からめてほしい2
非日常的な日常
外に出た。
右に曲がって、大通りへ向かう。
なるべく歩道の端を歩いて目立たないように。
でも、あまり不自然な態度は余計に目立つから、極力普通に。
降っていた雨は止んでる。
どんよりとした曇り空。
多分、寒いのだろう。
でも、気にならない、そこまで神経が行き届かないという感じ。
コートの裾がめくれないように、でも、なるべく急いで。
大通りまでの50m。
一度振り返る。
ずいぶん後ろにスーツ姿の男性が二人。
ちょっと安心した。
この距離なら、異変に気付かないだろう。
左の角からランチの買い出しだろうか、OLが数人。
立ち止まって、道を譲る。
大通りに出た。
何人かのサラリーマンたちとすれ違う。
でも、前から来る人は、あまり怖くない。
ショウウィンドウに映る自分の姿を見る。
ああ、この下は裸だ。
怖い、でも、嬉しい。
嬉しい、早く那智さんに見せたい。
振り返る。
わっ、いつの間に、ジーンズ姿の男性が2m斜め後ろにいた。
気付いてないよね…。
怖い。
何度も見ることはできないから、ショウウィンドウ越しに様子を見る。
それと同時に、歩く速度をほんの少しだけゆっくりにする。
早く追い越して。
もちろん気付いていないから、さっさと追い越していく。
ああ、よかった。
でも、わたしにはまだ難題が残ってるんだ。
那智さんのお仕事場に向かう角まで、あと20m。
そこにあるド○ールで那智さんと食べるお食事を買わないといけないんだ。
これは命令じゃない。
「どこかでお昼を買ってきて」
「コンビニ弁当とハンバーガーはパス」
「○○の地下で何か買えば?」
那智さんからは、これだけの指示が出てただけ。
時間的に○○の地下で買い物できなかった。
そうなると、二人の好物のド○ールのサンドイッチが適してる。
でも、先に買ってしまうと冷めておいしくない。
故に、裸にコートで買いに行くことを、わたしが選択したのだ。
ランチタイムより少し前で、それほど混雑していないド○ールに入る。
それでも、席は7割方埋まってる。
カウンターに立ち、客席に背中を向ける。
わからないよね?
大丈夫だよね?
不自然のギリギリくらいの角度に体を傾けて、客席にお尻を真正面に向けないようにする。
すぐ後ろのテーブルに商談中(?)の男性二人。
その奥にスーツ姿の女性が一人。
横に数人の女性グループ。
奥の喫煙席に男性一人。
注文をする。
後ろの人の視線が気になる。
話し声が少しでも変化してないか、耳を傾ける。
もし、不自然に会話が途切れたりしたら、何か感じてしまったのかもしれないもの。
怖い。
寒さを感じていなかったはずなのに、体が震えてる。
支払いをするために取り出した財布が震える。
落ち着いて、りん子。
指の震えを抑えながら小銭を出す。
怖い、怖い、怖い。
でも、わたしは、何を恐がっているのだろう。
ちゃんとめくらない限り、お尻は見えないはずだ。
もしかしたら、ちょっと違和感のあるミニくらいにしか見られないはず。
もし、何かに気付いたとしても「変な人?」で済むだろう。
あと20mで那智さんのお仕事場だ。
何を恐がっているの?
怖がっているのは嘘じゃない、でも、怖がってるだけじゃないよね。
わかってる、嬉しいんだよね。
体は震えてる、でも、それを抑えながら背筋を伸ばす。
美しい立ち姿になるように、足の位置を整える。
怖いけど、ほんとにほんとに怖いけど、りん子、見てほしいんだよね。
視線を感じたいんだよね。
チラッと振り返る。
偶然、喫煙席にいる男性を視線が合う。
ああ、那智さん、ここにいてほしい。
那智さんが隣りにいてくれたら、安心するのに。
怖がってるわたしも、見てほしいわたしも、背筋を伸ばすわたしも、容認してもらって安心するのに。
見られたい。
これはわたしのアブノーマルな願望の大きなひとつだ。
裸体を晒す勇気はないけど、コートの下に隠した姿で「見てほしい」という願望を叶える。
でも、これもひとりじゃダメなんだ。
ガーターベルトと同じ、それをさせる存在がないと叶うと感じられない。
だから、早く早く那智さんのそばに行きたい。
いま、いないのだもの、せめてどんなにドキドキして、どんなに震えたか、聞いてほしい。
そして、それで感じてるわたしの姿を見てほしい。
体の震えは止まらないけど少し吹っ切れたようで、出来上がるまで近くの椅子にきちんと腰掛けて待つことにした。
お仕事場に到着した。
わたしは興奮した犬のように「キャンキャン」してしまってる。
でも、ちょっとイレギュラーなことが起こり那智さんは、わたしに集中できずにいる。
コートのままサンドイッチを食べ、ささっとコートの上からわたしを抱き、フェラチオでいき、「じゃあ、洋服着ておいで」…。
抱かれてわたしだって気持ちよかったのに、なんでしょう、この「ぽつん」とした感じ。
那智さんにコートの下の姿を見てほしかったし、興奮して「キャンキャン」言ってるわたしを「よしよし」ってしてほしかった。
そして、「もっと」おかしくなるように油を注いでほしかった。
不完全燃焼。
いまとなっては、ノーマルなことでの快感とアブノーマルなことでの快感の境目がわからなくなってしまってるわたし。
でも、多分、アブノーマルな快感は「ひとり」では得られないみたいだ。
どんなに望んでいた「見せたい」も、ひとりでは快感にならない。
わずかに快感を感じても、そこから大きくはならない。
それをする理由と存在、そして、「もっと」をからめてくれないと、満たされない。
不思議ですね。
同じようなことをしても、満たされかたが全然違う。
人の脳みそは、不思議。
そんなこと考えながら、那智さんのお仕事場のトイレでさっき脱いだ洋服を着る。
ああ、わたし、不完全燃焼。
変な欲求不満になってしまいそう…。
人の脳なんて難しいこと思った次に、欲求不満を危惧するわたし。
ふたつの違う思考を客観視して、苦笑しながらニットのワンピに袖を通す。
外に出た。
右に曲がって、大通りへ向かう。
なるべく歩道の端を歩いて目立たないように。
でも、あまり不自然な態度は余計に目立つから、極力普通に。
降っていた雨は止んでる。
どんよりとした曇り空。
多分、寒いのだろう。
でも、気にならない、そこまで神経が行き届かないという感じ。
コートの裾がめくれないように、でも、なるべく急いで。
大通りまでの50m。
一度振り返る。
ずいぶん後ろにスーツ姿の男性が二人。
ちょっと安心した。
この距離なら、異変に気付かないだろう。
左の角からランチの買い出しだろうか、OLが数人。
立ち止まって、道を譲る。
大通りに出た。
何人かのサラリーマンたちとすれ違う。
でも、前から来る人は、あまり怖くない。
ショウウィンドウに映る自分の姿を見る。
ああ、この下は裸だ。
怖い、でも、嬉しい。
嬉しい、早く那智さんに見せたい。
振り返る。
わっ、いつの間に、ジーンズ姿の男性が2m斜め後ろにいた。
気付いてないよね…。
怖い。
何度も見ることはできないから、ショウウィンドウ越しに様子を見る。
それと同時に、歩く速度をほんの少しだけゆっくりにする。
早く追い越して。
もちろん気付いていないから、さっさと追い越していく。
ああ、よかった。
でも、わたしにはまだ難題が残ってるんだ。
那智さんのお仕事場に向かう角まで、あと20m。
そこにあるド○ールで那智さんと食べるお食事を買わないといけないんだ。
これは命令じゃない。
「どこかでお昼を買ってきて」
「コンビニ弁当とハンバーガーはパス」
「○○の地下で何か買えば?」
那智さんからは、これだけの指示が出てただけ。
時間的に○○の地下で買い物できなかった。
そうなると、二人の好物のド○ールのサンドイッチが適してる。
でも、先に買ってしまうと冷めておいしくない。
故に、裸にコートで買いに行くことを、わたしが選択したのだ。
ランチタイムより少し前で、それほど混雑していないド○ールに入る。
それでも、席は7割方埋まってる。
カウンターに立ち、客席に背中を向ける。
わからないよね?
大丈夫だよね?
不自然のギリギリくらいの角度に体を傾けて、客席にお尻を真正面に向けないようにする。
すぐ後ろのテーブルに商談中(?)の男性二人。
その奥にスーツ姿の女性が一人。
横に数人の女性グループ。
奥の喫煙席に男性一人。
注文をする。
後ろの人の視線が気になる。
話し声が少しでも変化してないか、耳を傾ける。
もし、不自然に会話が途切れたりしたら、何か感じてしまったのかもしれないもの。
怖い。
寒さを感じていなかったはずなのに、体が震えてる。
支払いをするために取り出した財布が震える。
落ち着いて、りん子。
指の震えを抑えながら小銭を出す。
怖い、怖い、怖い。
でも、わたしは、何を恐がっているのだろう。
ちゃんとめくらない限り、お尻は見えないはずだ。
もしかしたら、ちょっと違和感のあるミニくらいにしか見られないはず。
もし、何かに気付いたとしても「変な人?」で済むだろう。
あと20mで那智さんのお仕事場だ。
何を恐がっているの?
怖がっているのは嘘じゃない、でも、怖がってるだけじゃないよね。
わかってる、嬉しいんだよね。
体は震えてる、でも、それを抑えながら背筋を伸ばす。
美しい立ち姿になるように、足の位置を整える。
怖いけど、ほんとにほんとに怖いけど、りん子、見てほしいんだよね。
視線を感じたいんだよね。
チラッと振り返る。
偶然、喫煙席にいる男性を視線が合う。
ああ、那智さん、ここにいてほしい。
那智さんが隣りにいてくれたら、安心するのに。
怖がってるわたしも、見てほしいわたしも、背筋を伸ばすわたしも、容認してもらって安心するのに。
見られたい。
これはわたしのアブノーマルな願望の大きなひとつだ。
裸体を晒す勇気はないけど、コートの下に隠した姿で「見てほしい」という願望を叶える。
でも、これもひとりじゃダメなんだ。
ガーターベルトと同じ、それをさせる存在がないと叶うと感じられない。
だから、早く早く那智さんのそばに行きたい。
いま、いないのだもの、せめてどんなにドキドキして、どんなに震えたか、聞いてほしい。
そして、それで感じてるわたしの姿を見てほしい。
体の震えは止まらないけど少し吹っ切れたようで、出来上がるまで近くの椅子にきちんと腰掛けて待つことにした。
お仕事場に到着した。
わたしは興奮した犬のように「キャンキャン」してしまってる。
でも、ちょっとイレギュラーなことが起こり那智さんは、わたしに集中できずにいる。
コートのままサンドイッチを食べ、ささっとコートの上からわたしを抱き、フェラチオでいき、「じゃあ、洋服着ておいで」…。
抱かれてわたしだって気持ちよかったのに、なんでしょう、この「ぽつん」とした感じ。
那智さんにコートの下の姿を見てほしかったし、興奮して「キャンキャン」言ってるわたしを「よしよし」ってしてほしかった。
そして、「もっと」おかしくなるように油を注いでほしかった。
不完全燃焼。
いまとなっては、ノーマルなことでの快感とアブノーマルなことでの快感の境目がわからなくなってしまってるわたし。
でも、多分、アブノーマルな快感は「ひとり」では得られないみたいだ。
どんなに望んでいた「見せたい」も、ひとりでは快感にならない。
わずかに快感を感じても、そこから大きくはならない。
それをする理由と存在、そして、「もっと」をからめてくれないと、満たされない。
不思議ですね。
同じようなことをしても、満たされかたが全然違う。
人の脳みそは、不思議。
そんなこと考えながら、那智さんのお仕事場のトイレでさっき脱いだ洋服を着る。
ああ、わたし、不完全燃焼。
変な欲求不満になってしまいそう…。
人の脳なんて難しいこと思った次に、欲求不満を危惧するわたし。
ふたつの違う思考を客観視して、苦笑しながらニットのワンピに袖を通す。
どれくらいするの?
独り言
ちょっと予定が立て込んでたから、気付かなかったけど疲労がたまっていたのかな。
那智さんにたっくさんかまってもらった翌日は使い物にならなかった。
多分、いつもよりちょっと内容が濃かったんだよね。
そしたら、一気に疲れがあふれちゃった。
下着姿で一瞬お外を歩いたから風邪?(さらっと書いてますけど!!)
ううん、具合が悪いわけじゃないんだ。
ただただ疲れてる。
寝ても寝ても眠い。
「でも、風邪とかじゃないんだったら、気持ち悪い不調じゃないからよかったね。」
「はい…。でも、こんなに疲れちゃうなら、それこそわたし側の『いつまでするの?』ですよね。」
「じゃあ、頻度を落とす?月一回とか。」
「それは寂しいです…。」
「内容を薄くする?」
ちょうど、その話題が出たばかりだったんだ。
朝から夕方までの数時間。
お昼食べたり、マッサージしたり、うとうとしたり、を差し引いても、それだけの時間ずっとしてて、よく飽きないな〜って、那智さん自身が関心してたんです。
「俺自身、よくやるよな」って。
いままでの那智さんの経験値からは、想像できない執着(?)らしいのです。(蟻地獄ならぬ、りん子地獄と命名しよう!)
「だいたい、6、7時間もやるか?普通。」
「減っちゃうの?那智さん。」(疲れてると言ってるくせに寂しそう^^;)
減っちゃうの寂しい。
でも、この翌日の疲労困憊を経験すると、いつかは体力的に減るようになるのかな。
体力と欲求と那智さん側のテンション、すべてが同じように同じ速度で減少してほしいと思うのでした。
で、あらたな疑問。
昔はじめてSMをした人が「1回調教を始めたら5、6時間は続ける、だから時間が掛かる」と言ってたなぁ。
実際、どのくらいの時間するんでしょうね。
内容の濃さやインターバルの置き方などでまったく異なるのでしょうけど。
漠然と。
どれくらいするの?
そんなことを、力の入らない指でカチカチと更新するりん子@蟻地獄(気に入ってる 笑)。
ちょっと予定が立て込んでたから、気付かなかったけど疲労がたまっていたのかな。
那智さんにたっくさんかまってもらった翌日は使い物にならなかった。
多分、いつもよりちょっと内容が濃かったんだよね。
そしたら、一気に疲れがあふれちゃった。
下着姿で一瞬お外を歩いたから風邪?(さらっと書いてますけど!!)
ううん、具合が悪いわけじゃないんだ。
ただただ疲れてる。
寝ても寝ても眠い。
「でも、風邪とかじゃないんだったら、気持ち悪い不調じゃないからよかったね。」
「はい…。でも、こんなに疲れちゃうなら、それこそわたし側の『いつまでするの?』ですよね。」
「じゃあ、頻度を落とす?月一回とか。」
「それは寂しいです…。」
「内容を薄くする?」
ちょうど、その話題が出たばかりだったんだ。
朝から夕方までの数時間。
お昼食べたり、マッサージしたり、うとうとしたり、を差し引いても、それだけの時間ずっとしてて、よく飽きないな〜って、那智さん自身が関心してたんです。
「俺自身、よくやるよな」って。
いままでの那智さんの経験値からは、想像できない執着(?)らしいのです。(蟻地獄ならぬ、りん子地獄と命名しよう!)
「だいたい、6、7時間もやるか?普通。」
「減っちゃうの?那智さん。」(疲れてると言ってるくせに寂しそう^^;)
減っちゃうの寂しい。
でも、この翌日の疲労困憊を経験すると、いつかは体力的に減るようになるのかな。
体力と欲求と那智さん側のテンション、すべてが同じように同じ速度で減少してほしいと思うのでした。
で、あらたな疑問。
昔はじめてSMをした人が「1回調教を始めたら5、6時間は続ける、だから時間が掛かる」と言ってたなぁ。
実際、どのくらいの時間するんでしょうね。
内容の濃さやインターバルの置き方などでまったく異なるのでしょうけど。
漠然と。
どれくらいするの?
そんなことを、力の入らない指でカチカチと更新するりん子@蟻地獄(気に入ってる 笑)。
客観視する依存心
りん子的独り言(生意気)
このブログに遊びに来てくれた熟桃さんがご自身のブログで「その通り!!」と思うエントリーを書かれていました。(「素顔のままで」の「Open Your Eyes」です)
どんなに「隷属願望」のある人でも最後まで自分を守ることができるのは「主」ではなく、自分だと。
両目を見開き自分を見失わないでいてほしい。
と。
「隷属願望」を持ち、その盲目的な感情も自覚してるわたしには、とても耳の痛いお言葉(笑)
そして、いま、なんとか「自分を犠牲」にしないで付き合えるパートナーに出会えて、隷属願望のビフォーアフターを多少理解できてるつもりなので、「隷属願望」故に苦しんでるM女さんには読んでいただきたいなと思うエントリーでした。
両目を見開き冷静に見極める。
自分を守れるのは、自分。
ほんとにその通りで、それができたらどんなにいいか、と思う。
もちろん、それをするには、自立心や自制心、たくさんの努力なくしてはできないこと。
責任も自分で引き受けないといけないから、それも大変。
でも、自分の足でしっかりと立っていられるほうが、絶対に幸福だと思う。
ところが、残念ながらわたしのような「不安定」な女は体質なのか環境からなのか、それができないのです。
火星語を話せと言われているような、途方に暮れてしまうようなことなの。
弱いと言ってしまえばそれまでなのだけど、できない。
自分に価値があると思えなくて、不安で何かにすがっていないと立っていられない。
もし、寄り添える人がいて、それでいいと思えてるなら、それでかまわない(それだって、いつかその人が死んだら…やっぱり一人で立たなくちゃいけないけど)
でも、もしいま、奴隷という形で誰かに依存していて、それでも、漠然とした不安を抱えてる人はやっぱり両目を見開いてほしい。
「「奴隷願望」の矛盾」でも書いたけど、そもそも「奴隷願望」を持つことがすでに「不安定」なのだ。
妄想の中の役割りでしているのなら、それはかまわないことだけど。
誰かに「従いたい」と思うことは、誰かに「依存したい」なの。
まず、それを自覚することからはじめたら、もしかしたら、いつか自立できるんじゃないかなって思うのです。
「従いたい、尽くしたい」のではなく、「依存したい」のだと、自分の気持ちを見極める。
わたしのような「依存体質」は自分がどうしたいのかわからないことが多いけど(ほんと、わからないんだ)、それでも、一生懸命自分の心と向き合って、願望の本質を見極めるの。
隷属願望の強い人は、依存先を失うことが怖くてしかたないから、「主」と名乗る人がそれに値するのか判断するのが怖い。
だから、盲目的になってしまう。
それなら、まず「自分」の心を探ることならできるんじゃないかなって思うのです。
一生懸命、自分を客観視するのです。
まず、自分の依存心を客観視して、それに慣れたら次に「主」が「主(依存先)」に値するか見極めるのだ。
ただ、その盲目的になってしまってる状態だと、冷静な判断ができない。
依存先を失うことが不安でしかたないから、目を瞑る。
「この人しかいない」と思い込む。
(ほんと、客観的に見ればわかるのだけど、できないの^^;)
じゃあ、どうしたらいい?
わたしの経験から、ひとつ判断材料を挙げるなら。
その「主」と一緒にいて「ヒヤヒヤ」した感覚を持っているのならば、それは関係が歪んでると思います。(ご主人様と奴隷という関係自体歪んでるから、それでいいと思われるかたはそれでいいのですけど)
機嫌を伺い、機嫌を損ねないように、気遣う。
機嫌が悪くなったら、それは自分のせいだと責める。
結果的にいつも「ヒヤヒヤ」してるのだ。
「ヒヤヒヤ」してる感覚、それは、不幸な証拠だと思う。
「支配する」「導く」「躾ける」隷属願望を持っている女には甘い言葉。
でも、その言葉で「主」と名乗り、結果M女を「ヒヤヒヤ」させているのは「主」じゃない。
これでは、暴君だ。(「「奴隷願望」の矛盾」で熟桃さんがコメントでおっしゃってた「ママと子供」が一番ピッタリです!!もちろん、これも当人同士が自覚しあっているなら、かまわないのだけど)
「ヒヤヒヤ」して、漠然と不安が解消できないのなら、その関係は歪んでると思っていいのではないでしょうか。
それでも怖いよね、依存先を失うことは。
でも、歪んだ関係を築いてしまっているほうが絶対不幸です。
大丈夫、根拠ないけど、どこかにきっといる。
ちゃんと依存させてくれて、あなたを安心させてくれる人が。
自立は、その後からでも間に合う。
歪んだ関係を解消して、自分を見つめる訓練をする。
いろんな違うタイプの人のブログを読んだり意見を聞いたりして、自分を客観視する。
きっとそしたら、見つかる。
こういうことは普通の恋愛でもいえることなのだけど、SMという特殊な世界では「普通は存在しない上下関係」のようなものが最初から存在してしまってると 勘違いしてしまうことが大きく、またボディピアスや刺青など体を傷付けることも起こりがちなので、ひとりでも傷付く人が減ってくれたらなって思います。
熟桃さんのエントリーを読んで、こんなことを考えたのでした。
あ、そうそう、もうひとつもっと簡単な判断のしかたがあります。
それはね、「わたしは、あなたに従いたいのではなくて、あなたにどっぷり依存したい。」そういって「ご主人様」を探してみてはどうでしょう!?
「奴隷」という都合の良いセックスフレンドを探してる人は一斉に退散すると思います(笑)
このブログに遊びに来てくれた熟桃さんがご自身のブログで「その通り!!」と思うエントリーを書かれていました。(「素顔のままで」の「Open Your Eyes」です)
どんなに「隷属願望」のある人でも最後まで自分を守ることができるのは「主」ではなく、自分だと。
両目を見開き自分を見失わないでいてほしい。
と。
「隷属願望」を持ち、その盲目的な感情も自覚してるわたしには、とても耳の痛いお言葉(笑)
そして、いま、なんとか「自分を犠牲」にしないで付き合えるパートナーに出会えて、隷属願望のビフォーアフターを多少理解できてるつもりなので、「隷属願望」故に苦しんでるM女さんには読んでいただきたいなと思うエントリーでした。
両目を見開き冷静に見極める。
自分を守れるのは、自分。
ほんとにその通りで、それができたらどんなにいいか、と思う。
もちろん、それをするには、自立心や自制心、たくさんの努力なくしてはできないこと。
責任も自分で引き受けないといけないから、それも大変。
でも、自分の足でしっかりと立っていられるほうが、絶対に幸福だと思う。
ところが、残念ながらわたしのような「不安定」な女は体質なのか環境からなのか、それができないのです。
火星語を話せと言われているような、途方に暮れてしまうようなことなの。
弱いと言ってしまえばそれまでなのだけど、できない。
自分に価値があると思えなくて、不安で何かにすがっていないと立っていられない。
もし、寄り添える人がいて、それでいいと思えてるなら、それでかまわない(それだって、いつかその人が死んだら…やっぱり一人で立たなくちゃいけないけど)
でも、もしいま、奴隷という形で誰かに依存していて、それでも、漠然とした不安を抱えてる人はやっぱり両目を見開いてほしい。
「「奴隷願望」の矛盾」でも書いたけど、そもそも「奴隷願望」を持つことがすでに「不安定」なのだ。
妄想の中の役割りでしているのなら、それはかまわないことだけど。
誰かに「従いたい」と思うことは、誰かに「依存したい」なの。
まず、それを自覚することからはじめたら、もしかしたら、いつか自立できるんじゃないかなって思うのです。
「従いたい、尽くしたい」のではなく、「依存したい」のだと、自分の気持ちを見極める。
わたしのような「依存体質」は自分がどうしたいのかわからないことが多いけど(ほんと、わからないんだ)、それでも、一生懸命自分の心と向き合って、願望の本質を見極めるの。
隷属願望の強い人は、依存先を失うことが怖くてしかたないから、「主」と名乗る人がそれに値するのか判断するのが怖い。
だから、盲目的になってしまう。
それなら、まず「自分」の心を探ることならできるんじゃないかなって思うのです。
一生懸命、自分を客観視するのです。
まず、自分の依存心を客観視して、それに慣れたら次に「主」が「主(依存先)」に値するか見極めるのだ。
ただ、その盲目的になってしまってる状態だと、冷静な判断ができない。
依存先を失うことが不安でしかたないから、目を瞑る。
「この人しかいない」と思い込む。
(ほんと、客観的に見ればわかるのだけど、できないの^^;)
じゃあ、どうしたらいい?
わたしの経験から、ひとつ判断材料を挙げるなら。
その「主」と一緒にいて「ヒヤヒヤ」した感覚を持っているのならば、それは関係が歪んでると思います。(ご主人様と奴隷という関係自体歪んでるから、それでいいと思われるかたはそれでいいのですけど)
機嫌を伺い、機嫌を損ねないように、気遣う。
機嫌が悪くなったら、それは自分のせいだと責める。
結果的にいつも「ヒヤヒヤ」してるのだ。
「ヒヤヒヤ」してる感覚、それは、不幸な証拠だと思う。
「支配する」「導く」「躾ける」隷属願望を持っている女には甘い言葉。
でも、その言葉で「主」と名乗り、結果M女を「ヒヤヒヤ」させているのは「主」じゃない。
これでは、暴君だ。(「「奴隷願望」の矛盾」で熟桃さんがコメントでおっしゃってた「ママと子供」が一番ピッタリです!!もちろん、これも当人同士が自覚しあっているなら、かまわないのだけど)
「ヒヤヒヤ」して、漠然と不安が解消できないのなら、その関係は歪んでると思っていいのではないでしょうか。
それでも怖いよね、依存先を失うことは。
でも、歪んだ関係を築いてしまっているほうが絶対不幸です。
大丈夫、根拠ないけど、どこかにきっといる。
ちゃんと依存させてくれて、あなたを安心させてくれる人が。
自立は、その後からでも間に合う。
歪んだ関係を解消して、自分を見つめる訓練をする。
いろんな違うタイプの人のブログを読んだり意見を聞いたりして、自分を客観視する。
きっとそしたら、見つかる。
こういうことは普通の恋愛でもいえることなのだけど、SMという特殊な世界では「普通は存在しない上下関係」のようなものが最初から存在してしまってると 勘違いしてしまうことが大きく、またボディピアスや刺青など体を傷付けることも起こりがちなので、ひとりでも傷付く人が減ってくれたらなって思います。
熟桃さんのエントリーを読んで、こんなことを考えたのでした。
あ、そうそう、もうひとつもっと簡単な判断のしかたがあります。
それはね、「わたしは、あなたに従いたいのではなくて、あなたにどっぷり依存したい。」そういって「ご主人様」を探してみてはどうでしょう!?
「奴隷」という都合の良いセックスフレンドを探してる人は一斉に退散すると思います(笑)
依存のその後
りん子的独り言(生意気)
「ヒヤヒヤ」する感じ。
これって、わかりづらいと思う。
その感覚を感じたことがない人にはちんぷんかんぷんなことだし、もし感じていたとしても気付けないことが多いから。
わたしも手前味噌(笑)ですけど、那智さんと付き合いはじめて知ったのだもの。
それまではSMノーマル関係なく男性とお付き合いしているとき、ずっとヒヤヒヤしていたの。
ヒヤヒヤしてるの知ってたけど、ずっとそうだったから、そういうものだと思ってた。
それで那智さんとお付き合いして、ヒヤヒヤしないことを感じて、はじめてそれ以外の付き合い方があるのだって気付いたのです。
気付くと、それは明らかに違っていて、いままでの関係は歪んでいたんだなぁと、これからはその差がわかると思えたのです。(あ、那智さんとわたしの関係も、ある意味歪んでますけど^^;)
こちらに時々登場する、すみれさん。
彼女はSM嗜好はないけれど、不思議とわたしにシンパシーを感じてくれてコメントやメールをくれる。
でも、まあ、性的なお話のときもドキドキしてくれているので、その部分でも何かしらの感じるものはあるのでしょうね。
すみれさんが特に共感を覚えてくれるのは、「自信がないから不安、だから必要以上に気を遣ってしまって、それゆえ逆に動けなくなって、付き合いをそれ以上深められない」というような「うじうじ気質」なんだと思う(笑)(すみれさんごめん!!)
だから、性的嗜好が違ってもわたしとわたしのブログを好いていてくれるのだと思ってる。
そのすみれさんが、昨日のエントリーに感想をくれた。(感想を載せることに了承してくれたすみれさん、ありがとう)
「ヒヤヒヤ」した感覚。
すみれさんもそれに近い感覚を持っていたそうです。
お付き合いする男性に対して、嫌われたくないと思うあまりずっと緊張してしまっていて、とても疲れていたそうです。
でも、それは好きだから緊張してるのだと解釈していたそうです。
だから、好きな人といて「安らぐ」というのは、自分には存在しない感覚だと思っていたのです。
彼女は最近、新しい恋愛をスタートさせました。
メールでときどき教えてもらう内容は、とても幸せそうで、でも、今度は「いらぬ気遣い」をせずに素直に接したいと心掛けていて、ときには相手のかたと話し 合いをしたり、いままでの彼女にはできなかったことができているそうです。(お相手がそれに付き合ってくれる方でよかったね)
なんとか、彼女なりに心にシミを残さずにお付き合いを進められているようです。
そのすみれさんも、彼とお付き合いをして、はじめて「緊張しない」ということを経験したのです。
恋してるからドキドキはするけど、緊張しないって。
もちろん、そのお付き合いだって人間同士、いつ何があるかわからない(那智さんとわたしだってね^^)
でも、「緊張しない」ことが自分にもできる、「緊張しない」心地良さを一度知れば、人はまたひとつ強くなれるのだと思います。
それはね、その彼とお付き合いが続いていても同じ。
この人といると心地良い、心地良さを味わえる自分にちょっと自信がつく、その心地良さをくれる人を大切にしたいと思い、またひとつ強くなれる、はず。
すみれさんは、一時期ちょっと大変なときがあった。
でも、あきらめず、何度も自分の心に自分で向き合い、逃げなかったの。
だから、いまがあると思ってます。
抜け出したいと思ったら、きっと、もう一歩抜け出してるんだよね。
だから、抜け出すために自分を客観視する。
いまはできなくても、依存してても客観視する^^それは大事なことですよね。
抜け出したいと思ったら、きっといつでも抜け出せる。
孤独は味わうかもしれないけど、その孤独が自分を鍛えて、魅力になるの。
感想をいただいて、そんなふうに思いました。
すみれさんには「奴隷願望」は理解できないもののようだけど、「依存体質」(まあ、そんな言葉あるか知らないけど^^;)はあると感じているそうです。
自分で自分を幸せにできないと思ってる。
だから、誰か(彼)に幸せにしてほしいと。
それもわたしわかるんだ。
でも、すみれさんも言ってるのだけど、相手に幸せにしてほしいと思うのでは、それでは依存から抜け出せない。
自分も相手を幸せにしたい、二人で幸せになりたい、そう思うことが大切なんだって。
それも、そうだよね。
更に、わたしが目指す(?)のは、わたしを幸せにできるのは「わたし」だってこと。
その上で、那智さんに「幸せや快感(いろんなね)」をもらって、わたしもあげる。
そうなれたら、もっと幸せになれるのではないかな〜と感じました。
自分を幸せにできるのは自分。
まだまだ遠い道のりです(笑)
でもね、わたし、ちょーっとずつだけど、強くなれているそうです。
那智さんとわたしは、ご主人様と奴隷じゃない、そこから連想される上下はない。
依存して従属してるけど、対等。
ただ、愛してる人の幸せを願い、大好きな人を大切にしたいと思うだけ。
だって、わたしはちょーっとずつだけど強くなってるのだもの。
いつか、人並みに強くなれたとき、それでも、那智さんと愛し合っていられるように、上下関係はないのだ。
上下があることで成り立つ関係だとしたら、いつかその差が埋まったときにその関係は維持できなくなるから。
ほんとうは差がないのに、差があるような上下関係は不自然だから。
堂々と依存して、散々甘えて、きっといつか強くなるんだ^^
だから、那智さん長生きしてね、80才くらいになったら「びえ〜ん」って泣きつかなくなれる予定だから(笑)
と、すでに今朝ちょっと泣きついたわたしがお送りしました^^
「ヒヤヒヤ」する感じ。
これって、わかりづらいと思う。
その感覚を感じたことがない人にはちんぷんかんぷんなことだし、もし感じていたとしても気付けないことが多いから。
わたしも手前味噌(笑)ですけど、那智さんと付き合いはじめて知ったのだもの。
それまではSMノーマル関係なく男性とお付き合いしているとき、ずっとヒヤヒヤしていたの。
ヒヤヒヤしてるの知ってたけど、ずっとそうだったから、そういうものだと思ってた。
それで那智さんとお付き合いして、ヒヤヒヤしないことを感じて、はじめてそれ以外の付き合い方があるのだって気付いたのです。
気付くと、それは明らかに違っていて、いままでの関係は歪んでいたんだなぁと、これからはその差がわかると思えたのです。(あ、那智さんとわたしの関係も、ある意味歪んでますけど^^;)
こちらに時々登場する、すみれさん。
彼女はSM嗜好はないけれど、不思議とわたしにシンパシーを感じてくれてコメントやメールをくれる。
でも、まあ、性的なお話のときもドキドキしてくれているので、その部分でも何かしらの感じるものはあるのでしょうね。
すみれさんが特に共感を覚えてくれるのは、「自信がないから不安、だから必要以上に気を遣ってしまって、それゆえ逆に動けなくなって、付き合いをそれ以上深められない」というような「うじうじ気質」なんだと思う(笑)(すみれさんごめん!!)
だから、性的嗜好が違ってもわたしとわたしのブログを好いていてくれるのだと思ってる。
そのすみれさんが、昨日のエントリーに感想をくれた。(感想を載せることに了承してくれたすみれさん、ありがとう)
「ヒヤヒヤ」した感覚。
すみれさんもそれに近い感覚を持っていたそうです。
お付き合いする男性に対して、嫌われたくないと思うあまりずっと緊張してしまっていて、とても疲れていたそうです。
でも、それは好きだから緊張してるのだと解釈していたそうです。
だから、好きな人といて「安らぐ」というのは、自分には存在しない感覚だと思っていたのです。
彼女は最近、新しい恋愛をスタートさせました。
メールでときどき教えてもらう内容は、とても幸せそうで、でも、今度は「いらぬ気遣い」をせずに素直に接したいと心掛けていて、ときには相手のかたと話し 合いをしたり、いままでの彼女にはできなかったことができているそうです。(お相手がそれに付き合ってくれる方でよかったね)
なんとか、彼女なりに心にシミを残さずにお付き合いを進められているようです。
そのすみれさんも、彼とお付き合いをして、はじめて「緊張しない」ということを経験したのです。
恋してるからドキドキはするけど、緊張しないって。
もちろん、そのお付き合いだって人間同士、いつ何があるかわからない(那智さんとわたしだってね^^)
でも、「緊張しない」ことが自分にもできる、「緊張しない」心地良さを一度知れば、人はまたひとつ強くなれるのだと思います。
それはね、その彼とお付き合いが続いていても同じ。
この人といると心地良い、心地良さを味わえる自分にちょっと自信がつく、その心地良さをくれる人を大切にしたいと思い、またひとつ強くなれる、はず。
すみれさんは、一時期ちょっと大変なときがあった。
でも、あきらめず、何度も自分の心に自分で向き合い、逃げなかったの。
だから、いまがあると思ってます。
抜け出したいと思ったら、きっと、もう一歩抜け出してるんだよね。
だから、抜け出すために自分を客観視する。
いまはできなくても、依存してても客観視する^^それは大事なことですよね。
抜け出したいと思ったら、きっといつでも抜け出せる。
孤独は味わうかもしれないけど、その孤独が自分を鍛えて、魅力になるの。
感想をいただいて、そんなふうに思いました。
すみれさんには「奴隷願望」は理解できないもののようだけど、「依存体質」(まあ、そんな言葉あるか知らないけど^^;)はあると感じているそうです。
自分で自分を幸せにできないと思ってる。
だから、誰か(彼)に幸せにしてほしいと。
それもわたしわかるんだ。
でも、すみれさんも言ってるのだけど、相手に幸せにしてほしいと思うのでは、それでは依存から抜け出せない。
自分も相手を幸せにしたい、二人で幸せになりたい、そう思うことが大切なんだって。
それも、そうだよね。
更に、わたしが目指す(?)のは、わたしを幸せにできるのは「わたし」だってこと。
その上で、那智さんに「幸せや快感(いろんなね)」をもらって、わたしもあげる。
そうなれたら、もっと幸せになれるのではないかな〜と感じました。
自分を幸せにできるのは自分。
まだまだ遠い道のりです(笑)
でもね、わたし、ちょーっとずつだけど、強くなれているそうです。
那智さんとわたしは、ご主人様と奴隷じゃない、そこから連想される上下はない。
依存して従属してるけど、対等。
ただ、愛してる人の幸せを願い、大好きな人を大切にしたいと思うだけ。
だって、わたしはちょーっとずつだけど強くなってるのだもの。
いつか、人並みに強くなれたとき、それでも、那智さんと愛し合っていられるように、上下関係はないのだ。
上下があることで成り立つ関係だとしたら、いつかその差が埋まったときにその関係は維持できなくなるから。
ほんとうは差がないのに、差があるような上下関係は不自然だから。
堂々と依存して、散々甘えて、きっといつか強くなるんだ^^
だから、那智さん長生きしてね、80才くらいになったら「びえ〜ん」って泣きつかなくなれる予定だから(笑)
と、すでに今朝ちょっと泣きついたわたしがお送りしました^^
わたしだけ?
独り言
ここ2、3日テレビのニュースでは「三浦和義容疑者逮捕」が報じられている。
「なぜ今?」などの疑問はあるでしょうけど、わたしはぜーんぜん違うことが気になってしまってます。
どの番組も「いわゆるロス疑惑」と言ってるの。
日本語として間違ってないのでしょうけど、なんか気になる。
民放だとそれほど気にならないのだけど、NHKのニュースでもアナウンサーが枕詞のように言ってると、どうしても引っ掛かってしなうの。
「いわゆるロス疑惑では三浦容疑者は…」
「1981年に起きた、いわゆるロス疑惑の…」
NHKが使ってるんだから、おかしくないのよね。
ロサンゼルスで起きた三浦一美さん銃撃事件っていうと長いから「ロス疑惑」にしてるのもわかる。
それが気になってしまうわたしの感覚がおかしいのかもしれないけど、「いわゆるロス疑惑」と流れる度に、「あっまた言った」とそっちばっかり気になってカウントしたくなっちゃうほど。
本質からずれたところのことが気になってしまう。
そういうことは時々あって、特にニュースなどちゃんと本質を見なきゃいけない場面では、その気がかりは邪魔なだけなんだよね。
例えば。
「犯行を示唆するメモが押収されました」
なんて言われると、そのメモの想像をしちゃう。
だいたいイメージするのは、無地かシンプルな罫の「メモ帳」。
一枚一枚、ぺりーってはがせるやつ?
電話の横に置いてあってペンホルダーがセットになってるやつ?
電話しながらいたずら書きしながら「俺がやった」なんて書いてあったりして?
それとかね。
「容疑者が犯行をほのめかしています」
とか言われちゃうと、頭に中は取調室になっちゃう。
「いい加減に吐いたらどうだ」と刑事さん。
「いや〜、刑事さんね〜、俺知ってるんですよね〜、…あ、タバコもらっていいですか?」
そんな昔の刑事ドラマのワンシーンみたいなのが、頭の中で繰り広げられてしまう。
どんなほのめかし方なんだろう?って。
そうやって、どんどん本筋から外れていってしまうのです^^;
もうひとつ最近の大きなニュース。
イージス艦「あたご」と漁船「清徳丸」の衝突事故。
清徳丸の二人の行方や真相究明はもちろん重要なこと。
でも、別なことも気になっちゃう。
それは、漁師仲間が捜索に協力していること。
船に乗らない女性たちは港で祈祷してる。
そんな様子を見ると同じ危険を共有してる絆のようなものを感じて、ちょっと胸がぐっとくる。
でも、そこで更に本筋から逸れて。
捜索してる間、漁に出られないのだったら、その間の生活の保障とか捜索に使った燃料とか、どうするんだろう?
防衛省に請求できるのかな?
できるのなら、ちゃんとするべきだよね。
そーんなこと考えてしまう。
重要じゃないことが気になって、どんどんずれていってしまうのです。
こういうのわたしだけかなぁ…^^;
ここ2、3日テレビのニュースでは「三浦和義容疑者逮捕」が報じられている。
「なぜ今?」などの疑問はあるでしょうけど、わたしはぜーんぜん違うことが気になってしまってます。
どの番組も「いわゆるロス疑惑」と言ってるの。
日本語として間違ってないのでしょうけど、なんか気になる。
民放だとそれほど気にならないのだけど、NHKのニュースでもアナウンサーが枕詞のように言ってると、どうしても引っ掛かってしなうの。
「いわゆるロス疑惑では三浦容疑者は…」
「1981年に起きた、いわゆるロス疑惑の…」
NHKが使ってるんだから、おかしくないのよね。
ロサンゼルスで起きた三浦一美さん銃撃事件っていうと長いから「ロス疑惑」にしてるのもわかる。
それが気になってしまうわたしの感覚がおかしいのかもしれないけど、「いわゆるロス疑惑」と流れる度に、「あっまた言った」とそっちばっかり気になってカウントしたくなっちゃうほど。
本質からずれたところのことが気になってしまう。
そういうことは時々あって、特にニュースなどちゃんと本質を見なきゃいけない場面では、その気がかりは邪魔なだけなんだよね。
例えば。
「犯行を示唆するメモが押収されました」
なんて言われると、そのメモの想像をしちゃう。
だいたいイメージするのは、無地かシンプルな罫の「メモ帳」。
一枚一枚、ぺりーってはがせるやつ?
電話の横に置いてあってペンホルダーがセットになってるやつ?
電話しながらいたずら書きしながら「俺がやった」なんて書いてあったりして?
それとかね。
「容疑者が犯行をほのめかしています」
とか言われちゃうと、頭に中は取調室になっちゃう。
「いい加減に吐いたらどうだ」と刑事さん。
「いや〜、刑事さんね〜、俺知ってるんですよね〜、…あ、タバコもらっていいですか?」
そんな昔の刑事ドラマのワンシーンみたいなのが、頭の中で繰り広げられてしまう。
どんなほのめかし方なんだろう?って。
そうやって、どんどん本筋から外れていってしまうのです^^;
もうひとつ最近の大きなニュース。
イージス艦「あたご」と漁船「清徳丸」の衝突事故。
清徳丸の二人の行方や真相究明はもちろん重要なこと。
でも、別なことも気になっちゃう。
それは、漁師仲間が捜索に協力していること。
船に乗らない女性たちは港で祈祷してる。
そんな様子を見ると同じ危険を共有してる絆のようなものを感じて、ちょっと胸がぐっとくる。
でも、そこで更に本筋から逸れて。
捜索してる間、漁に出られないのだったら、その間の生活の保障とか捜索に使った燃料とか、どうするんだろう?
防衛省に請求できるのかな?
できるのなら、ちゃんとするべきだよね。
そーんなこと考えてしまう。
重要じゃないことが気になって、どんどんずれていってしまうのです。
こういうのわたしだけかなぁ…^^;