普通のひとで愛し合おう16
その渦中、いよいよ連絡が取りづらくなる年末年始が来た。
那智さん自身、恐怖との戦いだっただろうし、わたしも心配でたまらない期間がはじまった。
いままでだってこの時期は連絡が取りづらかったから『恋しい』や『さみしい』は当然あったし、日頃だって毎日長い時間電話できているわけでもないのに、年末年始であるという事実だけで、那智さんにはたえられないほどの絶望だった。
本当に本当に心配だった。
那智さんのよろこびはわたしの幸せの同化願望なわたしには、那智さんが辛いことは我がこと以上に辛い。
毎日動画でご挨拶を送る約束をした。
年末、最後に会える日。
夜お酒を飲み、カラオケにいった。
とにかく、一日でも一時間でも一分でも、那智さんの心が穏やかであるように。
わたしは心から歌った。
那智さんが大好きな『糸』と、願いをこめた『時代』。
たとえ今日は果てしもなく冷たい雨が降っていても
めぐるめぐるよ時代はめぐる
別れと出会いをくり返し
今日は倒れた旅人たちも生まれ変わって歩き出すよ
どうか、那智さん、生き延びて。
どうか、わずかでも穏やかでいて。
ほんのすこしでも気持ちがよいものを見つけて、ご自分を癒して。
神様、この会えない数日を、どうか、支えてください。
何度目だろう。
こんな都合のいいときだけっていわれてしまう。
それでも、この1か月、わたしは何度も神様にお願いをした。
どうか、那智さんが辛くならないように助けてください。
神様と、那智さんへ、祈るように、同じ曲を何度も何度も歌っていた。
普通のひとで愛し合おう17
それからの年末年始の数日間、わたしは心配と不安と怒りと抑制と、とにかくひと言では言い表せられない感情の中にいた。
いまの那智さんにとって、わたしは一縷の救いだ。
自分でいうのもおこがましいが、本当にそういう状態だった。
傷のせいで絶望に支配されてしまう那智さんの心を和らげるのは『わたし』だった。
本当はそんなに力があるわけじゃなくて、那智さん自身の強迫観念のようなものがわたしをそういう存在に仕立て上げていたのだ。
だから、可能な限り連絡を取った。
毎日『ご挨拶』の動画を送った。
楽しい話題、愛の言葉、冷静なアドバイス。
それでも、不安に襲われるとアルコールで紛らわしているようだった。
そう、いつからかハッキリしていないけど、少なくともこの頃から那智さんのアルコール量は格段に増えていた。
そして、アルコールを飲むと翌日気持ちが落ちるらしいこともわかってきた。
年末年始の不安をどうやら相当なアルコールで紛らわしているらしいのは、会話や雰囲気からも伝わっていた。
それがよくないことだとは常識としてわかっていたけれど、付きっきりでいられないわたしには『紛らわす』ことを闇雲にダメとはいえなかった。
そもそも禁止してやめるような人じゃないしね^^;
アルコールを危惧しながら様子を見ていた年の暮れ。
りん子、テレクラ行っていい?
と文字が来た。
寂しさを埋める行為だ。
そして、おそらく『口説く』ことや『ひっかける』ことでまやかしの自尊心を満たしごまかそうとしているのだ。
でも、それはまったく『自分に優しい方法』ではない。
わかるかな。
傷ついている那智さんに必要なことは一日でも一時間でも『穏やか』な時間を増やすことだ。
好きな人と接し、好きな音楽を聞き、美味しいものを食べ、温かなベッドで『りん子』を抱きしめて大きく深呼吸をするような時間を少しでも持つことだ。
すこしくらい退屈でも刺激の少ない『自分に優しい方法』を選んでいかないといけないのに、テレクラなんて心を疲弊させるような手段を選ぶのか。
年末だったからまとまってお話しすることができない。
どうかテレクラにはいかないで。
寂しい気持ちを紛らわす方法は見知らぬ女性との駆け引きではない、いまあなたに必要なことは穏やかに過ごすこと。
なんとか思いとどまってもらおうと必死に文字を送る。
そうだ、Twitterにしよう。
少なくとも那智さんアカウントをフォローしてくれている人は那智さんに少なからず好意を持ってくれている人だろう。
那智さんは『好意を持ってくれている』人と接しているほうがいいのだ。
せめて、目に触れるタイムラインに『好意を持ってくれている』人で溢れていよう。
そう思って、ずっと0だったフォローをやめて、いままでリストに入れていたフォロワーさんたちをフォローした。
どうかテレクラになんか行かないで、どうかTwitterを開いて、あの人やあの人のつぶやきを見て微笑んで。
とりあえず、12月30日はTwitterうんぬんでテレクラ行きは回避できた。
普通のひとで愛し合おう18
たぶん、お酒をたくさん飲んでいるだろうな。
Twitterはどれほどの効果があったかはわからないけど、12月31日にかけて件のSさんとのやり取りは続いていたので(那智さんとわたしの共通アドレスでやり取りをしていたのだ←了解済み)、その様子から酔っ払いさんっぽい感じは読み取れた。
それでもテレクラよりはずっと良い。
わたしへの返事より、Sさんとのメールの頻度のほうが多いとしても。
12月31日、夕方。
短い時間だけどなんとかお電話でつながれる時間が持てた。
その前に文字で『テレクラ行ってきた』と書いてあったので落胆していたけど、わたしの落胆なんかより、那智さんの心の状態を知り対処していきたかったから、お電話は好都合だった。
電話口の那智さんはハイテンションだった。
待ち合わせまで漕ぎ着けたようだったけど、結局、その人は名乗り出ず、別の女性に声をかけられたみたいで、あれはなんだんだろう!?と妙にはしゃいでいた。
こんな大晦日にテレクラに電話する女性がいるという事実に、自分より寂しい(と想像できる)立場の人に対する優越感や安堵を持つという相手にとっても、那智さん自身にとっても最悪の方法。
いや~、寂しいのは俺だけじゃないんだね~(笑)
と笑う声が悲鳴に聞こえる。
グサグサと自分の傷にナイフを突き立てているようだ。
残念でしたね
でも、声かけられてよかったじゃないですか!?
でも、あまりご自分に優しい方法とはいえないから、これからは『優しい方法』を選んでくださいね
お風呂温まって、お酒も適量で、おいしいもの食べて、『りん子』撫でて、ね
短い時間にできるすべてをした。
わたしの心も那智さんと同調して悲鳴をあげているようだったけど、そんなことはどうでもよかった。
こうして2014年は過ぎていった。
普通のひとで愛し合おう19
わかっていたこととはいえ、このころの那智さんのアルコールの摂取量はかなり危険な域に達していた。
もともと強い人だったので、通常の精神と健康状態であればなんとかこなしていかれたのだろうけど、一連の『傷』が露呈してからは、じつはこの量のアルコールは彼の精神と肉体を蝕んでいたことも想像できた。
ただ、当の那智さんはその部分から目を逸らしていた。
飲まずにはいられないという意識的な側面と、依存に近い無意識に深みにはまっている側面と両方で。
(いわゆる『アルコール中毒』とは違います。若干の『依存状態』くらいが正解だと思う)
本来なら強くやめさせたほうがいいのはわかっていたけれど、わたしたちの関係性と人間性において、それは難しいことだった。
那智さんは納得しないと動かない人だし、天の邪鬼さんだし(笑)
わたしは脅したり強制して人を動かすことがキライだし、できないレッテル貼りをしてしまうようなハードルは設けたくない。
それに、いまなんとか生き延びているように見える那智さんから唯一の逃げ道を奪うほうが酷に感じたから。
いつか胸ぐら掴んでもやめてもらうと判断しなければならない日が来るかもしれないと覚悟をして、いまは『適量』とされる分量を伝えたり、アルコール以外の癒し方を提案したりしていた。
『心はいつもおそばに』とどんなに伝えても、わたしはそばにいられない。
もどかしい思いを抱えて年が明けた。
普通のひとで愛し合おう20
おそらく元旦からもずっと飲んでいたはずだ。
日持ちするもので簡単なおせちをお渡ししていたので元旦は、それをなんとか楽しんでいてくれたみたいだけど、けっこう保守的な那智さんにとって『正月の普遍的な』ものは足枷のようだった。
(『正月は家族で』とかね^^;それを作るのが男の役割みたいなね^^;それを自分が放棄したことに対する自責の念ね)
2日あたりから、ほとんど常に酔っている状態だったはずだ。
きっと目が覚めたらすぐ焼酎をストレートで飲みはじめていただろう。
そんな中、いままで別の恐怖(『離婚に対する恐怖やりん子不在の絶望)で本来の『傷』から目を逸らしてきた那智さんの脳は、いよいよ『わたしを遠ざける』ことまでやりはじめた。
本当に脳は不思議。
あまりにも『傷』が深いと、それに直面させないようにあれこれ妨害するのだけど、おそらくわたしのような支援者(=『傷』に目を向けざるを得ない人)も妨害する対象に選ぶらしい。
2日と3日の2日間は、それが顕著になりわたしからの文字の声かけにほとんど返信をしてくれなくなっていた。
細心の注意を払い明るいトーンでご挨拶を送っても、次のたのしみを持ってもらえるような展望を送っても、他愛ないドジ話を送っても、愛の言葉を送っても、応えてくれない。
件のSさんとはかなり頻繁にやり取りをしていたから、文字は送れるはずなのに。
でも、わたしにはくれない。
本当なら嫉妬してもおかしくないことだけど、そういう気持ちにはならない。
とにかく、心配でそれどころではなかった。
やり取りができるほどに意識はある、絶望に打ちひしがれているだけではなさそうだ(当然生きている!)
いま思えば、那智さんはきっと『傷』から目を逸らせるための脳の妨害『りん子不在の絶望』と『支援者を遠ざける』のふたつの矛盾に苦しんでいただろう。
わたしはあなたと繋がっているというメッセージを送り続けるわたしに
ごめん、りん子、プレッシャーかけないで
やっときた返信は絞り出すようなこんな文字だった。
わたしはどうしたらいいのだろう。
わたしが不在であることに絶望している人に、愛の言葉をかけ、それは『傷』が増幅させているのだと安心してもらうことも叶わないのか。
どうしたらいいか途方に暮れる。
でも、手を離すもんか。
那智さんがずっとそうしてくれたように。
どんなに那智さんの脳がわたしを遠ざけようとしても、作戦を練り直して、わたしは手を離さない。
きっと泥酔しているだろう。
何度も夜中に目を覚まし、深夜に及ぶSさんとのやり取りを那智さんの生存確認にして、その夜を過ごした。