痒いは快感か
非日常的な日常
強力なパワーのミニミニ電マ。
それにイボイボの付いたアタッチメントを装着して使用したときに、そのイボイボで傷を付けてしまったようで、途中から少量の出血をしてしまいました。
傷自体は大したことなくて、出血はすぐ止まり、翌日の終わりくらいにはシャワーもおしっこもしみなくなりました*^^*
Mのくせに、傷ができるなどの体への影響を極端に怖がるわたしは、痛みが引いて、まずホッとしました。
まず、ホッとして…。
そのあと……若干痒いことに気付いて、困惑。
困惑して、ああ、そうか傷の直りかけって痒くなるよね!?と、また納得。
納得したはいいけれど。
改めて、これは困りました。
だって、クリトリスの周辺がずーっと密かに痒いのですよ。
しかも、これがまた絶妙な痒さなのです。
不快なほどすごく痒いわけでもないし、でも、ずっと意識してしまう程度の痒さ…。
ずーっと欲情が沸点手前の70度状態。
そんな中、那智さんは心配して連絡を取るたびに様子を聞いてくれる。
『出血は?痛みは?』
『トイレのとき、こすっちゃダメだよ。』(にゃはは、こんなことまで*^^*)
その都度、自分の状態を報告する。
報告しながら、これも施す側の優しさと責任なんだな〜と、ちょっとほくほくしたりして^^
「そこそろ痒くなってきたんじゃない?」
はい、おっしゃる通りです。
「直りかけだから、掻いちゃダメだよ。」
はい。
こんな会話を2度ほどしたあと。
思ってることを正直にお伝えしてみる。
「那智さん、わたしひそかーに欲情しています。」
「なんで?」
「……痒くて…。」
「あはは、じゃあ、明後日までオナニー禁止だな。治さないとね。」
「はい…。」
はいとは言ってみたものの、ダメと言われれば余計に意識してしまうのが人というもの。
密かな欲情は、少し温度を上げる。
痒い。
むずむずして、もどかしい。
不快なはずなのに、もどかしくて感じてしまいそう。
悶々としていると、那智さんがこんな話題を。
「山芋をこすりつけるとかってあるみたいだよね。」
拘束しておまんこに山芋をこすりつけ、痒くてしょうがない状態にさせて懇願させるのだ。
『ああ、もう痒くてたまりません、どうかあなたの肉棒を突っ込んで、かき回してください〜』
官能(エロ?)小説にありそうなお話。
実は、それをわたしにしてみたいと以前から思っていたらしいのだ。
「だって、那智さん、わたしに山芋なんて塗らなくても『入れてください』状態にすることはできるでしょ?」
「違うんだよ。俺が煽ったりしないのに、りん子にがむしゃらにお願いさせてみたいんだよ。」
でも、肌への影響などを考えて、実行に移すことはなかったのだそう。
ああ、確かに。
ちょっと萌えかもしれません。
実際、いま密かな痒さに欲情しているのだから。
痒い=欲情に繋がるらしいことも想像できます。
拘束されて、痒くて痒くてしょうがなくて、不快と快感の淵を彷徨い、本人の意志とは裏腹に入れてと懇願してしまう状態。
そんなみじめな姿を想像して、少しうっとりするわたし。
いや、でも、そこ違うよね?
うっとりに向かう足をはたと止める。
そこ『肉棒入れてください』じゃないよね?
「那智さん、それ違いますよね、本当だったら『山芋洗い流してください』ですよね、普通。」
「まあ、そうだけど…^^;」
「ああ、エロ小説だから、それじゃダメなんですねぇ。」
「そういうこと 笑」
料理をしたことがある人なら、山芋の痒さはわかるはず。
わたしってそういうとき、身も蓋もなく、つい現実的に考えちゃうところがあるんだ^^
その対応違うだろって、萌えなくせに(笑)
そこで快感に進むか、痒さのあまり現実的な反応になるか、それは那智さんの腕の見せ所。
まあ、那智さんは、そこでわたしが本気で嫌がってしまったとしても、それはそれで楽しいのでしょうけれどね。
って、誰も『する』なんて言っていないことに、書きながら気付く。
わたしは、こうやって何度自分の墓の穴を掘ったことか。
萌えなのは確か、認めます。
でも、怖がりな妄想M女のわたしは、体への影響を危惧してしまうことも確かなのです。
だから、山芋、怖いです。
ということで。
那智さん、煽られていないのになり振り構わず懇願してしまうみじめなわたしを、人体に影響のない形で作っていただくことはできないでしょうか(笑)
強力なパワーのミニミニ電マ。
それにイボイボの付いたアタッチメントを装着して使用したときに、そのイボイボで傷を付けてしまったようで、途中から少量の出血をしてしまいました。
傷自体は大したことなくて、出血はすぐ止まり、翌日の終わりくらいにはシャワーもおしっこもしみなくなりました*^^*
Mのくせに、傷ができるなどの体への影響を極端に怖がるわたしは、痛みが引いて、まずホッとしました。
まず、ホッとして…。
そのあと……若干痒いことに気付いて、困惑。
困惑して、ああ、そうか傷の直りかけって痒くなるよね!?と、また納得。
納得したはいいけれど。
改めて、これは困りました。
だって、クリトリスの周辺がずーっと密かに痒いのですよ。
しかも、これがまた絶妙な痒さなのです。
不快なほどすごく痒いわけでもないし、でも、ずっと意識してしまう程度の痒さ…。
ずーっと欲情が沸点手前の70度状態。
そんな中、那智さんは心配して連絡を取るたびに様子を聞いてくれる。
『出血は?痛みは?』
『トイレのとき、こすっちゃダメだよ。』(にゃはは、こんなことまで*^^*)
その都度、自分の状態を報告する。
報告しながら、これも施す側の優しさと責任なんだな〜と、ちょっとほくほくしたりして^^
「そこそろ痒くなってきたんじゃない?」
はい、おっしゃる通りです。
「直りかけだから、掻いちゃダメだよ。」
はい。
こんな会話を2度ほどしたあと。
思ってることを正直にお伝えしてみる。
「那智さん、わたしひそかーに欲情しています。」
「なんで?」
「……痒くて…。」
「あはは、じゃあ、明後日までオナニー禁止だな。治さないとね。」
「はい…。」
はいとは言ってみたものの、ダメと言われれば余計に意識してしまうのが人というもの。
密かな欲情は、少し温度を上げる。
痒い。
むずむずして、もどかしい。
不快なはずなのに、もどかしくて感じてしまいそう。
悶々としていると、那智さんがこんな話題を。
「山芋をこすりつけるとかってあるみたいだよね。」
拘束しておまんこに山芋をこすりつけ、痒くてしょうがない状態にさせて懇願させるのだ。
『ああ、もう痒くてたまりません、どうかあなたの肉棒を突っ込んで、かき回してください〜』
官能(エロ?)小説にありそうなお話。
実は、それをわたしにしてみたいと以前から思っていたらしいのだ。
「だって、那智さん、わたしに山芋なんて塗らなくても『入れてください』状態にすることはできるでしょ?」
「違うんだよ。俺が煽ったりしないのに、りん子にがむしゃらにお願いさせてみたいんだよ。」
でも、肌への影響などを考えて、実行に移すことはなかったのだそう。
ああ、確かに。
ちょっと萌えかもしれません。
実際、いま密かな痒さに欲情しているのだから。
痒い=欲情に繋がるらしいことも想像できます。
拘束されて、痒くて痒くてしょうがなくて、不快と快感の淵を彷徨い、本人の意志とは裏腹に入れてと懇願してしまう状態。
そんなみじめな姿を想像して、少しうっとりするわたし。
いや、でも、そこ違うよね?
うっとりに向かう足をはたと止める。
そこ『肉棒入れてください』じゃないよね?
「那智さん、それ違いますよね、本当だったら『山芋洗い流してください』ですよね、普通。」
「まあ、そうだけど…^^;」
「ああ、エロ小説だから、それじゃダメなんですねぇ。」
「そういうこと 笑」
料理をしたことがある人なら、山芋の痒さはわかるはず。
わたしってそういうとき、身も蓋もなく、つい現実的に考えちゃうところがあるんだ^^
その対応違うだろって、萌えなくせに(笑)
そこで快感に進むか、痒さのあまり現実的な反応になるか、それは那智さんの腕の見せ所。
まあ、那智さんは、そこでわたしが本気で嫌がってしまったとしても、それはそれで楽しいのでしょうけれどね。
って、誰も『する』なんて言っていないことに、書きながら気付く。
わたしは、こうやって何度自分の墓の穴を掘ったことか。
萌えなのは確か、認めます。
でも、怖がりな妄想M女のわたしは、体への影響を危惧してしまうことも確かなのです。
だから、山芋、怖いです。
ということで。
那智さん、煽られていないのになり振り構わず懇願してしまうみじめなわたしを、人体に影響のない形で作っていただくことはできないでしょうか(笑)
那智マニア
独特な幸福感
わたしのブログのすごいところ(笑)は、これでもかってほどノロケているところ。
しかも、『那智さん、すてき〜♪』と可愛らしく書いてるだけじゃなくて、『那智さんはこんな人。かくかくしかじかで、だから好き』と、細かーく分析説明してる。
『すてき〜♪』だけでもお腹いっぱいになっちゃうけど、細かい説明付きだとお腹いっぱいで消化不良でも起こしそう。
このノロケに、みなさんお付き合いくださって、ほんとにありがたいといつも思っています。
そんなこと望んでもいらっしゃらないでしょうが、いつの間にかあなたも『那智マニア』状態?
大変申し訳なく思いながらも、また、一歩マニアの道へ〜。
『オブラートに包む』
那智さんの辞書にはない言葉だ。
もちろん、いちおう普通に社会人生活を送っているのだから、包まなければならないところは、包んでる(はず^^;)。
利害関係なしで、ちゃんと付き合いたいと思えば思うほど、包まなくなるみたいだ。
それが、仲良くなりたいが故の言動だったとしても。
普通、それいきなり言う!?
とか。
その剥き出しの表現は…。
などなど。
人一倍、人当たりを気にするわたしは、何度ヒヤヒヤしたことか。
軽いところでは、会話の中に、わたしからしたら単刀直入のいわゆる下世話な表現を使ったり。
真剣なお話のときでは、その人の心の核を突くような指摘をしたりする。
すました顔してても、所詮は人間、やることは同じ。
だから、見て見ぬふりをしたりオブラートに包んだりすることは、好きじゃないのだと思う。
これは好みが分かれるところで、成熟や粋を好しとする方からしたら、無粋で品のないことだと思う。
だから、那智さんは、その自分を披露することで、それでも良ければお付き合い願いますと名刺を差し出しているようなものなのかもしれない。
余談ですが、長い付き合いでその名刺を出す人と出さない人がいるように感じる。
まず、仲良くなりたい、もしくは真剣に向き合いたいと思う女性にはする(初対面ではしないかな…)。
それと、逆に一目置いてる男性にはしない、ということは一目置くかどうか探ってる男性にはする。
要するに軽いジャブの意味合いもあるみたいだ。
当たってます?那智さん。
話、戻しますね。
それらのジャブを含めるオブラートに包まない付き合い方。
これを言っちゃいけないとか、腹の中ではなにを考えてるのかわからないというような、邪推を排除したところで付き合いたいのでしょう。
それでも、根はとてもとても優しい人なので、歯に衣着せぬ対応でも人を傷付ける気持ちのないことは、伝わっているだろうと思ってます。(ときどき、失敗しちゃいますけどね^^;)
そんな那智さんだからわたしに対してなんて、もうそればっかり。
何度も言うけど、とても優しくて穏やかな人だから、単刀直入オブラートなしでも、辟易したり赤面したりはするけれど、わたしが傷付くことはないのですけどね。
出会って数年。
最初から、そうだった。
ずかずかと人の心に踏み込む。
いろんなドアを開け。
中の汚い感情や悲しい気持ちを引っ張り出す。
わたしの心は、とっ散らかって半ばパニックだ。
もう!!この醜いわたし蓋しておきたかったのに!!
悲しみは気付かないふりしていたかったのに!!
ごちゃごちゃになった心のお部屋を前にして途方に暮れるわたし。
そのわたしに対して、那智さんは、散らかした責任を取ってくれるのだ。
わたしと一緒になって、散らばった汚れた物を丁寧に拭き、悲しい心を縫い合わせ、わたしの幸福な位置に置き直してくれるのだ。
ときには、どのように置いたらよいか、わたしに考えさせ、いつかまた散らかったときのために経験を積ませてくれたりもする。
そんな経験を数年間。
歯に衣着せぬ、オブラートに包まず、その代わり責任も取ってくれる。
ああ、これが那智さんのやり方なんだな〜としみじみ思うのだ。
例えば。
と、いつもの他の人からしたら、くっだらないことで、それを実感してしまった一例を…。
例えば。
過去のエントリーででも、触れたと思うけど、わたしちょっと毛深い^^;
いらぬ気遣いをしたくないと、早い段階からそれを那智さんに伝えて、それを気にすることなくお付き合いできるようになっている。
もちろん、お手入れはするし、毛深いも〜んと開き直るつもりもないけどね。
『毛深いりん子が好き、とまでは言えないけれど、そのコンプレックスを持っているりん子が好きだし、それを気にして恥じらうりん子も、俺に話して安心できてるりん子も、好き』
わたしとしては、その毛がいい!!くらいに言ってほしいな〜なんて思うけど(はは、無理か^^;)、そこまでいかなくても自分のコンプレックスを認めてもらえることは嬉しいことだ。
『神のすね毛』というエントリーで、那智さんが自身の画像を見て『ドラえもん』と言ったことを書いたけど、そのとき那智さんは冗談で、わたしをからかった。
「俺をドラえもんっていうなら、りん子は自分のことを『背中毛ぼーぼー』とかちゃんと書かないと!笑」
いや、那智さん、那智さんご自身がおっしゃった言葉をそのまま書いただけで、わたしはそんな風に言ってないし、それなのに、なぜ、わたしのコンプレックスを披露しないといけないの?
そんなふうに切り返しながら、心はかなりショックを受けていた。
まじまじと自分の背中を見ることなんてないけれど、多分わたしのうなじから背中にかけては濃いめの産毛が生えてるはずだろう。
ああ、やっぱりそうなんだ、やっぱり那智さんはそう感じていたんだ。
わたしは、コンプレックスと那智さんの歯に衣着せぬ言い方に、怒りや悲しさでいっぱいになった。
沈んだ気持ちのまま、でも、ぽつぽつとその気持ちを話した。
毛深いことはどうにもならないけど、悲しい、そんな言い方ないじゃない。
これから先、あなたに背中を見せることをためらってしまう。
「そうかなぁ」
那智さんは自分の気持ちを話しはじめた。
まず、いままでほとんどそのことを気にしたことはない。
ただ、りん子が『ドラえもん』という話題を出したから、それに見合うりん子の弱点を考えたとき、それが浮かんだんだ。
俺は、それが浮かんだとき、それに気付きながらも言わずにいるほうがいやだ。
そのほうが、余計にそれを意識してしまっているようで、りん子に申し訳ないと思う。
冗談にして言ってしまえるほうが、俺たちにとって取るに足らないことになるんじゃないかな?
俺はりん子との間に、触れちゃいけないものを作りたくない。
もちろん、毛深いりん子『が』好きとは言えないけど、それを含めたりん子が好きだ。
こういうのはどうだろう。
俺が、その毛を剃ってあげる。
『はい、りん子、きれいになったね』って、りん子幸せな気分になれると思わない?
今度、あのドレスを着るときに、剃ってあげる。
いじけかけたわたしの心は、それをすんなり受け入れることはできず。
そのときは、そういうものだろうか…と疑問のままだった。
髪を束ね洗面台の前にしゃがむ。
下着だけのわたしは、とても無防備な気分で軽くうつむき、那智さんに背中を差し出す。
那智さんが言った背中毛を、いま全部見せてるんだなって思うと気恥ずかしい。
石けんを付けた指でうなじをなぞり、剃刀の刃を当てる。
ひんやりとした感触が優しく優しく、わたしを撫でる。
大切なものを愛でるように、丁寧に。
那智さんの指先からは、わたしのコンプレックスに対するマイナス感情が感じられない。
慈しむ空気しか伝わってこないのだ。
わずか、30秒。
でも、その間、わたしは那智さんの腕に抱かれているようだった。
照れ臭くて、温かくて、優しい気持ちだった。
こんなに良い気分になれるなら、このコンプレックスも悪くないじゃない。
気になったら、また那智さんにきれいにしてもらえばいい、那智さんにきれいにしてほしい、と思えるようになる。
こんなふうに、那智さんは遠慮なくわたしの心に踏み込んで、幸せな位置に置き直してくれるのだ。
事実は変えられなくても、置き場所が変われば、それは幸せな物に変身することもある。
人の付き合い方は、人それぞれ。
どんな方法が正解なんてない。
わたしにだって、もしかしたら、那智さんのやり方よりも合う方法があるのかもしれない。
ただこうやって、わたしはわたしが、また少し好きになる。
だから、お礼の気持ちを込めて。
コンプレックスを話題に出して『りん子いい女像』から遠のこうとも、那智さん素敵をアピールする…健気なわたしなのでした。
そして、みなさんは、いつの間にかまた『那智マニア』^^;
わたしのブログのすごいところ(笑)は、これでもかってほどノロケているところ。
しかも、『那智さん、すてき〜♪』と可愛らしく書いてるだけじゃなくて、『那智さんはこんな人。かくかくしかじかで、だから好き』と、細かーく分析説明してる。
『すてき〜♪』だけでもお腹いっぱいになっちゃうけど、細かい説明付きだとお腹いっぱいで消化不良でも起こしそう。
このノロケに、みなさんお付き合いくださって、ほんとにありがたいといつも思っています。
そんなこと望んでもいらっしゃらないでしょうが、いつの間にかあなたも『那智マニア』状態?
大変申し訳なく思いながらも、また、一歩マニアの道へ〜。
『オブラートに包む』
那智さんの辞書にはない言葉だ。
もちろん、いちおう普通に社会人生活を送っているのだから、包まなければならないところは、包んでる(はず^^;)。
利害関係なしで、ちゃんと付き合いたいと思えば思うほど、包まなくなるみたいだ。
それが、仲良くなりたいが故の言動だったとしても。
普通、それいきなり言う!?
とか。
その剥き出しの表現は…。
などなど。
人一倍、人当たりを気にするわたしは、何度ヒヤヒヤしたことか。
軽いところでは、会話の中に、わたしからしたら単刀直入のいわゆる下世話な表現を使ったり。
真剣なお話のときでは、その人の心の核を突くような指摘をしたりする。
すました顔してても、所詮は人間、やることは同じ。
だから、見て見ぬふりをしたりオブラートに包んだりすることは、好きじゃないのだと思う。
これは好みが分かれるところで、成熟や粋を好しとする方からしたら、無粋で品のないことだと思う。
だから、那智さんは、その自分を披露することで、それでも良ければお付き合い願いますと名刺を差し出しているようなものなのかもしれない。
余談ですが、長い付き合いでその名刺を出す人と出さない人がいるように感じる。
まず、仲良くなりたい、もしくは真剣に向き合いたいと思う女性にはする(初対面ではしないかな…)。
それと、逆に一目置いてる男性にはしない、ということは一目置くかどうか探ってる男性にはする。
要するに軽いジャブの意味合いもあるみたいだ。
当たってます?那智さん。
話、戻しますね。
それらのジャブを含めるオブラートに包まない付き合い方。
これを言っちゃいけないとか、腹の中ではなにを考えてるのかわからないというような、邪推を排除したところで付き合いたいのでしょう。
それでも、根はとてもとても優しい人なので、歯に衣着せぬ対応でも人を傷付ける気持ちのないことは、伝わっているだろうと思ってます。(ときどき、失敗しちゃいますけどね^^;)
そんな那智さんだからわたしに対してなんて、もうそればっかり。
何度も言うけど、とても優しくて穏やかな人だから、単刀直入オブラートなしでも、辟易したり赤面したりはするけれど、わたしが傷付くことはないのですけどね。
出会って数年。
最初から、そうだった。
ずかずかと人の心に踏み込む。
いろんなドアを開け。
中の汚い感情や悲しい気持ちを引っ張り出す。
わたしの心は、とっ散らかって半ばパニックだ。
もう!!この醜いわたし蓋しておきたかったのに!!
悲しみは気付かないふりしていたかったのに!!
ごちゃごちゃになった心のお部屋を前にして途方に暮れるわたし。
そのわたしに対して、那智さんは、散らかした責任を取ってくれるのだ。
わたしと一緒になって、散らばった汚れた物を丁寧に拭き、悲しい心を縫い合わせ、わたしの幸福な位置に置き直してくれるのだ。
ときには、どのように置いたらよいか、わたしに考えさせ、いつかまた散らかったときのために経験を積ませてくれたりもする。
そんな経験を数年間。
歯に衣着せぬ、オブラートに包まず、その代わり責任も取ってくれる。
ああ、これが那智さんのやり方なんだな〜としみじみ思うのだ。
例えば。
と、いつもの他の人からしたら、くっだらないことで、それを実感してしまった一例を…。
例えば。
過去のエントリーででも、触れたと思うけど、わたしちょっと毛深い^^;
いらぬ気遣いをしたくないと、早い段階からそれを那智さんに伝えて、それを気にすることなくお付き合いできるようになっている。
もちろん、お手入れはするし、毛深いも〜んと開き直るつもりもないけどね。
『毛深いりん子が好き、とまでは言えないけれど、そのコンプレックスを持っているりん子が好きだし、それを気にして恥じらうりん子も、俺に話して安心できてるりん子も、好き』
わたしとしては、その毛がいい!!くらいに言ってほしいな〜なんて思うけど(はは、無理か^^;)、そこまでいかなくても自分のコンプレックスを認めてもらえることは嬉しいことだ。
『神のすね毛』というエントリーで、那智さんが自身の画像を見て『ドラえもん』と言ったことを書いたけど、そのとき那智さんは冗談で、わたしをからかった。
「俺をドラえもんっていうなら、りん子は自分のことを『背中毛ぼーぼー』とかちゃんと書かないと!笑」
いや、那智さん、那智さんご自身がおっしゃった言葉をそのまま書いただけで、わたしはそんな風に言ってないし、それなのに、なぜ、わたしのコンプレックスを披露しないといけないの?
そんなふうに切り返しながら、心はかなりショックを受けていた。
まじまじと自分の背中を見ることなんてないけれど、多分わたしのうなじから背中にかけては濃いめの産毛が生えてるはずだろう。
ああ、やっぱりそうなんだ、やっぱり那智さんはそう感じていたんだ。
わたしは、コンプレックスと那智さんの歯に衣着せぬ言い方に、怒りや悲しさでいっぱいになった。
沈んだ気持ちのまま、でも、ぽつぽつとその気持ちを話した。
毛深いことはどうにもならないけど、悲しい、そんな言い方ないじゃない。
これから先、あなたに背中を見せることをためらってしまう。
「そうかなぁ」
那智さんは自分の気持ちを話しはじめた。
まず、いままでほとんどそのことを気にしたことはない。
ただ、りん子が『ドラえもん』という話題を出したから、それに見合うりん子の弱点を考えたとき、それが浮かんだんだ。
俺は、それが浮かんだとき、それに気付きながらも言わずにいるほうがいやだ。
そのほうが、余計にそれを意識してしまっているようで、りん子に申し訳ないと思う。
冗談にして言ってしまえるほうが、俺たちにとって取るに足らないことになるんじゃないかな?
俺はりん子との間に、触れちゃいけないものを作りたくない。
もちろん、毛深いりん子『が』好きとは言えないけど、それを含めたりん子が好きだ。
こういうのはどうだろう。
俺が、その毛を剃ってあげる。
『はい、りん子、きれいになったね』って、りん子幸せな気分になれると思わない?
今度、あのドレスを着るときに、剃ってあげる。
いじけかけたわたしの心は、それをすんなり受け入れることはできず。
そのときは、そういうものだろうか…と疑問のままだった。
髪を束ね洗面台の前にしゃがむ。
下着だけのわたしは、とても無防備な気分で軽くうつむき、那智さんに背中を差し出す。
那智さんが言った背中毛を、いま全部見せてるんだなって思うと気恥ずかしい。
石けんを付けた指でうなじをなぞり、剃刀の刃を当てる。
ひんやりとした感触が優しく優しく、わたしを撫でる。
大切なものを愛でるように、丁寧に。
那智さんの指先からは、わたしのコンプレックスに対するマイナス感情が感じられない。
慈しむ空気しか伝わってこないのだ。
わずか、30秒。
でも、その間、わたしは那智さんの腕に抱かれているようだった。
照れ臭くて、温かくて、優しい気持ちだった。
こんなに良い気分になれるなら、このコンプレックスも悪くないじゃない。
気になったら、また那智さんにきれいにしてもらえばいい、那智さんにきれいにしてほしい、と思えるようになる。
こんなふうに、那智さんは遠慮なくわたしの心に踏み込んで、幸せな位置に置き直してくれるのだ。
事実は変えられなくても、置き場所が変われば、それは幸せな物に変身することもある。
人の付き合い方は、人それぞれ。
どんな方法が正解なんてない。
わたしにだって、もしかしたら、那智さんのやり方よりも合う方法があるのかもしれない。
ただこうやって、わたしはわたしが、また少し好きになる。
だから、お礼の気持ちを込めて。
コンプレックスを話題に出して『りん子いい女像』から遠のこうとも、那智さん素敵をアピールする…健気なわたしなのでした。
そして、みなさんは、いつの間にかまた『那智マニア』^^;
同性の目
非日常的な日常
「今日は朝からちょっとラッキーだった。」
おはようメールで通勤電車のトラブルを知らせていたから、それは大変とひとり気を揉んでいたわたしに朝の電話タイムの開口一番そういう那智さん。(電車が遅れてるから電話が遅くなることを教えてくれただけなのだけど、勝手に心配してしまうわたし)
さすが那智さん、転んでもただでは起きない!!
で、なにがラッキーだったのですか?
なんだかわからないけれど、那智さんの『ラッキー』はわたしの心も嬉しくさせる。
聞くと。
白いスカートで下着が透けている女性を見かけたのだそう。
しかも、ひとりじゃなくて。
透けにくい素材の白が出回っているみたいだけど、みんなそれだと思ってペチコートを履かないのかな?
今日だけじゃなくて、最近よく見かける、らしいのだ。
「那智さん、そんなによく見てるんですか?女性のスカート!!」
「うん 笑」
那智さんはお仕事の関係で、お洋服の素材やシルエットにちょっとうるさい。
そんな目もあって、女性のお洋服(特に素材やシルエット)に興味を持って見てしまうのか?
…、いや、ただのスケベ心ですね^^;
とにかく、その透け光景がラッキーだったのだそうだ。
ピタッとしたタイトスカートで下着のラインが透けるのではなくて、タイトじゃないもので、もう下着そのものが透けているのだそう。
「ボーダーのパンツなんてすごくよくわかるよね」などという。
わたしもけっこう鈍感だけど、さすがに白を着るときには鏡でチェックするようにしてるけど。
タイトじゃないと逆に確認しにくい部分もあるのかな?
そういう女性を『ラッキー』な目で見てしまう那智さんにほんの少し腹立たしさを感じ。
その女性たちに同情の気持ちも芽生え。
「朝だから、忙しくてチェックする時間がなかったのかもしれませんね。」
などと、なんとなく面識もない女性たちをフォローしてしまう。
でも、それと同時に。
同性ならではの、軽蔑の気持ちも湧いてしまうのだ。
軽蔑というと、ちょっと大げさかな。
若干の白い目?
女性同士の目線のほうが男性のそれよりも厳しいと思う。
わたしもかなり鈍感なんだけど、男性の『ラッキー』で済んでしまうほど寛容ではないな。
その無頓着?もしくはわかってて?に対する白い目みたいな感情も湧いてしまうのだ。
そこから、話は意外な方向へ。
那智さん、自分が『透ける』ことに興味があることに気付く^^
「シースルーかぁ、いいね〜。今度りん子に着させよう。」
先日のヌーブラエントリーに登場した『いったいいつ着るの?』服に透け服もありまして。
黒の透け素材のキャミソールとスカートのセット。
キャミは前が3段のフリルになっていて、そこは生地が重なっているから透けないのだけど、背中は丸透け。
スカートは付属のペチコートを付ければ問題ないけれど、それがないとこちらも丸透け。
まあ、これはペチコートを付け上着を羽織れば着られなくもないけど、ちょっと勇気いるな〜というお洋服。
わたしはそのお洋服の指して。
「那智さん、透けて許せるのって、せいぜいあれの背中が限度ですよ!!それ以外が透けるのはありえない!!」
「おお、りん子いいアイテムに気付いたね〜。じゃあ、今度はあれでペチコートなしだな。」
あ、那智さん、透けるってそのお洋服のこと言っていたんじゃなかったのですか…。
幸か不幸か、気付かせてしまった。
そこから、しばらくそのお洋服を着て街中を歩くシミュレーションで盛り上がる(?)
昼?夜?どこで?などなど。
しばらくして、ふと那智さんが言う。
「でも、あれじゃあ、透けすぎなんだよね。」
え?
「はっきり透けてるんじゃ、おもしろくない。ベタ過ぎ。」
ええ?それが羞恥プレイってもんじゃありませんか!?
どうやら那智さんのお好みは違うのだ。
確かにそうでした。
エロよりも『変』。
パンツでダッシュさせる。
裸より洋服で四つん這い。
一般道で水をかける。
洋服の裾から尻尾!?
ひと目でエロ目的だと判断できない『変』なことが好きなのだ。
これに何度居たたまれない気持ちにさせられたことか!!
男性の『エロ目線』のほうがどんなに、いいか!!
『あれ、なに?』と不可思議なものを見る目線。
理解不能なものを見てしまったときの、見て見ぬふりの空気。
それらに何度『ごめんなさい』と心の中で謝ったことか!!
今回もそれなのだ。
明らかにエロ服で下着を透けさせて歩くより。
んん?透けてる?
わざと?いや、まさかね、あの普通の服で。
でも、普通気付くよね?
と、疑問を振りまきながら歩かせることが、いいらしいのだ。
ごく普通の中の、ちょっとの異質が好きなのです。
これは、困る。(いや、下着丸透けが困らないんじゃないけど)
とても困るし、つらい。
だって、最初の話題で感じた女性の軽い軽蔑や白い目が向けられるのは後者でしょ?
明らかなエロだって白い目で見られることは見られるけれど、目的がはっきりしているほうが理解されやすいと思うのです。
『はいはい、変態ですね、勝手にやって』って。
目を背ければいいでしょ。
男性からのエロ目線。
同性からの白い目。
どちらほうがいたたまれなくて、どちらの目線が『まし』なの!?
もはや、恥ずかしさを煽る出来事ではなくなっているような気がします。
それでも、どちらかいえば、わたしは、わたしは、エロ目線のほうがましだと思うのです!!!
…、ああ、危ない、勢いすけすけのシースルー服で歩くことに挙手してしまうところでした^^;
「今日は朝からちょっとラッキーだった。」
おはようメールで通勤電車のトラブルを知らせていたから、それは大変とひとり気を揉んでいたわたしに朝の電話タイムの開口一番そういう那智さん。(電車が遅れてるから電話が遅くなることを教えてくれただけなのだけど、勝手に心配してしまうわたし)
さすが那智さん、転んでもただでは起きない!!
で、なにがラッキーだったのですか?
なんだかわからないけれど、那智さんの『ラッキー』はわたしの心も嬉しくさせる。
聞くと。
白いスカートで下着が透けている女性を見かけたのだそう。
しかも、ひとりじゃなくて。
透けにくい素材の白が出回っているみたいだけど、みんなそれだと思ってペチコートを履かないのかな?
今日だけじゃなくて、最近よく見かける、らしいのだ。
「那智さん、そんなによく見てるんですか?女性のスカート!!」
「うん 笑」
那智さんはお仕事の関係で、お洋服の素材やシルエットにちょっとうるさい。
そんな目もあって、女性のお洋服(特に素材やシルエット)に興味を持って見てしまうのか?
…、いや、ただのスケベ心ですね^^;
とにかく、その透け光景がラッキーだったのだそうだ。
ピタッとしたタイトスカートで下着のラインが透けるのではなくて、タイトじゃないもので、もう下着そのものが透けているのだそう。
「ボーダーのパンツなんてすごくよくわかるよね」などという。
わたしもけっこう鈍感だけど、さすがに白を着るときには鏡でチェックするようにしてるけど。
タイトじゃないと逆に確認しにくい部分もあるのかな?
そういう女性を『ラッキー』な目で見てしまう那智さんにほんの少し腹立たしさを感じ。
その女性たちに同情の気持ちも芽生え。
「朝だから、忙しくてチェックする時間がなかったのかもしれませんね。」
などと、なんとなく面識もない女性たちをフォローしてしまう。
でも、それと同時に。
同性ならではの、軽蔑の気持ちも湧いてしまうのだ。
軽蔑というと、ちょっと大げさかな。
若干の白い目?
女性同士の目線のほうが男性のそれよりも厳しいと思う。
わたしもかなり鈍感なんだけど、男性の『ラッキー』で済んでしまうほど寛容ではないな。
その無頓着?もしくはわかってて?に対する白い目みたいな感情も湧いてしまうのだ。
そこから、話は意外な方向へ。
那智さん、自分が『透ける』ことに興味があることに気付く^^
「シースルーかぁ、いいね〜。今度りん子に着させよう。」
先日のヌーブラエントリーに登場した『いったいいつ着るの?』服に透け服もありまして。
黒の透け素材のキャミソールとスカートのセット。
キャミは前が3段のフリルになっていて、そこは生地が重なっているから透けないのだけど、背中は丸透け。
スカートは付属のペチコートを付ければ問題ないけれど、それがないとこちらも丸透け。
まあ、これはペチコートを付け上着を羽織れば着られなくもないけど、ちょっと勇気いるな〜というお洋服。
わたしはそのお洋服の指して。
「那智さん、透けて許せるのって、せいぜいあれの背中が限度ですよ!!それ以外が透けるのはありえない!!」
「おお、りん子いいアイテムに気付いたね〜。じゃあ、今度はあれでペチコートなしだな。」
あ、那智さん、透けるってそのお洋服のこと言っていたんじゃなかったのですか…。
幸か不幸か、気付かせてしまった。
そこから、しばらくそのお洋服を着て街中を歩くシミュレーションで盛り上がる(?)
昼?夜?どこで?などなど。
しばらくして、ふと那智さんが言う。
「でも、あれじゃあ、透けすぎなんだよね。」
え?
「はっきり透けてるんじゃ、おもしろくない。ベタ過ぎ。」
ええ?それが羞恥プレイってもんじゃありませんか!?
どうやら那智さんのお好みは違うのだ。
確かにそうでした。
エロよりも『変』。
パンツでダッシュさせる。
裸より洋服で四つん這い。
一般道で水をかける。
洋服の裾から尻尾!?
ひと目でエロ目的だと判断できない『変』なことが好きなのだ。
これに何度居たたまれない気持ちにさせられたことか!!
男性の『エロ目線』のほうがどんなに、いいか!!
『あれ、なに?』と不可思議なものを見る目線。
理解不能なものを見てしまったときの、見て見ぬふりの空気。
それらに何度『ごめんなさい』と心の中で謝ったことか!!
今回もそれなのだ。
明らかにエロ服で下着を透けさせて歩くより。
んん?透けてる?
わざと?いや、まさかね、あの普通の服で。
でも、普通気付くよね?
と、疑問を振りまきながら歩かせることが、いいらしいのだ。
ごく普通の中の、ちょっとの異質が好きなのです。
これは、困る。(いや、下着丸透けが困らないんじゃないけど)
とても困るし、つらい。
だって、最初の話題で感じた女性の軽い軽蔑や白い目が向けられるのは後者でしょ?
明らかなエロだって白い目で見られることは見られるけれど、目的がはっきりしているほうが理解されやすいと思うのです。
『はいはい、変態ですね、勝手にやって』って。
目を背ければいいでしょ。
男性からのエロ目線。
同性からの白い目。
どちらほうがいたたまれなくて、どちらの目線が『まし』なの!?
もはや、恥ずかしさを煽る出来事ではなくなっているような気がします。
それでも、どちらかいえば、わたしは、わたしは、エロ目線のほうがましだと思うのです!!!
…、ああ、危ない、勢いすけすけのシースルー服で歩くことに挙手してしまうところでした^^;