奴隷失格
りん子的独り言(生意気)
葉月さんの「裏葉月」は、葉月さんの正直な言葉がとってもおもしろくて可愛らしくて、更新を楽しみにしているサイトのひとつです。
葉月さんのレポートはもちろんなんですが、その中の「へなちょこBBS」がまたとってもおもしろい。
「へなちょこ」なんてとんでもなくて、成熟した読者のみなさんの書き込みに、うなずいたり笑ったり、楽しんでます。
少し前にそこに「奴隷失格」の話題が出てまして、それがおもしろかった。
コメントしたかったのですが、あれこれ思考が飛んでしまうわたしの筆力では掲示板にすっきり収まりそうになかったので、ネタをいただきこちらに書かせていただこうと思います。
自分の快感優先で、その最中相手のそれには考えが及ばない。
「ご主人様、気持ち良くなっていただけてますか?」そんなふうに思えない「奴隷失格仲間」さんたちのコメントに「ああ、わたしも〜」と妙に親近感が湧いてしまいました。
でも、ふと、きっと「ご主人様、気持ち良くなっていただけてますか?」萌えもあるよな〜とも思ったのです。
「奴隷萌え」や「献身萌え」みたいな。
「理不尽な関係」でも書いたような、抜かせるためだけに呼びそのためだけに出かけていく一見「あなたのためだけに」のご奉仕奴隷。
でも、わたしは、その「理不尽な関係」に快感を覚えているんだよね。
「そのためだけに呼び出されるわたし」というものに感じているんだ。
だから、端から見たら、一方的に与えてるように見えるけど、実はわたしが気持ちいいからしている。
そう思ったら、わたしが「那智さんに気持ち良くなってもらいたい」という言葉を発し、「抜き」にだけ出かけて行ったとしても、それも自分中心の快感だな〜と思うのです。
わたしの快感優先。
「ご主人様のため」という快感。
両方ありだし、両方快感。(ちなみに、わたしは自分優先の快感のほうが没頭できるし気持ちいいです)
だから、どちらの快感を選んでも、それはお好きにどうぞ、気持ちいいのがいいものねと思うのだけど、どうもこういう話題になるとわたしの中で引っ掛かってしまう「何か」があるの。
で、その「何か」をはっきりさせたくて、エントリーします。
(だから、長いし、しかも「批判」っぽくなっちゃうから、自分のところで書きます^^)
わたしが引っ掛かってしまうのは「ご主人様の快感のために」とだけ本気で思ってると、本気で思う「ご主人様」^^;
いや、その空間や瞬間では、そう思ってもいい。
お互いそれで感じてるのだもの。
でも、M自身の快感のために吐き出される「ご主人様のために」を、その人との付き合いすべてに当てはめてしまうような勘違いに困ってしまう。
わたしがパートナーを探していたとき。
「奴隷の仕事だ」と使った道具を片付けさせた人がいた。(「はじめての旅」)
はじめて会ってはじめてSMをしたときによ。
バイブレーターなんて、はじめて持ったのよ、「うげっ、なんにこれ!!」と思った^^;
その人はわたしに片付けさせて、自分はビール飲んでた。
他にも。
「おまえは穴だ」と言った人がいた。(「2回目の旅」)
その言葉はわたしにとっては歪んだ快感ではあった、そのときは「穴」でよかった。
で、その人はどんなに遅刻してもひと言も謝らなかった。
「ご主人様」になった途端に、わたしに何をしても大丈夫と思ってしまう勘違い。
「ご主人様のために」とこちらが快感を得ていることを忘れて、本気で君臨してる気になる想像力のなさ。
これが、好きじゃないの^^;
だから、「奴隷」うんぬんを思うときに、なんか引っ掛かってたんだよね。
M女は「ご主人様のために」と言いながら、それをも快感にしてるんだぞ〜って思うのです。
ひとつの名称として。
その名称にあぐらをかかず。
良い関係の「ご主人様と奴隷さん」もいっぱいいらっしゃると思うので、わたしの出会った人が特にそうなのかもしれないけどね。
ああ、でも、本当に滅私の方もいらっしゃるのかな。
お道具を片付けることが当たり前で、遅刻して謝らなくても平気な人。
そんなご主人様が好き、そんな扱いを受ける立場が嬉しい?
んん?でも、これだと、結局「自分が気持ち良い」になってるよね?
ということは、本当の「奴隷」は、感情を持たないってことなのかな。
そこまでを要求して成立されているかたもいらっしゃるのかな。
それはそれで、とても手の掛かることかもしれない。
(ファンタジーとしてはありだけど、ちょっと置いといて^^;)
なんていうのかな、それが良いか悪いか別でね、そこまで要求も実行もできない状態で。
M女の密かな快感「ご主人様のために萌え」を全人格支配していると勘違いして関係にあぐらをかく「ご主人様」が嫌いなんだな、わたし。
あぐらをかいた時点で、上下関係逆転してるよ〜と思うのです。
そこに気づかない鈍感さが、いやなのね。(うわ、毒だらけ!!すみません)
手が空けばお道具を片付けるのは手伝う、人として大好きな人に接する常識として。
でも、わたしはほとんど片付けたことがない。
だって、だいたいぐったりしてるから(笑)
ぐったりと快感に浸ってるわたしも、やっぱり「奴隷失格」です^^;
それにしても、わたし、ほんとに「関係にあぐらをかく」人、だめね。
これって、きっとなんかのトラウマなんだろうなぁ。
それは、また別エントリーで書けそうです。
ああ、引っ掛かりを書くことができてすっきりです。
でも、こういうこと書くと、S男性に嫌われちゃうのですよね、きっと^^;
葉月さんの「裏葉月」は、葉月さんの正直な言葉がとってもおもしろくて可愛らしくて、更新を楽しみにしているサイトのひとつです。
葉月さんのレポートはもちろんなんですが、その中の「へなちょこBBS」がまたとってもおもしろい。
「へなちょこ」なんてとんでもなくて、成熟した読者のみなさんの書き込みに、うなずいたり笑ったり、楽しんでます。
少し前にそこに「奴隷失格」の話題が出てまして、それがおもしろかった。
コメントしたかったのですが、あれこれ思考が飛んでしまうわたしの筆力では掲示板にすっきり収まりそうになかったので、ネタをいただきこちらに書かせていただこうと思います。
自分の快感優先で、その最中相手のそれには考えが及ばない。
「ご主人様、気持ち良くなっていただけてますか?」そんなふうに思えない「奴隷失格仲間」さんたちのコメントに「ああ、わたしも〜」と妙に親近感が湧いてしまいました。
でも、ふと、きっと「ご主人様、気持ち良くなっていただけてますか?」萌えもあるよな〜とも思ったのです。
「奴隷萌え」や「献身萌え」みたいな。
「理不尽な関係」でも書いたような、抜かせるためだけに呼びそのためだけに出かけていく一見「あなたのためだけに」のご奉仕奴隷。
でも、わたしは、その「理不尽な関係」に快感を覚えているんだよね。
「そのためだけに呼び出されるわたし」というものに感じているんだ。
だから、端から見たら、一方的に与えてるように見えるけど、実はわたしが気持ちいいからしている。
そう思ったら、わたしが「那智さんに気持ち良くなってもらいたい」という言葉を発し、「抜き」にだけ出かけて行ったとしても、それも自分中心の快感だな〜と思うのです。
わたしの快感優先。
「ご主人様のため」という快感。
両方ありだし、両方快感。(ちなみに、わたしは自分優先の快感のほうが没頭できるし気持ちいいです)
だから、どちらの快感を選んでも、それはお好きにどうぞ、気持ちいいのがいいものねと思うのだけど、どうもこういう話題になるとわたしの中で引っ掛かってしまう「何か」があるの。
で、その「何か」をはっきりさせたくて、エントリーします。
(だから、長いし、しかも「批判」っぽくなっちゃうから、自分のところで書きます^^)
わたしが引っ掛かってしまうのは「ご主人様の快感のために」とだけ本気で思ってると、本気で思う「ご主人様」^^;
いや、その空間や瞬間では、そう思ってもいい。
お互いそれで感じてるのだもの。
でも、M自身の快感のために吐き出される「ご主人様のために」を、その人との付き合いすべてに当てはめてしまうような勘違いに困ってしまう。
わたしがパートナーを探していたとき。
「奴隷の仕事だ」と使った道具を片付けさせた人がいた。(「はじめての旅」)
はじめて会ってはじめてSMをしたときによ。
バイブレーターなんて、はじめて持ったのよ、「うげっ、なんにこれ!!」と思った^^;
その人はわたしに片付けさせて、自分はビール飲んでた。
他にも。
「おまえは穴だ」と言った人がいた。(「2回目の旅」)
その言葉はわたしにとっては歪んだ快感ではあった、そのときは「穴」でよかった。
で、その人はどんなに遅刻してもひと言も謝らなかった。
「ご主人様」になった途端に、わたしに何をしても大丈夫と思ってしまう勘違い。
「ご主人様のために」とこちらが快感を得ていることを忘れて、本気で君臨してる気になる想像力のなさ。
これが、好きじゃないの^^;
だから、「奴隷」うんぬんを思うときに、なんか引っ掛かってたんだよね。
M女は「ご主人様のために」と言いながら、それをも快感にしてるんだぞ〜って思うのです。
ひとつの名称として。
その名称にあぐらをかかず。
良い関係の「ご主人様と奴隷さん」もいっぱいいらっしゃると思うので、わたしの出会った人が特にそうなのかもしれないけどね。
ああ、でも、本当に滅私の方もいらっしゃるのかな。
お道具を片付けることが当たり前で、遅刻して謝らなくても平気な人。
そんなご主人様が好き、そんな扱いを受ける立場が嬉しい?
んん?でも、これだと、結局「自分が気持ち良い」になってるよね?
ということは、本当の「奴隷」は、感情を持たないってことなのかな。
そこまでを要求して成立されているかたもいらっしゃるのかな。
それはそれで、とても手の掛かることかもしれない。
(ファンタジーとしてはありだけど、ちょっと置いといて^^;)
なんていうのかな、それが良いか悪いか別でね、そこまで要求も実行もできない状態で。
M女の密かな快感「ご主人様のために萌え」を全人格支配していると勘違いして関係にあぐらをかく「ご主人様」が嫌いなんだな、わたし。
あぐらをかいた時点で、上下関係逆転してるよ〜と思うのです。
そこに気づかない鈍感さが、いやなのね。(うわ、毒だらけ!!すみません)
手が空けばお道具を片付けるのは手伝う、人として大好きな人に接する常識として。
でも、わたしはほとんど片付けたことがない。
だって、だいたいぐったりしてるから(笑)
ぐったりと快感に浸ってるわたしも、やっぱり「奴隷失格」です^^;
それにしても、わたし、ほんとに「関係にあぐらをかく」人、だめね。
これって、きっとなんかのトラウマなんだろうなぁ。
それは、また別エントリーで書けそうです。
ああ、引っ掛かりを書くことができてすっきりです。
でも、こういうこと書くと、S男性に嫌われちゃうのですよね、きっと^^;
食わず嫌い
りんりん変態ご飯
わたしは苺がきらいです。
過去記事「苺」でも書きましたけど、あの果物の苺が大嫌い。
いまは、大人になって多少の適応力はできてきたから、多分無理矢理食べることはできると思うけど、子供のころなんて、口に入れた途端に「おえっ」となって涙ぼろぼろでした。
ついでにいってしまうと、わたしはさつまいもや栗やかぼちゃなどの「甘くてホクホクしたもの」も好きじゃないのです。
なので、デパ地下のスイーツ売り場を通っても、ちっともピンと来ないのです。
苺や木いちごなどのベリー系がたっぷりのケーキ、モンブランやパンプキン。
女性の好きそうなその食材たちは、わたしにはなんの魅力もないの。
ショウケースに並んでるそれらを見て「あんなの人間の食べるもんじゃない!!」と思うのです。
そんなわたしが食べられる甘い物はかなり限定されてます。
プリンとか…、シュークリームとか…、不二屋のチョコ生ケーキとか…。
超保守的お子様スタンダード^^
ご飯に関してはいろいろ冒険できるのに、甘いものになると急に弱気なわたしです。
まあ、甘いもの自体あんまり好きじゃないのでしょうね。
もうひとつ好きなケーキがありました。
トップスのチョコレートケーキ。
超保守的お子様スタンダードなわたしは、「スポンジとクリーム、以上!!」みたいなケーキしか好きじゃないので、不二家のチョコ生か、トップスのチョコレートケーキ^^;
これには思い出があるのです。
わたしが那智さんに感じる「父性」や「対等」を、感じることができていたゆうじくん。
彼と一緒にいたころ、わたしの誕生日にトップスのチョコレートケーキを買ってくれたのです。
それをゆうじくんのひとり暮らしの部屋で開け。
チョコレートクリームでコーティングされた長方形のそれを目の前に差し出され、いきなり。
「りん子〜、かぶりつけ〜〜〜。」
え??ほんと??いいの、いいの??
きゃー!!おもしろそう!!!
その楽しいプレゼントに、ためらいながらも思いっきり「がぶーーーー」っとかぶりついた。
「おめでとう〜、もっと、もっと〜」
はしゃぐわたしたち、口のまわり鼻までもクリームだらけにして、そのちっぽけで大胆な遊びを楽しんだのでした。
あ、そのときこっそりと「ぐちゃぐちゃなわたし」に、わたしのM心が振れていたことはいうまでもありません。
そんな思い出。
えっと、ごめんなさい、今日こんなお話をしようと思ってたんじゃなくて^^;
ここから、本題!!
みなさん「とんえるず」の「食わず嫌い」ご存知ですか?
芸能人のきらいな食べ物を当てる、あれ。
すっごいくだらないのだけど、わたし、けっこう真剣に「あれで勝てる」と思ってるんです。
だって、苺がきらいな女性なんて、めずらしくありません?
エントリーはこうです。
1、チーズバーガー(これは単純に「バーガー類」が好きなの^^)
2、梅干し(大好きな食材)
3、サラダ巻き(マヨラーのわたしは、サラダ巻き大好き回転寿司屋で6皿中5皿サラダ巻きを食べたことがあるくらい)
4、苺のショートケーキ(これがビンゴね、ミルフィーユでもタルトでもいいけど)
この4つ(あれ?5つエントリーでしたっけ?)
1から3は当然、わたしの大好物。
まず、最初にお土産持ってくるでしょ?
そのときに、あえて「甘い洋菓子」を持ってくるの。
で、甘いもの好きをアピール。
それで、本命は「梅干し」。
会話の中で「お酒はあまり飲まない」的な発言をして、飲むなら「カルーアミルク」とか言うの。
で、梅干しの「シブい」イメージが「きらい」という印象を与えるの。
伏兵はサラダ巻きで、お米とマヨネーズの組み合わせは…みたいな想像してくれたら、ラッキーで。
これで、まさか女性で甘いものがきらい!?とは予想しないと思いませんか?
しかも、苺だなんて!!
…勝てそうな気がするんですよね。
って、こんなこと、かなり真剣に考えてるわたし。
わたしの頭の中って、こんなもんなんです^^;
情けない!?
でも、、でも、絶対勝てそうじゃありませんか!?
わたしは苺がきらいです。
過去記事「苺」でも書きましたけど、あの果物の苺が大嫌い。
いまは、大人になって多少の適応力はできてきたから、多分無理矢理食べることはできると思うけど、子供のころなんて、口に入れた途端に「おえっ」となって涙ぼろぼろでした。
ついでにいってしまうと、わたしはさつまいもや栗やかぼちゃなどの「甘くてホクホクしたもの」も好きじゃないのです。
なので、デパ地下のスイーツ売り場を通っても、ちっともピンと来ないのです。
苺や木いちごなどのベリー系がたっぷりのケーキ、モンブランやパンプキン。
女性の好きそうなその食材たちは、わたしにはなんの魅力もないの。
ショウケースに並んでるそれらを見て「あんなの人間の食べるもんじゃない!!」と思うのです。
そんなわたしが食べられる甘い物はかなり限定されてます。
プリンとか…、シュークリームとか…、不二屋のチョコ生ケーキとか…。
超保守的お子様スタンダード^^
ご飯に関してはいろいろ冒険できるのに、甘いものになると急に弱気なわたしです。
まあ、甘いもの自体あんまり好きじゃないのでしょうね。
もうひとつ好きなケーキがありました。
トップスのチョコレートケーキ。
超保守的お子様スタンダードなわたしは、「スポンジとクリーム、以上!!」みたいなケーキしか好きじゃないので、不二家のチョコ生か、トップスのチョコレートケーキ^^;
これには思い出があるのです。
わたしが那智さんに感じる「父性」や「対等」を、感じることができていたゆうじくん。
彼と一緒にいたころ、わたしの誕生日にトップスのチョコレートケーキを買ってくれたのです。
それをゆうじくんのひとり暮らしの部屋で開け。
チョコレートクリームでコーティングされた長方形のそれを目の前に差し出され、いきなり。
「りん子〜、かぶりつけ〜〜〜。」
え??ほんと??いいの、いいの??
きゃー!!おもしろそう!!!
その楽しいプレゼントに、ためらいながらも思いっきり「がぶーーーー」っとかぶりついた。
「おめでとう〜、もっと、もっと〜」
はしゃぐわたしたち、口のまわり鼻までもクリームだらけにして、そのちっぽけで大胆な遊びを楽しんだのでした。
あ、そのときこっそりと「ぐちゃぐちゃなわたし」に、わたしのM心が振れていたことはいうまでもありません。
そんな思い出。
えっと、ごめんなさい、今日こんなお話をしようと思ってたんじゃなくて^^;
ここから、本題!!
みなさん「とんえるず」の「食わず嫌い」ご存知ですか?
芸能人のきらいな食べ物を当てる、あれ。
すっごいくだらないのだけど、わたし、けっこう真剣に「あれで勝てる」と思ってるんです。
だって、苺がきらいな女性なんて、めずらしくありません?
エントリーはこうです。
1、チーズバーガー(これは単純に「バーガー類」が好きなの^^)
2、梅干し(大好きな食材)
3、サラダ巻き(マヨラーのわたしは、サラダ巻き大好き回転寿司屋で6皿中5皿サラダ巻きを食べたことがあるくらい)
4、苺のショートケーキ(これがビンゴね、ミルフィーユでもタルトでもいいけど)
この4つ(あれ?5つエントリーでしたっけ?)
1から3は当然、わたしの大好物。
まず、最初にお土産持ってくるでしょ?
そのときに、あえて「甘い洋菓子」を持ってくるの。
で、甘いもの好きをアピール。
それで、本命は「梅干し」。
会話の中で「お酒はあまり飲まない」的な発言をして、飲むなら「カルーアミルク」とか言うの。
で、梅干しの「シブい」イメージが「きらい」という印象を与えるの。
伏兵はサラダ巻きで、お米とマヨネーズの組み合わせは…みたいな想像してくれたら、ラッキーで。
これで、まさか女性で甘いものがきらい!?とは予想しないと思いませんか?
しかも、苺だなんて!!
…勝てそうな気がするんですよね。
って、こんなこと、かなり真剣に考えてるわたし。
わたしの頭の中って、こんなもんなんです^^;
情けない!?
でも、、でも、絶対勝てそうじゃありませんか!?
委ねられるということ
独特な幸福感
那智さんがかまってくれることで、気持ち良く、我を忘れるほど、無我夢中になって、といろいろ表現しているから、もともと快感に没頭できる人間かと思われるかもしれないけど、実は全然そんなことないの。
羞恥心や道徳心が、それを邪魔する。
それは、わかりやすいことかもしれない。
もうひとつ、わたしの邪魔をするものがある。
それはまわりに対する、過剰な気遣いなの。
自分の快感に没頭するのは、その瞬間は「自己中心」になることが必要。
気遣いとか「自己中心」とか言葉だけ並べれば、わたしの「邪魔」は美徳に聞こえるかもしれないけど、それはわたしに快感を与えようとする人にとっては、ちっとも歓迎されないことなんだ。
だってね、異常なほど気を遣ってしまう。
自分が気持ち良くなることそっちのけで、相手のことやまわりのことばかり気にしてしまう。
いま、この人は楽しんでいるだろうか。
この顔の角度は、この人の好みかな。
ベッドを汚してはいないか。
時間は大丈夫。
この人はいつ射精するのだろう。
そろそろ、その頃かな、じゃあ、わたしも感じてるふりをしよう。
こんなことずっと考えていたら、快感はおろか、相手とのスキンシップさえ充実を感じられなくなっちゃうよね。
それで、そのわたしの気遣いに気づくことなく満足してる男性を哀れに思うのだもの、始末悪い。
だから、快感に夢中になって我を忘れるなんて、わたしにはないと思っていたほど。
そんなわたしが、自分の快感に没頭できるようになったのは、那智さんと付き合い出したから。
快感の記憶。
安心の積み重ね。
深める信頼。
快感に溺れられないわたしの自意識を、それらを駆使して崩していってくれた。
痛いこと、気持ちいいこと、ものすごく勇気のいること、驚き、委ね、受け入れられて、それらが快感になっていく、その積み重ね。
いつしか、わたしは「自分中心」の快感を貪れるようになっていったのです。
その中でも「委ねる」というのが、わたしには大事なファクターでして。
過剰な自意識や気遣い(通行人はもちろん、ホテルの掃除の人にまで気にしちゃう)を払拭するには、「もう知らない、なんかあったら那智さんがなんとかしてくれる。」という那智さんに丸投げ状態が大事なんだ。
これができた瞬間は、とてもとても幸福で気持ちが良い。
今日はそのお話。
あるテーマパークに遊びに行った。
そこにあるアトラクションのひとつ。
大きな螺旋状の階段を上っていきながら、中心や外側に周囲に展示されているものを見ていく。
剥き出しの階段には途中に踊り場が何箇所かあったり、外側は壁ではなくて展示品が並んでいるだけなので、所々外の様子を眺めることができたりと、展望の意図も感じられるアトラクションだった。
人はそれほど多くない。
「中ではめようか?」
「それは、無理です…。」
そんな会話をしていたから、那智さんは中でなにかするつもりだろう。
わたしたちが入り口に向かうとき、ちょうどひと組の男女が入っていくのが見えた。
順路はひとつ。
だから、少し時差を作れば、前のカップルに出会うことはない。
気持ちゆっくりと階段を上りはじめる。
数段先を行くカップル。
わたしは那智さんの腕をつかみ、斜め後ろを歩く。
那智さんが、わたしのスカートに手をかけた。
太腿を触る。
ああ、どうか振り返らないでください。
慌ててしまうと異変に気づかれちゃうから、「じたばた」を押し殺す。
カップルは背中を向けたまま階段を上がり、螺旋のカーブに差し掛かる数段手前にきたとき、那智さんが思いっきりスカートをめくった。
ぎゃあ!!
太腿と下着が丸見え。
慌てる心と裏腹に、されるがままのわたし。
数m先に人がいる状態で、下着を露にしたまま階段を上がる姿。
助けて、那智さん。
振り向かれたら大変!!
うつむき加減に、でも、カップルの動きを目で追う。
カップルの動きを自ら追っていること時点では、わたしはまだ那智さんに委ねきれていない。
まあ、那智さんも、ここは誇示と、わたしのあわあわを楽しむところでしょうから、「委ねる」必要はないと思ってるはず。
困惑と羞恥。
でも、こういう誇示の仕方をされるとき、「O嬢の物語」のふくろうを思い出す。
異様な姿に誇りを感じてしまう、わたしもいるのです。
そんなことを繰り返し、何箇所目かの踊り場についた。
「ここで、フェラチオして。」
那智さんが階段の手すりに体を預けて、いう。
柵になった手すりからは、テーマパークの景色や雑踏を感じることができる。
少し高いところまで来たから、下から見上げてもこちらの様子はわかりづらいだろう。
数段先のカップルの足だけが見えた。
上っていくそれは、ほどなくして螺旋にそって消えていった。
那智さんは下側を向き、わたしは階下に背を向け、向かい合う。
「ほら。」
促される。
人が階段を上がってくる気配はない。
背中に神経を集中させて、伺う。
でも、いつ、上がってくるかわからない。
「ほら」といったまま那智さんは手すりの体を預けてる。
性的なことに関して那智さんとわたしの間には基本的に拒否権はない。(交渉権はある 笑)
だから、こういうときは「やる、やらない」で逡巡することはないの。
勢いをつけるとかやるタイミング、交渉の余地を探るため、それらが「ためらい」としての時間になるわけ。
そして、もうひとつ「委ねられるか、委ねられないか」を無意識に計ってる時間でもある。
やる?やらない?
ううん、この状況では、やるに決まってる。
人がいない、いまがいいよね。
ほんとにやるの?わたし。
できるの?
いいの?那智さん、やりますよ、わたし。
しらない、しらない、しらない。
半歩那智さんに近寄り、膝を折り、跪く。
膝に硬さを感じる。
この瞬間、ふわっと体が軽くなるの。
ああ、委ねられた。
気持ちいい。
ズボンに手を伸ばしファスナーを下ろす。
この指先だけが現実のよう。
緊張してる。
見えてるはずだけど、指先以外はぼんやりしてる。
そっとおちんちんを出して、顔を寄せ、口に含む。
膝立ちのわたしの頭に、那智さんの手が添えられてる。
委ねられた、委ねられた。
わたしがわたしではないような、この感覚が嬉しい。
那智さんのもの。
無我夢中でお口を使う。
外気が気持ち良く感じられてる(はず)。
人が来るかどうか、ほとんど気にならなくなってる。
盲目的に言う通りにできてる快感。
過剰な自意識や気遣いを那智さんに預けてしまえる気持ち良さ。
那智さんにフェラチオをする、那智さんのおちんちんをお口に含める、それだけでいい世界。
時間や人の気配、わからない、思考ストップ。
すっと、那智さんが身を引いた。
ぐわっと現実に引き戻される。
だれか来たの!?
慌てて、でも、瞬時には動かない体。
よろよろと立ち上がる。
怖くてうつむいたまま那智さんにもう一歩近寄り、「だれか来たのですか?」と小声で聞く。
「ううん。でも、これが限度だろ。」
ファスナーを上げながら何食わぬ顔。
よかった、だれも来なくて。
ほっと胸を撫で下ろし。
あらためて、まだ自分がふわふわしてることに気づく。
やってしまった高揚とふわふわの快感。
この「委ねられる」瞬間が、わたしにはとても大事な瞬間。
いつもいつもそうなれるわけじゃないの。
同じお外で遊ぶときでも、「委ねる」というより、パニックに陥りながらとか、かなり無理矢理とか、もう気持ち良くなるのわかっててする、とかいろんな感覚がある。
それは、お外じゃなくても、同じ。
痛いことや恥ずかしいことでも、感じ方は様々だ。
同じことをしても、違う感じ方をすることもある。
でも、その中で、わたしはこの「委ねちゃった」瞬間が、とても好きなの。
日常の中で、ふと、あの体の軽くなる感覚が甦り、ああ、また味わわせてほしいと、焦がれる。
過剰な気遣いをしてしまうわたしが我を忘れることができる、一番の方法なのかなと思うのです。
那智さんがかまってくれることで、気持ち良く、我を忘れるほど、無我夢中になって、といろいろ表現しているから、もともと快感に没頭できる人間かと思われるかもしれないけど、実は全然そんなことないの。
羞恥心や道徳心が、それを邪魔する。
それは、わかりやすいことかもしれない。
もうひとつ、わたしの邪魔をするものがある。
それはまわりに対する、過剰な気遣いなの。
自分の快感に没頭するのは、その瞬間は「自己中心」になることが必要。
気遣いとか「自己中心」とか言葉だけ並べれば、わたしの「邪魔」は美徳に聞こえるかもしれないけど、それはわたしに快感を与えようとする人にとっては、ちっとも歓迎されないことなんだ。
だってね、異常なほど気を遣ってしまう。
自分が気持ち良くなることそっちのけで、相手のことやまわりのことばかり気にしてしまう。
いま、この人は楽しんでいるだろうか。
この顔の角度は、この人の好みかな。
ベッドを汚してはいないか。
時間は大丈夫。
この人はいつ射精するのだろう。
そろそろ、その頃かな、じゃあ、わたしも感じてるふりをしよう。
こんなことずっと考えていたら、快感はおろか、相手とのスキンシップさえ充実を感じられなくなっちゃうよね。
それで、そのわたしの気遣いに気づくことなく満足してる男性を哀れに思うのだもの、始末悪い。
だから、快感に夢中になって我を忘れるなんて、わたしにはないと思っていたほど。
そんなわたしが、自分の快感に没頭できるようになったのは、那智さんと付き合い出したから。
快感の記憶。
安心の積み重ね。
深める信頼。
快感に溺れられないわたしの自意識を、それらを駆使して崩していってくれた。
痛いこと、気持ちいいこと、ものすごく勇気のいること、驚き、委ね、受け入れられて、それらが快感になっていく、その積み重ね。
いつしか、わたしは「自分中心」の快感を貪れるようになっていったのです。
その中でも「委ねる」というのが、わたしには大事なファクターでして。
過剰な自意識や気遣い(通行人はもちろん、ホテルの掃除の人にまで気にしちゃう)を払拭するには、「もう知らない、なんかあったら那智さんがなんとかしてくれる。」という那智さんに丸投げ状態が大事なんだ。
これができた瞬間は、とてもとても幸福で気持ちが良い。
今日はそのお話。
あるテーマパークに遊びに行った。
そこにあるアトラクションのひとつ。
大きな螺旋状の階段を上っていきながら、中心や外側に周囲に展示されているものを見ていく。
剥き出しの階段には途中に踊り場が何箇所かあったり、外側は壁ではなくて展示品が並んでいるだけなので、所々外の様子を眺めることができたりと、展望の意図も感じられるアトラクションだった。
人はそれほど多くない。
「中ではめようか?」
「それは、無理です…。」
そんな会話をしていたから、那智さんは中でなにかするつもりだろう。
わたしたちが入り口に向かうとき、ちょうどひと組の男女が入っていくのが見えた。
順路はひとつ。
だから、少し時差を作れば、前のカップルに出会うことはない。
気持ちゆっくりと階段を上りはじめる。
数段先を行くカップル。
わたしは那智さんの腕をつかみ、斜め後ろを歩く。
那智さんが、わたしのスカートに手をかけた。
太腿を触る。
ああ、どうか振り返らないでください。
慌ててしまうと異変に気づかれちゃうから、「じたばた」を押し殺す。
カップルは背中を向けたまま階段を上がり、螺旋のカーブに差し掛かる数段手前にきたとき、那智さんが思いっきりスカートをめくった。
ぎゃあ!!
太腿と下着が丸見え。
慌てる心と裏腹に、されるがままのわたし。
数m先に人がいる状態で、下着を露にしたまま階段を上がる姿。
助けて、那智さん。
振り向かれたら大変!!
うつむき加減に、でも、カップルの動きを目で追う。
カップルの動きを自ら追っていること時点では、わたしはまだ那智さんに委ねきれていない。
まあ、那智さんも、ここは誇示と、わたしのあわあわを楽しむところでしょうから、「委ねる」必要はないと思ってるはず。
困惑と羞恥。
でも、こういう誇示の仕方をされるとき、「O嬢の物語」のふくろうを思い出す。
異様な姿に誇りを感じてしまう、わたしもいるのです。
そんなことを繰り返し、何箇所目かの踊り場についた。
「ここで、フェラチオして。」
那智さんが階段の手すりに体を預けて、いう。
柵になった手すりからは、テーマパークの景色や雑踏を感じることができる。
少し高いところまで来たから、下から見上げてもこちらの様子はわかりづらいだろう。
数段先のカップルの足だけが見えた。
上っていくそれは、ほどなくして螺旋にそって消えていった。
那智さんは下側を向き、わたしは階下に背を向け、向かい合う。
「ほら。」
促される。
人が階段を上がってくる気配はない。
背中に神経を集中させて、伺う。
でも、いつ、上がってくるかわからない。
「ほら」といったまま那智さんは手すりの体を預けてる。
性的なことに関して那智さんとわたしの間には基本的に拒否権はない。(交渉権はある 笑)
だから、こういうときは「やる、やらない」で逡巡することはないの。
勢いをつけるとかやるタイミング、交渉の余地を探るため、それらが「ためらい」としての時間になるわけ。
そして、もうひとつ「委ねられるか、委ねられないか」を無意識に計ってる時間でもある。
やる?やらない?
ううん、この状況では、やるに決まってる。
人がいない、いまがいいよね。
ほんとにやるの?わたし。
できるの?
いいの?那智さん、やりますよ、わたし。
しらない、しらない、しらない。
半歩那智さんに近寄り、膝を折り、跪く。
膝に硬さを感じる。
この瞬間、ふわっと体が軽くなるの。
ああ、委ねられた。
気持ちいい。
ズボンに手を伸ばしファスナーを下ろす。
この指先だけが現実のよう。
緊張してる。
見えてるはずだけど、指先以外はぼんやりしてる。
そっとおちんちんを出して、顔を寄せ、口に含む。
膝立ちのわたしの頭に、那智さんの手が添えられてる。
委ねられた、委ねられた。
わたしがわたしではないような、この感覚が嬉しい。
那智さんのもの。
無我夢中でお口を使う。
外気が気持ち良く感じられてる(はず)。
人が来るかどうか、ほとんど気にならなくなってる。
盲目的に言う通りにできてる快感。
過剰な自意識や気遣いを那智さんに預けてしまえる気持ち良さ。
那智さんにフェラチオをする、那智さんのおちんちんをお口に含める、それだけでいい世界。
時間や人の気配、わからない、思考ストップ。
すっと、那智さんが身を引いた。
ぐわっと現実に引き戻される。
だれか来たの!?
慌てて、でも、瞬時には動かない体。
よろよろと立ち上がる。
怖くてうつむいたまま那智さんにもう一歩近寄り、「だれか来たのですか?」と小声で聞く。
「ううん。でも、これが限度だろ。」
ファスナーを上げながら何食わぬ顔。
よかった、だれも来なくて。
ほっと胸を撫で下ろし。
あらためて、まだ自分がふわふわしてることに気づく。
やってしまった高揚とふわふわの快感。
この「委ねられる」瞬間が、わたしにはとても大事な瞬間。
いつもいつもそうなれるわけじゃないの。
同じお外で遊ぶときでも、「委ねる」というより、パニックに陥りながらとか、かなり無理矢理とか、もう気持ち良くなるのわかっててする、とかいろんな感覚がある。
それは、お外じゃなくても、同じ。
痛いことや恥ずかしいことでも、感じ方は様々だ。
同じことをしても、違う感じ方をすることもある。
でも、その中で、わたしはこの「委ねちゃった」瞬間が、とても好きなの。
日常の中で、ふと、あの体の軽くなる感覚が甦り、ああ、また味わわせてほしいと、焦がれる。
過剰な気遣いをしてしまうわたしが我を忘れることができる、一番の方法なのかなと思うのです。
委ねきれないと?
非日常的な日常
たとえば「お外でフェラチオ」ということだけでも感じ方はいろいろ。
前回は「委ねてしまった」快感を書きましたが、あんなふうに我を忘れるほど「委ねられる」ことは実はそんなにないのです。(特にお外は)
じゃあ、同じようなことでも、どう違うのか?ってことで、シリーズ「お外でフェラチオ(居酒屋編)」!!!
この日はお昼からずーっとかまってもらっていた。
夕飯もいっぱい食べて、いろんな意味でお腹いっぱいだった。
飲み直しに入った居酒屋はチェーン店。
あんまりやる気満々じゃない従業員。(愛想はいいんだけど、ほら、普通空いてるグラスを下げるときとかって次の注文もついでに聞いたりするでしょ?それをしないの^^;商売っけがないって感じ)
それほど広くない店内は、その従業員の印象と同じように、ポツポツと空席が目立つ。
わたしたちの座った席はカウンター席。
大きな正方形の柱をぐるっと囲むようにカウンターがあるの。
フロアの隅っこにあって、壁沿いに椅子が並んでる。
わたしたちは店内の一番奥、壁を背にして座る。
那智さんが右、わたしが左。
柱を右となりの一辺には女性のふたり組。
わたしの左斜め前方にはテーブル席3人組、男性がこちらを向いて、女性ふたりが背を向けてる。
さらに左奥には、男性3人のテーブル席。
カウンターだから、わたしの視界には女性ふたり組、テーブル席の人々は振り返らないと様子がわからない。
満腹のわたしたちは、ちょっと持て余してる感じ。
那智さんが「ここでくわえる?」と聞いてきた。
はあ!?
無理です、無理。
少なくとも半径1m以内に、5人はいます。
小さく、でも、強ーくブンブンと首を振る。
…、振ってしまった…。
拒否はよくない。
拒否は、いい結果を生まない。
さらに、アルコールの入った那智さんは、いつも若干暴走する。
やばい。
交渉権を発動!!
「後ろの人(男性1女性2)から見えませんか?」
「う〜ん、女は背中向けてるし、男はふたりを口説くのに必死だから大丈夫。」
あはは、そうなの〜、たしかにね、若い女の子ふたりになにやら一生懸命話してる^^;
ふたりのうちのひとりなのか、あわよくば…なのか、わかんないけど、お兄さん頑張れ!!
「那智さん側の女性なんて、すごく近いです。」
「落ちた物を取るふりをすればいい。」
そう言いながら、ささっとファスナーから露出させる那智さん。
ぎゃー、ダメですーーーー。
こんなところで出しちゃあ!!!
ああ、それにしても、いつも思う。
性器を露出させてる那智さんが平然としてて、なにも出してないわたしが慌てる。
ほんと、主導権をどちらが握ってるかで、羞恥は変わってくるもの。
「ほら^^」
口パクで「ダメです、ダメです。」を繰り返すと、むんずとわたしの腕を取り、そのまま、そこに当てがう那智さん!!!
うぎゃー。
わたしが、手で隠して差し上げてる状態。
「早くしないと、怪しまれるよ。」
嬉しそう。
やるの!?わたし。
やるしかないよね。
できるの?
…、うふ、那智さんのおちんちんの感触*^^*
そ、そんなことは、いい!!
やるのよ、りん子。
いいわね、やったら幸せ感じられるんだから。
それに、あなた、カウンターの下でフェラチオにちょっとだけ感じてるでしょ!?
ああ、はい、やります、おっしゃる通りです。
気を充実させて、えい!!!
こんな葛藤のあと。
そっと、席から体をずらして、那智さんの足下へ。
酒場特有のざわざわした中で、わたしだけ別世界のよう。
どんなにどきどきしても、人目が気になっても、那智さんの足下の世界はわたしを幸せにしてくれる。
お口に含み、もぐもぐ*^^*
それでも、委ねきれてないこの状態では、まわりの様子を伺う理性は捨てられない。
わたしの背後の男性の声のトーンに耳を澄ます。
わたしの異変に気づいたら、きっと声に多少の変化が起こるはず。
でも、必死に口説いてる口調に変わりはない。
ああ、よかった、きっと気づいてない。
そう思うと、少し心がやわらかくなった。
あ、幸せ、少しずつうっとりしてくるのがわかる。
那智さんの足下とおさむさんのおちんちんと、それをしてる自分の姿に感じてくる。
「はい、おしまい〜」
那智さんの合図。
わあ、やっちゃった〜というなんとも言えない高揚と恥ずかしさ。
それをぐっと堪えて、何食わぬ顔で席に戻る。
うつむいて、その興奮を振り払うように「ぶんぶん」と顔を横に振る。
「すぐそこまで店員さんが来たんだよ、焦ったよ。」
そういえば足音が近付いた感じがしたな。
基本的に、那智さんに委ねてることにはかわりないのだけど、このときは「委ねきれてない」。
それは「ホテル街で四つん這い」や「下着姿でダッシュ」なんていうときも同じで、もう必死!!というのが先に立っちゃって、そのあとしばらくしてやっと自分の世界に入っていくみたいな感じ。
きっと、那智さんはこの「パニックりん子」も楽しいと思うのですが、まあ、わたしとしては委ねちゃえたほうが、楽で快感なんですね。
だってね、前回書いた「委ねきってフェラチオ」のときは、那智さんが身を引いておしまいになったのだけど。
那智さんでさえ、驚くほど長くくわえていたらしいの、「おいおい、もうそれくらいにしろ」ってくらい。
自分では時間の感覚がまったくなくなって没頭していたから、わからない。
でも、とても長く、だれか来てもやめないんじゃないかってほど深く入り込んでいたそうです。
それくらい、「委ねきってしまう」と快感なんですよね、わたしには。
那智さんに翻弄されて、結果的に快感を味わうことも幸せだけど、お外では、貴重な「委ねきる」は貴重な分とっても気持ちいいんだ。
こんなふうに、同じ「お外でフェラチオ」でも、感じ方はいろいろです。
委ねきって世界に入り込んじゃうのと、葛藤しながら最後に感じるのと。
感じる側と感じさせる側で違いもあると思うけど、感じ方や反応の好みは分かれるんだろうな〜なんて思いました。
追伸:なんだか、ティーカップの不具合でずいぶん接続が悪かったようです。来てくださったかた、ご迷惑おかけしました。諦めずに来てくださってありがとうございました。
たとえば「お外でフェラチオ」ということだけでも感じ方はいろいろ。
前回は「委ねてしまった」快感を書きましたが、あんなふうに我を忘れるほど「委ねられる」ことは実はそんなにないのです。(特にお外は)
じゃあ、同じようなことでも、どう違うのか?ってことで、シリーズ「お外でフェラチオ(居酒屋編)」!!!
この日はお昼からずーっとかまってもらっていた。
夕飯もいっぱい食べて、いろんな意味でお腹いっぱいだった。
飲み直しに入った居酒屋はチェーン店。
あんまりやる気満々じゃない従業員。(愛想はいいんだけど、ほら、普通空いてるグラスを下げるときとかって次の注文もついでに聞いたりするでしょ?それをしないの^^;商売っけがないって感じ)
それほど広くない店内は、その従業員の印象と同じように、ポツポツと空席が目立つ。
わたしたちの座った席はカウンター席。
大きな正方形の柱をぐるっと囲むようにカウンターがあるの。
フロアの隅っこにあって、壁沿いに椅子が並んでる。
わたしたちは店内の一番奥、壁を背にして座る。
那智さんが右、わたしが左。
柱を右となりの一辺には女性のふたり組。
わたしの左斜め前方にはテーブル席3人組、男性がこちらを向いて、女性ふたりが背を向けてる。
さらに左奥には、男性3人のテーブル席。
カウンターだから、わたしの視界には女性ふたり組、テーブル席の人々は振り返らないと様子がわからない。
満腹のわたしたちは、ちょっと持て余してる感じ。
那智さんが「ここでくわえる?」と聞いてきた。
はあ!?
無理です、無理。
少なくとも半径1m以内に、5人はいます。
小さく、でも、強ーくブンブンと首を振る。
…、振ってしまった…。
拒否はよくない。
拒否は、いい結果を生まない。
さらに、アルコールの入った那智さんは、いつも若干暴走する。
やばい。
交渉権を発動!!
「後ろの人(男性1女性2)から見えませんか?」
「う〜ん、女は背中向けてるし、男はふたりを口説くのに必死だから大丈夫。」
あはは、そうなの〜、たしかにね、若い女の子ふたりになにやら一生懸命話してる^^;
ふたりのうちのひとりなのか、あわよくば…なのか、わかんないけど、お兄さん頑張れ!!
「那智さん側の女性なんて、すごく近いです。」
「落ちた物を取るふりをすればいい。」
そう言いながら、ささっとファスナーから露出させる那智さん。
ぎゃー、ダメですーーーー。
こんなところで出しちゃあ!!!
ああ、それにしても、いつも思う。
性器を露出させてる那智さんが平然としてて、なにも出してないわたしが慌てる。
ほんと、主導権をどちらが握ってるかで、羞恥は変わってくるもの。
「ほら^^」
口パクで「ダメです、ダメです。」を繰り返すと、むんずとわたしの腕を取り、そのまま、そこに当てがう那智さん!!!
うぎゃー。
わたしが、手で隠して差し上げてる状態。
「早くしないと、怪しまれるよ。」
嬉しそう。
やるの!?わたし。
やるしかないよね。
できるの?
…、うふ、那智さんのおちんちんの感触*^^*
そ、そんなことは、いい!!
やるのよ、りん子。
いいわね、やったら幸せ感じられるんだから。
それに、あなた、カウンターの下でフェラチオにちょっとだけ感じてるでしょ!?
ああ、はい、やります、おっしゃる通りです。
気を充実させて、えい!!!
こんな葛藤のあと。
そっと、席から体をずらして、那智さんの足下へ。
酒場特有のざわざわした中で、わたしだけ別世界のよう。
どんなにどきどきしても、人目が気になっても、那智さんの足下の世界はわたしを幸せにしてくれる。
お口に含み、もぐもぐ*^^*
それでも、委ねきれてないこの状態では、まわりの様子を伺う理性は捨てられない。
わたしの背後の男性の声のトーンに耳を澄ます。
わたしの異変に気づいたら、きっと声に多少の変化が起こるはず。
でも、必死に口説いてる口調に変わりはない。
ああ、よかった、きっと気づいてない。
そう思うと、少し心がやわらかくなった。
あ、幸せ、少しずつうっとりしてくるのがわかる。
那智さんの足下とおさむさんのおちんちんと、それをしてる自分の姿に感じてくる。
「はい、おしまい〜」
那智さんの合図。
わあ、やっちゃった〜というなんとも言えない高揚と恥ずかしさ。
それをぐっと堪えて、何食わぬ顔で席に戻る。
うつむいて、その興奮を振り払うように「ぶんぶん」と顔を横に振る。
「すぐそこまで店員さんが来たんだよ、焦ったよ。」
そういえば足音が近付いた感じがしたな。
基本的に、那智さんに委ねてることにはかわりないのだけど、このときは「委ねきれてない」。
それは「ホテル街で四つん這い」や「下着姿でダッシュ」なんていうときも同じで、もう必死!!というのが先に立っちゃって、そのあとしばらくしてやっと自分の世界に入っていくみたいな感じ。
きっと、那智さんはこの「パニックりん子」も楽しいと思うのですが、まあ、わたしとしては委ねちゃえたほうが、楽で快感なんですね。
だってね、前回書いた「委ねきってフェラチオ」のときは、那智さんが身を引いておしまいになったのだけど。
那智さんでさえ、驚くほど長くくわえていたらしいの、「おいおい、もうそれくらいにしろ」ってくらい。
自分では時間の感覚がまったくなくなって没頭していたから、わからない。
でも、とても長く、だれか来てもやめないんじゃないかってほど深く入り込んでいたそうです。
それくらい、「委ねきってしまう」と快感なんですよね、わたしには。
那智さんに翻弄されて、結果的に快感を味わうことも幸せだけど、お外では、貴重な「委ねきる」は貴重な分とっても気持ちいいんだ。
こんなふうに、同じ「お外でフェラチオ」でも、感じ方はいろいろです。
委ねきって世界に入り込んじゃうのと、葛藤しながら最後に感じるのと。
感じる側と感じさせる側で違いもあると思うけど、感じ方や反応の好みは分かれるんだろうな〜なんて思いました。
追伸:なんだか、ティーカップの不具合でずいぶん接続が悪かったようです。来てくださったかた、ご迷惑おかけしました。諦めずに来てくださってありがとうございました。
2周年です
独り言
2年前の今日、ブログをはじめました。
久しぶりにそのころの記事を読んでみました。
いや〜、なんか、かわいらしいぞ!!
最初は、ちょっと気合い(?)で那智さんをご主人様って呼んでる。
これはね、「SM」的なブログだってことをアピールしたくてそうしたんだな、たしか。
タイトルも最初はちょっとSMを意識したものにしていたんだよね。
「SM色をあまり出すな」ってことで、タイトルにいたってはその場ですぐ却下されたんだ、那智さんらしいです。
わたしたちこんなことしてますよ〜ってことを書きたかったのだけど、那智プロデューサーの指示により、生い立ちから書くことになって、いつのまにかいろんなことてんこ盛りのブログになっていったのです。
最初のころのかわいらしい書き方で「ご主人様命」だけを書いていたら、もう少し支持率上がっていたかもしれない^^;
「那智さんのしてくれることはなんでも幸せ」「わたしは那智さんのもの」それは偽りない気持ち。
だけど、それだけって、なんか作り物っぽいよね。
那智さんも、それがいやで「全部書け」ってさせたんだと思う。
だから、最初のころのわたしはかわいらしいけど、ちょっとぎこちない。
いろんなことを書き、書くことによってまたいろんな経験を積み、いまのわたしはここで、そのころよりもずっと自由になっている。
そう理解するのに、理解して自分の心を慣れさせ、自分のものとして口に出せるようになるのに、2年かかりました(笑)
生い立ちやノロケやSM、ご飯まで、ちょっと批判めいたことも、いろんな側面を書いてる。
那智さんは「読もうと思ってくれる人が限定される」という。
うん、いろんな側面を書いていて一見間口が広いように感じるけど、実は「SMだけ」や「恋愛日記」や「お食事ブログ」のようにジャンルを特定させたほうが、同じ嗜好の人は集まりやすいのではとも思う。
いっぱい書いてるから、集合の円の重なり合うかただけが読んでくれているのかもしれないと思うのだ。
だから、読んでくださったことに感謝します。
それと、「全力」で書いてるからコメントするのも勇気がいる、とも那智さんはいう。(いや、単にコメントしづらい書き方ってこともあるけど^^;)
最初のころ右も左もわからずにはじめたわたしに。
途中、自分の書いてることに自信が持てなくて不安だったころ。
お名前を拝見すると、嬉しくなるような馴染んだ方々。
だから、コメントをくださったかたにも、いっぱい感謝です。
それで、それで、やっぱり。
那智さん、あなたのおかげで、わたしは自信を持って自由でいられています。
こんなにいっぱい書けて、続けられるのは、那智さんとの膨大なコミュニケーションの賜物です。
ありがとうございます、そして、那智さん、大好き!!!!
でも、最近のわたしは「那智さん大好き」だけじゃ終わらないのだ。
2年間、こんなにいっぱい書き続けた、りん子、あなたはえらい!!!
うふふ、最初のころの殊勝なわたしでは言えない自画自賛。
いいよね、言っちゃうもん。
ということで、ほんとはこれが一番大事。
いろんなこと書いてて、前振りばっかり長かったり、そんでもって最後はいつも同じノロケ、そんな「薬指の刺青」。
その集合の円の重なり合ったところに来てくださるみなさんに感謝の気持ちと、みなさんの幸せを。
心から、ありがとうございました。
そして、これからも、よろしくね^^
2年前の今日、ブログをはじめました。
久しぶりにそのころの記事を読んでみました。
いや〜、なんか、かわいらしいぞ!!
最初は、ちょっと気合い(?)で那智さんをご主人様って呼んでる。
これはね、「SM」的なブログだってことをアピールしたくてそうしたんだな、たしか。
タイトルも最初はちょっとSMを意識したものにしていたんだよね。
「SM色をあまり出すな」ってことで、タイトルにいたってはその場ですぐ却下されたんだ、那智さんらしいです。
わたしたちこんなことしてますよ〜ってことを書きたかったのだけど、那智プロデューサーの指示により、生い立ちから書くことになって、いつのまにかいろんなことてんこ盛りのブログになっていったのです。
最初のころのかわいらしい書き方で「ご主人様命」だけを書いていたら、もう少し支持率上がっていたかもしれない^^;
「那智さんのしてくれることはなんでも幸せ」「わたしは那智さんのもの」それは偽りない気持ち。
だけど、それだけって、なんか作り物っぽいよね。
那智さんも、それがいやで「全部書け」ってさせたんだと思う。
だから、最初のころのわたしはかわいらしいけど、ちょっとぎこちない。
いろんなことを書き、書くことによってまたいろんな経験を積み、いまのわたしはここで、そのころよりもずっと自由になっている。
そう理解するのに、理解して自分の心を慣れさせ、自分のものとして口に出せるようになるのに、2年かかりました(笑)
生い立ちやノロケやSM、ご飯まで、ちょっと批判めいたことも、いろんな側面を書いてる。
那智さんは「読もうと思ってくれる人が限定される」という。
うん、いろんな側面を書いていて一見間口が広いように感じるけど、実は「SMだけ」や「恋愛日記」や「お食事ブログ」のようにジャンルを特定させたほうが、同じ嗜好の人は集まりやすいのではとも思う。
いっぱい書いてるから、集合の円の重なり合うかただけが読んでくれているのかもしれないと思うのだ。
だから、読んでくださったことに感謝します。
それと、「全力」で書いてるからコメントするのも勇気がいる、とも那智さんはいう。(いや、単にコメントしづらい書き方ってこともあるけど^^;)
最初のころ右も左もわからずにはじめたわたしに。
途中、自分の書いてることに自信が持てなくて不安だったころ。
お名前を拝見すると、嬉しくなるような馴染んだ方々。
だから、コメントをくださったかたにも、いっぱい感謝です。
それで、それで、やっぱり。
那智さん、あなたのおかげで、わたしは自信を持って自由でいられています。
こんなにいっぱい書けて、続けられるのは、那智さんとの膨大なコミュニケーションの賜物です。
ありがとうございます、そして、那智さん、大好き!!!!
でも、最近のわたしは「那智さん大好き」だけじゃ終わらないのだ。
2年間、こんなにいっぱい書き続けた、りん子、あなたはえらい!!!
うふふ、最初のころの殊勝なわたしでは言えない自画自賛。
いいよね、言っちゃうもん。
ということで、ほんとはこれが一番大事。
いろんなこと書いてて、前振りばっかり長かったり、そんでもって最後はいつも同じノロケ、そんな「薬指の刺青」。
その集合の円の重なり合ったところに来てくださるみなさんに感謝の気持ちと、みなさんの幸せを。
心から、ありがとうございました。
そして、これからも、よろしくね^^