望まれたい
独り言
この次か、その次か、わからないけど、確実に那智さんは私に酷いことをするでしょう。
先日、一緒に開いた扉をもう一度開けて、その中に入って行くことは確実だ。
なんだか、この出来事にまだ私の心の整理ができていないようで、昨日も電話で色々話した。
まず、「また扉を開く」ことにばかり意識が行って、酷くされても集中できないか、もしくは意識しすぎて「演技」みたいになってしまわないか。
これには「そんなこと考えられないくらい、追い詰めてあげるから、大丈夫(笑)」で一蹴。
次は、鞭で「飛べる私」。
これって、特殊なことなのでしょうか?
誰だって、痛くてパニックになったら、何か脳みそが作用して「飛べる」ものではないのでしょうか?(また、出ました、私の「私は多数派!?」意見)
私は一生懸命「100%那智さん仕様」を目指している。
いままでの経験で、セックスをしてそれほど感じなかった私が那智さんで感じるようになったから、この部分では「那智さん仕様!!」と、多少のはったりをを込めて言い切ることができる。
でも、とことん痛くされた経験はないから、もしかしたら他の誰かに上手に痛くされたら私は飛べてしまうのかもしれない。
私が、特殊でも特殊じゃなくても、どちらでもかまわないのだけど、この部分において「100%那智さん仕様」と言い切るほどの、経験も感覚もないから不安なのだ。
言い切れている方が、安心なのだ。
「快感の記憶」は大事で、それを積み重ねていろんな方法で快感を得ることに繋がるのではないかと那智さんは言う。
性的な快感をしらない処女の子に、いきなり鞭を打っても、りん子のようになる可能性は極めて低い。
性的快感を覚えて、徐々に痛みを増して「快感の記憶」を増やしていったから、飛べるのではないか。
そういった意味では、結果、他の誰かでも「痛み」だけで飛べてしまったとしても、開発者は俺なんだから「那智さん仕様」とも言える、と言う。
そこで、那智さんは逆を考えた。
もし、パートナーの振るう鞭で感じる女性がいて、その女性にまったく無関係の那智さんが痛みを与えても同じように感じたら、その女性を、少し嫌悪しそうだという想像。
パートナーよりも2割減くらいで感じてくれるのは、良いらしいけど。
と言うことは、この部分においても、那智さん自身「100%那智さん仕様」も望むし、「那智さんに開発されたりん子」だから他でも感じる(多少)ことも捨てがたい、となる。
一本化されていないのだ。
那智さんの意に添っていることが私の安心と思って依存している私には、この一本化されていない状態が不安なんだ。
何度か経験して、「飛べる」ことに慣れてきて、「飛びたい」と自分の欲求も自覚できたら、こんなに不安にならないのかもしれない。(現にセックスで感じることには、一本化されていなくても不安はない)
要するに、はじめての感覚で、しかもそれが特殊なことにもかかわらず否定する気持ちが芽生えず、その特殊な私を「どうぞ、どんな方法でもいいから、望んで、肯定して、欲してください」と甘えているだけなのかもしれないです。
って、いつの間にか「特殊な私」って言っちゃってる(笑)
この次か、その次か、わからないけど、確実に那智さんは私に酷いことをするでしょう。
先日、一緒に開いた扉をもう一度開けて、その中に入って行くことは確実だ。
なんだか、この出来事にまだ私の心の整理ができていないようで、昨日も電話で色々話した。
まず、「また扉を開く」ことにばかり意識が行って、酷くされても集中できないか、もしくは意識しすぎて「演技」みたいになってしまわないか。
これには「そんなこと考えられないくらい、追い詰めてあげるから、大丈夫(笑)」で一蹴。
次は、鞭で「飛べる私」。
これって、特殊なことなのでしょうか?
誰だって、痛くてパニックになったら、何か脳みそが作用して「飛べる」ものではないのでしょうか?(また、出ました、私の「私は多数派!?」意見)
私は一生懸命「100%那智さん仕様」を目指している。
いままでの経験で、セックスをしてそれほど感じなかった私が那智さんで感じるようになったから、この部分では「那智さん仕様!!」と、多少のはったりをを込めて言い切ることができる。
でも、とことん痛くされた経験はないから、もしかしたら他の誰かに上手に痛くされたら私は飛べてしまうのかもしれない。
私が、特殊でも特殊じゃなくても、どちらでもかまわないのだけど、この部分において「100%那智さん仕様」と言い切るほどの、経験も感覚もないから不安なのだ。
言い切れている方が、安心なのだ。
「快感の記憶」は大事で、それを積み重ねていろんな方法で快感を得ることに繋がるのではないかと那智さんは言う。
性的な快感をしらない処女の子に、いきなり鞭を打っても、りん子のようになる可能性は極めて低い。
性的快感を覚えて、徐々に痛みを増して「快感の記憶」を増やしていったから、飛べるのではないか。
そういった意味では、結果、他の誰かでも「痛み」だけで飛べてしまったとしても、開発者は俺なんだから「那智さん仕様」とも言える、と言う。
そこで、那智さんは逆を考えた。
もし、パートナーの振るう鞭で感じる女性がいて、その女性にまったく無関係の那智さんが痛みを与えても同じように感じたら、その女性を、少し嫌悪しそうだという想像。
パートナーよりも2割減くらいで感じてくれるのは、良いらしいけど。
と言うことは、この部分においても、那智さん自身「100%那智さん仕様」も望むし、「那智さんに開発されたりん子」だから他でも感じる(多少)ことも捨てがたい、となる。
一本化されていないのだ。
那智さんの意に添っていることが私の安心と思って依存している私には、この一本化されていない状態が不安なんだ。
何度か経験して、「飛べる」ことに慣れてきて、「飛びたい」と自分の欲求も自覚できたら、こんなに不安にならないのかもしれない。(現にセックスで感じることには、一本化されていなくても不安はない)
要するに、はじめての感覚で、しかもそれが特殊なことにもかかわらず否定する気持ちが芽生えず、その特殊な私を「どうぞ、どんな方法でもいいから、望んで、肯定して、欲してください」と甘えているだけなのかもしれないです。
って、いつの間にか「特殊な私」って言っちゃってる(笑)