会話の達人?
独特な幸福感
ある日の電話。
「那智さん。」
「ん〜?」(キーボードカチカチの片手間中)
「○日は何か予定入っていますか?」
「ん〜ん」
「わたしね、予定空けられそうですよ。」
「ふぅん」
「まだ不確定なんですけどね。」
「ん〜」
「那智さん予定なかったら会えますね〜。」
「そうだねぇ」
「どこか行かれるといいですね〜。」
「そうだねぇ…で、いつ確定するの?」
「う〜ん、ちょっと直前にならないとなんとも、です。」
「ふ〜ん」
「決まったら、すぐお知らせします。」
「ぅん」
「…、ねえ那智さん」
「ん?」
「那智さん、さっきから『ふ』と『ん』と『そうだね』だけで会話成立させてます。」
「あはは、そうだね〜」
「ほら、『そうだね〜』って(笑)」
「でも、『いつ確定する』って大事なことは聞くだろ?だから、ちゃんと話は聞いてるんだよ。」
「そうですけどね、『楽しみだね〜』とか『どこ行く〜』とか、そういうのないですよね。」
「ん〜(笑)」
まったく、もう、素っ気ない人。
那智さんの中で、『自分が喜ぶとダメになったときに相手が余計にがっかりするかもしれない』という意識が無意識に働くみたいなんだ。
だから、素っ気ない対応をする。
と、りん子フィルターで那智さん擁護してみるけれど。
それにしてもね〜、『楽しみだね〜』くらい言っても減るもんじゃないのにねぇ。
那智さん、素っ気ない人。
いや、『ふ』と『ん』と『そうねぇ』だけで成立させているのだから、もしかしたら会話の達人かもしれない^^
ううん、そのお返事だけで会話を続行させているわたしのほうが達人だわ!!
ということで、3つの言葉で会話を成立させる那智さんとそのお返事だけで続行させるわたしと、どちらが会話の達人なんでしょう^^
ある日の電話。
「那智さん。」
「ん〜?」(キーボードカチカチの片手間中)
「○日は何か予定入っていますか?」
「ん〜ん」
「わたしね、予定空けられそうですよ。」
「ふぅん」
「まだ不確定なんですけどね。」
「ん〜」
「那智さん予定なかったら会えますね〜。」
「そうだねぇ」
「どこか行かれるといいですね〜。」
「そうだねぇ…で、いつ確定するの?」
「う〜ん、ちょっと直前にならないとなんとも、です。」
「ふ〜ん」
「決まったら、すぐお知らせします。」
「ぅん」
「…、ねえ那智さん」
「ん?」
「那智さん、さっきから『ふ』と『ん』と『そうだね』だけで会話成立させてます。」
「あはは、そうだね〜」
「ほら、『そうだね〜』って(笑)」
「でも、『いつ確定する』って大事なことは聞くだろ?だから、ちゃんと話は聞いてるんだよ。」
「そうですけどね、『楽しみだね〜』とか『どこ行く〜』とか、そういうのないですよね。」
「ん〜(笑)」
まったく、もう、素っ気ない人。
那智さんの中で、『自分が喜ぶとダメになったときに相手が余計にがっかりするかもしれない』という意識が無意識に働くみたいなんだ。
だから、素っ気ない対応をする。
と、りん子フィルターで那智さん擁護してみるけれど。
それにしてもね〜、『楽しみだね〜』くらい言っても減るもんじゃないのにねぇ。
那智さん、素っ気ない人。
いや、『ふ』と『ん』と『そうねぇ』だけで成立させているのだから、もしかしたら会話の達人かもしれない^^
ううん、そのお返事だけで会話を続行させているわたしのほうが達人だわ!!
ということで、3つの言葉で会話を成立させる那智さんとそのお返事だけで続行させるわたしと、どちらが会話の達人なんでしょう^^
飴と鞭
りん子的独り言(生意気)
どこかで聞いた話で、もしかしたら間違っているかもしれないけれど。
一匹のマウスの箱には甘い水と口をつけると電流が流れる水を両隅に用意し、もう一匹のマウスの箱には甘い水だけ置いておいて行動を観察するという実験をしたそうだ。
もちろん、甘い水だけのマウスは活発に動き回り正常に育成するのだけど、甘い水と電流の方のマウスは最初こそ両方に口をつけ活動していたのだけど、最終的にはまったく動かなくなってしまったそうだ。
どちらが甘くてどちらが電流か、何度か繰り返せばいくらマウスでもわかると思うのだけど、それでも結局甘い方にも行かなくなってしまったのだ。
生き物は『恐怖』があると、活動停止してしまうらしい。
(多分、箱の中じゃなければ自由に恐怖から逃げられるから、また違うと思うけど)
これは仕事上での『飴と鞭』の話に繋がるらしいのですね。
能力を発揮し成果を上げるための上に立つ人間の心得なんですって。
もちろん、注意するべきところはする必要はあるけれど、それは純粋に注意であって、例えば『減給』などのペナルティや『罵倒』などの恐怖に繋がることをすると、それを回避しようとすることだけに思考が働き萎縮し仕事の成果は上がらないのだそうだ。
人を動かし良い結果を生むには、鞭は必要なくて飴だけでいいらしい。
ただ動かすだけじゃなくて、成果を上げるということがこの話のポイントですよ。
で、わたしとマウスの実験を一緒にしてしまうのも強引かもしれないけど、わたしは時々この実験の話を思い出す。
『愛される価値がない』
もう枕詞のように使ってますが、これは恋愛に於いて幸せになりきれなかった原因のひとつとして登場させてます。
だから、それイコール悲劇のヒロインというつもりはなくて、アレルギー体質とかみたいな特徴のひとつくらいで思ってます。
(とりあえず『怒らない私、2、3、4』シリーズで!!)
で、そこから来ると思われる『依存願望』『同化願望』を持っている女性を『わたしのような』ということで一括りにしています。
そんな、わたしに那智さんは飴しかくれていないな〜と思う。
『飴』というと甘いだけのような印象を持つけど。
『甘やかす』と『甘えさせる』というのは違うもので、那智さんのくれる飴は『甘えさせる』のほう。
わたしの場合。
飴というのは全肯定なんじゃないかと思う。
この肯定が、それをくれる相手に尽くしたいという気持ちにさせてくれる。
逆に鞭は、条件付きの肯定。(条件付けた時点で肯定じゃない気もするけど)
『減給』のように、これができなければ〜するという条件付きの肯定、これはわたしのような女には脅しになってしまう。
『〜しなければ捨てる』とか『〜できたら〜してあげる』とか『できないと怒られる』というもの。
捨てられる恐怖や、条件が付かないと愛されないという恐怖。
こういうことが『鞭』だと思う。
もちろん、ふたりの間には上下関係のようなものがあるので、不得意なことは対処方法を教えてもらったり、間違いを指摘されたりすることはあるので、甘えさせる=何でもいいよ〜というものではないのね。
ただ思う存分甘えさせてくれる。
尻尾を振っていたいわたしは、基本的に那智さん大好きで、那智さんの幸せを願い、本人以上にやきもきしてしまうほど那智さんに快適でいてほしいと思ってる。
マッサージをして心地良さそうにしてくれれば、嬉しいし。
お仕事が大変なときは、喜んでお手伝いする。
那智さんが快適に過ごせるように、心を砕く。
いつまでも魅力的でいたいと自分も磨く。
街中で四つん這いになるのもうんこを食べるのも、結果的には快感に繋がってしまうけど、性的なことに於いては拒否権がないという関係が大きなきっかけになっている。
那智さんが快適にと思うのも拒否権なしの関係も、別に那智さんが厳しく躾けているから従っているわけではないのだ。
それが喜びだからする。
ここに『鞭』というものが加わってしまうと、わたしのような女はむしろ逆効果だと思う。
鞭という恐怖があると思うと、多分わたしは途端に萎縮して発想も行動も貧困なものになってしまって、結局『那智さんの快適』にならないと思うのだ。
飴だけくれていれば那智さんの喜ぶことを考えるのは楽しいことになる、伸び伸びと柔軟な発想が湧く、結果的にはより豊かな『那智さんの快適』のために行動できると思うのだ。
『飴』だけで『鞭』はないほうが成果が上がると思う。
先にも書いたけど、那智さんは決して甘やかしはしないの。
ダメなときはダメというし。
女性に求めるものはけっこう高度だと思う。
だけど、それは鞭じゃないので、わたしは怖がることなくいられるのだ。
唯一わたしが恐れるとしたら、いまの信頼関係や心地よい関係にシミを残すことだと思ってる。
だから、那智さんにはウソは付きたくないし、裏切るようなこともしたくない。
これは那智さんが厳しいからじゃない、肯定という飴をくれる人との関係がとても幸福だからだ。
わたしのような女は、『大好き大好き』と尻尾を振ってその人の幸福を誰よりも願い、その人のためにと尽くす、けっこう健気なやつなんだ。
だけど、『価値がない』という刷り込み故か、条件付きの『鞭』を見せられると途端に萎縮してしまう。
相手の顔色を伺ってしまうのだ。
女性を怯えさせることが好きな男性や『捨てられるかも』というギリギリの状態萌えな女性には、このやり方は当てはまらないと思うけど。
わたしのような女を従わせ、喜んで好き勝手にしてほしいと思わせたいなら。
あなたのためにと、誠心誠意尽くさせたいと思うなら。
そういう成果を上げたいなら。
思う存分甘えさせてくれて肯定という飴をくれていればいい。
『飴』ころころ口の中で転がして十分味わわせてもらっていれば、ずーっとあなたが大好きで、あなたのために成果を上げることができる。
なんてたって犬気質洋犬型(下の子改め>命名笹の葉さん^^)なんだもの。
甘えん坊でも根は一生懸命、けっこう『いい仕事』いたしますよ^^
だから、わたしのような女には鞭はいらないのだ。
あ、違う鞭ならほしいけど^^
どこかで聞いた話で、もしかしたら間違っているかもしれないけれど。
一匹のマウスの箱には甘い水と口をつけると電流が流れる水を両隅に用意し、もう一匹のマウスの箱には甘い水だけ置いておいて行動を観察するという実験をしたそうだ。
もちろん、甘い水だけのマウスは活発に動き回り正常に育成するのだけど、甘い水と電流の方のマウスは最初こそ両方に口をつけ活動していたのだけど、最終的にはまったく動かなくなってしまったそうだ。
どちらが甘くてどちらが電流か、何度か繰り返せばいくらマウスでもわかると思うのだけど、それでも結局甘い方にも行かなくなってしまったのだ。
生き物は『恐怖』があると、活動停止してしまうらしい。
(多分、箱の中じゃなければ自由に恐怖から逃げられるから、また違うと思うけど)
これは仕事上での『飴と鞭』の話に繋がるらしいのですね。
能力を発揮し成果を上げるための上に立つ人間の心得なんですって。
もちろん、注意するべきところはする必要はあるけれど、それは純粋に注意であって、例えば『減給』などのペナルティや『罵倒』などの恐怖に繋がることをすると、それを回避しようとすることだけに思考が働き萎縮し仕事の成果は上がらないのだそうだ。
人を動かし良い結果を生むには、鞭は必要なくて飴だけでいいらしい。
ただ動かすだけじゃなくて、成果を上げるということがこの話のポイントですよ。
で、わたしとマウスの実験を一緒にしてしまうのも強引かもしれないけど、わたしは時々この実験の話を思い出す。
『愛される価値がない』
もう枕詞のように使ってますが、これは恋愛に於いて幸せになりきれなかった原因のひとつとして登場させてます。
だから、それイコール悲劇のヒロインというつもりはなくて、アレルギー体質とかみたいな特徴のひとつくらいで思ってます。
(とりあえず『怒らない私、2、3、4』シリーズで!!)
で、そこから来ると思われる『依存願望』『同化願望』を持っている女性を『わたしのような』ということで一括りにしています。
そんな、わたしに那智さんは飴しかくれていないな〜と思う。
『飴』というと甘いだけのような印象を持つけど。
『甘やかす』と『甘えさせる』というのは違うもので、那智さんのくれる飴は『甘えさせる』のほう。
わたしの場合。
飴というのは全肯定なんじゃないかと思う。
この肯定が、それをくれる相手に尽くしたいという気持ちにさせてくれる。
逆に鞭は、条件付きの肯定。(条件付けた時点で肯定じゃない気もするけど)
『減給』のように、これができなければ〜するという条件付きの肯定、これはわたしのような女には脅しになってしまう。
『〜しなければ捨てる』とか『〜できたら〜してあげる』とか『できないと怒られる』というもの。
捨てられる恐怖や、条件が付かないと愛されないという恐怖。
こういうことが『鞭』だと思う。
もちろん、ふたりの間には上下関係のようなものがあるので、不得意なことは対処方法を教えてもらったり、間違いを指摘されたりすることはあるので、甘えさせる=何でもいいよ〜というものではないのね。
ただ思う存分甘えさせてくれる。
尻尾を振っていたいわたしは、基本的に那智さん大好きで、那智さんの幸せを願い、本人以上にやきもきしてしまうほど那智さんに快適でいてほしいと思ってる。
マッサージをして心地良さそうにしてくれれば、嬉しいし。
お仕事が大変なときは、喜んでお手伝いする。
那智さんが快適に過ごせるように、心を砕く。
いつまでも魅力的でいたいと自分も磨く。
街中で四つん這いになるのもうんこを食べるのも、結果的には快感に繋がってしまうけど、性的なことに於いては拒否権がないという関係が大きなきっかけになっている。
那智さんが快適にと思うのも拒否権なしの関係も、別に那智さんが厳しく躾けているから従っているわけではないのだ。
それが喜びだからする。
ここに『鞭』というものが加わってしまうと、わたしのような女はむしろ逆効果だと思う。
鞭という恐怖があると思うと、多分わたしは途端に萎縮して発想も行動も貧困なものになってしまって、結局『那智さんの快適』にならないと思うのだ。
飴だけくれていれば那智さんの喜ぶことを考えるのは楽しいことになる、伸び伸びと柔軟な発想が湧く、結果的にはより豊かな『那智さんの快適』のために行動できると思うのだ。
『飴』だけで『鞭』はないほうが成果が上がると思う。
先にも書いたけど、那智さんは決して甘やかしはしないの。
ダメなときはダメというし。
女性に求めるものはけっこう高度だと思う。
だけど、それは鞭じゃないので、わたしは怖がることなくいられるのだ。
唯一わたしが恐れるとしたら、いまの信頼関係や心地よい関係にシミを残すことだと思ってる。
だから、那智さんにはウソは付きたくないし、裏切るようなこともしたくない。
これは那智さんが厳しいからじゃない、肯定という飴をくれる人との関係がとても幸福だからだ。
わたしのような女は、『大好き大好き』と尻尾を振ってその人の幸福を誰よりも願い、その人のためにと尽くす、けっこう健気なやつなんだ。
だけど、『価値がない』という刷り込み故か、条件付きの『鞭』を見せられると途端に萎縮してしまう。
相手の顔色を伺ってしまうのだ。
女性を怯えさせることが好きな男性や『捨てられるかも』というギリギリの状態萌えな女性には、このやり方は当てはまらないと思うけど。
わたしのような女を従わせ、喜んで好き勝手にしてほしいと思わせたいなら。
あなたのためにと、誠心誠意尽くさせたいと思うなら。
そういう成果を上げたいなら。
思う存分甘えさせてくれて肯定という飴をくれていればいい。
『飴』ころころ口の中で転がして十分味わわせてもらっていれば、ずーっとあなたが大好きで、あなたのために成果を上げることができる。
なんてたって犬気質洋犬型(下の子改め>命名笹の葉さん^^)なんだもの。
甘えん坊でも根は一生懸命、けっこう『いい仕事』いたしますよ^^
だから、わたしのような女には鞭はいらないのだ。
あ、違う鞭ならほしいけど^^
甘い飴をもらうには
独り言
SM界の隅っこにいるつもりなんだけど、『飴と鞭』の鞭はいらないだなんてきっとナンセンスな発言なのかもしれないな。
那智さんだって、別に甘い人じゃないから、何でもいいよ〜というばかりじゃない。
むしろ高度なものを女性に求めているので、けっこう大変だったりする。
(わたしを司会者に仕立て上げたりね。『職業選択』前振りから本文まで9話くらいあるのでとりあえず一個だけ文中リンク^^;)
一見鞭っぽいことだってないこともない。
でも、鞭と感じないのは、根底は全部『飴』だからだ。
もっと根本的な『飴と鞭』なんだな。
存在を肯定するか、条件付きという恐怖で縛るか、そんな大前提のこと。
で、わたしはその『鞭』があると逆効果だなって思うのでした。
(こんなこともナンセンスなのかな…)
だけどね、甘ーい飴もずっとずっともらい続けるには、こちらの心構えも必要。
大事なのはね。
甘えさせてもらっていることに、甘えないことなんだ。
わたしの欲しい種類の飴を継続してもらうには、これがとても大事なこと。
全肯定。
娘のように。
安心して尻尾を振る。
どれもキラキラ光る宝石のように魅力的だけど。
それをもらい続けるには、やはりこちらも努力が必要。
那智さんが、甘やかさずに甘えさせてくれるように。
わたしは甘えさせてもらうことに、甘えない。
全肯定なんていっても普通の大人同士、無償の愛を注がれ続けることなんてない。
だって、例え親子だとしても、親は子から幸福をもらっているものね。
どちらか一方だけ与え続けるという関係は、成立しにくいと思う。
近い人間でも、ううん近い人間だからこそ楽な方に流れて行きやすくなるもので、だからこそ律することも必要だ。
ただ、甘えていいところと律するところのポイントとかタイミングとか、それは人によって違うと思う。
相性といってしまえばそれまでなんだけど、それが那智さんとわたしは合っているのだと思う。
『甘えさせてもらっている』と『その状況に甘えてしまう』を区別するのだ。
那智さんにどっぷりと甘えながら、その状況に甘えないわたしを維持し続ける努力をする。
そうするといつも飴が新鮮に感じられて、お口の中でいつまでも甘くとろけるのだ。
那智さんとわたしの『努力の相性』が合っているんだね、きっと。
ほら、得意な努力と苦手な努力ってあるでしょ?
例えば、積極的な努力は得意だけど待つみたいな我慢は苦手とか、その逆とか。
那智さんの甘えさせたいと思うポイントとわたしの甘えたいポイント。
那智さんが努力してほしいと思うポイントと、わたしの得意な努力方法。
そんなのが合っているんだな。
どんな努力だろう。
どこかで客観視する自分を持ち続けることも、ひとつの努力かな。
そんなこと当たり前かもしれないけど、依存したい欲を持ちながらのその努力ってそれなりに大変。
依存願望と客観視の両立。
でも、多分苦手な努力じゃないんだな。
それでもって、那智さんは『条件付き』をしないでくれるから、努力を継続させることが『鞭』には繋がらないのだと思うのです。
大事なのは。
甘えさせてもらっていることに、甘えない。
昨日のエントリーを読んで、那智さんばっかり『いい人』だから、ちょっとずるーいって思って^^
こっちもけっこう努力してんだぜぃ!!ってね(笑)
自分で書いたくせにね、後から読んで自分にクレーム。
文章を綴るときの客観視は、下手みたいでした^^;
SM界の隅っこにいるつもりなんだけど、『飴と鞭』の鞭はいらないだなんてきっとナンセンスな発言なのかもしれないな。
那智さんだって、別に甘い人じゃないから、何でもいいよ〜というばかりじゃない。
むしろ高度なものを女性に求めているので、けっこう大変だったりする。
(わたしを司会者に仕立て上げたりね。『職業選択』前振りから本文まで9話くらいあるのでとりあえず一個だけ文中リンク^^;)
一見鞭っぽいことだってないこともない。
でも、鞭と感じないのは、根底は全部『飴』だからだ。
もっと根本的な『飴と鞭』なんだな。
存在を肯定するか、条件付きという恐怖で縛るか、そんな大前提のこと。
で、わたしはその『鞭』があると逆効果だなって思うのでした。
(こんなこともナンセンスなのかな…)
だけどね、甘ーい飴もずっとずっともらい続けるには、こちらの心構えも必要。
大事なのはね。
甘えさせてもらっていることに、甘えないことなんだ。
わたしの欲しい種類の飴を継続してもらうには、これがとても大事なこと。
全肯定。
娘のように。
安心して尻尾を振る。
どれもキラキラ光る宝石のように魅力的だけど。
それをもらい続けるには、やはりこちらも努力が必要。
那智さんが、甘やかさずに甘えさせてくれるように。
わたしは甘えさせてもらうことに、甘えない。
全肯定なんていっても普通の大人同士、無償の愛を注がれ続けることなんてない。
だって、例え親子だとしても、親は子から幸福をもらっているものね。
どちらか一方だけ与え続けるという関係は、成立しにくいと思う。
近い人間でも、ううん近い人間だからこそ楽な方に流れて行きやすくなるもので、だからこそ律することも必要だ。
ただ、甘えていいところと律するところのポイントとかタイミングとか、それは人によって違うと思う。
相性といってしまえばそれまでなんだけど、それが那智さんとわたしは合っているのだと思う。
『甘えさせてもらっている』と『その状況に甘えてしまう』を区別するのだ。
那智さんにどっぷりと甘えながら、その状況に甘えないわたしを維持し続ける努力をする。
そうするといつも飴が新鮮に感じられて、お口の中でいつまでも甘くとろけるのだ。
那智さんとわたしの『努力の相性』が合っているんだね、きっと。
ほら、得意な努力と苦手な努力ってあるでしょ?
例えば、積極的な努力は得意だけど待つみたいな我慢は苦手とか、その逆とか。
那智さんの甘えさせたいと思うポイントとわたしの甘えたいポイント。
那智さんが努力してほしいと思うポイントと、わたしの得意な努力方法。
そんなのが合っているんだな。
どんな努力だろう。
どこかで客観視する自分を持ち続けることも、ひとつの努力かな。
そんなこと当たり前かもしれないけど、依存したい欲を持ちながらのその努力ってそれなりに大変。
依存願望と客観視の両立。
でも、多分苦手な努力じゃないんだな。
それでもって、那智さんは『条件付き』をしないでくれるから、努力を継続させることが『鞭』には繋がらないのだと思うのです。
大事なのは。
甘えさせてもらっていることに、甘えない。
昨日のエントリーを読んで、那智さんばっかり『いい人』だから、ちょっとずるーいって思って^^
こっちもけっこう努力してんだぜぃ!!ってね(笑)
自分で書いたくせにね、後から読んで自分にクレーム。
文章を綴るときの客観視は、下手みたいでした^^;