異議申し立て
独特な幸福感
那智さんに異議申し立て。
時々更新する自己紹介画像、あれは那智さんの管轄で気が向いたら更新してくれる。
画像を選んで、トリミングして、適度な大きさにして、アップしてくれる。
私はまったくそういう技術がないからわからないのだけど、この適度な大きさにするのはちょっと面倒みたいで、何度かやり直して完成するようです。
まして、「作り物」感が好きじゃない那智さんの画像在庫には、構図やら背景やら公開するのに適したものを選ぶだけでも大変そう。
それでも管理パネルには、候補がいくつも保存されていて、私は次はどれが来るのかヒヤヒヤしながら待っている。
那智さんと私の好む画像にはズレがあるのは承知している。
だから、あんまり気に入らない時には、理由を説明して早めに取り下げてもらったりもしてる。
でも、那智さんとしてはどの写真もお気に入りなのだそうで、その説明に納得がいかない場合はそのままだったりもする。
まあ、画像の好みにズレがあるねというのは2人の歩み寄れない部分で、その都度異議申し立てをしては、その都度解決するというのが最善の方法だと落ち着いてる。
で、もうひとつの異議申し立て。
それは、その画像に付ける那智さんの一言コメント。
何回かに一回、最近ではけっこう頻繁に、その画像をネタにしてふざけたコメントを付ける。
皆さんいちいちそこまで覚えてらっしゃらないかもしれませんが、ひとつ前の上半身裸で胸を押さえている画像に「ああ、寒い」、少し前のワンピースをめくって立ったままオナニーをさせられている画像に「かゆい〜」その他いろいろ。
私はそのからかいの対象なので、いちいち覚えてる(笑)
前回の胸押さえ写真で、私は自覚したの。
「冗談みたいなコメントは悲しい」ということ。
よく見るSM系のブログなどで、M女さんの画像を公開しているのを見ると、どちらかというと見せるために撮っているものが多いように感じる。
そして、それを載せるスタンスにもいくつかあって(いまはS側のことね)。
「私の可愛いペットをお見せします」とか
「私の奴隷の恥ずかしい姿をおかずにしてください」とか
「はしたない姿を晒すので視姦してやってください」などなど。
そんなにたくさんの画像を見ているわけじゃないけど、私みたいに冗談の対象にされているものを、私は知らない。
いっそ、「淫乱牝豚です。」とでも紹介してもらったほうが傷つかないかもしれない。(いや傷つくか)
マスターベーションの対象にしてもらったほうがましかもしれない。
ほんとの意地悪もいやだけど、ずっとからかいの対象で晒されるのもいや。
俺のもの扱いは嬉しいけど、それをからかうという方法で表されると、それは嬉しくないのだ。
だから、それを異議申し立ていたしました。
「冗談みたいなコメントは悲しい」
返ってきた言葉は「それは前から気にしていた」とのこと。
「だから、俺はいつも『コメントどう?』って聞いていただろ?」
そうね、確かにいつもそう聞かれていた。
でも、それは「コメント面白い?」という意味かと思ってた。
那智さんとしては「からかってもいいの?」ということだったのだ。
だから、むしろ那智さんとしては、いままで平気だったことが不思議なのだ。
そして、そう思っているなら、なぜいままでそれを言わなかったのだということなのだ。
それは、私という人間がいままで繰り返してきた失敗の表れ。
他の人がどうかはわからないけど、多分私と同じようなタイプの人はいるはず。
「自分の快不快の判断が下手」
私はそれに不快感を覚えるということに、すぐに気が付かないのだ。
なぜかというと、私の判断基準が「人の評価」だから。
那智さんが書いて、那智さんが楽しんでいるから、きっと私も楽しいんだと思ってる。
でも、本当は「いやだ」と思ってるから、それが何回か続いてはじめて、その不快に気付くのだ。
そして、いままで私はその時点で「それはいや」と人に言えなかったから、そのままニコニコしながら、その人との付き合いにシャッターを閉めてしまっていたのだ。
そうして、それ以上関係を深めることなく、いままで生きてきた。
だけど、私は那智さんには言う。
言わなきゃいけないの。
関係を作っていきたいから。
本当は、すぐにいやだと思えればいいのだけど、30数年間の習い性で気付くのが遅い。
でも、遅れてでも言うのだ。
だから、言った。
那智さんは、気にして聞いてはいたけど、大丈夫そうだったから続けた。
それは、そうしないと恥ずかしいから。
那智さんの言っていることが本当なら、那智さんが載せる画像は全部彼のお気に入りばかりなはず。
お気に入りを載せるのは(人が良いと思うか置いといて)、那智さんとしては自慢になると思うはず。(推測なので『はず』連発)
不特定多数の人に、お気に入りの画像を公開するのは、それだけで自慢しているみたいで恥ずかしい、と思ってるはず。
りん子がノロケるのとは立場も違うし、2人でノロケるのもね〜ってところだろう。
しかも「私の奴隷の…」みたいなことも、那智さん的にはなりきれないしね。
照れるのはわかります。
でも、そうじゃなくても恥ずかしい姿を載せているのだから、冗談にされるのはいやです。
「それなら、画像自体なくすか、俺のコメントはなしにするかだね。状況説明だけのコメントじゃつまらないだろ?」
じゃあ、画像なくして!!と言えないところが情けない。
「コメントできなければしないでいいですよ、私がしますから。」
そこで、提案を思い付く。
「からかいモードじゃないほうが画像に対してのコメントが来やすいのではないですか?
からかっていることに同調するにも無視するにもためらわれて、コメントしにくいと思うのです。
だから、照れてふざけたコメントをするか、モードを切り替えてコメントが来るほうがいいか?那智さんはどちらが面白いですか?」
実はこの話、今のわんこの画像の前からの話題でして、わんこのコメントは「からかいモード」じゃないように(恐らく)那智さんの許せる範囲の気遣いのはず。
そしたら上手い具合にわんこに関するコメントをいただけた(まおさん、サンキュー♪)から、尚更説得力があるのだ。
「今回は、りん子の勝ち。」
ということで、画像は載せるけど、基本的にからかい調はなしで、那智さんがコメントしない場合もあると話はまとまった。
私は気持ちを伝えることができて、満足。
この先、時々は冗談のネタにされてしまうかもしれないけど、ちゃんと伝えられたから、大丈夫なのだ。
私の気持ちを伝えて、理解した上で、あとは那智さんの好きなようにしてくれればいいのです。
またいやなら言えばいい。
それにしても、「俺のもの」扱いが冗談のネタなんだもの、いやになっちゃう。
でも、私こそ「那智さんの幸せは、私の幸せ」なんて言ってるわりには、全然しおらしくないですね。
ごめんなさい那智さん、でも、素直に伝えるが一番大事なのですよね。
依存いてるのに自己主張、面倒な女ですね、私。
だからね、那智さんが「俺のもの」扱いの若干自慢の一言を付けてもお許しくださいね。
そして、記事に関係なくてもいいから、時々コメントくださいね。
それが画像存続の道なのです^^
那智さんに異議申し立て。
時々更新する自己紹介画像、あれは那智さんの管轄で気が向いたら更新してくれる。
画像を選んで、トリミングして、適度な大きさにして、アップしてくれる。
私はまったくそういう技術がないからわからないのだけど、この適度な大きさにするのはちょっと面倒みたいで、何度かやり直して完成するようです。
まして、「作り物」感が好きじゃない那智さんの画像在庫には、構図やら背景やら公開するのに適したものを選ぶだけでも大変そう。
それでも管理パネルには、候補がいくつも保存されていて、私は次はどれが来るのかヒヤヒヤしながら待っている。
那智さんと私の好む画像にはズレがあるのは承知している。
だから、あんまり気に入らない時には、理由を説明して早めに取り下げてもらったりもしてる。
でも、那智さんとしてはどの写真もお気に入りなのだそうで、その説明に納得がいかない場合はそのままだったりもする。
まあ、画像の好みにズレがあるねというのは2人の歩み寄れない部分で、その都度異議申し立てをしては、その都度解決するというのが最善の方法だと落ち着いてる。
で、もうひとつの異議申し立て。
それは、その画像に付ける那智さんの一言コメント。
何回かに一回、最近ではけっこう頻繁に、その画像をネタにしてふざけたコメントを付ける。
皆さんいちいちそこまで覚えてらっしゃらないかもしれませんが、ひとつ前の上半身裸で胸を押さえている画像に「ああ、寒い」、少し前のワンピースをめくって立ったままオナニーをさせられている画像に「かゆい〜」その他いろいろ。
私はそのからかいの対象なので、いちいち覚えてる(笑)
前回の胸押さえ写真で、私は自覚したの。
「冗談みたいなコメントは悲しい」ということ。
よく見るSM系のブログなどで、M女さんの画像を公開しているのを見ると、どちらかというと見せるために撮っているものが多いように感じる。
そして、それを載せるスタンスにもいくつかあって(いまはS側のことね)。
「私の可愛いペットをお見せします」とか
「私の奴隷の恥ずかしい姿をおかずにしてください」とか
「はしたない姿を晒すので視姦してやってください」などなど。
そんなにたくさんの画像を見ているわけじゃないけど、私みたいに冗談の対象にされているものを、私は知らない。
いっそ、「淫乱牝豚です。」とでも紹介してもらったほうが傷つかないかもしれない。(いや傷つくか)
マスターベーションの対象にしてもらったほうがましかもしれない。
ほんとの意地悪もいやだけど、ずっとからかいの対象で晒されるのもいや。
俺のもの扱いは嬉しいけど、それをからかうという方法で表されると、それは嬉しくないのだ。
だから、それを異議申し立ていたしました。
「冗談みたいなコメントは悲しい」
返ってきた言葉は「それは前から気にしていた」とのこと。
「だから、俺はいつも『コメントどう?』って聞いていただろ?」
そうね、確かにいつもそう聞かれていた。
でも、それは「コメント面白い?」という意味かと思ってた。
那智さんとしては「からかってもいいの?」ということだったのだ。
だから、むしろ那智さんとしては、いままで平気だったことが不思議なのだ。
そして、そう思っているなら、なぜいままでそれを言わなかったのだということなのだ。
それは、私という人間がいままで繰り返してきた失敗の表れ。
他の人がどうかはわからないけど、多分私と同じようなタイプの人はいるはず。
「自分の快不快の判断が下手」
私はそれに不快感を覚えるということに、すぐに気が付かないのだ。
なぜかというと、私の判断基準が「人の評価」だから。
那智さんが書いて、那智さんが楽しんでいるから、きっと私も楽しいんだと思ってる。
でも、本当は「いやだ」と思ってるから、それが何回か続いてはじめて、その不快に気付くのだ。
そして、いままで私はその時点で「それはいや」と人に言えなかったから、そのままニコニコしながら、その人との付き合いにシャッターを閉めてしまっていたのだ。
そうして、それ以上関係を深めることなく、いままで生きてきた。
だけど、私は那智さんには言う。
言わなきゃいけないの。
関係を作っていきたいから。
本当は、すぐにいやだと思えればいいのだけど、30数年間の習い性で気付くのが遅い。
でも、遅れてでも言うのだ。
だから、言った。
那智さんは、気にして聞いてはいたけど、大丈夫そうだったから続けた。
それは、そうしないと恥ずかしいから。
那智さんの言っていることが本当なら、那智さんが載せる画像は全部彼のお気に入りばかりなはず。
お気に入りを載せるのは(人が良いと思うか置いといて)、那智さんとしては自慢になると思うはず。(推測なので『はず』連発)
不特定多数の人に、お気に入りの画像を公開するのは、それだけで自慢しているみたいで恥ずかしい、と思ってるはず。
りん子がノロケるのとは立場も違うし、2人でノロケるのもね〜ってところだろう。
しかも「私の奴隷の…」みたいなことも、那智さん的にはなりきれないしね。
照れるのはわかります。
でも、そうじゃなくても恥ずかしい姿を載せているのだから、冗談にされるのはいやです。
「それなら、画像自体なくすか、俺のコメントはなしにするかだね。状況説明だけのコメントじゃつまらないだろ?」
じゃあ、画像なくして!!と言えないところが情けない。
「コメントできなければしないでいいですよ、私がしますから。」
そこで、提案を思い付く。
「からかいモードじゃないほうが画像に対してのコメントが来やすいのではないですか?
からかっていることに同調するにも無視するにもためらわれて、コメントしにくいと思うのです。
だから、照れてふざけたコメントをするか、モードを切り替えてコメントが来るほうがいいか?那智さんはどちらが面白いですか?」
実はこの話、今のわんこの画像の前からの話題でして、わんこのコメントは「からかいモード」じゃないように(恐らく)那智さんの許せる範囲の気遣いのはず。
そしたら上手い具合にわんこに関するコメントをいただけた(まおさん、サンキュー♪)から、尚更説得力があるのだ。
「今回は、りん子の勝ち。」
ということで、画像は載せるけど、基本的にからかい調はなしで、那智さんがコメントしない場合もあると話はまとまった。
私は気持ちを伝えることができて、満足。
この先、時々は冗談のネタにされてしまうかもしれないけど、ちゃんと伝えられたから、大丈夫なのだ。
私の気持ちを伝えて、理解した上で、あとは那智さんの好きなようにしてくれればいいのです。
またいやなら言えばいい。
それにしても、「俺のもの」扱いが冗談のネタなんだもの、いやになっちゃう。
でも、私こそ「那智さんの幸せは、私の幸せ」なんて言ってるわりには、全然しおらしくないですね。
ごめんなさい那智さん、でも、素直に伝えるが一番大事なのですよね。
依存いてるのに自己主張、面倒な女ですね、私。
だからね、那智さんが「俺のもの」扱いの若干自慢の一言を付けてもお許しくださいね。
そして、記事に関係なくてもいいから、時々コメントくださいね。
それが画像存続の道なのです^^