嫉妬について
独特な幸福感
那智さんは、全然嫉妬しない。
見事に嫉妬しない。
軽いやきもちのようなものさえ、しない。
それでも私を拘束している。
嫉妬という種類のものでは束縛しないけど、ちゃんと拘束している。
私がだれと食事をしようと「どうぞ〜」と送り出してくれる。(もちろん男の人ですよ!そんなにないけど^^;)
過去の遍歴を書いた時にも、「りん子の馬鹿さ加減に腹が立った」だけで、相手の男性たちに対してはやきもちはやかなかったらしい。
まあ、私が一人でハプニングバーに行ったり(行ったことないけど)したら話は違うかもしれないけど、それでも「危ないから、ダメ」と言われるだけで、嫉妬から来る束縛で否定はしないと思う。
時々、ねえ、もうちょっとやきもち焼いてくださいよ〜って思うくらい、あっさりしたものなの。
なんとなく、束縛されるって、「独り占め」されているみたいに感じられて「あなたのもの」と思いたい私には、味わいたいものでもあるのです。
でも、嫉妬による束縛がなくても充分に那智さんは私を独り占めしているし、私はきちんと拘束されている。
私なんて、私の接していない間に接するすべての女性にやきもちを焼いて「いや〜」って、子供のような独占欲でじたばたしてるのにね。
嫉妬について思うとき、以前那智さんの考え方を聞いて、「へぇ〜、そんな考え方あるんだ〜」と目から鱗だったことを思い出す。(これは那智さんはそう思うというだけのことなので、そうじゃない考え方を否定しているわけじゃないので、ご了承くださいね。このところ「ご了承」ばかり得ているな、私 笑)
「自分だけのもの」だと思って独り占めすることと、やきもちを焼いて束縛することは別のものと思ってるというのだ。
さっきも書いたけど、私なんて独り占め=束縛(嫉妬)と一緒くたにして考えるし、また心も自然にそう動くから、それを違うものとしている考え方に驚いたの。
俺の物だから、貸しても触らせてもかまわない、だからお食事くらい「どうぞ〜」なわけです。
そうしても、俺の物だという事実に変わりない。
確かに辞書で「独り占め」と引いてみると(辞書が手放せないりん子^^;)「それを自分だけのものにすること」とは書いてあるけど、箱に入れてしまっておくとは書いていない^^
自分だけのものを表現するのに、箱にしまっておくような方法を取るのは那智さんとしては「嫉妬心」から来ると感じるらしい。
そして、それは那智さんの美意識が好まない表現方法なのだ。
「嫉妬は格好悪い」そうなのだ。
だから、私を貸すのも晒すのも平気なの。
むしろ自己顕示欲が満たされる。
お気に入りの車をきれいに磨いて、それで街中を走るみたいなことだろうか。
皆に見られてもかまわないし、たまには運転させてあげる。
「まあ、大丈夫だろ〜」って、ちょっと無茶な運転もしてしまう。
そして、汚れたり故障したら、また丁寧にメンテナンスをする。
でもね、那智さん「嫉妬は格好悪い」と言っても、嫉妬なんて自然に湧き上がるものなんだから、心の蓋を一枚剥がしてみませんか?
本当はその下には、理不尽なくらいの嫉妬心がうごめいているのではありませんか?
そんな風に聞いたら「それはない」と言い切った。
独り占めしたいと嫉妬による束縛を分けて考えることを、意識して子供の頃からしていたから嫉妬を露にしないということが染み付いているのだそうだ。
子供の頃と言って、すぐに「違うか、女の子を意識してからと言った方が正しいか」と訂正していたから、その記憶は確かなんだろうなと思えてしまった。
女の子を意識するのは小学生くらいからかな。
そのころから、嫉妬を表に出すことを抑えていた那智少年、元々そういう発想を持っていたのか、それともそう思う何かがあったのか、それはわからないけど、ちょっと胸がきゅっとなる。
その長い時間かけて染み付いて自分のものにした「嫉妬は格好悪いから、自分にはない」という生き方。
もし、抑制しつづけた「理不尽なまでの嫉妬」が那智さんの心の奥底に沈殿しているならば、その皮を剥がして剥き出しにできるのは私しかいないかもしれない。
だから、私はそれを一緒に見てもいいよ、那智さん。
きっと私が世界で唯一の存在だから。
でも、そんなの一緒に見たら、その後が物凄く恐いかもしれない(笑)
那智さんは、全然嫉妬しない。
見事に嫉妬しない。
軽いやきもちのようなものさえ、しない。
それでも私を拘束している。
嫉妬という種類のものでは束縛しないけど、ちゃんと拘束している。
私がだれと食事をしようと「どうぞ〜」と送り出してくれる。(もちろん男の人ですよ!そんなにないけど^^;)
過去の遍歴を書いた時にも、「りん子の馬鹿さ加減に腹が立った」だけで、相手の男性たちに対してはやきもちはやかなかったらしい。
まあ、私が一人でハプニングバーに行ったり(行ったことないけど)したら話は違うかもしれないけど、それでも「危ないから、ダメ」と言われるだけで、嫉妬から来る束縛で否定はしないと思う。
時々、ねえ、もうちょっとやきもち焼いてくださいよ〜って思うくらい、あっさりしたものなの。
なんとなく、束縛されるって、「独り占め」されているみたいに感じられて「あなたのもの」と思いたい私には、味わいたいものでもあるのです。
でも、嫉妬による束縛がなくても充分に那智さんは私を独り占めしているし、私はきちんと拘束されている。
私なんて、私の接していない間に接するすべての女性にやきもちを焼いて「いや〜」って、子供のような独占欲でじたばたしてるのにね。
嫉妬について思うとき、以前那智さんの考え方を聞いて、「へぇ〜、そんな考え方あるんだ〜」と目から鱗だったことを思い出す。(これは那智さんはそう思うというだけのことなので、そうじゃない考え方を否定しているわけじゃないので、ご了承くださいね。このところ「ご了承」ばかり得ているな、私 笑)
「自分だけのもの」だと思って独り占めすることと、やきもちを焼いて束縛することは別のものと思ってるというのだ。
さっきも書いたけど、私なんて独り占め=束縛(嫉妬)と一緒くたにして考えるし、また心も自然にそう動くから、それを違うものとしている考え方に驚いたの。
俺の物だから、貸しても触らせてもかまわない、だからお食事くらい「どうぞ〜」なわけです。
そうしても、俺の物だという事実に変わりない。
確かに辞書で「独り占め」と引いてみると(辞書が手放せないりん子^^;)「それを自分だけのものにすること」とは書いてあるけど、箱に入れてしまっておくとは書いていない^^
自分だけのものを表現するのに、箱にしまっておくような方法を取るのは那智さんとしては「嫉妬心」から来ると感じるらしい。
そして、それは那智さんの美意識が好まない表現方法なのだ。
「嫉妬は格好悪い」そうなのだ。
だから、私を貸すのも晒すのも平気なの。
むしろ自己顕示欲が満たされる。
お気に入りの車をきれいに磨いて、それで街中を走るみたいなことだろうか。
皆に見られてもかまわないし、たまには運転させてあげる。
「まあ、大丈夫だろ〜」って、ちょっと無茶な運転もしてしまう。
そして、汚れたり故障したら、また丁寧にメンテナンスをする。
でもね、那智さん「嫉妬は格好悪い」と言っても、嫉妬なんて自然に湧き上がるものなんだから、心の蓋を一枚剥がしてみませんか?
本当はその下には、理不尽なくらいの嫉妬心がうごめいているのではありませんか?
そんな風に聞いたら「それはない」と言い切った。
独り占めしたいと嫉妬による束縛を分けて考えることを、意識して子供の頃からしていたから嫉妬を露にしないということが染み付いているのだそうだ。
子供の頃と言って、すぐに「違うか、女の子を意識してからと言った方が正しいか」と訂正していたから、その記憶は確かなんだろうなと思えてしまった。
女の子を意識するのは小学生くらいからかな。
そのころから、嫉妬を表に出すことを抑えていた那智少年、元々そういう発想を持っていたのか、それともそう思う何かがあったのか、それはわからないけど、ちょっと胸がきゅっとなる。
その長い時間かけて染み付いて自分のものにした「嫉妬は格好悪いから、自分にはない」という生き方。
もし、抑制しつづけた「理不尽なまでの嫉妬」が那智さんの心の奥底に沈殿しているならば、その皮を剥がして剥き出しにできるのは私しかいないかもしれない。
だから、私はそれを一緒に見てもいいよ、那智さん。
きっと私が世界で唯一の存在だから。
でも、そんなの一緒に見たら、その後が物凄く恐いかもしれない(笑)
憧れるな〜
独り言
私の夢。
毎日、百数十人の人が見に来てくださる方の中に、たまたま私たちと同じ地域で生活していて、たまたま私たちのデートの時に同じ場所に居合わせて、その人が私たちの関係に好感を持っていてくださったとして。
スカートの裾からわんこの尻尾を覗かせて腕を組んで歩いている私たちに気付いて「もしかしてりん子さん?」なんて声を掛けてくれる。
それで尻尾の感想なんか言ってもらいながら、しばらく一緒に歩くの。
または、ファストフードでわんこの尻尾を付けて床に四つん這いになって那智さんの足下にいる私を見付けた読者の方が、首筋を撫でている那智さんの横に腰掛けて「薬指の刺青の那智さんですよね?りん子さん、よく懐いてますね。」なんて肯定的な雰囲気の中、私は気兼ねなく那智さんのわんこでいる。
こんなのに憧れるわ。
だって、やっぱり、否応なくスイッチが入ってしまって、とんでもなく幸せだったとしても、やっぱり人前でわんこになった後は、やっていることの非常識さに、恐くなるのだもの。
那智さんに委ねているし、那智さんもわんこの私は好きなのはわかっている。
それでも、その非常識さで感じる恐さを少しでも軽くしたくて、肯定的な夢を描いてしまうのです。
それなら、2人っきりの時や、ハプニングバーのような場所でわんこになってればいいのかと言えば、なぜか恐怖や後悔の大きな方に心が振れてしまうから、厄介なのです。
誰か来るかもしれない、誰かが気付いているかもしれないという中で、那智さんのわんこになる幸せは恐怖を凌駕してしまう。
それにね、ハプニングバーでして見ず知らずの人に「懐いてますね」って言われるより、これを読んでくださっている方が言ってくれた方が、どんなに嬉しいことか。
理解した上で、肯定してくれているのですものね。
だから、読んでくださっていることが、大事。
そんな風に思うと、これは夢のまた夢。
どなたか、肯定派で、○○辺りで生活している人で、声かけてくれる人いませんか?
そんな不必要な勇気は振り絞りたくない!?
そうそう、これも重要で、申し合わせてじゃなくて、あくまで偶然見付てほしいのです。
なんていうのかな、偶然見付けても、声をかけようと思ってもらえることに「肯定」度合いを感じるからですね。
改めて、どなたか肯定派で、○○辺りで生活していて、私たちのデートを偶然目撃してくれて、不必要な勇気を振り絞って「わんこ、可愛いですね」って声をかけてくれる方いらっしゃいませんか?
ということで、「りん子、マ○○○○ドでわんこ」の予告編でした。
でも、ほんといないかな〜。
私の夢。
毎日、百数十人の人が見に来てくださる方の中に、たまたま私たちと同じ地域で生活していて、たまたま私たちのデートの時に同じ場所に居合わせて、その人が私たちの関係に好感を持っていてくださったとして。
スカートの裾からわんこの尻尾を覗かせて腕を組んで歩いている私たちに気付いて「もしかしてりん子さん?」なんて声を掛けてくれる。
それで尻尾の感想なんか言ってもらいながら、しばらく一緒に歩くの。
または、ファストフードでわんこの尻尾を付けて床に四つん這いになって那智さんの足下にいる私を見付けた読者の方が、首筋を撫でている那智さんの横に腰掛けて「薬指の刺青の那智さんですよね?りん子さん、よく懐いてますね。」なんて肯定的な雰囲気の中、私は気兼ねなく那智さんのわんこでいる。
こんなのに憧れるわ。
だって、やっぱり、否応なくスイッチが入ってしまって、とんでもなく幸せだったとしても、やっぱり人前でわんこになった後は、やっていることの非常識さに、恐くなるのだもの。
那智さんに委ねているし、那智さんもわんこの私は好きなのはわかっている。
それでも、その非常識さで感じる恐さを少しでも軽くしたくて、肯定的な夢を描いてしまうのです。
それなら、2人っきりの時や、ハプニングバーのような場所でわんこになってればいいのかと言えば、なぜか恐怖や後悔の大きな方に心が振れてしまうから、厄介なのです。
誰か来るかもしれない、誰かが気付いているかもしれないという中で、那智さんのわんこになる幸せは恐怖を凌駕してしまう。
それにね、ハプニングバーでして見ず知らずの人に「懐いてますね」って言われるより、これを読んでくださっている方が言ってくれた方が、どんなに嬉しいことか。
理解した上で、肯定してくれているのですものね。
だから、読んでくださっていることが、大事。
そんな風に思うと、これは夢のまた夢。
どなたか、肯定派で、○○辺りで生活している人で、声かけてくれる人いませんか?
そんな不必要な勇気は振り絞りたくない!?
そうそう、これも重要で、申し合わせてじゃなくて、あくまで偶然見付てほしいのです。
なんていうのかな、偶然見付けても、声をかけようと思ってもらえることに「肯定」度合いを感じるからですね。
改めて、どなたか肯定派で、○○辺りで生活していて、私たちのデートを偶然目撃してくれて、不必要な勇気を振り絞って「わんこ、可愛いですね」って声をかけてくれる方いらっしゃいませんか?
ということで、「りん子、マ○○○○ドでわんこ」の予告編でした。
でも、ほんといないかな〜。
Sの気概
独特な幸福感
浣腸してもしなくても、排泄する姿や排泄したものを那智さんの前に晒すのは、とても恥ずかしい。
排泄する姿なんて、誰に見せても恥ずかしいのに、世界で一番可愛いと思ってもらいたい人に見せるのだから、それはそれは恥ずかしい。
じゃあ、逆はどうなんだろう。
那智さんは、私の前でうんこもするしおしっこもする。
浣腸するわけじゃないから、「いや、出ちゃいます…」なんて人(?)のせいにすることもなく、普通にする。
平気で、当然のように。
同じ行為なのに、なぜ違うのかな。
那智さんは、恥ずかしくないのかな。
冷静に(普段、その場面の私はきっと冷静じゃない 笑)考えると、うんこしてるところを見られて、恥ずかしくないの?と思う。
この差は、なんなんだろう。
那智さんに聞いてみたら当然「恥ずかしくない」とのこと。
じゃあ、私じゃない他人に見られたら?
それのほうが恥ずかしいだろうということでした。
当然よね、普通に恥ずかしいよね。
面白いなと思う。
他人に見られて恥ずかしいと思うことは、那智さんも私も同じ。
それを真ん中にして、私は「那智さん」の方が恥ずかしさレベルが上で、那智さんは「りん子」の方が下ということになる。
他人を基準にして、私は那智さんが相手だと恥ずかしいがポーンと跳ね上がって、那智さんは私を相手にするとレベルをグイッと引き下げる感じ。
好きな人の前で排泄することが、とても恥ずかしいということは理解しやすいと思うのだけど、好きな女の前でする方が他人より恥ずかしくない、むしろ平然とできるというのは、ちょっと不思議。
それは、それを見る側の受け取り方の違いがあるのではないかしら。
那智さんは「恥ずかしがらせたい」と思って私を見る。
一方の私は、那智さんの排泄する姿を、「ドキドキワクワク」しながら待っている、そんなことにワクワクする自分を恥じる。
だから、私は那智さんの排泄を恥じらいながら待つ(恥ずかしくて直視はしません^^;)
例えが正しいかわからないけど、コスプレをしている人は、多少のためらいはあるでしょうけど、それよりしたいと思う気持ちが勝って「えい」って何かを乗り越えてしている?
でも、見ているこちらがちょっと恥ずかしく思えてしまう、そんな感じ?
一般常識からちょっと外れたことを「えい」って乗り越えて堂々としていると、その当事者じゃない人の方が恥ずかしいのではないでしょうか。(コスプレを否定もしてないし、批判もしてないです。むしろちょっといいな〜くらいに思ってます^^)
で、さらに「えい」って感じを微塵も見せないところにも、美意識みたいなものがあるのでしょう。
気概を感じます(笑)
一般道路で四つん這いの女のリードを引くにも気概。
好きな女の前で堂々とうんこをするために、恥ずかしレベルをグイッと引き下げる気概。
恐らく、他のSの皆さんも種類は違えど、いろんな場面で気概を発揮されているのでしょうね。
したいことをする、那智さんを含め世のSの皆さんの心意気に敬意を表し、これからもその気概でどんどん貫いてほしいと思うのでした。
浣腸してもしなくても、排泄する姿や排泄したものを那智さんの前に晒すのは、とても恥ずかしい。
排泄する姿なんて、誰に見せても恥ずかしいのに、世界で一番可愛いと思ってもらいたい人に見せるのだから、それはそれは恥ずかしい。
じゃあ、逆はどうなんだろう。
那智さんは、私の前でうんこもするしおしっこもする。
浣腸するわけじゃないから、「いや、出ちゃいます…」なんて人(?)のせいにすることもなく、普通にする。
平気で、当然のように。
同じ行為なのに、なぜ違うのかな。
那智さんは、恥ずかしくないのかな。
冷静に(普段、その場面の私はきっと冷静じゃない 笑)考えると、うんこしてるところを見られて、恥ずかしくないの?と思う。
この差は、なんなんだろう。
那智さんに聞いてみたら当然「恥ずかしくない」とのこと。
じゃあ、私じゃない他人に見られたら?
それのほうが恥ずかしいだろうということでした。
当然よね、普通に恥ずかしいよね。
面白いなと思う。
他人に見られて恥ずかしいと思うことは、那智さんも私も同じ。
それを真ん中にして、私は「那智さん」の方が恥ずかしさレベルが上で、那智さんは「りん子」の方が下ということになる。
他人を基準にして、私は那智さんが相手だと恥ずかしいがポーンと跳ね上がって、那智さんは私を相手にするとレベルをグイッと引き下げる感じ。
好きな人の前で排泄することが、とても恥ずかしいということは理解しやすいと思うのだけど、好きな女の前でする方が他人より恥ずかしくない、むしろ平然とできるというのは、ちょっと不思議。
それは、それを見る側の受け取り方の違いがあるのではないかしら。
那智さんは「恥ずかしがらせたい」と思って私を見る。
一方の私は、那智さんの排泄する姿を、「ドキドキワクワク」しながら待っている、そんなことにワクワクする自分を恥じる。
だから、私は那智さんの排泄を恥じらいながら待つ(恥ずかしくて直視はしません^^;)
例えが正しいかわからないけど、コスプレをしている人は、多少のためらいはあるでしょうけど、それよりしたいと思う気持ちが勝って「えい」って何かを乗り越えてしている?
でも、見ているこちらがちょっと恥ずかしく思えてしまう、そんな感じ?
一般常識からちょっと外れたことを「えい」って乗り越えて堂々としていると、その当事者じゃない人の方が恥ずかしいのではないでしょうか。(コスプレを否定もしてないし、批判もしてないです。むしろちょっといいな〜くらいに思ってます^^)
で、さらに「えい」って感じを微塵も見せないところにも、美意識みたいなものがあるのでしょう。
気概を感じます(笑)
一般道路で四つん這いの女のリードを引くにも気概。
好きな女の前で堂々とうんこをするために、恥ずかしレベルをグイッと引き下げる気概。
恐らく、他のSの皆さんも種類は違えど、いろんな場面で気概を発揮されているのでしょうね。
したいことをする、那智さんを含め世のSの皆さんの心意気に敬意を表し、これからもその気概でどんどん貫いてほしいと思うのでした。
高飛車女の憂鬱
独り言
今日は那智さんのお仕事場までランチに行く。
でも、かつてないほど気が重い。
憂鬱なの。
なぜかというと、髪型を変えたから。
いままではセミロングの、まあ、いまどきの髪型だったのだけど、今回はガラッと変えてしまった。
はじまりは数ヶ月前、いつもの髪型の話題から。
マッシュルームカットのような無謀なお話じゃなくて(『独特な幸福感』の『白馬の王子様』に書いてあります)、ひとつの提案だった。
『Dr.コトーのなんとか』ってドラマをご覧になった人は記憶にありますか?
私は観ていないから、ドラマのタイトルさえはっきり知らないのだけど。
そこに出て来た柴咲コウさんの髪型を提案されたのだ。
おかっぱ頭。
ドラマを観ていない私は、那智さんの言うおかっぱ頭の説明だけでは、ピンと来ない。
女性ならわかると思うけど、「段は入っているの?」とか「前髪に量はどれくらい?」とか細かいディテールがわからないと、想像もできないし、ましてそれでカットしようなんて無理な話。
その辺りを聞いてみても「そんなのわからない」。
しかたなく番組のホームページを見て、挿絵替わりの写真を見て想像を膨らましてみる。
那智さん自身も、それがりん子に似合うのか、いまひとつ計りかねているようで結局話は頓挫したままになっていた。
その間にも髪を切る時期はやってくるけど、セミロングが似合っているからもう一回は現状維持で、そのままにしていた。
そして、次のカットの周期が来て、再び那智さんに聞いてみる「髪型どうします?」
「う〜ん。似合うかな…。りん子はどうしたい?」
どうしたいか…。
私は髪型を変えることに、あまり抵抗がないし、むしろ好きなほう。
しかも変えたいと思ったら、変えずにはいられない性分。
那智さんに提示された新しい髪型が、似合うかどうか微妙なラインだったとしても、変えて「新鮮でいいね〜」という評価欲しさに、より一層「変えてしまいたい欲」はめきめきと顔を出してしまう。
那智さんのほうが慎重で最終的には「りん子に任せる」となってしまった。
ずるい、責任を私に押し付けたわね。
ストレートパーマをかけて、少し前下がりのおかっぱ頭が完成。
那智さんの希望の、たっぷり前髪。
これは、なんて言ったらいいのでしょう。
『バベル』の菊池凛子さん(でも、あんな独特の雰囲気ない…)
デザイアーの中森明菜さん(あれは、あの衣装などの組み合わせで成り立ってたし…)
当然、柴咲コウさんではない(あんなにはっきり顔じゃないもの)
…、南海キャンディースにしずちゃん!!
もしくは、エコロジーな人。
自分で染め物とかして、ハーブ育てて、ヨガとかしそうな人。
一見とんがっていそうな前下がりのおかっぱに、少女のようなそれでいて自己主張を感じる前髪、それらに人の良さそうなニコニコ顔。
何もかもが中途半端な感じ。
普段私に対して肯定的な意見だけを言ってくれる夫でさえ「どこに着地したかったの?」と言う始末。
それでも切りたての時より私としては見慣れてきて、まあ、これもありかな〜と思えてきてはいる。
そして、いまからこのおかっぱ頭を引っさげて那智さんに会いに行くのだ。
そんな中こんなメール。
「いつもそうだけど、りん子の気持ちを揺らしたいのだから、普通でも見慣れてなくても、からかいたいのだから泣かないでね。」
からかわれるのね、私。
フォローなんだか、意地悪なんだか、わからないメール。
私は声を大にして那智さんに言いたい。
高飛車と思われても、仕方ない。
でも、言いたい。
世の中になんで流行の髪型があるかって、それはそれをすればとりあえず可愛く見えるから。
若い頃の小泉今日子さんが刈り上げにしてもキュートだったり、かつてのドラマ西遊記で三蔵法師役の夏目雅子さんが坊主頭でも美しかったのは、美しい人は何をしても美しいからだ。
だから、おかっぱでも「まし(なはず)」なのは、私が「まし」だからなんだ。
このおかっぱで「まし」でいられるのも実力だ。
きっと誰もが似合うとは言い難いこの髪型で「まし」なんだもの、これも実力と思いたい…(段々弱気)
そこを差し引いて見ていただきたい。
そして、流行でもないおかっぱを、変化を好む那智さんに「新鮮」と思ってもらいたいがために、絶対に似合うはずれのないセミロングを捨ててまでして、選んだ私の心意気を割り増しして、見ていただきたい。
ああ、憂鬱。
本当に憂鬱。
今日は、こんな状態なので「わんこ話」は、また今度ね。
もう少し、お待ちください。
今日は那智さんのお仕事場までランチに行く。
でも、かつてないほど気が重い。
憂鬱なの。
なぜかというと、髪型を変えたから。
いままではセミロングの、まあ、いまどきの髪型だったのだけど、今回はガラッと変えてしまった。
はじまりは数ヶ月前、いつもの髪型の話題から。
マッシュルームカットのような無謀なお話じゃなくて(『独特な幸福感』の『白馬の王子様』に書いてあります)、ひとつの提案だった。
『Dr.コトーのなんとか』ってドラマをご覧になった人は記憶にありますか?
私は観ていないから、ドラマのタイトルさえはっきり知らないのだけど。
そこに出て来た柴咲コウさんの髪型を提案されたのだ。
おかっぱ頭。
ドラマを観ていない私は、那智さんの言うおかっぱ頭の説明だけでは、ピンと来ない。
女性ならわかると思うけど、「段は入っているの?」とか「前髪に量はどれくらい?」とか細かいディテールがわからないと、想像もできないし、ましてそれでカットしようなんて無理な話。
その辺りを聞いてみても「そんなのわからない」。
しかたなく番組のホームページを見て、挿絵替わりの写真を見て想像を膨らましてみる。
那智さん自身も、それがりん子に似合うのか、いまひとつ計りかねているようで結局話は頓挫したままになっていた。
その間にも髪を切る時期はやってくるけど、セミロングが似合っているからもう一回は現状維持で、そのままにしていた。
そして、次のカットの周期が来て、再び那智さんに聞いてみる「髪型どうします?」
「う〜ん。似合うかな…。りん子はどうしたい?」
どうしたいか…。
私は髪型を変えることに、あまり抵抗がないし、むしろ好きなほう。
しかも変えたいと思ったら、変えずにはいられない性分。
那智さんに提示された新しい髪型が、似合うかどうか微妙なラインだったとしても、変えて「新鮮でいいね〜」という評価欲しさに、より一層「変えてしまいたい欲」はめきめきと顔を出してしまう。
那智さんのほうが慎重で最終的には「りん子に任せる」となってしまった。
ずるい、責任を私に押し付けたわね。
ストレートパーマをかけて、少し前下がりのおかっぱ頭が完成。
那智さんの希望の、たっぷり前髪。
これは、なんて言ったらいいのでしょう。
『バベル』の菊池凛子さん(でも、あんな独特の雰囲気ない…)
デザイアーの中森明菜さん(あれは、あの衣装などの組み合わせで成り立ってたし…)
当然、柴咲コウさんではない(あんなにはっきり顔じゃないもの)
…、南海キャンディースにしずちゃん!!
もしくは、エコロジーな人。
自分で染め物とかして、ハーブ育てて、ヨガとかしそうな人。
一見とんがっていそうな前下がりのおかっぱに、少女のようなそれでいて自己主張を感じる前髪、それらに人の良さそうなニコニコ顔。
何もかもが中途半端な感じ。
普段私に対して肯定的な意見だけを言ってくれる夫でさえ「どこに着地したかったの?」と言う始末。
それでも切りたての時より私としては見慣れてきて、まあ、これもありかな〜と思えてきてはいる。
そして、いまからこのおかっぱ頭を引っさげて那智さんに会いに行くのだ。
そんな中こんなメール。
「いつもそうだけど、りん子の気持ちを揺らしたいのだから、普通でも見慣れてなくても、からかいたいのだから泣かないでね。」
からかわれるのね、私。
フォローなんだか、意地悪なんだか、わからないメール。
私は声を大にして那智さんに言いたい。
高飛車と思われても、仕方ない。
でも、言いたい。
世の中になんで流行の髪型があるかって、それはそれをすればとりあえず可愛く見えるから。
若い頃の小泉今日子さんが刈り上げにしてもキュートだったり、かつてのドラマ西遊記で三蔵法師役の夏目雅子さんが坊主頭でも美しかったのは、美しい人は何をしても美しいからだ。
だから、おかっぱでも「まし(なはず)」なのは、私が「まし」だからなんだ。
このおかっぱで「まし」でいられるのも実力だ。
きっと誰もが似合うとは言い難いこの髪型で「まし」なんだもの、これも実力と思いたい…(段々弱気)
そこを差し引いて見ていただきたい。
そして、流行でもないおかっぱを、変化を好む那智さんに「新鮮」と思ってもらいたいがために、絶対に似合うはずれのないセミロングを捨ててまでして、選んだ私の心意気を割り増しして、見ていただきたい。
ああ、憂鬱。
本当に憂鬱。
今日は、こんな状態なので「わんこ話」は、また今度ね。
もう少し、お待ちください。
お店でわんこ1
非日常的な日常
那智さんは毎朝メールをくれる。
それが「繋がっていいよ」の合図になっている。
ほとんどがタイトルに「おはよう」だけなんだけど、時々一言添えてくれたりする。
「今日から夏のスーツ」とか、「体調は?」(これは会った翌日に多い^^;体調を気遣うようなことしてるからね)とか。
「欲情しなさい」
久しぶりに会える日の朝、「おはよう」の爽やかな言葉にはそぐわない言葉が続いた。
「欲情しなさい」
私の針がブンっと振れる。
鞭が恐いとか、わんこになりたいとか、散々訴えて自分でもなんだか「ぐちゃぐちゃ欲情の渦」状態だったのは自覚していたから、それにとどめを刺す那智さんの言葉に、欲情の針が恥ずかしいくらい一気に振れてしまう。
気を付けないと、支度をする手を止めてこの欲情に浸ってしまいそう。
気持ちを現実にとどめるように努力する。
でも、本当はこの欲情してフワフワな状態もとても気持ち良くて、現実に戻ってしまうことが惜しい気もするから、微妙に欲情を残してみたり。
もう早く那智さんに会いたい。
こんな気持ちの微調整なんてしていたくない。
感情も欲情も、すべてを垂れ流して受け止めてもらえる那智さんに会いたい。
早く早くいやらしくはしたない那智さんのわんこになってしまいたい。
電話が鳴る、那智さんからだ。
声を聞いたら、もうダメ。
いますぐにでも変な私になっちゃう。
受話器越しに興奮していることが伝わるのか「随分欲情してるね〜」と那智さんが言う。
はい、その通りです、早くわんこにしてください。
あと一時間で会えるとわかっていても、そんなことより早く支度して出かけた方がいいのもわかっていても、揺れる腰が止められず、こんなお願いをしてしまう。
「触ってもいいですか?」
「ダメ」
もう、この否定も気持ちいい。
「今日はわんこになろうか、また四つん這いで歩く?それともわんこにしないで四つん這いになろうか?」
ああ、わんこ、嬉しい。
でも、わんこにならないで、わんこのようなことをしたことないから、それは恐い。
わんこはひとつの逃げ道だ。
逃避できる早道だ。
わんこになるのは、尻尾や首輪やリードを付けること。
おまじないのような儀式のような。
やってることは同じでも、それをするのとしないのでは、私の飛び越えないといけないハードルに差ができると思うの。
那智さんは、そのハードルを上げようとしているのかしら。
わんこがいいなと、欲情した心の片隅で思う。
そのまま電話を切り、支度を済ませて電車に乗る。
なんだかずっとフワフワしたまま。
こういう時は女性専用車両に乗ろう。
私、きっといやらしい空気を発していそうな気がするもの。
待ち合わせ場所に着いて、携帯片手に那智さんを待つ。
早く来てくれないかな。
今日は年甲斐もなく白いワンピースなんて着ているから、ちょっと恥ずかしい。
いつも驚かされるから、キョロキョロしているけど、まだ来ていないみたい。
しばらく待ってみるけど、なかなか来ないからメールを打とうと携帯を打ち始めたら、知らない男性が近付いて来て何やら話しかけている。
「○○(聞き取れない)の人?」
「は?」
変な人だ、無視しよう。
再び、携帯に視線を移すけど、その男性はまだ私から離れてくれない。
「2万円で○○(聞き取れない)」
ああ、商売しているように見えたのね。
時々、こういう人に出会う(ヌード写真を30万円で撮らせてとかね、バイトしないとかね)。
今日は「いやらしい空気」を発散しているかもと思ったけど、ハズレてなかったみたい。
どうしようかと困った瞬間、那智さんが来てくれた。
よかった、ホッとしてその場から離れる。
どうやらしばらく眺めていたらしい。
最初は面白いから見ていたけど、しつこい男性だったから、つまんないけど助けに来てくれたのだ。
今日はどうするんだろう。
腕を組んで歩きながら、私は気が気じゃない。
朝から欲情していて、それが伝わっているから恥ずかしい。
さすがにこの間と同じことはしないでしょうから、ホテルの前を四つん這いはないと思う。
じゃあ、どこかでわんこ?
それとも、お外で遊ばずにホテルに行くのかしら。
私は、なんとなく今日はお外では何もないような気がしてきた。
期待(!)と不安で胸を膨らましていて、それに肩すかしをくらわすのも、那智さんの楽しみのひとつだしょうから、今日はそんなような気がしてきたのだ。
だから、マ○○○○ドに入ろうということになった瞬間も、まだ「コーヒーが飲みたいのね。」と呑気に思っていたのだった。
私の想像の少し上をいく那智さんが、ただコーヒーのために立ち寄るはずはないといまなら思える。
でも、その時の私はそんなこと想像もしていなかった。
つづく
うふふ、また引っ張ります〜^^
那智さんは毎朝メールをくれる。
それが「繋がっていいよ」の合図になっている。
ほとんどがタイトルに「おはよう」だけなんだけど、時々一言添えてくれたりする。
「今日から夏のスーツ」とか、「体調は?」(これは会った翌日に多い^^;体調を気遣うようなことしてるからね)とか。
「欲情しなさい」
久しぶりに会える日の朝、「おはよう」の爽やかな言葉にはそぐわない言葉が続いた。
「欲情しなさい」
私の針がブンっと振れる。
鞭が恐いとか、わんこになりたいとか、散々訴えて自分でもなんだか「ぐちゃぐちゃ欲情の渦」状態だったのは自覚していたから、それにとどめを刺す那智さんの言葉に、欲情の針が恥ずかしいくらい一気に振れてしまう。
気を付けないと、支度をする手を止めてこの欲情に浸ってしまいそう。
気持ちを現実にとどめるように努力する。
でも、本当はこの欲情してフワフワな状態もとても気持ち良くて、現実に戻ってしまうことが惜しい気もするから、微妙に欲情を残してみたり。
もう早く那智さんに会いたい。
こんな気持ちの微調整なんてしていたくない。
感情も欲情も、すべてを垂れ流して受け止めてもらえる那智さんに会いたい。
早く早くいやらしくはしたない那智さんのわんこになってしまいたい。
電話が鳴る、那智さんからだ。
声を聞いたら、もうダメ。
いますぐにでも変な私になっちゃう。
受話器越しに興奮していることが伝わるのか「随分欲情してるね〜」と那智さんが言う。
はい、その通りです、早くわんこにしてください。
あと一時間で会えるとわかっていても、そんなことより早く支度して出かけた方がいいのもわかっていても、揺れる腰が止められず、こんなお願いをしてしまう。
「触ってもいいですか?」
「ダメ」
もう、この否定も気持ちいい。
「今日はわんこになろうか、また四つん這いで歩く?それともわんこにしないで四つん這いになろうか?」
ああ、わんこ、嬉しい。
でも、わんこにならないで、わんこのようなことをしたことないから、それは恐い。
わんこはひとつの逃げ道だ。
逃避できる早道だ。
わんこになるのは、尻尾や首輪やリードを付けること。
おまじないのような儀式のような。
やってることは同じでも、それをするのとしないのでは、私の飛び越えないといけないハードルに差ができると思うの。
那智さんは、そのハードルを上げようとしているのかしら。
わんこがいいなと、欲情した心の片隅で思う。
そのまま電話を切り、支度を済ませて電車に乗る。
なんだかずっとフワフワしたまま。
こういう時は女性専用車両に乗ろう。
私、きっといやらしい空気を発していそうな気がするもの。
待ち合わせ場所に着いて、携帯片手に那智さんを待つ。
早く来てくれないかな。
今日は年甲斐もなく白いワンピースなんて着ているから、ちょっと恥ずかしい。
いつも驚かされるから、キョロキョロしているけど、まだ来ていないみたい。
しばらく待ってみるけど、なかなか来ないからメールを打とうと携帯を打ち始めたら、知らない男性が近付いて来て何やら話しかけている。
「○○(聞き取れない)の人?」
「は?」
変な人だ、無視しよう。
再び、携帯に視線を移すけど、その男性はまだ私から離れてくれない。
「2万円で○○(聞き取れない)」
ああ、商売しているように見えたのね。
時々、こういう人に出会う(ヌード写真を30万円で撮らせてとかね、バイトしないとかね)。
今日は「いやらしい空気」を発散しているかもと思ったけど、ハズレてなかったみたい。
どうしようかと困った瞬間、那智さんが来てくれた。
よかった、ホッとしてその場から離れる。
どうやらしばらく眺めていたらしい。
最初は面白いから見ていたけど、しつこい男性だったから、つまんないけど助けに来てくれたのだ。
今日はどうするんだろう。
腕を組んで歩きながら、私は気が気じゃない。
朝から欲情していて、それが伝わっているから恥ずかしい。
さすがにこの間と同じことはしないでしょうから、ホテルの前を四つん這いはないと思う。
じゃあ、どこかでわんこ?
それとも、お外で遊ばずにホテルに行くのかしら。
私は、なんとなく今日はお外では何もないような気がしてきた。
期待(!)と不安で胸を膨らましていて、それに肩すかしをくらわすのも、那智さんの楽しみのひとつだしょうから、今日はそんなような気がしてきたのだ。
だから、マ○○○○ドに入ろうということになった瞬間も、まだ「コーヒーが飲みたいのね。」と呑気に思っていたのだった。
私の想像の少し上をいく那智さんが、ただコーヒーのために立ち寄るはずはないといまなら思える。
でも、その時の私はそんなこと想像もしていなかった。
つづく
うふふ、また引っ張ります〜^^