普通のひとで愛し合おう14
もちろん、一回しゃくり上げて泣いただけで傷がきれいさっぱりなくなるわけもなく、それ以前と以後にたいした違いはなかった。
相変わらず、沈みがちで何かあると正体不明の切迫感に襲われる。
すでに書いているけれど、あらためてこのときの那智さんの状態をどう説明したらいいんだろう。
とにかく、言いようのない不安や恐怖に気持ちが落ち込む。
『落ちる』という表現をしていたけれど、その不安や恐怖や絶望感に那智さんの全部が支配されているような感じだった。
まあ、誰しも落ち込むなんてことはあるけれど、そういう通常の範囲内ではない精神状態であることは、ハッキリとした区別があるわけではないけれど、気というかオーラというか醸し出すもので感じ取れるもの。
『離婚に対する恐怖』や『りん子がそばにいなければと思い詰める』様子は、ただ凹んでいるとはまったく違うものだった。
全身から負のオーラを発し、何かに追い立てられているようなピリピリした感じ。
そして、これも特徴的なのだけど、ごくわずかな一時だけ、手のひらを返したように陽気になるのだ。
たとえば『りん子』をプレゼントした後に「あれはホントにいいよ!!」とまるで何もかも解決したような口ぶりでテンションが上がる。
『そう思い込みたい』気持ちが無理やりそうさせている部分もあるし、おそらく躁鬱の躁状態だったのではないかとも思う。
那智さんが苦しそうであることはもちろんツラいけど、この躁状態のようなときも、わたしはツラかった。
なんだか、那智さんが自分の傷を笑いながら抉っているように感じられていたからだ。
痛々しくて見ていられなかった。
落ち込んでくれていたほうが落ち込みの原因や心の傷を理解する(=癒す)ようにお話ししていくことができたけど、無理やりの躁状態の人に『無理している』と指摘するのは酷だからできないし、とにかく、わたしは良好なテンションを保ち肯定していくしかできず、これはこれでけっこう大変だった。
那智さんと同じように上げすぎもいけないし(まして『励ます』なんていうのもダメ)、でも、せっかく落ち込んでいないのだから、こちらが低空でもよくないからね。
案の定、ちょっと躁状態になった後は『落ちる』みたいで、とにかくわたしは感情をコントロールして慎重に対応していた。
というような状態の中、わたしは可能な限り会いにいった。
年始の大きなイベントに向けた仕事の手伝いもあったからちょうどよかった。
そばにいるこちらまでヒリヒリするような暗澹たるさまの中、とにかくお昼の休憩くらいは外に出て気晴らししましょうと連れ出すと、理由もなく追い立てられるようにひたすら早歩きをはじめる。
那智さん、もう少しのんびり歩きましょう?
というと、はじめて自分がマイナスに支配されていることに気づく。
そんな恐怖の中の視野狭窄状態というような状態だった。
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