電波
独特な幸福感
那智さんと私が使っている携帯は通話料無料の携帯。
定額でしゃべり放題だし、音声もとってもいいから携帯で話しているってことを気にしないで気楽にお話しができる大満足な携帯。
だけど、ひとつだけ難点があって、電波の悪い場所が多いのだ。
特に、私の家の中は電波の良い場所のほうが限られてるくらい。
当初の目論みとしては、キッチンで家事をしながらイヤホンマイクでずっと繋がり放題みたいなことだったんだけど、キッチンはアウト。
よくお話しする「パソコン部屋」も窓際の一角以外は、とても通じにくいので、同じ姿勢で同じ角度で同じ高さで話さないといけないので、ほんのちょっと骨が折れる。
フッと雑音も消える無音状態になって、会話が途切れ途切れになることが、しばしばあるの。
そういうときは「もしも〜し」と電話に向かって何度も呼びかけてしまう。
2、3度かけても繋がらないときもあるみたいで、こちらからしたらはじめてのコールでも、「よかったね〜、次かからなかったら、もう帰ろうと思ってたよ。」なんてギリギリセーフでおやすみコールをもらえたなんてことも時々。
この電波の悪さ、ほんとうに「電波」のせいだけじゃないんじゃないかって思うことがあるの。
あり得ないんだけど「私の興奮」が作用してるんじゃないかって。
「今度は、マ○○の3階から下まで四つん這いで歩くか。ペタペタって。」
「いやーープツン…ツー、ツー、ツー(電話が切れる)」
「今度、りん子にテレクラで女の子探させようかな。」
「そんな むり す どうや プツン…ツー、ツー、ツー(途切れ途切れで切れる)」
「男子トイレでおしっこできるように立ちションの練習しよっか!?」
「ひゃプツン…ツー、ツー、ツー、」
ほんとは「いやーーー」の後や「そんなのむりです!どうやって話すんですか!!」の後や「ひゃあああ」の後に、ああだこうだ話は広がりめくるめく電話タイムが続くはずなのに。
無音の受話器に向かって叫び続けるなんて、そんな虚しいことできないよ〜。
「…あ…」と寂しく一言声を発して、しれっとアンテナを眺めて、この途切れた興奮をトホホな感じで収めるときの情けない気分ったら…。
すぐ掛け直してもらっても、最初の「ピーン」と跳ね上がった興奮の再現は難しく、めくるめく楽しさは次回に持ち越しという残念なことになるの。
まあ、話が続けばどんどん具体的になっていってしまう危険性や、口にしたことは何年先でもする那智さんの性格を考えたら、都合良い解決方法でもあるのだけど。
想像するお遊びと実行のギリギリのところで冷や汗かきながら「あわあわ」するのは、それはそれで幸せなんだけどね。(結局実行に移されて大変なことになるわけですが)
まるで私の興奮が電波を遮断してしまっているようなタイミングに、残念なような安心なような、複雑な状態。
那智さんは自分の気持ちをあんまり話さない。
だから、私はいつもいろいろ質問して、嬉しいことばを聞き出したり、うっとりする材料にしたりするんだ。
「那智さん、私に飽きてないんですよね、数年経っても飽きないのは嬉しい?」
「そうだね、純粋に新鮮味としては減ってるはずなんだけどね。」
「新鮮味って?」
「ドキドキすることかな。」
「那智さん、ドキドキしてるんですか!?」
「まあ、減ったけどね。」
「じゃあ、いつごろいっぱいドキドキしてました!?」
「そうだな〜、た プツン…ツー、ツー、ツー」
そこで切れるか!?
「た」の次はなに、なんだったの!?
こういうの滅多に聞けないんだから、するするっと良い気分で聞きたかったのにー!!
電波の悪いのは私の興奮だけじゃなくて、那智さんの意地悪も作用してるのかもしれないって思うわ。
意志持ってるの?私の携帯。
那智さんと私が使っている携帯は通話料無料の携帯。
定額でしゃべり放題だし、音声もとってもいいから携帯で話しているってことを気にしないで気楽にお話しができる大満足な携帯。
だけど、ひとつだけ難点があって、電波の悪い場所が多いのだ。
特に、私の家の中は電波の良い場所のほうが限られてるくらい。
当初の目論みとしては、キッチンで家事をしながらイヤホンマイクでずっと繋がり放題みたいなことだったんだけど、キッチンはアウト。
よくお話しする「パソコン部屋」も窓際の一角以外は、とても通じにくいので、同じ姿勢で同じ角度で同じ高さで話さないといけないので、ほんのちょっと骨が折れる。
フッと雑音も消える無音状態になって、会話が途切れ途切れになることが、しばしばあるの。
そういうときは「もしも〜し」と電話に向かって何度も呼びかけてしまう。
2、3度かけても繋がらないときもあるみたいで、こちらからしたらはじめてのコールでも、「よかったね〜、次かからなかったら、もう帰ろうと思ってたよ。」なんてギリギリセーフでおやすみコールをもらえたなんてことも時々。
この電波の悪さ、ほんとうに「電波」のせいだけじゃないんじゃないかって思うことがあるの。
あり得ないんだけど「私の興奮」が作用してるんじゃないかって。
「今度は、マ○○の3階から下まで四つん這いで歩くか。ペタペタって。」
「いやーープツン…ツー、ツー、ツー(電話が切れる)」
「今度、りん子にテレクラで女の子探させようかな。」
「そんな むり す どうや プツン…ツー、ツー、ツー(途切れ途切れで切れる)」
「男子トイレでおしっこできるように立ちションの練習しよっか!?」
「ひゃプツン…ツー、ツー、ツー、」
ほんとは「いやーーー」の後や「そんなのむりです!どうやって話すんですか!!」の後や「ひゃあああ」の後に、ああだこうだ話は広がりめくるめく電話タイムが続くはずなのに。
無音の受話器に向かって叫び続けるなんて、そんな虚しいことできないよ〜。
「…あ…」と寂しく一言声を発して、しれっとアンテナを眺めて、この途切れた興奮をトホホな感じで収めるときの情けない気分ったら…。
すぐ掛け直してもらっても、最初の「ピーン」と跳ね上がった興奮の再現は難しく、めくるめく楽しさは次回に持ち越しという残念なことになるの。
まあ、話が続けばどんどん具体的になっていってしまう危険性や、口にしたことは何年先でもする那智さんの性格を考えたら、都合良い解決方法でもあるのだけど。
想像するお遊びと実行のギリギリのところで冷や汗かきながら「あわあわ」するのは、それはそれで幸せなんだけどね。(結局実行に移されて大変なことになるわけですが)
まるで私の興奮が電波を遮断してしまっているようなタイミングに、残念なような安心なような、複雑な状態。
那智さんは自分の気持ちをあんまり話さない。
だから、私はいつもいろいろ質問して、嬉しいことばを聞き出したり、うっとりする材料にしたりするんだ。
「那智さん、私に飽きてないんですよね、数年経っても飽きないのは嬉しい?」
「そうだね、純粋に新鮮味としては減ってるはずなんだけどね。」
「新鮮味って?」
「ドキドキすることかな。」
「那智さん、ドキドキしてるんですか!?」
「まあ、減ったけどね。」
「じゃあ、いつごろいっぱいドキドキしてました!?」
「そうだな〜、た プツン…ツー、ツー、ツー」
そこで切れるか!?
「た」の次はなに、なんだったの!?
こういうの滅多に聞けないんだから、するするっと良い気分で聞きたかったのにー!!
電波の悪いのは私の興奮だけじゃなくて、那智さんの意地悪も作用してるのかもしれないって思うわ。
意志持ってるの?私の携帯。