彼岸の入り
独特な幸福感
もう数年経つ。
注:今日は文中リンクが多いです。けっこう重い話にリンクしてありますが、これも「薬指の刺青」の特色と思ってお楽しみいただければ、嬉しいです。
あ、でも、本文はいつもの感じ^^;
那智さんのお仕事の環境が変わって会う頻度が極端に減った1年。(「ノロケとトホホなお話」などなど)
会えるのは、片道2時間かけてのランチだけ。
お仕事場でお仕事してるそばに1時間。
夜、物凄い遠回りをしてわたしの家の近くまで来てくれて、わずかな時間抱き合う。
振り返れば1年なんだけど、いつその環境が変わるかわからない、不安な1年間だった。
それでも、別れるとか、他で代用しようなんて、微塵も思わなかった。
あの、安心をもらうだけでいい。
わたしは片道2時間、それだけのために通った。
ちょうど同じ時期に父の癌が発覚して闘病を始めた。
皮肉にも那智さんに会えないことが、逆に父に思い切り時間を割けるという効果をもたらし、最終的に悔いることなく父を見送ることができたのだ。
散々迷惑をかけられた父だったが、不思議なことになんの思惑もなく、思う存分看病できた。
それは、那智さんの存在が大きく、また、母や姉と上手に連携できたことも感謝するところだ。
何より、非常に、子供のようでまわりに迷惑ばかりかけ、わたしと相性の悪い(よく考えたら、もしかして似たもの同士なのかもしれない^^;)、おねえちゃんばっかり可愛がる父だったが、基本悪い人間ではなかったので、どこかに「愛すべき」部分があったのだろう。(「私について(父性とシスターコンプレックス)」辺りを読むと更に面白い!?)
ただただ、子供のような人だったというだけ。
だから、弱ってしまったら、こちらは一生懸命になれてしまったのかな。
ああ、長くなっちゃった^^;(この先も長いです!)
那智さんに会えない、その頃。
わたしは少しずつ「可愛い」ものを自分に許すようになっていた。(「ピンク」)
ピンクの手帳、フリルの付いた日傘。
ある日、縄がほしいと思った。
那智さんは麻縄とオレンジのロープを持っていたけど、ピンク色がほしいと思ったのだ。
可愛らしいものでわたしを縛ってほしい、次いつその機会が訪れるかわからないけど。
だからこそ、その日を待つモチベーションとしても、それを持っていたい。
お守りのうように。
そう思って手芸屋さんに行った。
何種類も何色も陳列された棚を前にして、自分の見切り発車を恨む(笑)
太さや色は、とりあえずいい。
でも、長さがわからなかった。
いつも縛られてるくせに、それが何mか、皆目見当がつかない^^;
いかに那智さん任せかということが身にしみた。
5m?6m?でも、そんな長さ買うの変だよね?そんな長い紐の使い道って、そんなないよね?
店員さんに長さを申告するのにどうしたら良いかわからずに、ぐるぐるした結果、わたしの過剰な自意識と羞恥心が「3m」と告げた。
それからどのくらい経ってからだろうか、その、可愛らしいベビーピンクの綿ロープを使えることができる日が来た。
那智さんのお仕事環境は相変わらずなのだけど、ちょっとイレギュラーにお昼から自由な時間が取れることになったのだ。
すっごく嬉しい。
だって半年ぶりくらいにゆっくり会えるのだもの。
仕事場に片隅でいつ誰が来るかとヒヤヒヤしながら一瞬抱かれる、ランチで足を踏んでもらう、そんなことがいつまで続くかわからない中、数時間一緒にいられるのだもの。
那智さんに、いろんなことしてもらって、抱き合って、皮膚の感触を味わいたい。
実は、そのとき、父の容態がおもわしくなくて、前々日も「今夜が峠」と呼び出されていたのだ。
でも、背に腹は代えられない、千載一遇のこのチャンスを逃したくない(笑)
お父さん、いいよね。
わたし、昨日も今朝も意識のないあなたに付き添っていたのだものね。
ちょっと父に詫びながら、でも、やっぱり心はスキップ。
万が一と、わたしの地元のほうまで来てくれて、携帯の電波の入るホテルを選んでくれる。
久しぶりに入るホテルは、なんだか照れ臭い。
ああ、でも、早く、早く那智さんに抱きしめてほしい。
ぐちゃぐちゃにされて、那智さんでいっぱいにしてほしい。
ホテルに入り、まず。
「那智さん、これ、使ってください。」
自分の縛る縄を自分で選んで、差し出す。
なんて甘美な瞬間。
「えー!?これ短過ぎだよ。」
あ〜あ、やっぱりそうでしたか…。
「わからなくて、恥ずかしいから3mにしちゃいました。」
「いつも使ってるのは10mだよ。」
げげ、そんなに長いものなのですか!?
いや、でも、知ってても、あまりのあり得ない長さに申告できなかったわ。
甘美な瞬間はあっけなく打ち砕かれ、それでも、久しぶりの喜びで、これまたあっけなく気持ちは「そっち」に^^;
「じゃ、これ使ってあげるね。短いから胸のところだけ。」
そういって、ベビーピンクのロープで胸を絞り出すように拘束する。
嬉しい、ちょっと恥ずかしい。
自由な手はオレンジのロープで後ろ手に縛られた。
わたしの上半身は一気に不自由。
でも、那智さんの手によって自由を奪われることの、なんて幸せなこと。
久しぶりだからだろうか。
すぐ那智さんも裸になりベッドに腰掛けて、わたしは足下にしゃがみお口を使わせた。
このまま抱くんだ。
「上になって。」
ベッドに横になり那智さんが指示。
いきなり上になるの?恥ずかしいな。
でも、そんな状態すら久しぶりで、恥ずかしいけど嬉しい。
はやる気持ちを抑え、那智さんの上に跨がる。
ああ、気持ち良い。
不自由な上半身ではバランスが取りにくく、ぎこちない動きで、それでも恥ずかしいほど、腰は必死だ。
嬉しい、那智さん、こうしてほしかったのです、とても、とても。
あなたに抱かれたかった。
喜びと快感に浸りかけた、そのとき。
「ブ〜〜〜〜ン、ブ〜〜〜〜ン」
え?バイブレーター!?
…携帯?
動きを緩め、テーブルの上にあるそれを見据える。
「ブ〜〜〜〜ン、ブ〜〜〜〜ン。」
わたしの携帯だ!!!!!
普段、あまり携帯の鳴らないわたしの、このときのそれは、絶対「父関係」だ!!!!!
携帯、取らなきゃ!!
でも…でも、無理、無理。
これじゃ出られないよ!!!!
那智さんとわたし繋がったまま、しかもわたし手縛られてる…。
己の姿を鑑みて、いますぐ電話に出られる状態じゃないことを悟り、慌てる。
ベビーピンクで絞り出された胸とブルブル震える携帯を交互に見て、ただただ慌てる。
「ブ〜〜〜〜ン、…」
切れた。
「那智さん!!きっと、父です。母からだと思います。とにかく解いてください。」
そういって、両手を自由にしてもらい着信履歴を見ると、やはり母の携帯からだった。
急いで掛け直すけど、通じない。
あわあわするわたしに「もし何かあったら、絶対かけてきてくれるでしょ。あちらは病院なのだろうから、あまりこちらからかけないほうがいい。」そう落ち着かせてくれる。
父に何かあったのだろうか。
そのまま数秒、携帯を見つめるものの、音沙汰ない。
「おいで」
那智さんが、また、わたしを呼んだ。
さっきの続き。
那智さんは、こういうとき、敢えて何もなかったようにしてくれるのだ。
重大なことは、重大なこととして目の前に迫ってきたら、対処する。
いまどうすることもできないのなら、それで心を痛める必要はないという感じ。
冷たい反応かな、でも、こういうとき、一緒になって慌てたり沈んだりしてくれないほうが、わたしはありがたい。(単に続きがしたいだけ、なんて思わないでね^^)
今度は自由なまま、また那智さんに跨がる。
自由な分、さっきより快感も大きくなるはずだ。
ゆっくりと腰を動かす。
「ブ〜〜〜〜ン、ブ〜〜〜〜ン」
ぎゃーーーー、まただ。
慌てて那智さんから飛び退き、携帯を握る。
裸のまま、ベビーピンクで拘束され。
ああ、身も蓋もない姿。
留守電に切り替わっていて、そこには父が息を引き取ったことと病院に来るようにと告げられていた。
脱力。
悔いはない。
今朝まで付き添っていたから看取れなかったこともいい。
ずっと苦しそうだったから、むしろ楽になれてホッとしているくらいだった。
でも、でも、お父さん、もうちょっと待ってくれてもいいんじゃない!?
ホテルに入って20分よ。
お父さんが楽になるようにって、先生たちに引かれながらもモルヒネを多くしてもらうように、高タンパク高カロリーの点滴をやめてもらったじゃない。
全身全霊であなたに付き添ったじゃない。
せめて、あと、2時間、我慢してほしかったよ〜。
だって、ホテル入って20分よ。
まったく、最後の最後まで、わたしを苦しめるのね(笑)
あまりのタイミングの悪さに涙なんか出やしない。
ベビーピンクのわたしを抱きしめ「俺が一緒のときで、俺はよかった」そういって髪を撫でてくれる。
そしたら、涙がポロポロっと出て来た.
「ごめんなさい、行かなきゃ。とにかく電話しなきゃ。」
「まず、落ち着いて着替えて、それから電話しな。言い方は悪いけど、もう亡くなっているなら一分一秒を争うこともないでしょ。」
着替えて電話して、最後にもう一度抱きしめてもらって、わたしだけタクシーに乗る。
タクシーの運転手さんに話しかける。
「いま、父が亡くなったんですよ。だけど、わたし、一生懸命看病したから悔いないんだ。」
わずか20分間の逢瀬。
那智さんには、申し訳なかったけど、なんだか、父とわたしらしいなとひとり苦笑い。
死に行く人には誠心誠意尽くす。
悲しいけど、悔いが残らない心地良さを、一緒に看病した母と姉がわたしに教えてくれた。
そして、お父さん、わたし、お父さんが死んじゃうとき、大好きな人に抱かれていたからねと、不謹慎にも報告する。
きっと、親不孝な娘だと、下ネタが好きだった父は笑ってくれると思ってる。
タクシーの運転手さんは、戸惑いながらも声をかけてくれる。
なんだか、いろんなことにお礼を言いたい気持ちでタクシーに揺られていた。
もう、数年経つから、いいかな。
不謹慎なお話でした。
もうすぐお彼岸。
故人の供養は、その人を思い出すことといいますよね。
昨日お墓参りしてきました。
「お父さん、あのときのことブログに書くけど、いいよね。」と手を合わせてきました。
きっと、いいって言ってくれてるよね、お父さん^^
もう数年経つ。
注:今日は文中リンクが多いです。けっこう重い話にリンクしてありますが、これも「薬指の刺青」の特色と思ってお楽しみいただければ、嬉しいです。
あ、でも、本文はいつもの感じ^^;
那智さんのお仕事の環境が変わって会う頻度が極端に減った1年。(「ノロケとトホホなお話」などなど)
会えるのは、片道2時間かけてのランチだけ。
お仕事場でお仕事してるそばに1時間。
夜、物凄い遠回りをしてわたしの家の近くまで来てくれて、わずかな時間抱き合う。
振り返れば1年なんだけど、いつその環境が変わるかわからない、不安な1年間だった。
それでも、別れるとか、他で代用しようなんて、微塵も思わなかった。
あの、安心をもらうだけでいい。
わたしは片道2時間、それだけのために通った。
ちょうど同じ時期に父の癌が発覚して闘病を始めた。
皮肉にも那智さんに会えないことが、逆に父に思い切り時間を割けるという効果をもたらし、最終的に悔いることなく父を見送ることができたのだ。
散々迷惑をかけられた父だったが、不思議なことになんの思惑もなく、思う存分看病できた。
それは、那智さんの存在が大きく、また、母や姉と上手に連携できたことも感謝するところだ。
何より、非常に、子供のようでまわりに迷惑ばかりかけ、わたしと相性の悪い(よく考えたら、もしかして似たもの同士なのかもしれない^^;)、おねえちゃんばっかり可愛がる父だったが、基本悪い人間ではなかったので、どこかに「愛すべき」部分があったのだろう。(「私について(父性とシスターコンプレックス)」辺りを読むと更に面白い!?)
ただただ、子供のような人だったというだけ。
だから、弱ってしまったら、こちらは一生懸命になれてしまったのかな。
ああ、長くなっちゃった^^;(この先も長いです!)
那智さんに会えない、その頃。
わたしは少しずつ「可愛い」ものを自分に許すようになっていた。(「ピンク」)
ピンクの手帳、フリルの付いた日傘。
ある日、縄がほしいと思った。
那智さんは麻縄とオレンジのロープを持っていたけど、ピンク色がほしいと思ったのだ。
可愛らしいものでわたしを縛ってほしい、次いつその機会が訪れるかわからないけど。
だからこそ、その日を待つモチベーションとしても、それを持っていたい。
お守りのうように。
そう思って手芸屋さんに行った。
何種類も何色も陳列された棚を前にして、自分の見切り発車を恨む(笑)
太さや色は、とりあえずいい。
でも、長さがわからなかった。
いつも縛られてるくせに、それが何mか、皆目見当がつかない^^;
いかに那智さん任せかということが身にしみた。
5m?6m?でも、そんな長さ買うの変だよね?そんな長い紐の使い道って、そんなないよね?
店員さんに長さを申告するのにどうしたら良いかわからずに、ぐるぐるした結果、わたしの過剰な自意識と羞恥心が「3m」と告げた。
それからどのくらい経ってからだろうか、その、可愛らしいベビーピンクの綿ロープを使えることができる日が来た。
那智さんのお仕事環境は相変わらずなのだけど、ちょっとイレギュラーにお昼から自由な時間が取れることになったのだ。
すっごく嬉しい。
だって半年ぶりくらいにゆっくり会えるのだもの。
仕事場に片隅でいつ誰が来るかとヒヤヒヤしながら一瞬抱かれる、ランチで足を踏んでもらう、そんなことがいつまで続くかわからない中、数時間一緒にいられるのだもの。
那智さんに、いろんなことしてもらって、抱き合って、皮膚の感触を味わいたい。
実は、そのとき、父の容態がおもわしくなくて、前々日も「今夜が峠」と呼び出されていたのだ。
でも、背に腹は代えられない、千載一遇のこのチャンスを逃したくない(笑)
お父さん、いいよね。
わたし、昨日も今朝も意識のないあなたに付き添っていたのだものね。
ちょっと父に詫びながら、でも、やっぱり心はスキップ。
万が一と、わたしの地元のほうまで来てくれて、携帯の電波の入るホテルを選んでくれる。
久しぶりに入るホテルは、なんだか照れ臭い。
ああ、でも、早く、早く那智さんに抱きしめてほしい。
ぐちゃぐちゃにされて、那智さんでいっぱいにしてほしい。
ホテルに入り、まず。
「那智さん、これ、使ってください。」
自分の縛る縄を自分で選んで、差し出す。
なんて甘美な瞬間。
「えー!?これ短過ぎだよ。」
あ〜あ、やっぱりそうでしたか…。
「わからなくて、恥ずかしいから3mにしちゃいました。」
「いつも使ってるのは10mだよ。」
げげ、そんなに長いものなのですか!?
いや、でも、知ってても、あまりのあり得ない長さに申告できなかったわ。
甘美な瞬間はあっけなく打ち砕かれ、それでも、久しぶりの喜びで、これまたあっけなく気持ちは「そっち」に^^;
「じゃ、これ使ってあげるね。短いから胸のところだけ。」
そういって、ベビーピンクのロープで胸を絞り出すように拘束する。
嬉しい、ちょっと恥ずかしい。
自由な手はオレンジのロープで後ろ手に縛られた。
わたしの上半身は一気に不自由。
でも、那智さんの手によって自由を奪われることの、なんて幸せなこと。
久しぶりだからだろうか。
すぐ那智さんも裸になりベッドに腰掛けて、わたしは足下にしゃがみお口を使わせた。
このまま抱くんだ。
「上になって。」
ベッドに横になり那智さんが指示。
いきなり上になるの?恥ずかしいな。
でも、そんな状態すら久しぶりで、恥ずかしいけど嬉しい。
はやる気持ちを抑え、那智さんの上に跨がる。
ああ、気持ち良い。
不自由な上半身ではバランスが取りにくく、ぎこちない動きで、それでも恥ずかしいほど、腰は必死だ。
嬉しい、那智さん、こうしてほしかったのです、とても、とても。
あなたに抱かれたかった。
喜びと快感に浸りかけた、そのとき。
「ブ〜〜〜〜ン、ブ〜〜〜〜ン」
え?バイブレーター!?
…携帯?
動きを緩め、テーブルの上にあるそれを見据える。
「ブ〜〜〜〜ン、ブ〜〜〜〜ン。」
わたしの携帯だ!!!!!
普段、あまり携帯の鳴らないわたしの、このときのそれは、絶対「父関係」だ!!!!!
携帯、取らなきゃ!!
でも…でも、無理、無理。
これじゃ出られないよ!!!!
那智さんとわたし繋がったまま、しかもわたし手縛られてる…。
己の姿を鑑みて、いますぐ電話に出られる状態じゃないことを悟り、慌てる。
ベビーピンクで絞り出された胸とブルブル震える携帯を交互に見て、ただただ慌てる。
「ブ〜〜〜〜ン、…」
切れた。
「那智さん!!きっと、父です。母からだと思います。とにかく解いてください。」
そういって、両手を自由にしてもらい着信履歴を見ると、やはり母の携帯からだった。
急いで掛け直すけど、通じない。
あわあわするわたしに「もし何かあったら、絶対かけてきてくれるでしょ。あちらは病院なのだろうから、あまりこちらからかけないほうがいい。」そう落ち着かせてくれる。
父に何かあったのだろうか。
そのまま数秒、携帯を見つめるものの、音沙汰ない。
「おいで」
那智さんが、また、わたしを呼んだ。
さっきの続き。
那智さんは、こういうとき、敢えて何もなかったようにしてくれるのだ。
重大なことは、重大なこととして目の前に迫ってきたら、対処する。
いまどうすることもできないのなら、それで心を痛める必要はないという感じ。
冷たい反応かな、でも、こういうとき、一緒になって慌てたり沈んだりしてくれないほうが、わたしはありがたい。(単に続きがしたいだけ、なんて思わないでね^^)
今度は自由なまま、また那智さんに跨がる。
自由な分、さっきより快感も大きくなるはずだ。
ゆっくりと腰を動かす。
「ブ〜〜〜〜ン、ブ〜〜〜〜ン」
ぎゃーーーー、まただ。
慌てて那智さんから飛び退き、携帯を握る。
裸のまま、ベビーピンクで拘束され。
ああ、身も蓋もない姿。
留守電に切り替わっていて、そこには父が息を引き取ったことと病院に来るようにと告げられていた。
脱力。
悔いはない。
今朝まで付き添っていたから看取れなかったこともいい。
ずっと苦しそうだったから、むしろ楽になれてホッとしているくらいだった。
でも、でも、お父さん、もうちょっと待ってくれてもいいんじゃない!?
ホテルに入って20分よ。
お父さんが楽になるようにって、先生たちに引かれながらもモルヒネを多くしてもらうように、高タンパク高カロリーの点滴をやめてもらったじゃない。
全身全霊であなたに付き添ったじゃない。
せめて、あと、2時間、我慢してほしかったよ〜。
だって、ホテル入って20分よ。
まったく、最後の最後まで、わたしを苦しめるのね(笑)
あまりのタイミングの悪さに涙なんか出やしない。
ベビーピンクのわたしを抱きしめ「俺が一緒のときで、俺はよかった」そういって髪を撫でてくれる。
そしたら、涙がポロポロっと出て来た.
「ごめんなさい、行かなきゃ。とにかく電話しなきゃ。」
「まず、落ち着いて着替えて、それから電話しな。言い方は悪いけど、もう亡くなっているなら一分一秒を争うこともないでしょ。」
着替えて電話して、最後にもう一度抱きしめてもらって、わたしだけタクシーに乗る。
タクシーの運転手さんに話しかける。
「いま、父が亡くなったんですよ。だけど、わたし、一生懸命看病したから悔いないんだ。」
わずか20分間の逢瀬。
那智さんには、申し訳なかったけど、なんだか、父とわたしらしいなとひとり苦笑い。
死に行く人には誠心誠意尽くす。
悲しいけど、悔いが残らない心地良さを、一緒に看病した母と姉がわたしに教えてくれた。
そして、お父さん、わたし、お父さんが死んじゃうとき、大好きな人に抱かれていたからねと、不謹慎にも報告する。
きっと、親不孝な娘だと、下ネタが好きだった父は笑ってくれると思ってる。
タクシーの運転手さんは、戸惑いながらも声をかけてくれる。
なんだか、いろんなことにお礼を言いたい気持ちでタクシーに揺られていた。
もう、数年経つから、いいかな。
不謹慎なお話でした。
もうすぐお彼岸。
故人の供養は、その人を思い出すことといいますよね。
昨日お墓参りしてきました。
「お父さん、あのときのことブログに書くけど、いいよね。」と手を合わせてきました。
きっと、いいって言ってくれてるよね、お父さん^^