ひとりじゃない独り言
独り言
マッサージをしているうちに寝息が聞こえてくる。
お疲れさまでした、大好きな那智さん。
わたしの好きな空間で、わたしの好きな那智さんの寝息を聞きながら、わたしは残りのワインを飲み切ります(笑)
これだけなんだけど、とてもとても満ち足りた夜。
マッサージをしているうちに寝息が聞こえてくる。
お疲れさまでした、大好きな那智さん。
わたしの好きな空間で、わたしの好きな那智さんの寝息を聞きながら、わたしは残りのワインを飲み切ります(笑)
これだけなんだけど、とてもとても満ち足りた夜。
ランチデート
非日常的な日常
やっと那智さんに会える。
だけど、今日はランチデート。
それでも会えるのはとても嬉しい。
短い時間の中で良い時間になるように心を持って行くことを覚えてから、ランチデートは「ゆっくり会えない代わり」というものではなくなって、その短い時間がとても楽しいものなっているので、満たされる。
だから、これはこれで楽しみ。
それなのに朝の電話で「オナニー禁止令」を出されてしまったの。
このランチデートのあとそれほど時間を空けずに会えることがわかっているから、絶望ってほどでもないのだけど、お仕事が立て込んでて今日のランチはカラオ ケマッサージコースなのは推測できてるから、この「禁止令」は=わたしを気持ち良くしてくれる時間はないのだろうな…とちょっと残念な気持ちになる。
だけど、それがなくても久しぶりに会って「撫で撫で」くらいはしてくれるだろうし、いまのわたしにはそちらのほうが乾いてるとも思えるので、むしろ気持ち良くなれなくてもかまわない…とも思える。
でも、「禁止令」を出されることが、逆にわたしの欲情を誘うのだ。
那智さんに「握られている」と感じさせられることは、わたしのM心を目覚めさせてしまう。
もう、そんなこと言わないでいてくれたら、大人しく穏やかに「マッサージと撫で撫で」デートで満足だったのに(多分、恐らく、きっと…笑)
欲情するな、欲情するな、そう思いながら会いに行く。
ちょっと時間があったから、那智さんのお仕事場で一緒に軽くお昼を食べて、カラオケへ^^;
お部屋に入るなり、ソファにうつ伏せになる。
忙しい状況はわかってるから、マッサージはやぶさかではない。
「ちょっとでも楽になれ〜」と思って、指圧、指圧。
終わってソファに腰掛ける那智さんの足の間に座り、お腹に顔を埋める。
髪を撫でられ、ちょっとだけキスをしてくれる。
ああ、いじわるしてる、ちょっとだけなんだもん。
「今日は気持ち良くしないからね。」
わかってます、それでもかまいません、わたしを困らせて面白がってくれることが嬉しいです。
だけど、その「禁止」は欲情を助長するのです。
だから、りん子、我慢。
我慢を甘美な程度で収めて、わたし自身もそれを楽しめるように、心をコントロールする(努力^^;)
「今日は気持ち良くしないからね。」
そう言いながらズボンのファスナーを下ろしおちんちんを出す。
ああ、嬉しい、お口に入れられる。
これは「奉仕」?「ご褒美」?
わからないなぁ、でも、きっとくわえたらわたし感じちゃう。
いつもの那智さんの匂い。
嬉しくて、お口に頬張る。
心?脳?なんだかわからないけど、いつも不思議に思う、だって、フェラチオしてるだけなのに体が気持ち良くなるんだもの。
ほんの少し腰が揺れる。
「感じてるんだ?これでいけるんらいってもいいよ。」
そんな許可が下る。
久しぶりに会えたのだから、自分で勝手に気持ち良くなってしまうような感じは寂しい。
「那智さんに気持ち良くしてほしいです。」
そんなお願いをしてみる。
「そう?これだって俺が気持ち良くしてるって、俺は思うけど。」
わかってますけど、気持ち良くなり過ぎるとわたし自身がつらいから、ちょっと抑制していたし、いけそうにないなぁ。
そんなふうに思っていても、どんどん気持ち良くなってしまう。
今日は「禁止令」が出てるからこれ以上那智さんがわたしを気持ち良くしてくれることはない可能性が高くて、それなのにどんどんひとりで勝手に気持ち良くなってしまって、我慢できないほど。
いまきっと入れてもらえたら、とても気持ち良くて幸せだろう。
もう、入れてほしくてしょうがなくなってくる。
気持ち良くて、入れてほしくて、今日は無理なのわかってて悲しくて寂しい。
涙が出てくる。
フェラチオして感じながら、ほしくて涙が出てくる。
こんなに「入れてほしい」と思ったことはないかもしれない。
泣きながら訴える。
「那智さん、入れてほしいです。」
那智さんの足下に座り、わんわんと声を上げて泣いてしまう。
「今日はだめだよ、その代わりこれでいけるならいってもいいよ。」
ぐすぐすと鼻を啜りながらまたくわえる。
髪を撫でてくれる。
首筋の辺りを急かすように揺すってくれる。
泣いたことが拍車を掛け、那智さんがちょっと手伝ってくれて、もう全身が気持ち良い。
正座した足を擦り合わせ、腰を大きく揺らし、夢中で快感を貪る。
脳みそとおまんこがガンガンするような感じ。
もう、那智さんを気持ち良くするためになんて、全然考えられていない。
自分のためにしゃぶりつく。
周りが見えず、自分の世界に没頭する。
医学的?にこの状態を「いく」というのか、それはわからない。
でも、わたしは、あのとき脳みその一部が、どこかに「行って」しまっていたみたいです。
それは、体の刺激で気持ち良いものよりも強いかもしれないほど、気持ち良い。
「もう、行くよ。」
時計を見て那智さんが支度を始める。
全然、ダメ。
昂奮したままで、全然普通になれない。
脳みそで気持ち良くなると、なかなか戻ってくれない。
髪を掻きむしりグシャグシャにしながら、地団駄を踏んで「キーキー」してる。
無理です、こんなんで外に出るの。
どうにかして、この昂奮を抑えてください。
自分ではどうすることもできずに、軽くパニック。
「わかったよ、じゃあ、こうしてあげるね。」
片手で体を支えて、もう片方の手が唇に触れて、ビンタ。
火に油を注がれた。
左右3発ずつくらい。
そのまま部屋を出る。
ヨタヨタと千鳥足、髪グシャグシャ。
ああ、わたし絶対変だ。
妙なハイテンションのまま那智さんと別れた。
これから、切符を買って電車に乗らないといけないんだ。
この状態になると、平常心を装って普通のことをするのが大変なの。
昂奮を冷ますように務める、だけど、まだ気持ち良い。
この余韻が消えてしまうのがもったいなくて、それを惜しむようにゆっくり歩く。
さっきから、ずっと頬が熱い。
それはビンタのせい?それとも昂奮のせい?
火照った頬が嬉しくて、なんだか誇らしい。
おぼつかない足取りで、ホクホクしながら電車に乗る。(こういうことの後は、いつも電車で暴睡します^^)
そして、このあと、この余韻を上手に抑制できなくて、健全な精神にしようとフィットネスに向かうのでした。
それにしても、すれ違う人はわたしの頬が赤いのが、さっきビンタされたからだなんて思いもしないのですよね。
わたしも日頃気付かないだけで、そんな人とすれ違っているかもしれない。
そう思うとちょっと面白い。
やっと那智さんに会える。
だけど、今日はランチデート。
それでも会えるのはとても嬉しい。
短い時間の中で良い時間になるように心を持って行くことを覚えてから、ランチデートは「ゆっくり会えない代わり」というものではなくなって、その短い時間がとても楽しいものなっているので、満たされる。
だから、これはこれで楽しみ。
それなのに朝の電話で「オナニー禁止令」を出されてしまったの。
このランチデートのあとそれほど時間を空けずに会えることがわかっているから、絶望ってほどでもないのだけど、お仕事が立て込んでて今日のランチはカラオ ケマッサージコースなのは推測できてるから、この「禁止令」は=わたしを気持ち良くしてくれる時間はないのだろうな…とちょっと残念な気持ちになる。
だけど、それがなくても久しぶりに会って「撫で撫で」くらいはしてくれるだろうし、いまのわたしにはそちらのほうが乾いてるとも思えるので、むしろ気持ち良くなれなくてもかまわない…とも思える。
でも、「禁止令」を出されることが、逆にわたしの欲情を誘うのだ。
那智さんに「握られている」と感じさせられることは、わたしのM心を目覚めさせてしまう。
もう、そんなこと言わないでいてくれたら、大人しく穏やかに「マッサージと撫で撫で」デートで満足だったのに(多分、恐らく、きっと…笑)
欲情するな、欲情するな、そう思いながら会いに行く。
ちょっと時間があったから、那智さんのお仕事場で一緒に軽くお昼を食べて、カラオケへ^^;
お部屋に入るなり、ソファにうつ伏せになる。
忙しい状況はわかってるから、マッサージはやぶさかではない。
「ちょっとでも楽になれ〜」と思って、指圧、指圧。
終わってソファに腰掛ける那智さんの足の間に座り、お腹に顔を埋める。
髪を撫でられ、ちょっとだけキスをしてくれる。
ああ、いじわるしてる、ちょっとだけなんだもん。
「今日は気持ち良くしないからね。」
わかってます、それでもかまいません、わたしを困らせて面白がってくれることが嬉しいです。
だけど、その「禁止」は欲情を助長するのです。
だから、りん子、我慢。
我慢を甘美な程度で収めて、わたし自身もそれを楽しめるように、心をコントロールする(努力^^;)
「今日は気持ち良くしないからね。」
そう言いながらズボンのファスナーを下ろしおちんちんを出す。
ああ、嬉しい、お口に入れられる。
これは「奉仕」?「ご褒美」?
わからないなぁ、でも、きっとくわえたらわたし感じちゃう。
いつもの那智さんの匂い。
嬉しくて、お口に頬張る。
心?脳?なんだかわからないけど、いつも不思議に思う、だって、フェラチオしてるだけなのに体が気持ち良くなるんだもの。
ほんの少し腰が揺れる。
「感じてるんだ?これでいけるんらいってもいいよ。」
そんな許可が下る。
久しぶりに会えたのだから、自分で勝手に気持ち良くなってしまうような感じは寂しい。
「那智さんに気持ち良くしてほしいです。」
そんなお願いをしてみる。
「そう?これだって俺が気持ち良くしてるって、俺は思うけど。」
わかってますけど、気持ち良くなり過ぎるとわたし自身がつらいから、ちょっと抑制していたし、いけそうにないなぁ。
そんなふうに思っていても、どんどん気持ち良くなってしまう。
今日は「禁止令」が出てるからこれ以上那智さんがわたしを気持ち良くしてくれることはない可能性が高くて、それなのにどんどんひとりで勝手に気持ち良くなってしまって、我慢できないほど。
いまきっと入れてもらえたら、とても気持ち良くて幸せだろう。
もう、入れてほしくてしょうがなくなってくる。
気持ち良くて、入れてほしくて、今日は無理なのわかってて悲しくて寂しい。
涙が出てくる。
フェラチオして感じながら、ほしくて涙が出てくる。
こんなに「入れてほしい」と思ったことはないかもしれない。
泣きながら訴える。
「那智さん、入れてほしいです。」
那智さんの足下に座り、わんわんと声を上げて泣いてしまう。
「今日はだめだよ、その代わりこれでいけるならいってもいいよ。」
ぐすぐすと鼻を啜りながらまたくわえる。
髪を撫でてくれる。
首筋の辺りを急かすように揺すってくれる。
泣いたことが拍車を掛け、那智さんがちょっと手伝ってくれて、もう全身が気持ち良い。
正座した足を擦り合わせ、腰を大きく揺らし、夢中で快感を貪る。
脳みそとおまんこがガンガンするような感じ。
もう、那智さんを気持ち良くするためになんて、全然考えられていない。
自分のためにしゃぶりつく。
周りが見えず、自分の世界に没頭する。
医学的?にこの状態を「いく」というのか、それはわからない。
でも、わたしは、あのとき脳みその一部が、どこかに「行って」しまっていたみたいです。
それは、体の刺激で気持ち良いものよりも強いかもしれないほど、気持ち良い。
「もう、行くよ。」
時計を見て那智さんが支度を始める。
全然、ダメ。
昂奮したままで、全然普通になれない。
脳みそで気持ち良くなると、なかなか戻ってくれない。
髪を掻きむしりグシャグシャにしながら、地団駄を踏んで「キーキー」してる。
無理です、こんなんで外に出るの。
どうにかして、この昂奮を抑えてください。
自分ではどうすることもできずに、軽くパニック。
「わかったよ、じゃあ、こうしてあげるね。」
片手で体を支えて、もう片方の手が唇に触れて、ビンタ。
火に油を注がれた。
左右3発ずつくらい。
そのまま部屋を出る。
ヨタヨタと千鳥足、髪グシャグシャ。
ああ、わたし絶対変だ。
妙なハイテンションのまま那智さんと別れた。
これから、切符を買って電車に乗らないといけないんだ。
この状態になると、平常心を装って普通のことをするのが大変なの。
昂奮を冷ますように務める、だけど、まだ気持ち良い。
この余韻が消えてしまうのがもったいなくて、それを惜しむようにゆっくり歩く。
さっきから、ずっと頬が熱い。
それはビンタのせい?それとも昂奮のせい?
火照った頬が嬉しくて、なんだか誇らしい。
おぼつかない足取りで、ホクホクしながら電車に乗る。(こういうことの後は、いつも電車で暴睡します^^)
そして、このあと、この余韻を上手に抑制できなくて、健全な精神にしようとフィットネスに向かうのでした。
それにしても、すれ違う人はわたしの頬が赤いのが、さっきビンタされたからだなんて思いもしないのですよね。
わたしも日頃気付かないだけで、そんな人とすれ違っているかもしれない。
そう思うとちょっと面白い。
ハプバーを茶の間化する
独り言
ハプバー繋がりで。
若いスタッフが2人、常連らしい単独男女が1人ずつ。
カウンターでまったりと話している。
今日は、お気に入りのYちゃんもいないし、カウンターの4人はそこだけで完結しちゃってて、つまらないな。
ふとフロアに目をやると。
あ、カップルがいた。
おお!?
思わず二度見。
かなりのご年配カップルではありませんか!?
男性はほぼ白髪。
女性も60才は過ぎている?
ちょっと驚くけど。
ううん、いいよね。
ご夫婦か、そうじゃないかわからないけど。
年を取ったからって、性的なことから遠ざからないといけないなんてことないもの。
いや、いろんな社会的責任を果たして自由になった引退後ほど、自分の欲望を楽しむべきよね。
性は若い子だけのためにあるわけじゃない。
全然、ありですよね。
あれくらいの年齢になった那智さんとわたしを想像して、複雑ながら『ぐふふ』となる。
トイレに席を立ち、そのカップルの視界にわたしが入った。
ちょっと派手な服を着てきたわたしの姿を見ておばさまが。
「あれ?もうひとりスタッフの女の子いたの?」
と、白髪男性にしゃべってる。
その声につられて、もう一度、チラッと見る。
ん、電マ!?
また、二度見状態。
電マを。
電マを。
おばさまが電マを持って。
肩に当ててる〜〜〜〜〜〜。
かつて、わたしが椅子に張り付けられて、おまんこを責められた電マちゃんが!!
いや、本来、マッサージ機なんだから、こちらのほうが正当な使い方なのかもしれない…。
電マちゃんだって、おまんこに当てられながら『わたしは、ほんとは凝りをほぐしたいの…』と密かに涙してるかもしれない…。
だから、それは間違ってない!!
でも、でも、なんか、いいの!?
コンドームをかぶせて使ってるとはいえ、おまんこ用ですよ!!!
わたしは、見ちゃいけないものを見ているような。
しかも、わたしのおまんこに当てた物かもしれないと思うと、さらに居たたまれない気持ちで。
でも、その光景に、こっそり釘付けになってしまった。
その間も、おばさまはソファに腰掛け白髪男性と談笑しながら、くつろぎ電マで肩をほぐしてる。
さらに、移動して、腰をぐりぐり。
ここは、リビングか!?
年老いてなお盛ん。
いいよね。
きっと、若い頃のそれよりも、もっと自由に解放できるような気がする。
なんてたって、ハプバーを茶の間化してしまえるんだもの。
自由です。
わたしなんて、まだまだひよっこ。
あの自由さにはかなわないと、ちょっと脱帽気分。
恐るべし『老いてなお盛ん』。
ハプバー繋がりで。
若いスタッフが2人、常連らしい単独男女が1人ずつ。
カウンターでまったりと話している。
今日は、お気に入りのYちゃんもいないし、カウンターの4人はそこだけで完結しちゃってて、つまらないな。
ふとフロアに目をやると。
あ、カップルがいた。
おお!?
思わず二度見。
かなりのご年配カップルではありませんか!?
男性はほぼ白髪。
女性も60才は過ぎている?
ちょっと驚くけど。
ううん、いいよね。
ご夫婦か、そうじゃないかわからないけど。
年を取ったからって、性的なことから遠ざからないといけないなんてことないもの。
いや、いろんな社会的責任を果たして自由になった引退後ほど、自分の欲望を楽しむべきよね。
性は若い子だけのためにあるわけじゃない。
全然、ありですよね。
あれくらいの年齢になった那智さんとわたしを想像して、複雑ながら『ぐふふ』となる。
トイレに席を立ち、そのカップルの視界にわたしが入った。
ちょっと派手な服を着てきたわたしの姿を見ておばさまが。
「あれ?もうひとりスタッフの女の子いたの?」
と、白髪男性にしゃべってる。
その声につられて、もう一度、チラッと見る。
ん、電マ!?
また、二度見状態。
電マを。
電マを。
おばさまが電マを持って。
肩に当ててる〜〜〜〜〜〜。
かつて、わたしが椅子に張り付けられて、おまんこを責められた電マちゃんが!!
いや、本来、マッサージ機なんだから、こちらのほうが正当な使い方なのかもしれない…。
電マちゃんだって、おまんこに当てられながら『わたしは、ほんとは凝りをほぐしたいの…』と密かに涙してるかもしれない…。
だから、それは間違ってない!!
でも、でも、なんか、いいの!?
コンドームをかぶせて使ってるとはいえ、おまんこ用ですよ!!!
わたしは、見ちゃいけないものを見ているような。
しかも、わたしのおまんこに当てた物かもしれないと思うと、さらに居たたまれない気持ちで。
でも、その光景に、こっそり釘付けになってしまった。
その間も、おばさまはソファに腰掛け白髪男性と談笑しながら、くつろぎ電マで肩をほぐしてる。
さらに、移動して、腰をぐりぐり。
ここは、リビングか!?
年老いてなお盛ん。
いいよね。
きっと、若い頃のそれよりも、もっと自由に解放できるような気がする。
なんてたって、ハプバーを茶の間化してしまえるんだもの。
自由です。
わたしなんて、まだまだひよっこ。
あの自由さにはかなわないと、ちょっと脱帽気分。
恐るべし『老いてなお盛ん』。
ランチデートで思ったこと
独特な幸福感
「ランチデート」で思ったこと。
「おちんちんを入れてください。」
ずっとこういう言葉言えなかった。
そういう名称を口にするのさえ恥ずかしいのだもの、それを「ほしい」なんてこと言えるわけがない。
羞恥心から言えないというのはちょっと可愛らしい部分で、それとは違う理由で「言えない」と思う部分もあった。
それは、心からそう思わないと言えないなということ。
もともとセックスに関して執着がなかったから、自分を基準に考えて「入れてほしい」なんて思えない。
もし、ちょっとだけ思ったとしてもそんなこと口にできない、心から思わないとそれは「演技」とか「自己陶酔」になってしまうようで気恥ずかしかった。
性的な陶酔は、陶酔しちゃえると気持ち良いとは思うのだけど、なんか嘘っぽくて照れ臭い。
だから、そういう言葉をどこかで見聞きすると「ほんとにそう思ってるの!?自分に酔ってるだけじゃない?」なんて思ってた。(可愛くない^^;)
それで言えなかった。
那智さんとの間でも、滅多に口にすることはなかった。
あるとしても「もう入れるよ〜」って段階でじらされて、もうお願い!!みたいな感じ、わたしの中では「入れてほしい」という純粋な気持ちと、ちょっとスパイス的な要素もあったことは否めない。
入れてくれるのわかってるから、スパイス。
でも、「ランチデート」で「入れてほしい」と口にしたときは、違ったの。
まず、ほんとにほんとに入れてほしかった。
快感と、入れることで「愛情」をもらえるとも思ってるので、それもほしかった(これは美しすぎる?笑)
とにかく入れてほしかった。
その日は「気持ち良くなるの禁止」だったから、お願いしても無理なのはわかっていたのだけど、それでも、無理を承知でお願いしてしまえることが嬉しかった。
涙が出るほどほしいと思えて、それを口することができた。
感情の放流。
これが、何より嬉しくて気持ち良い。
心から?自己陶酔?自己陶酔してる自分を客観視?どのわたしも存在してるのだけど、全部ひっくるめて「ほしい」と涙を流せる嬉しさ。
堰を切ったように感情を放流できることの気持ち良さ。
ほんとにほしいと思ったのも嘘じゃないけど、半分くらいはこの放流の気持ち良さで口にしていたかもしれない。(いままで、そういうセリフに対して疑ってたくせにね^^;)
那智さんは、わたしに体の快感を教えた。
それと同じように、この「感情の放流」の気持ち良さも教えてくれた。
ほしいと思い、それを言葉にできる、泣いて訴える。
この放流が快感なのだ。
それが許され、それを歓迎してくれることが、わたしを自由にしてくれる。
羞恥心だったりモラルだったり疑いだったりを捨てられなかったわたしを、那智さんは時間をかけて自由にしてくれた。
これは、体の快感よりも、もしかしたら手放したくないと思ってしまいそうなほどの快感。
だから、もっともっと那智さんから離れられなくなってしまう。
ランチデートで、改めてこの気持ち良さを感じたので補足のエントリーです。
だって、そうしないと「おちんちんを入れてほしいだけの淫乱りん子」になっちゃいそうなんだもの^^
「ランチデート」で思ったこと。
「おちんちんを入れてください。」
ずっとこういう言葉言えなかった。
そういう名称を口にするのさえ恥ずかしいのだもの、それを「ほしい」なんてこと言えるわけがない。
羞恥心から言えないというのはちょっと可愛らしい部分で、それとは違う理由で「言えない」と思う部分もあった。
それは、心からそう思わないと言えないなということ。
もともとセックスに関して執着がなかったから、自分を基準に考えて「入れてほしい」なんて思えない。
もし、ちょっとだけ思ったとしてもそんなこと口にできない、心から思わないとそれは「演技」とか「自己陶酔」になってしまうようで気恥ずかしかった。
性的な陶酔は、陶酔しちゃえると気持ち良いとは思うのだけど、なんか嘘っぽくて照れ臭い。
だから、そういう言葉をどこかで見聞きすると「ほんとにそう思ってるの!?自分に酔ってるだけじゃない?」なんて思ってた。(可愛くない^^;)
それで言えなかった。
那智さんとの間でも、滅多に口にすることはなかった。
あるとしても「もう入れるよ〜」って段階でじらされて、もうお願い!!みたいな感じ、わたしの中では「入れてほしい」という純粋な気持ちと、ちょっとスパイス的な要素もあったことは否めない。
入れてくれるのわかってるから、スパイス。
でも、「ランチデート」で「入れてほしい」と口にしたときは、違ったの。
まず、ほんとにほんとに入れてほしかった。
快感と、入れることで「愛情」をもらえるとも思ってるので、それもほしかった(これは美しすぎる?笑)
とにかく入れてほしかった。
その日は「気持ち良くなるの禁止」だったから、お願いしても無理なのはわかっていたのだけど、それでも、無理を承知でお願いしてしまえることが嬉しかった。
涙が出るほどほしいと思えて、それを口することができた。
感情の放流。
これが、何より嬉しくて気持ち良い。
心から?自己陶酔?自己陶酔してる自分を客観視?どのわたしも存在してるのだけど、全部ひっくるめて「ほしい」と涙を流せる嬉しさ。
堰を切ったように感情を放流できることの気持ち良さ。
ほんとにほしいと思ったのも嘘じゃないけど、半分くらいはこの放流の気持ち良さで口にしていたかもしれない。(いままで、そういうセリフに対して疑ってたくせにね^^;)
那智さんは、わたしに体の快感を教えた。
それと同じように、この「感情の放流」の気持ち良さも教えてくれた。
ほしいと思い、それを言葉にできる、泣いて訴える。
この放流が快感なのだ。
それが許され、それを歓迎してくれることが、わたしを自由にしてくれる。
羞恥心だったりモラルだったり疑いだったりを捨てられなかったわたしを、那智さんは時間をかけて自由にしてくれた。
これは、体の快感よりも、もしかしたら手放したくないと思ってしまいそうなほどの快感。
だから、もっともっと那智さんから離れられなくなってしまう。
ランチデートで、改めてこの気持ち良さを感じたので補足のエントリーです。
だって、そうしないと「おちんちんを入れてほしいだけの淫乱りん子」になっちゃいそうなんだもの^^
死を意識する
りん子的独り言(エラそう)
今日はお休みの人が多いかしら!?
ゆっくり休んで、日々の疲れを取ってくださいね〜。
そんなさわやかな休日の朝には相応しくないお話です。
気を付けてね。
わたしが務めていたころ、まだ高校を卒業して間もなくて学生気分のまま働きはじめたようなころ。
同じ部署にはアルバイトの大学生が何人もいた。
年も近く学生気分のわたしたちは、上司や他の年上の社員よりもずっと身近に感じられて、よく遊んでいた。
忘年会や新年会、夏はバーベキュー、遊園地にも行った。
クラスの仲良しグループみたいだった。(まあ、その中で色恋もあるので、すったもんだもありましたけど)
もう20年も前の話。
先日、その中のひとりから十数年ぶりに連絡があった。
他のひとりのS君が入院してるので、励ましたいから久しぶりに会わないかって。
そんなメールをもらって「あはは、なんだかんだかこつけて、Mちゃんに会いたいんじゃないの!?」とわたしがいまでも連絡を取っている当時アルバイトの間で「シンデレラ」だったMちゃんと、彼らの色恋を思い出したりして、仲介役を嘆いたりしてみた。
そうこうしてるうちにあらためて連絡が来た。
それは、とてもショックな内容だった。
S君は癌に侵されているのだそうだ。
数年前に発病し、入退院を繰り返し、内蔵のいろんな部分を取り除いて、それでもダメで抗がん剤治療をしていたそうだ。
一ヶ月ほど前は、まだメールを打てるような状態で「来月退院できるから」ということだったので、それを聞いて「励ます会」を企画したらしい。
でも、ここ2、3日で状況は変わり、もうモルヒネを打つという段階になってしまったそうだ。
要するに、手の施しようがなく、あとは痛みを感じないように麻薬で意識を麻痺させるしか道がないということ。
この1、2週間がやまなの。
だから、もう退院はもちろんメールを打つこともできないと、S君の奥さんから連絡があったのだそうだ。
とても、とても、ショックだった。
わたしには、あの元気だったS君しか記憶にない。
面白味ないくらい真面目な人で、穏やかな人だった。
卒業して大きな企業に勤めたことまでは知ってる。
信じられない。
わたしよりちょっと年上だったから、まだ40そこそこのはず。
また別な話で、先日も、元同僚の奥様が心臓病で危険な状態だと聞いた。
40半ば、それまではごく普通に生活していて、急な発症だったそうだ。
その人とも会社のバーベキュー大会でご一緒したことがある。
わたしのアルバムにはその時まだ赤ちゃんだった長男くんと一緒に写ってる集合写真だってある。
「死」というものを意識せざるを得ない場面に直面すると、「明日は我が身、日々をちゃんと生きよう」と襟を正す気持ちになるのは当然なんだけど。
なんだか、そんなきれいな感情じゃないものも湧く。
悔しい。
なんだかとても悔しいなあ。
壁に思い切り何かを投げつけて八つ当たりしたい気分。
元気な姿しか記憶にない方の「死」のイメージは、津波がすべてを飲み込むのをなす術無く凝視しているような気分。
途方に暮れて、悔しい。
当人やご家族の無念に比べたら、そんなのセンチメンタルな感情に過ぎないのだろうけど。
「戦争は日常を奪う」と書いてあるのを読んだことがある。
平和を奪うなんて漠然とした美しいものじゃなくて、もっと生々しい日常を奪う。
普通に食べて、テレビを観て笑って、お風呂に入って寝て、そんな日常。
人は日常を奪われると、気が狂いそうになるのではないかな。
身近な大切な人の「闘病」や「死」は、それに近いのかもしれない。
日常を奪われても、それでも狂わずに生きてる方々に頭が下がります。
S君たちとお酒飲んではしゃいでいたころよりも、確実に「死」を意識する年齢になっている。
失いたくないもの、残していくもの、大切なものが年を追うごとに増えてる、死を意識すると余計にそれらは大切なものとして、わたしの目の前に並び、困ったものねとため息をつく。
でも、何も知らずにはしゃげていた頃よりも、きっとわたしは幸せ。
あんまり結論出てないのだけど、やっぱりわたしはわたしの周りの大切な人を後悔することなく毎日愛するしかないのかな〜。
そう思って、脈絡なく那智さんに「愛してます」とメールを打つ。
あっ、それと、健康診断ね(笑)これも大事と最近は思う。
「死」を意識する場面に遭ったとき、自分の「死」?大切な人の「死」?どちらを思って胸が苦しくなるのでしょう?
両方は両方なんだけど、どちらかと言えば、わたしは、どっちかな…?
不謹慎にもそんなこと考えちゃった。
今日はお休みの人が多いかしら!?
ゆっくり休んで、日々の疲れを取ってくださいね〜。
そんなさわやかな休日の朝には相応しくないお話です。
気を付けてね。
わたしが務めていたころ、まだ高校を卒業して間もなくて学生気分のまま働きはじめたようなころ。
同じ部署にはアルバイトの大学生が何人もいた。
年も近く学生気分のわたしたちは、上司や他の年上の社員よりもずっと身近に感じられて、よく遊んでいた。
忘年会や新年会、夏はバーベキュー、遊園地にも行った。
クラスの仲良しグループみたいだった。(まあ、その中で色恋もあるので、すったもんだもありましたけど)
もう20年も前の話。
先日、その中のひとりから十数年ぶりに連絡があった。
他のひとりのS君が入院してるので、励ましたいから久しぶりに会わないかって。
そんなメールをもらって「あはは、なんだかんだかこつけて、Mちゃんに会いたいんじゃないの!?」とわたしがいまでも連絡を取っている当時アルバイトの間で「シンデレラ」だったMちゃんと、彼らの色恋を思い出したりして、仲介役を嘆いたりしてみた。
そうこうしてるうちにあらためて連絡が来た。
それは、とてもショックな内容だった。
S君は癌に侵されているのだそうだ。
数年前に発病し、入退院を繰り返し、内蔵のいろんな部分を取り除いて、それでもダメで抗がん剤治療をしていたそうだ。
一ヶ月ほど前は、まだメールを打てるような状態で「来月退院できるから」ということだったので、それを聞いて「励ます会」を企画したらしい。
でも、ここ2、3日で状況は変わり、もうモルヒネを打つという段階になってしまったそうだ。
要するに、手の施しようがなく、あとは痛みを感じないように麻薬で意識を麻痺させるしか道がないということ。
この1、2週間がやまなの。
だから、もう退院はもちろんメールを打つこともできないと、S君の奥さんから連絡があったのだそうだ。
とても、とても、ショックだった。
わたしには、あの元気だったS君しか記憶にない。
面白味ないくらい真面目な人で、穏やかな人だった。
卒業して大きな企業に勤めたことまでは知ってる。
信じられない。
わたしよりちょっと年上だったから、まだ40そこそこのはず。
また別な話で、先日も、元同僚の奥様が心臓病で危険な状態だと聞いた。
40半ば、それまではごく普通に生活していて、急な発症だったそうだ。
その人とも会社のバーベキュー大会でご一緒したことがある。
わたしのアルバムにはその時まだ赤ちゃんだった長男くんと一緒に写ってる集合写真だってある。
「死」というものを意識せざるを得ない場面に直面すると、「明日は我が身、日々をちゃんと生きよう」と襟を正す気持ちになるのは当然なんだけど。
なんだか、そんなきれいな感情じゃないものも湧く。
悔しい。
なんだかとても悔しいなあ。
壁に思い切り何かを投げつけて八つ当たりしたい気分。
元気な姿しか記憶にない方の「死」のイメージは、津波がすべてを飲み込むのをなす術無く凝視しているような気分。
途方に暮れて、悔しい。
当人やご家族の無念に比べたら、そんなのセンチメンタルな感情に過ぎないのだろうけど。
「戦争は日常を奪う」と書いてあるのを読んだことがある。
平和を奪うなんて漠然とした美しいものじゃなくて、もっと生々しい日常を奪う。
普通に食べて、テレビを観て笑って、お風呂に入って寝て、そんな日常。
人は日常を奪われると、気が狂いそうになるのではないかな。
身近な大切な人の「闘病」や「死」は、それに近いのかもしれない。
日常を奪われても、それでも狂わずに生きてる方々に頭が下がります。
S君たちとお酒飲んではしゃいでいたころよりも、確実に「死」を意識する年齢になっている。
失いたくないもの、残していくもの、大切なものが年を追うごとに増えてる、死を意識すると余計にそれらは大切なものとして、わたしの目の前に並び、困ったものねとため息をつく。
でも、何も知らずにはしゃげていた頃よりも、きっとわたしは幸せ。
あんまり結論出てないのだけど、やっぱりわたしはわたしの周りの大切な人を後悔することなく毎日愛するしかないのかな〜。
そう思って、脈絡なく那智さんに「愛してます」とメールを打つ。
あっ、それと、健康診断ね(笑)これも大事と最近は思う。
「死」を意識する場面に遭ったとき、自分の「死」?大切な人の「死」?どちらを思って胸が苦しくなるのでしょう?
両方は両方なんだけど、どちらかと言えば、わたしは、どっちかな…?
不謹慎にもそんなこと考えちゃった。