ロマンチックなお話
独特な幸福感
一度だけ那智さんと旅行に行ったことがある。
たった一泊の旅行だったけど、とてもとても思い出に残る時間でした。
ワンピースの下は全裸で麻縄だったり、首輪を付けていたり、特急列車でフェラチオしたり、ネタとしては満載の旅だったのですが、それはちょっと置いといて(笑)。
数日前に降った初雪があちらこちらに根雪として残り、あと一週間もすれば本格的に雪が降り、一面雪原に変わる(らしい)、山の上のホテル。
そこではじめて本格的に鞭打ちをしたり、股縄をしたまま浴衣を着て夕食だったり、そんな過激な出来事はいつかお話しさせていただくことにして(笑)。
夕食の後、ホテルのスタッフが星座を案内してくれるというので、寒くないようにたくさん着込んで外に出てみました。
ホテルのある一角だけは明るいけれど、まさに一寸先は闇。
山頂のホテルの周りには、何もない。
四方がすべて下に向かっている。
その下りの山肌が、どこまで続いているかもわかない程の暗闇だ。
転げ落ちてしまおうか、なんだかわからない誘惑に駆られる。
離れないで、手を握っていて、でも、あなたが暗闇に行くなら、私も行く。
とにかく手を離さないで。
勝手に妄想して繋いだ手に力を入れてしまう。
見上げると満天の星空。
私は目が悪い。
普段コンタクトをしていても、それほど視力は上がらない。
だから、都会の星空で見える星なんて、限られている。
夜空にお砂糖をまぶしたような、キラキラと輝くお星様。
生まれてはじめて見た圧倒的な数の星は、吸い込まれそうなほどに美しい。
スタッフの案内なんて聞いているようで、聞いていない。
心は夜空。
そのうちに、みなさん引き上げて、私たちだけ腰掛けてしばらく星空のデート。
遠くに見える街の灯りや刺すような寒さを話題にしばらく夜空を見上げている。
ふと、視界に動く光りが映った。
「流れ星だ!」
一瞬の瞬きが、幻ではないかと確信を求めて那智さんに嬉々として聞く。
「流れ星見えましたか?」
「うん」
嬉しい。
はじめて見た流れ星を那智さんと見ることができた。
この瞬間を共有できた喜びに、流れ星に感謝した。
「永遠」とか「奇跡」とか、恥ずかしくて口にできないような言葉を思い描いてしまう時間でした。
それから、那智さんはもう一回流れ星を見るまでは中に入らないと、意地っ張りの本領発揮!
寒がりな私は震えながら、いろんな意味で、もう一度流れ星を待ち焦がれるのでした。
一度だけ那智さんと旅行に行ったことがある。
たった一泊の旅行だったけど、とてもとても思い出に残る時間でした。
ワンピースの下は全裸で麻縄だったり、首輪を付けていたり、特急列車でフェラチオしたり、ネタとしては満載の旅だったのですが、それはちょっと置いといて(笑)。
数日前に降った初雪があちらこちらに根雪として残り、あと一週間もすれば本格的に雪が降り、一面雪原に変わる(らしい)、山の上のホテル。
そこではじめて本格的に鞭打ちをしたり、股縄をしたまま浴衣を着て夕食だったり、そんな過激な出来事はいつかお話しさせていただくことにして(笑)。
夕食の後、ホテルのスタッフが星座を案内してくれるというので、寒くないようにたくさん着込んで外に出てみました。
ホテルのある一角だけは明るいけれど、まさに一寸先は闇。
山頂のホテルの周りには、何もない。
四方がすべて下に向かっている。
その下りの山肌が、どこまで続いているかもわかない程の暗闇だ。
転げ落ちてしまおうか、なんだかわからない誘惑に駆られる。
離れないで、手を握っていて、でも、あなたが暗闇に行くなら、私も行く。
とにかく手を離さないで。
勝手に妄想して繋いだ手に力を入れてしまう。
見上げると満天の星空。
私は目が悪い。
普段コンタクトをしていても、それほど視力は上がらない。
だから、都会の星空で見える星なんて、限られている。
夜空にお砂糖をまぶしたような、キラキラと輝くお星様。
生まれてはじめて見た圧倒的な数の星は、吸い込まれそうなほどに美しい。
スタッフの案内なんて聞いているようで、聞いていない。
心は夜空。
そのうちに、みなさん引き上げて、私たちだけ腰掛けてしばらく星空のデート。
遠くに見える街の灯りや刺すような寒さを話題にしばらく夜空を見上げている。
ふと、視界に動く光りが映った。
「流れ星だ!」
一瞬の瞬きが、幻ではないかと確信を求めて那智さんに嬉々として聞く。
「流れ星見えましたか?」
「うん」
嬉しい。
はじめて見た流れ星を那智さんと見ることができた。
この瞬間を共有できた喜びに、流れ星に感謝した。
「永遠」とか「奇跡」とか、恥ずかしくて口にできないような言葉を思い描いてしまう時間でした。
それから、那智さんはもう一回流れ星を見るまでは中に入らないと、意地っ張りの本領発揮!
寒がりな私は震えながら、いろんな意味で、もう一度流れ星を待ち焦がれるのでした。
本当に独り言です。
独特な幸福感
「焦がれる」と辞書で引いてみる。
「深く こいしたう」と書いてあった。
那智さんと知り合って数年経つのに、私はまだ那智さんに焦がれている。
それは「まだ」というより、日を追うごとに増しているといった方が正しい。
先日の記事の「遠出しました」のとき那智さんは何気なく言った。
「りん子、俺のこともっと好きになっちゃったんじゃない?」
根拠はないようだ。
でも那智さんは、自分の感覚を信じて自信を持っている人だから、何かしら確信したのだろう。
そして、私はいつも、その確信と同じように心が動く。
気付くのに、時差は色々ですけど。
暗示?魔法?(今更何言っていると叱られそう)
疑いたくなるほど、心が動く。
他者が見て、例え暗示だったとしても、かまわない。
私は確実に、幸せになっている。
強く、自由になっている。
あの「遠出」のときの、気が狂いそうな気持ちよさに焦がれているだけの欲情だろうか。
正直に言えば、それもある。
私は、心も体も那智さんから離れられないのだろう。
でも、あの感覚ももう一度味わいたいということで、焦がれているわけではない。
あれをもたらすことができる那智さんという存在を切望していると、理解していただきたいです。
声を聞いただけで、涙が出てしまう思いは欲情では計れないと思いたい。
那智さん、私はあなたに焦がれています。
安心も欲情も幸福も涙も、すべてあなたがもたらしてくれること。
髪を撫で、手を握り、唾液を注ぎ込んで、あなたに抱かれたい。
那智さんとの「出会い」の続き、書こうと思ったけど今日のテンションは違いました!
明日は集中できるかな。
「焦がれる」と辞書で引いてみる。
「深く こいしたう」と書いてあった。
那智さんと知り合って数年経つのに、私はまだ那智さんに焦がれている。
それは「まだ」というより、日を追うごとに増しているといった方が正しい。
先日の記事の「遠出しました」のとき那智さんは何気なく言った。
「りん子、俺のこともっと好きになっちゃったんじゃない?」
根拠はないようだ。
でも那智さんは、自分の感覚を信じて自信を持っている人だから、何かしら確信したのだろう。
そして、私はいつも、その確信と同じように心が動く。
気付くのに、時差は色々ですけど。
暗示?魔法?(今更何言っていると叱られそう)
疑いたくなるほど、心が動く。
他者が見て、例え暗示だったとしても、かまわない。
私は確実に、幸せになっている。
強く、自由になっている。
あの「遠出」のときの、気が狂いそうな気持ちよさに焦がれているだけの欲情だろうか。
正直に言えば、それもある。
私は、心も体も那智さんから離れられないのだろう。
でも、あの感覚ももう一度味わいたいということで、焦がれているわけではない。
あれをもたらすことができる那智さんという存在を切望していると、理解していただきたいです。
声を聞いただけで、涙が出てしまう思いは欲情では計れないと思いたい。
那智さん、私はあなたに焦がれています。
安心も欲情も幸福も涙も、すべてあなたがもたらしてくれること。
髪を撫で、手を握り、唾液を注ぎ込んで、あなたに抱かれたい。
那智さんとの「出会い」の続き、書こうと思ったけど今日のテンションは違いました!
明日は集中できるかな。
厄介な女
独特な幸福感
平野 啓一郎さんの「顔のない裸体たち」を読んだ。
ずっと前に「トパーズ」を読んだときも同じだ。
なんだか悲しくなっちゃうんだ。
人が見たら同じようなことしているかもしれない自分は違うと堂々と言えるはずなのに、なんだか悲しくなってしまう。
裸を露出できる女性を嫌悪し、でも、それをしてしまう心理の暗い部分に感化されるような、嫌な気分。
こうなると那智さんにすくい上げてもらわないとダメなの。
厄介な女です。
以前も「牝豚奴隷調教日記」みたいなサイトを見つけ、どうしても愛情がなくただ女性を見下して嘲笑うだけにしか見えなくて、それを受け入れているであろう女性を見ているうちに、悲しくなって泣きついたことがありました。
りん子が悲しくなってしまうなら今後そういうサイトは見てはいけない、その変わり精神的な部分で共感したいなら、このHPだけを見ればいい、とあるサイトを教えてもらいました。
「主従関係」を説いているそのサイトは、私の心を穏やかにしてくれました。
以来、防衛も込めて、そういうものに触れないようにしていたのに、平野 啓一郎さんの本でもそうなってしまうなんて、まだまだ弱いなあ。
そのサイトの管理人の方と、少し親しくさせていただいて楽しい時間も過ごしました。
お互い大切なパートナーがいる者同士という、安定した立場で付き合える貴重な空間です。
で、実はこのブログをその人に紹介してしまいました。
匿名の世界とはいえ、信頼している人の批評を知りたくて。
頭の良い、しっかりとした考え方をお持ちで、那智さんの考えとも通ずるその人の批評。
照れ臭いし、自由に書けないかなと、はじめはお知らせすることをためらっていましたが、ここで私は自由でいられると自信のようなものを持てるようになったので、思い切って。
「顔のない裸体たち」モザイクをかけている女性は裸を晒している。
私は、この場所で、人生の大事な片鱗を吐き出している。
きっと似ているけれど違う。
そして私のすべては、那智さんにだけ見てもらう。
さっき、悲しくなったから「甘えてメール、私のこと愛している?」って送ったら、これを書いている最中に、電話が掛かってきました。
開口一番、呆れた声で「愛してるよ。」
どんなに呆れた声でも、大丈夫。
那智さんが、返事をくれるときは「甘えていいよ」のサインだから、受話器の向こうでキーボードを打つお仕事中の気配が伝わってきても、「ふ〜ん。」くらいしか返答がなくても「本読んで、悲しくなっちゃいました〜。」と半べそで訴えても良いのです。
訴えても良いという、安心感。
もちろんダメなときは「ダメ」って言われるから、そのときは大人しく我慢です。
平野 啓一郎さんの「顔のない裸体たち」を読んだ。
ずっと前に「トパーズ」を読んだときも同じだ。
なんだか悲しくなっちゃうんだ。
人が見たら同じようなことしているかもしれない自分は違うと堂々と言えるはずなのに、なんだか悲しくなってしまう。
裸を露出できる女性を嫌悪し、でも、それをしてしまう心理の暗い部分に感化されるような、嫌な気分。
こうなると那智さんにすくい上げてもらわないとダメなの。
厄介な女です。
以前も「牝豚奴隷調教日記」みたいなサイトを見つけ、どうしても愛情がなくただ女性を見下して嘲笑うだけにしか見えなくて、それを受け入れているであろう女性を見ているうちに、悲しくなって泣きついたことがありました。
りん子が悲しくなってしまうなら今後そういうサイトは見てはいけない、その変わり精神的な部分で共感したいなら、このHPだけを見ればいい、とあるサイトを教えてもらいました。
「主従関係」を説いているそのサイトは、私の心を穏やかにしてくれました。
以来、防衛も込めて、そういうものに触れないようにしていたのに、平野 啓一郎さんの本でもそうなってしまうなんて、まだまだ弱いなあ。
そのサイトの管理人の方と、少し親しくさせていただいて楽しい時間も過ごしました。
お互い大切なパートナーがいる者同士という、安定した立場で付き合える貴重な空間です。
で、実はこのブログをその人に紹介してしまいました。
匿名の世界とはいえ、信頼している人の批評を知りたくて。
頭の良い、しっかりとした考え方をお持ちで、那智さんの考えとも通ずるその人の批評。
照れ臭いし、自由に書けないかなと、はじめはお知らせすることをためらっていましたが、ここで私は自由でいられると自信のようなものを持てるようになったので、思い切って。
「顔のない裸体たち」モザイクをかけている女性は裸を晒している。
私は、この場所で、人生の大事な片鱗を吐き出している。
きっと似ているけれど違う。
そして私のすべては、那智さんにだけ見てもらう。
さっき、悲しくなったから「甘えてメール、私のこと愛している?」って送ったら、これを書いている最中に、電話が掛かってきました。
開口一番、呆れた声で「愛してるよ。」
どんなに呆れた声でも、大丈夫。
那智さんが、返事をくれるときは「甘えていいよ」のサインだから、受話器の向こうでキーボードを打つお仕事中の気配が伝わってきても、「ふ〜ん。」くらいしか返答がなくても「本読んで、悲しくなっちゃいました〜。」と半べそで訴えても良いのです。
訴えても良いという、安心感。
もちろんダメなときは「ダメ」って言われるから、そのときは大人しく我慢です。
訂正します!
独特な幸福感
「幸せな便器」。
元々自嘲気味な冗談として付けた名前でしたが、那智さんからダメって言われました。
「便器」という響きに愛情が感じられないからだそうです。
いつも、私におしっこを飲ませるときには、愛情表現として「飲ませたい」と思ってしているから飲ませるそうです。
そして、最近新たに芽生えた「面倒な時に飲ませる」感覚は、「飲ませてあげる」に近いようです。
基本的に、飲ませたいと思って、適量だと判断したときに飲ませる。
でも、那智さん自身が飲ませたいという動機ではなく、面倒だなと思って適量の場合のみ「飲ませてあげる」という位置づけです。
この「適量」がポイントのようです。
まあ、無理矢理大量摂取という愛情表現も、バリエーションとしてなくはないですが。
だから、私を「便器」として扱う感覚はないようです。
便器におしっこをする場合は、飲める量なんて考えないですものね。
愛するものを対象にしたとき、「便器」という表現は冗談でもそぐわないとのご意見でした。
私も、那智さんの言っていることを、感覚でしか理解できていないから、文章にするなんて難しい。
読んでいる方にニュアンスが伝われば良いのですが・・。
ということで、名称を変えるか、もしくは話題自体が違う角度からになって名称が必要なくなるかになると思います。
変えるとしたら、何てしようと、思案中です。
「幸せな便器」。
元々自嘲気味な冗談として付けた名前でしたが、那智さんからダメって言われました。
「便器」という響きに愛情が感じられないからだそうです。
いつも、私におしっこを飲ませるときには、愛情表現として「飲ませたい」と思ってしているから飲ませるそうです。
そして、最近新たに芽生えた「面倒な時に飲ませる」感覚は、「飲ませてあげる」に近いようです。
基本的に、飲ませたいと思って、適量だと判断したときに飲ませる。
でも、那智さん自身が飲ませたいという動機ではなく、面倒だなと思って適量の場合のみ「飲ませてあげる」という位置づけです。
この「適量」がポイントのようです。
まあ、無理矢理大量摂取という愛情表現も、バリエーションとしてなくはないですが。
だから、私を「便器」として扱う感覚はないようです。
便器におしっこをする場合は、飲める量なんて考えないですものね。
愛するものを対象にしたとき、「便器」という表現は冗談でもそぐわないとのご意見でした。
私も、那智さんの言っていることを、感覚でしか理解できていないから、文章にするなんて難しい。
読んでいる方にニュアンスが伝われば良いのですが・・。
ということで、名称を変えるか、もしくは話題自体が違う角度からになって名称が必要なくなるかになると思います。
変えるとしたら、何てしようと、思案中です。
桜の記憶
独特な幸福感
はじめてのお花見は、満開をすぎた四月最初の週末。
私は満開のころよりも、それを過ぎ散る桜が好きだ。
はじめて行くそのお花見スポットは、テラスを開け放ったレストランがあり、そこで桜を見ながらお食事ができる。
二階のテラスは、桜を見上げるのではなく目線と同じ高さでみることができて、新鮮だ。
贅沢な気分になって、一緒に楽しくランチを食べる。
そのあと、庭園に降りてお散歩。
牡丹雪のように、絶え間なく落ちる桜の美しさにため息がもれる。
最後の力を振り絞るように、舞い散る桜。
終焉を迎える物悲しさを上回る圧倒的な迫力は、目眩を起こしそうなほど美しい。
腕を組んで歩く。
桜に見惚れて、一瞬立ち止まる私は、組んだ腕を解いてしまう。
ふと、なつかしいような、不安なような、心許ない気持ちに襲われる。
那智さんは、先を歩いている。
この心許なさは、迷子の私の記憶だ。
決して孤独な人生だったわけではない、でも、私はずっと迷子だった。
いつもかすかな不安を抱えた迷子だった。
そのころを思い出し急に不安になって、暗闇を覗くように立ち止まったまま、動けない。
顔を上げると、視界に那智さんの背中が映る。
動かない私を不思議に思って、立ち止まり振り返る那智さん。
大丈夫。
私には那智さんがいる。
駆け寄って手を繋ぐ。
もう私は迷子じゃない。
「那智さんにくっついていれば、大丈夫だよ。」
迷子だった私にそっと語りかけ、繋いだ手にそっと力を込める。
安心して見る桜は美しい。
桜は同じはずなのに、彩り豊かに目に映る。
はじめてのお花見は、満開をすぎた四月最初の週末。
私は満開のころよりも、それを過ぎ散る桜が好きだ。
はじめて行くそのお花見スポットは、テラスを開け放ったレストランがあり、そこで桜を見ながらお食事ができる。
二階のテラスは、桜を見上げるのではなく目線と同じ高さでみることができて、新鮮だ。
贅沢な気分になって、一緒に楽しくランチを食べる。
そのあと、庭園に降りてお散歩。
牡丹雪のように、絶え間なく落ちる桜の美しさにため息がもれる。
最後の力を振り絞るように、舞い散る桜。
終焉を迎える物悲しさを上回る圧倒的な迫力は、目眩を起こしそうなほど美しい。
腕を組んで歩く。
桜に見惚れて、一瞬立ち止まる私は、組んだ腕を解いてしまう。
ふと、なつかしいような、不安なような、心許ない気持ちに襲われる。
那智さんは、先を歩いている。
この心許なさは、迷子の私の記憶だ。
決して孤独な人生だったわけではない、でも、私はずっと迷子だった。
いつもかすかな不安を抱えた迷子だった。
そのころを思い出し急に不安になって、暗闇を覗くように立ち止まったまま、動けない。
顔を上げると、視界に那智さんの背中が映る。
動かない私を不思議に思って、立ち止まり振り返る那智さん。
大丈夫。
私には那智さんがいる。
駆け寄って手を繋ぐ。
もう私は迷子じゃない。
「那智さんにくっついていれば、大丈夫だよ。」
迷子だった私にそっと語りかけ、繋いだ手にそっと力を込める。
安心して見る桜は美しい。
桜は同じはずなのに、彩り豊かに目に映る。