っているのかもしれない^^
『熱く語る』から、『熱い』話題に行こうと思って書きはじめたら、また前置き長くなっちゃった!!
ここからが、本題(笑)
『熱い』といえば。
わたしは、この冬『湯たんぽ』を購入しようと思ってます。
世間では、ここ数年前から話題になっているみたいですけど、いまさらで。
子供のころはずっと湯たんぽを使っていた。
だから、あの温かさは記憶にある。
いま使っている電気アンカにはない温かさだった。
いつの間にか電気アンカを使い出して、ずっとそのままだったけど、最近また湯たんぽの話題を耳にするようになってああ、やっぱり湯たんぽほしい〜と思ったのです。
あのぬくぬくを思い出したの。
子供のころはトタンの湯たんぽだった。
いまはプスチックやゴム製のものまであるらしい。
どうしても『湯たんぽ=トタン』のと思ってしまって、それ以外は邪道と思っていたけれど、どうやらゴム製の物は柔らかくてかなり心地いいらしいのです。
そういえば、トタンの湯たんぽは足を載せても硬くて、結局横に追いやってしまっていた記憶はある。
ゴム製の物は柔らかいから足を載せても大丈夫みたい。
足が冷えるわたしには、これは嬉しい。
ぷにゃんぷにゃんのぬくぬくが足下にあるのよ!!
柔らかいから抱きかかえたりもできるし!!(ゴムの匂いが若干するらしい?)
猫がいるみたいじゃない!?と昔飼っていた猫を思い出してしまった。
うう、すごい魅力です。
ただ、熱湯を入れられないし、冷めるのが若干早いみたいで。
いま、硬いか柔らかいかで、ずごーく悩んでるの。
ネットでいろいろ見てみたら、トタンやプラスチックの湯たんぽって、直接体を温めるというよりも事前にお布団の中に入れておいてお布団を温めるというのが本来の使い方のようですね。
だから、硬いのと柔らかいのは、用途が違うらしいのだけど。
でも、ふたつを駆使するほどまめじゃないから。
どっちにしよ〜〜〜とネットの情報を見て、揺れ動いているのです。
子供の頃。
うちの母はトタンの湯たんぽを直火にかけて湧かしていた。(主流は湧かしたお湯を注ぎ入れるのよね)
煮えたぎって小さな口から勢い良く湯気が噴き出したら完成。
ある程度の年齢になったら、それをカバーに収めるのは自分の役目だった。
がんがんに熱せられたトタンの湯たんぽをカバーを巻いた手で押さえ蓋を閉め、本体に触れないように持ち上げカバーに入れるのは、かなり命がけの作業だったな〜^^;
よく火傷しなかったものです。
直火にかけられ切迫するように湯気を噴き出す湯たんぽを見て、幼いわたしは『これがわたしだったら』と考えていた。
そういえば、母の裁縫箱に入っている針がいっぱい刺さってハリネズミみたいになっている針山を見ても、自分が『針山』になっていた。
NHKドラマの『夢千代日記』で黒い着物を着た薄命の芸者さんの吉永小百合さんもわたしだったし。
ドナドナの売られていく子牛もわたしだった。
わたしは小さい頃、自分をいろんなものにしていたな。
しかも、辛い役(笑)
これは感受性豊かというのでしょうか?
それともMの芽?
どちらにしても、きっと那智さんとの『相乗効果』にひと役買っているかもしれないですね。
湯たんぽで悩みながら、いろんなこと考えちゃうわたしでした。
そうこうしているうちに、冬本番になって品薄!!なんてことにならないようにしなくちゃ^^;
前エントリーは、もうわたし浸っちゃってて、恥ずかしい^^;
リアルタイムでの感情放出はなるべく避けようと、できるだけ事後に書くようにしている。
例えば那智さんとの間に起こったマイナスなことでも、その渦中では『愚痴』になってしまうからに解決したあとに書いたり(で、結局『ノロケ』だらけ!?)、 性的なこともしばらく頭の中で熟成させてから書くようにしている、そうすれば同じ『ノロケ』や『気持ちいい』でもより伝わるかなって思って。
ただ、下書きや書き貯めという賢いことができない性格で、頭の中ではこねくり回すけどダーーーッと書いたら、もうアップしたくてしょうがなくなっちゃうのです。
だから、書きながら盛り上がってしまうと、そのまま『投稿!!』にしてしまうから、あとから読んで、ああ、ちょっと浸っちゃって恥ずかしいとなってしまうのです。
じゃあ、一日置くとか何度も読み返すとかすればいいのに!!…できない;;
もう、この堪え性のない性格は、直りませんね。
ということで、恥ずかしさを払拭するために後日フォローするはめになるのです。
ああ、でも、内容のできはともかく、週休3日程度でよくこれだけ話題を見つけられるよね!?と自分で自分をほめてあげたい。
いいよね、ほめてあげても!?
あと、ついでにもう一個、自画自賛しちゃう。
このブログ、那智さんと会うたびに、そのことを書いているわけでもないのです。
新しい快感を発見したり、この感情この感動を書きたいと強く感じたときに書こうと思えるのです。
だから、ここに書かれていない『セックス』や『デート』は他にもあるんだ。
那智さんと出会って5年半。
わたしは、いまも『書きたい』と思える発見や感動がある。
快感なんて、いまだに発展中だ。
それは、那智さんが変わらずわたしをかまい愛してくれているからだと思うのだけど。
それを見逃すことなく、感動や快感に繋げられるわたしでよかったと思う。
それを伝えれば、那智さんはまたわたしを可愛がってくれる。
相乗効果。
そういう関係を一緒に作ってくれたことに、感謝の気持ちです。
それには、このブログも多いに役立っていて、でも、これを続けるにはふたりの力だけじゃ無理な話。
やっぱり読んでくださる皆さんにも、感謝なのでした。
おお、いけない、また熱く浸ってしまう^^;
そうそう、あともうひとつ!!
那智さん曰く『1cmのことを3mに書く』わたしの文章。
簡潔な文章の書ける人なら一話で済むところを五話くらいまで引っ張ってるのだから、これで更新回数稼げている!?
もしかしたら、これが一番日々の更新に役立っているのかもしれない^^
『熱く語る』から、『熱い』話題に行こうと思って書きはじめたら、また前置き長くなっちゃった!!
ここからが、本題(笑)
『熱い』といえば。
わたしは、この冬『湯たんぽ』を購入しようと思ってます。
世間では、ここ数年前から話題になっているみたいですけど、いまさらで。
子供のころはずっと湯たんぽを使っていた。
だから、あの温かさは記憶にある。
いま使っている電気アンカにはない温かさだった。
いつの間にか電気アンカを使い出して、ずっとそのままだったけど、最近また湯たんぽの話題を耳にするようになってああ、やっぱり湯たんぽほしい〜と思ったのです。
あのぬくぬくを思い出したの。
子供のころはトタンの湯たんぽだった。
いまはプスチックやゴム製のものまであるらしい。
どうしても『湯たんぽ=トタン』のと思ってしまって、それ以外は邪道と思っていたけれど、どうやらゴム製の物は柔らかくてかなり心地いいらしいのです。
そういえば、トタンの湯たんぽは足を載せても硬くて、結局横に追いやってしまっていた記憶はある。
ゴム製の物は柔らかいから足を載せても大丈夫みたい。
足が冷えるわたしには、これは嬉しい。
ぷにゃんぷにゃんのぬくぬくが足下にあるのよ!!
柔らかいから抱きかかえたりもできるし!!(ゴムの匂いが若干するらしい?)
猫がいるみたいじゃない!?と昔飼っていた猫を思い出してしまった。
うう、すごい魅力です。
ただ、熱湯を入れられないし、冷めるのが若干早いみたいで。
いま、硬いか柔らかいかで、ずごーく悩んでるの。
ネットでいろいろ見てみたら、トタンやプラスチックの湯たんぽって、直接体を温めるというよりも事前にお布団の中に入れておいてお布団を温めるというのが本来の使い方のようですね。
だから、硬いのと柔らかいのは、用途が違うらしいのだけど。
でも、ふたつを駆使するほどまめじゃないから。
どっちにしよ〜〜〜とネットの情報を見て、揺れ動いているのです。
子供の頃。
うちの母はトタンの湯たんぽを直火にかけて湧かしていた。(主流は湧かしたお湯を注ぎ入れるのよね)
煮えたぎって小さな口から勢い良く湯気が噴き出したら完成。
ある程度の年齢になったら、それをカバーに収めるのは自分の役目だった。
がんがんに熱せられたトタンの湯たんぽをカバーを巻いた手で押さえ蓋を閉め、本体に触れないように持ち上げカバーに入れるのは、かなり命がけの作業だったな〜^^;
よく火傷しなかったものです。
直火にかけられ切迫するように湯気を噴き出す湯たんぽを見て、幼いわたしは『これがわたしだったら』と考えていた。
そういえば、母の裁縫箱に入っている針がいっぱい刺さってハリネズミみたいになっている針山を見ても、自分が『針山』になっていた。
NHKドラマの『夢千代日記』で黒い着物を着た薄命の芸者さんの吉永小百合さんもわたしだったし。
ドナドナの売られていく子牛もわたしだった。
わたしは小さい頃、自分をいろんなものにしていたな。
しかも、辛い役(笑)
これは感受性豊かというのでしょうか?
それともMの芽?
どちらにしても、きっと那智さんとの『相乗効果』にひと役買っているかもしれないですね。
湯たんぽで悩みながら、いろんなこと考えちゃうわたしでした。
そうこうしているうちに、冬本番になって品薄!!なんてことにならないようにしなくちゃ^^;
幸福な無駄遣い
独特な幸福感
たまーに訪れる一緒に眠れる夜、那智さんは夜中に眠りが浅くなるたびにすこしだけわたしをかまう。
抱き寄せたり、下着に手を入れたり。
多いのは、那智さんのおちんちん関係(笑)
わたしの手を取り股間のそれに押しつけ「もみもみ」させたり。
いきなり頭を掴んで毛布の中へ押し込みくわえさせたり。
わたしの睡眠はおかまいなし。
そのまま何かに発展することもあるし、それだけでまた眠りに落ちてしまうこともある。
那智さんがお仕事で泊まるビジネスホテルにこっそり忍び込んだ夜のこと。
最近のビジネスホテルのベッドはシングルでもずいぶん広い。
でも、やはりそこに大人ふたりは、あまり熟睡はできないようで、この夜も那智さんは何度かわたしをかまった。
乳首をいじくったり、髪を撫でたり。
何度目か。
手首を掴み毛布の中へ。
わたしは、浅い眠りから引っ張り上げられた。
手で触らせ、頭を掴み顔を下に。
されるがままに毛布に潜り込み、フェラチオをはじめる。
ぼーっとする頭でパクパクしていると。
「………。」
ん?
なにか聞こえてきた。
「…○%$▲##…。」
小さな声、毛布が邪魔をして聞こえない。
「なにか言いました?」
這い上がり、毛布から顔を出して、聞く。
「…、言い回しを考えないと…。」
なに?言い回し?
どうやら、ちょっと寝ぼけているみたい。
むにゃむにゃと滑舌は悪いけど、口調がビジネスモードだった。
お仕事の夢でも見ているのかな?
でも、真相を知りたくて、聞き返す。
「はい?那智さん、なんて言いました?」
「…りん子に…ちんちんを触らせはじめるときの、…言い回しを考えないと…。」
??????
おちんちんを触らせるときの言い回し!?
深夜のビジネスホテルのベッド。
ベッドライトの仄かな明かりに照らされ浮かび上がる那智さんのなだらかな胸のライン。
毛布から頭だけちょっこっと出して、その不可解な言葉を理解しようと、その胸のライン越しに那智さんの表情を探る。
………。
動かない。
「…&&$×●…”%…。」
また、つぶやいた…、意味不明。
「那智さん、寝ぼけています?」
「…わはは、そうかもね…。」
そう言って一瞬まともな反応を示して、那智さんはまた眠りに落ちていったのでした。
きっと浅い眠りの中、夢と現実を行ったり来たりしていたのでしょうね。
お仕事の夢とおちんちんの現実。
そこで『りん子』が声掛けちゃったものだから、混ざっちゃったみたい^^
遅くまで会議をして眠るためにホテルに戻り、また明日会議の続きで早起きして出かけていく。
そんな束の間の時間に滑り込んだ、幸福。
なんだか、ちょっと微笑ましくて、那智さんがいとおしくなっちゃった。
それにしても。
おちんちんを触りはじめる言い回しって…。
寝ちゃったみたいだから、フェラチオをやめてわたしの定位置『那智さんの腕枕』にさっさと戻る。
那智さんの脇の下に頭を収めながら、『言い回し』を考えるという意味のない思考をはじめてしまった^^;
再び聞こえはじめた那智さんの寝息を子守唄にして、羊を数えるように無意味な思考を漂う。
とても幸せで無駄な時間だった。
たまーに訪れる一緒に眠れる夜、那智さんは夜中に眠りが浅くなるたびにすこしだけわたしをかまう。
抱き寄せたり、下着に手を入れたり。
多いのは、那智さんのおちんちん関係(笑)
わたしの手を取り股間のそれに押しつけ「もみもみ」させたり。
いきなり頭を掴んで毛布の中へ押し込みくわえさせたり。
わたしの睡眠はおかまいなし。
そのまま何かに発展することもあるし、それだけでまた眠りに落ちてしまうこともある。
那智さんがお仕事で泊まるビジネスホテルにこっそり忍び込んだ夜のこと。
最近のビジネスホテルのベッドはシングルでもずいぶん広い。
でも、やはりそこに大人ふたりは、あまり熟睡はできないようで、この夜も那智さんは何度かわたしをかまった。
乳首をいじくったり、髪を撫でたり。
何度目か。
手首を掴み毛布の中へ。
わたしは、浅い眠りから引っ張り上げられた。
手で触らせ、頭を掴み顔を下に。
されるがままに毛布に潜り込み、フェラチオをはじめる。
ぼーっとする頭でパクパクしていると。
「………。」
ん?
なにか聞こえてきた。
「…○%$▲##…。」
小さな声、毛布が邪魔をして聞こえない。
「なにか言いました?」
這い上がり、毛布から顔を出して、聞く。
「…、言い回しを考えないと…。」
なに?言い回し?
どうやら、ちょっと寝ぼけているみたい。
むにゃむにゃと滑舌は悪いけど、口調がビジネスモードだった。
お仕事の夢でも見ているのかな?
でも、真相を知りたくて、聞き返す。
「はい?那智さん、なんて言いました?」
「…りん子に…ちんちんを触らせはじめるときの、…言い回しを考えないと…。」
??????
おちんちんを触らせるときの言い回し!?
深夜のビジネスホテルのベッド。
ベッドライトの仄かな明かりに照らされ浮かび上がる那智さんのなだらかな胸のライン。
毛布から頭だけちょっこっと出して、その不可解な言葉を理解しようと、その胸のライン越しに那智さんの表情を探る。
………。
動かない。
「…&&$×●…”%…。」
また、つぶやいた…、意味不明。
「那智さん、寝ぼけています?」
「…わはは、そうかもね…。」
そう言って一瞬まともな反応を示して、那智さんはまた眠りに落ちていったのでした。
きっと浅い眠りの中、夢と現実を行ったり来たりしていたのでしょうね。
お仕事の夢とおちんちんの現実。
そこで『りん子』が声掛けちゃったものだから、混ざっちゃったみたい^^
遅くまで会議をして眠るためにホテルに戻り、また明日会議の続きで早起きして出かけていく。
そんな束の間の時間に滑り込んだ、幸福。
なんだか、ちょっと微笑ましくて、那智さんがいとおしくなっちゃった。
それにしても。
おちんちんを触りはじめる言い回しって…。
寝ちゃったみたいだから、フェラチオをやめてわたしの定位置『那智さんの腕枕』にさっさと戻る。
那智さんの脇の下に頭を収めながら、『言い回し』を考えるという意味のない思考をはじめてしまった^^;
再び聞こえはじめた那智さんの寝息を子守唄にして、羊を数えるように無意味な思考を漂う。
とても幸せで無駄な時間だった。