矛盾は嫌い(06/07/10)
宝物
『非日常的な日常』
私は尻尾を持っている。
フォックスのファーに紐を結び、アナルパールの先端の紐に結び付けた尻尾。
アナルパールを押し込めば、ほら、可愛い尻尾の出来上がり!
だから、私の尻尾は、お尻の穴から生えているの。
那智さんはときどき、私をわんこにしてくれる。(フォックスだけど、わんこなのは許してね)
わんこだから「ワン」しか言えない。
言っちゃいけない。
でも、そんなに簡単に「はい、犬です。」なんて演技はできないから、恥ずかしくて黙っていると、那智さんはたくさん手で気持ちよくさせてくれる。
「ああ」と思わず漏れる人間の声。
間髪入れずに、叱責の平手が飛んでくる。
相手は犬だ。
だから、甘美なお尻へのスパンキングではない。
頭だ。
躾の平手は、迷わず頭を打つ。
頭を叩く行為は、少なくとも対等な者同士においては侮辱的なことだろう。
元々二人の間で話題にはなっていた。
「わんこになったときは、叩くのは頭」
そう聞かされたとき、自分がその時屈辱を感じてしまって、冷めてしまうかもしれないと少し危惧した。
実際に、頭を叩かれたら、「ああ、こんな行為さえも幸福に感じてしまうのか」と自嘲してしまうほど、あっけなく受け入れてしまっていた。
「犬は、ワンだよね。」
感じて声を上げずにいられない私は、何かを諦めたかのように「ワ・・ン」と言いながら、腰を振る。
那智さんの足元にしゃがみ込み、いきそうになって見上げる。
いくときは「いってもいいですか?」と許しを得ないといけないからだ。
察した那智さんは、「犬なんだから、許しなんか得ないで、何度もいっていいんだよ♪」と許してくれる。
だから、私は発情した犬になって、何度も何度もいく。
「ワン」っていいながら(笑)
いき疲れた私を足元に抱え込むように、首の辺りを「よしよし」と撫でてもらう。
その後は、お食事の時間だ。
犬用の器(本物のです。よくあるやつね!)に、ハンバーガー。
もちろん、床に置いたそれは、手を使って食べてはいけない。
あの犬の器は深さがあって食べにくいのです。
顔を埋めて、舌を使って、なんとか食べる。
パンとミートを一緒に食べるなんて、無理なお話。
パンを食べ、ミートを食べ、最後にまたパン。
口の周りを、油とケチャップで汚しても私にはどうすることもできない。
最後のパンまでくると、顔をすべて器に埋めないと食べられない。
目を閉じる。
私の耳には、器の中で舌を使うクチャクチャという音と、荒い息づかいしか聞こえない。
那智さんは、静かに私を見下ろしているだけだ。
私は、犬だ。
恥も外聞もない、犬。
なんて幸せなのだろう。
私は、何者でもない、那智さんの犬というだけの存在。
きわめつけは、お食事の後の、水分だ。
那智さんは、器におしっこをする。
ペットボトルの時もそうですが、流し込まれるおしっこを飲むのと、自ら喉に入れるのとでは後者のほうが、思い切りが必要だ。
しかも、一気に飲むわけにはいかない。
これも舌を使って、少しずつすくう。
もう、私には味も姿も、なにもかもどうでも良いことになってしまった。
幸福なわんこというだけのこと。
「羞恥心をなくさないで」と那智さんは言う。
でも、羞恥心をなくしてしまうほど、私を追い詰めるのも、那智さんだ。
我を忘れるほど腰を振らせておきながら、その私を数%嫌いになる時があるそうです。
矛盾を孕んでいることは、那智さん自身も自覚しています。
この矛盾は、本当に苦しい。
愛してほしい人の手によって、快感の淵に立たされて、ほんの少し嫌われるとわかっていながら、その淵から投身する。
投身するまで、快感を止めさせてもらえない。
ただ、このわんこの時は、その「嫌い」を感じないそうです。
りん子じゃなくて、わんこだからでしょうか。
だけど、「嫌いを感じない」と話題になってから、まだ、わんこの日は来ていません。
しばらくわんこから遠ざかっています。
きっと今度わんこになるときは、安心していられそうです♪
矛盾を意識せず、快感を貪れることに憧れている私でした。
『非日常的な日常』
私は尻尾を持っている。
フォックスのファーに紐を結び、アナルパールの先端の紐に結び付けた尻尾。
アナルパールを押し込めば、ほら、可愛い尻尾の出来上がり!
だから、私の尻尾は、お尻の穴から生えているの。
那智さんはときどき、私をわんこにしてくれる。(フォックスだけど、わんこなのは許してね)
わんこだから「ワン」しか言えない。
言っちゃいけない。
でも、そんなに簡単に「はい、犬です。」なんて演技はできないから、恥ずかしくて黙っていると、那智さんはたくさん手で気持ちよくさせてくれる。
「ああ」と思わず漏れる人間の声。
間髪入れずに、叱責の平手が飛んでくる。
相手は犬だ。
だから、甘美なお尻へのスパンキングではない。
頭だ。
躾の平手は、迷わず頭を打つ。
頭を叩く行為は、少なくとも対等な者同士においては侮辱的なことだろう。
元々二人の間で話題にはなっていた。
「わんこになったときは、叩くのは頭」
そう聞かされたとき、自分がその時屈辱を感じてしまって、冷めてしまうかもしれないと少し危惧した。
実際に、頭を叩かれたら、「ああ、こんな行為さえも幸福に感じてしまうのか」と自嘲してしまうほど、あっけなく受け入れてしまっていた。
「犬は、ワンだよね。」
感じて声を上げずにいられない私は、何かを諦めたかのように「ワ・・ン」と言いながら、腰を振る。
那智さんの足元にしゃがみ込み、いきそうになって見上げる。
いくときは「いってもいいですか?」と許しを得ないといけないからだ。
察した那智さんは、「犬なんだから、許しなんか得ないで、何度もいっていいんだよ♪」と許してくれる。
だから、私は発情した犬になって、何度も何度もいく。
「ワン」っていいながら(笑)
いき疲れた私を足元に抱え込むように、首の辺りを「よしよし」と撫でてもらう。
その後は、お食事の時間だ。
犬用の器(本物のです。よくあるやつね!)に、ハンバーガー。
もちろん、床に置いたそれは、手を使って食べてはいけない。
あの犬の器は深さがあって食べにくいのです。
顔を埋めて、舌を使って、なんとか食べる。
パンとミートを一緒に食べるなんて、無理なお話。
パンを食べ、ミートを食べ、最後にまたパン。
口の周りを、油とケチャップで汚しても私にはどうすることもできない。
最後のパンまでくると、顔をすべて器に埋めないと食べられない。
目を閉じる。
私の耳には、器の中で舌を使うクチャクチャという音と、荒い息づかいしか聞こえない。
那智さんは、静かに私を見下ろしているだけだ。
私は、犬だ。
恥も外聞もない、犬。
なんて幸せなのだろう。
私は、何者でもない、那智さんの犬というだけの存在。
きわめつけは、お食事の後の、水分だ。
那智さんは、器におしっこをする。
ペットボトルの時もそうですが、流し込まれるおしっこを飲むのと、自ら喉に入れるのとでは後者のほうが、思い切りが必要だ。
しかも、一気に飲むわけにはいかない。
これも舌を使って、少しずつすくう。
もう、私には味も姿も、なにもかもどうでも良いことになってしまった。
幸福なわんこというだけのこと。
「羞恥心をなくさないで」と那智さんは言う。
でも、羞恥心をなくしてしまうほど、私を追い詰めるのも、那智さんだ。
我を忘れるほど腰を振らせておきながら、その私を数%嫌いになる時があるそうです。
矛盾を孕んでいることは、那智さん自身も自覚しています。
この矛盾は、本当に苦しい。
愛してほしい人の手によって、快感の淵に立たされて、ほんの少し嫌われるとわかっていながら、その淵から投身する。
投身するまで、快感を止めさせてもらえない。
ただ、このわんこの時は、その「嫌い」を感じないそうです。
りん子じゃなくて、わんこだからでしょうか。
だけど、「嫌いを感じない」と話題になってから、まだ、わんこの日は来ていません。
しばらくわんこから遠ざかっています。
きっと今度わんこになるときは、安心していられそうです♪
矛盾を意識せず、快感を貪れることに憧れている私でした。
全肯定2(06/09/05)
宝物
『独特な幸福感』
眼鏡を掛けて温かい灯りの下、お仕事をしている那智さんを見て、涙を流すという奇妙な(病んでいる?)私を見せたあと、那智さんは2回ほど立て続けに私を「女の子」にさせた。
那智さんの中で、「2人の間では正当なこと」と解釈できたから、連続したのか。
それとも、単に「おもしろい、興味深い」からなのか。
とにかく、おそらく那智さんは私が解放されていく姿を見るのが好きなのだろう。
そして、解放されて幸せそうな私を見るのも。
やはりはじまりは私の甘える行為からだ。
この日は、その「お父さんと女の子」のよしよしいいこいいこの状態から、めずらしく私を抱く方向へ発展していった。
いつもは、甘えて泣いて、よしよししてという感じなのだが。
いきそうになるから、いつものように「那智さん、いってもいいですか?」と聞いてみるけど、お返事してくれない。
無視されている。
セックスをしている状態で「お父さん」は、さすがに厳しい(笑)
でも、このままではどうしようもないから、すごーくためらった後に口にする。
「お父さん、いってもいいですか?」
「いいよ」
やっぱり、「お父さん」のままじゃなきゃダメみたいだ。
何回もいきたくなるから、何回もお父さんにお願いする。
もう一度言うが、これは、口にしていて厳しい。
冷めるほどではないけれど(普通は冷める?)、どこか熱中しきれない部分がある。
二度ほどこんなことがあって、やはり私は自分の心を探る。
そして、那智さんの考えも聞いてみる。
まず私。
やはり、抱かれながらの「お父さん」で、無我夢中になれないから、「近親相姦願望」ではないだろう。
ちょっと胸を撫でおろす。
そして、甘えているときも抱かれているときも「女の子」と称しているが、これは象徴として言っているようで、実際はほとんど具体的に「女の子」は描いていない。
だから、犬でも男の子でもいいのかもしれない。
全面的に甘えられる関係のわかりやすいツールとして「お父さんと娘」にしているようだ。
何者でもない真っ白な私だ。
解放されてさらけ出し、それを受け入れてもらっているという状態にしたいだけのツール。
ただ、「毛布」からはじまって、しばらくの間はもう少し具体的に「女の子」だったと思う。
那智さん曰く、はじめのうちは欲しかったものを埋める作業がメインで、やはり「父性」が顕著に必要だったのかもしれない。
だから、「父性と女の子」が重要だったのだろう。
でも、徐々に私が自信を持てるようになってきたから、埋める作業は減ってきて、「甘える、愛される、受け入れてもらう」行為に変わってきている。
そうなると、具体的な想像は必要なくなって、わかりやすいスイッチくらいになっているのかもしれない。
何にしても、全面的に肯定されている状態と感じることは、この上ない幸せだ。
そして、那智さんにも聞いてみる。
だって、もしかしたら那智さんは「お父さん、いってもいい?」が好きなのかもしれない。
まあ、それはそれで受け入れますが(笑)
お父さんと呼ばせることに、性的興奮はほとんど皆無らしい。
なぜ、何度も呼ばせたかというと「都合の良いときだけお父さんにして、自分の都合で那智さんに戻そうとするのはずるいから。」だそうです。
単に意地悪をして遊んだだけ、「癒し(願望を叶える)」でも「興奮(プレイ・・って言葉好きじゃないけど)」でもなんでもない。
うーん、意地悪(泣)。
そして、そのときの感想は「血の繋がり」。
近親相姦嗜好じゃなですよ、誤解しないでくださいね!!
「血縁」ではない、繋がり。
(ここから先は私の解釈です)
2人の血管が繋がっていて、同じ血が流れているような感覚だろうか。
2人は他人だけど、何かが繋がっていて他人ではないような、1人の人間のような、分身のような。
同じ血が流れているのだから、目の前の「りん子」を全部受け入れる。
だって、自分の分身なんだもの、どんな姿でも肯定するはずだ。
そんな感覚なのだろうと思った。
私は、さらけ出す私を受け入れてもらうことで、全面的に肯定されている感じと幸福になる。
そして、逆もあるはずだ。
那智さんは、「あなたに全幅の信頼を寄せていて、すべてをさらけ出して幸福になっています」ということで、もしかしたら、全肯定されていると幸福を感じているのではないだろうか。
一見、私が与えられてばかりに見えるけど、きっと私も与えてる。
同等の価値が存在している。
だから、幸福でやめられない。
「女の子になる」は、はじまりから、徐々に形を変えてきているかもしれない。
でも、「近親相姦願望」でも「幼児プレイ」でもないことには、変わりないと説明になったかしら。
まあ、いずれにしても特殊なのでしょうか。
それと、これだけ読むとまるでいつもいつも「女の子」になっているみたいですが、たまーにですのでお間違いのないようにお願いします。
だって、これと排泄だけみたいに思われると困りますものね。
『独特な幸福感』
眼鏡を掛けて温かい灯りの下、お仕事をしている那智さんを見て、涙を流すという奇妙な(病んでいる?)私を見せたあと、那智さんは2回ほど立て続けに私を「女の子」にさせた。
那智さんの中で、「2人の間では正当なこと」と解釈できたから、連続したのか。
それとも、単に「おもしろい、興味深い」からなのか。
とにかく、おそらく那智さんは私が解放されていく姿を見るのが好きなのだろう。
そして、解放されて幸せそうな私を見るのも。
やはりはじまりは私の甘える行為からだ。
この日は、その「お父さんと女の子」のよしよしいいこいいこの状態から、めずらしく私を抱く方向へ発展していった。
いつもは、甘えて泣いて、よしよししてという感じなのだが。
いきそうになるから、いつものように「那智さん、いってもいいですか?」と聞いてみるけど、お返事してくれない。
無視されている。
セックスをしている状態で「お父さん」は、さすがに厳しい(笑)
でも、このままではどうしようもないから、すごーくためらった後に口にする。
「お父さん、いってもいいですか?」
「いいよ」
やっぱり、「お父さん」のままじゃなきゃダメみたいだ。
何回もいきたくなるから、何回もお父さんにお願いする。
もう一度言うが、これは、口にしていて厳しい。
冷めるほどではないけれど(普通は冷める?)、どこか熱中しきれない部分がある。
二度ほどこんなことがあって、やはり私は自分の心を探る。
そして、那智さんの考えも聞いてみる。
まず私。
やはり、抱かれながらの「お父さん」で、無我夢中になれないから、「近親相姦願望」ではないだろう。
ちょっと胸を撫でおろす。
そして、甘えているときも抱かれているときも「女の子」と称しているが、これは象徴として言っているようで、実際はほとんど具体的に「女の子」は描いていない。
だから、犬でも男の子でもいいのかもしれない。
全面的に甘えられる関係のわかりやすいツールとして「お父さんと娘」にしているようだ。
何者でもない真っ白な私だ。
解放されてさらけ出し、それを受け入れてもらっているという状態にしたいだけのツール。
ただ、「毛布」からはじまって、しばらくの間はもう少し具体的に「女の子」だったと思う。
那智さん曰く、はじめのうちは欲しかったものを埋める作業がメインで、やはり「父性」が顕著に必要だったのかもしれない。
だから、「父性と女の子」が重要だったのだろう。
でも、徐々に私が自信を持てるようになってきたから、埋める作業は減ってきて、「甘える、愛される、受け入れてもらう」行為に変わってきている。
そうなると、具体的な想像は必要なくなって、わかりやすいスイッチくらいになっているのかもしれない。
何にしても、全面的に肯定されている状態と感じることは、この上ない幸せだ。
そして、那智さんにも聞いてみる。
だって、もしかしたら那智さんは「お父さん、いってもいい?」が好きなのかもしれない。
まあ、それはそれで受け入れますが(笑)
お父さんと呼ばせることに、性的興奮はほとんど皆無らしい。
なぜ、何度も呼ばせたかというと「都合の良いときだけお父さんにして、自分の都合で那智さんに戻そうとするのはずるいから。」だそうです。
単に意地悪をして遊んだだけ、「癒し(願望を叶える)」でも「興奮(プレイ・・って言葉好きじゃないけど)」でもなんでもない。
うーん、意地悪(泣)。
そして、そのときの感想は「血の繋がり」。
近親相姦嗜好じゃなですよ、誤解しないでくださいね!!
「血縁」ではない、繋がり。
(ここから先は私の解釈です)
2人の血管が繋がっていて、同じ血が流れているような感覚だろうか。
2人は他人だけど、何かが繋がっていて他人ではないような、1人の人間のような、分身のような。
同じ血が流れているのだから、目の前の「りん子」を全部受け入れる。
だって、自分の分身なんだもの、どんな姿でも肯定するはずだ。
そんな感覚なのだろうと思った。
私は、さらけ出す私を受け入れてもらうことで、全面的に肯定されている感じと幸福になる。
そして、逆もあるはずだ。
那智さんは、「あなたに全幅の信頼を寄せていて、すべてをさらけ出して幸福になっています」ということで、もしかしたら、全肯定されていると幸福を感じているのではないだろうか。
一見、私が与えられてばかりに見えるけど、きっと私も与えてる。
同等の価値が存在している。
だから、幸福でやめられない。
「女の子になる」は、はじまりから、徐々に形を変えてきているかもしれない。
でも、「近親相姦願望」でも「幼児プレイ」でもないことには、変わりないと説明になったかしら。
まあ、いずれにしても特殊なのでしょうか。
それと、これだけ読むとまるでいつもいつも「女の子」になっているみたいですが、たまーにですのでお間違いのないようにお願いします。
だって、これと排泄だけみたいに思われると困りますものね。
全肯定1(06/09/04)
宝物
『独特な幸福感』
30女が「女の子」になる。
「惹かれ合う理由」の「毛布」でお話ししたようなこと。
「毛布」の時以来、そうだな〜半年に一回くらいの感覚で「女の子」になっていた。
きっかけは、ほとんどが那智さんに抱きしめられながら、那智さんのおっぱいを吸っていたり、那智さんの体臭をクンクン嗅いでいたりしてあまえているときに始まる。(それにしても、これで甘える私って・・・ある意味赤裸々な告白)
ほぼ毎回抱かれるときは、吸ったり嗅いだりの甘えはしているので、「女の子」になるのは那智さんの気分次第ということになる。
そして、半年に一回だから、そんなに頻繁ではない。
半年に一回くらいだから、トータルでも数回だ。
一番はじめ「毛布」のときから、2回目をするまでは、もしかしたら一年間くらいは空いていたかもしれない。
那智さん自身も、その行為の正当性を見極める時間がほしかったようだ。
りん子にとって悪いことではないだろう、しかし正しいのか、問題ないのか、確固たる自信を持つにはもう少しお互いの関係に深度が必要だったのだ。
はじめて「女の子」になってから2、3回(これだけで1年半から2年は経過していますよ)は、毎回大号泣で「私のこと一番好き?」というようなことを繰り返していた。
「大好きだよ。いいこいいこ。」ってしてもらって、女の子(推定6歳)になって、もらえなかった父性の揺るぎない愛情で心の穴を埋めていた。
私の父の代わりではない。
私は「近親相姦」には、まったく興味がない。
この背徳は冷める。
もらえなかったものの、代わりだ。
「再生や再構築」といった感じだろうか。
そのうち、「一番好き?」と聞かなくても大丈夫なほど、「私は、那智さん(父性)から愛情をもらうに値する価値がある」と自信が持てるようになってきてからは、号泣はしなくなった。
これは「解放や癒し」だろうか。
それでも、静かに涙を流しながら、髪を撫でてもらう心地よさは代え難い。
このあたりでも、(那智さんは知らないけれど)これはどんな種類の感情で、どんな意味のある行為なのか、不安ではあった。(だって、「変態」っぽいでしょ?)
父の代わりではなく、性的興奮のスパイスでもない(幼児プレイみたいなね!)
この説明がつかないまま、それでも代え難い幸福を半年に一回くらい味わっていた。
あるとき、自分でも不思議なことが起こった。
外は雨が降っていて、薄暗い。
那智さんの事務所に遊びに来ていたときのこと。
パソコンに向かってお仕事をはじめる那智さんの横に椅子を並べて、那智さんの横顔を眺めている。
「最近、字が読みづらくって。」
那智さんは老眼鏡(っていうとおじいさんみたいですけど、まだ40半ばですよ〜)をかけて、電気スタンドの明かりをつける。
普段かけない眼鏡をかけて、オレンジ色の温かい灯りに包まれながら、静かにキーボードを打つ那智さんを見ていたら、なんだか急に不思議な気持ちに襲われたのだ。
私のほしかった父性を具現化したものが目の前にある。
ばかみたい、私の心は一気に6歳児だ。
さしずめ、おとうさんのお仕事場に入ってきた女の子という感じ。
本当は、忙しいのだけど、嫌な顔せず隣にいさせてくれるお父さん。
そして、その好意を当然のように受け取る私。
そんな、世界が広がってしまった。
私は大人の女だから、椅子に座れば当然足が床につくけど、そのときの心は6歳。
6歳だから床に足は届かない。
届かない心の足をぶらぶらさせながら「お父さん、お仕事ばかりで、つまんない〜。」と言う幸福を味わっていた(ああ、おかしいですよね・・)
その一方で、「そうそう、これがほしかったんだよね。」と、ほしがっていた私もいる。
胸が苦しいほど、切なく、切望していた記憶が蘇り、奇妙なノスタルジーに浸る。
そんな倒錯が沸き上がって止まらない。
それと同時に、涙が流れて、それを抑えることができない。
お仕事をする那智さんを見ながら、泣く私。
かなり「痛い」、歪んでいる!?
それでも、幸せで仕方がない。
見ては泣き、あり得ない状況の涙に恥ずかしくなって目を逸らし、我慢できずにまた見ては泣き。
ひとりで、変な女になっていた。
那智さんは、気にせず仕事を続けている。
恥ずかしいから「泣いてもいいですか?」と、聞いてみると、「どうぞ」と答えてくれる。
しばらくして、思い切って聞いてみる、久しぶりだ。
おかしいとわかっていても、我慢できない。
「お父さんって、呼んでもいいですか?」
沈黙。
ああ、やっぱり、さすがにそれは厳しかったかな〜〜。
変なお願いをしてしまったと、慌てて「そ、そうですよね、それは無理ですよね・・。」取り繕うと、「いや、黙ってたらどんな反応するか試しただけ、いいよ。」ですって、意地悪(泣)
「・・・お父さん。」
「はあい。」(キーボードカチカチ)
おかしな世界、でも、幸せ。
そのあと、那智さんは、私を机の下にもぐり込ませ、お口を使わせた。
カチカチとキーボードを叩く音だけが、静かに響く部屋で那智さんの足の間に収まって、無心でお口を使う。
もう、6歳でもない、「私」だ。
もっというと、何歳でもない、そして、すべての年齢の「私」になっていた。
無垢な「私」。
すべてを受け入れてほしい。
そう願った私は、こんなお願いもしてみる。
「自分で触ってもいいですか?」(結局欲情ねって、思わないでね)
下着に手を入れて、自分で触る。
こんな私も、肯定してください、そんな願いを込めて。
途中で、くわえるのはやめて、机の下でオナニーをする。
最後のいく瞬間まで、那智さんはずっと仕事を続けている。
最後の瞬間だけ見てもらって、それが、この私への肯定と解釈する。
このときを境に、この行為が、(他者から見たら変態かもしれないけれど)私たちの愛情確認の大事なひとつとして、罪の意識を感じることなく認識されるようになったのだと思う。
「近親相姦願望」でもなく「幼児プレイ」でもない。
この感覚をお伝えしたいので、この話、もう少し続けます。
今日は、疲れたからおしまいです。
今日はまとまってないな〜、ごめんなさい。
『独特な幸福感』
30女が「女の子」になる。
「惹かれ合う理由」の「毛布」でお話ししたようなこと。
「毛布」の時以来、そうだな〜半年に一回くらいの感覚で「女の子」になっていた。
きっかけは、ほとんどが那智さんに抱きしめられながら、那智さんのおっぱいを吸っていたり、那智さんの体臭をクンクン嗅いでいたりしてあまえているときに始まる。(それにしても、これで甘える私って・・・ある意味赤裸々な告白)
ほぼ毎回抱かれるときは、吸ったり嗅いだりの甘えはしているので、「女の子」になるのは那智さんの気分次第ということになる。
そして、半年に一回だから、そんなに頻繁ではない。
半年に一回くらいだから、トータルでも数回だ。
一番はじめ「毛布」のときから、2回目をするまでは、もしかしたら一年間くらいは空いていたかもしれない。
那智さん自身も、その行為の正当性を見極める時間がほしかったようだ。
りん子にとって悪いことではないだろう、しかし正しいのか、問題ないのか、確固たる自信を持つにはもう少しお互いの関係に深度が必要だったのだ。
はじめて「女の子」になってから2、3回(これだけで1年半から2年は経過していますよ)は、毎回大号泣で「私のこと一番好き?」というようなことを繰り返していた。
「大好きだよ。いいこいいこ。」ってしてもらって、女の子(推定6歳)になって、もらえなかった父性の揺るぎない愛情で心の穴を埋めていた。
私の父の代わりではない。
私は「近親相姦」には、まったく興味がない。
この背徳は冷める。
もらえなかったものの、代わりだ。
「再生や再構築」といった感じだろうか。
そのうち、「一番好き?」と聞かなくても大丈夫なほど、「私は、那智さん(父性)から愛情をもらうに値する価値がある」と自信が持てるようになってきてからは、号泣はしなくなった。
これは「解放や癒し」だろうか。
それでも、静かに涙を流しながら、髪を撫でてもらう心地よさは代え難い。
このあたりでも、(那智さんは知らないけれど)これはどんな種類の感情で、どんな意味のある行為なのか、不安ではあった。(だって、「変態」っぽいでしょ?)
父の代わりではなく、性的興奮のスパイスでもない(幼児プレイみたいなね!)
この説明がつかないまま、それでも代え難い幸福を半年に一回くらい味わっていた。
あるとき、自分でも不思議なことが起こった。
外は雨が降っていて、薄暗い。
那智さんの事務所に遊びに来ていたときのこと。
パソコンに向かってお仕事をはじめる那智さんの横に椅子を並べて、那智さんの横顔を眺めている。
「最近、字が読みづらくって。」
那智さんは老眼鏡(っていうとおじいさんみたいですけど、まだ40半ばですよ〜)をかけて、電気スタンドの明かりをつける。
普段かけない眼鏡をかけて、オレンジ色の温かい灯りに包まれながら、静かにキーボードを打つ那智さんを見ていたら、なんだか急に不思議な気持ちに襲われたのだ。
私のほしかった父性を具現化したものが目の前にある。
ばかみたい、私の心は一気に6歳児だ。
さしずめ、おとうさんのお仕事場に入ってきた女の子という感じ。
本当は、忙しいのだけど、嫌な顔せず隣にいさせてくれるお父さん。
そして、その好意を当然のように受け取る私。
そんな、世界が広がってしまった。
私は大人の女だから、椅子に座れば当然足が床につくけど、そのときの心は6歳。
6歳だから床に足は届かない。
届かない心の足をぶらぶらさせながら「お父さん、お仕事ばかりで、つまんない〜。」と言う幸福を味わっていた(ああ、おかしいですよね・・)
その一方で、「そうそう、これがほしかったんだよね。」と、ほしがっていた私もいる。
胸が苦しいほど、切なく、切望していた記憶が蘇り、奇妙なノスタルジーに浸る。
そんな倒錯が沸き上がって止まらない。
それと同時に、涙が流れて、それを抑えることができない。
お仕事をする那智さんを見ながら、泣く私。
かなり「痛い」、歪んでいる!?
それでも、幸せで仕方がない。
見ては泣き、あり得ない状況の涙に恥ずかしくなって目を逸らし、我慢できずにまた見ては泣き。
ひとりで、変な女になっていた。
那智さんは、気にせず仕事を続けている。
恥ずかしいから「泣いてもいいですか?」と、聞いてみると、「どうぞ」と答えてくれる。
しばらくして、思い切って聞いてみる、久しぶりだ。
おかしいとわかっていても、我慢できない。
「お父さんって、呼んでもいいですか?」
沈黙。
ああ、やっぱり、さすがにそれは厳しかったかな〜〜。
変なお願いをしてしまったと、慌てて「そ、そうですよね、それは無理ですよね・・。」取り繕うと、「いや、黙ってたらどんな反応するか試しただけ、いいよ。」ですって、意地悪(泣)
「・・・お父さん。」
「はあい。」(キーボードカチカチ)
おかしな世界、でも、幸せ。
そのあと、那智さんは、私を机の下にもぐり込ませ、お口を使わせた。
カチカチとキーボードを叩く音だけが、静かに響く部屋で那智さんの足の間に収まって、無心でお口を使う。
もう、6歳でもない、「私」だ。
もっというと、何歳でもない、そして、すべての年齢の「私」になっていた。
無垢な「私」。
すべてを受け入れてほしい。
そう願った私は、こんなお願いもしてみる。
「自分で触ってもいいですか?」(結局欲情ねって、思わないでね)
下着に手を入れて、自分で触る。
こんな私も、肯定してください、そんな願いを込めて。
途中で、くわえるのはやめて、机の下でオナニーをする。
最後のいく瞬間まで、那智さんはずっと仕事を続けている。
最後の瞬間だけ見てもらって、それが、この私への肯定と解釈する。
このときを境に、この行為が、(他者から見たら変態かもしれないけれど)私たちの愛情確認の大事なひとつとして、罪の意識を感じることなく認識されるようになったのだと思う。
「近親相姦願望」でもなく「幼児プレイ」でもない。
この感覚をお伝えしたいので、この話、もう少し続けます。
今日は、疲れたからおしまいです。
今日はまとまってないな〜、ごめんなさい。
ロマンチックなお話(06/07/28)
宝物
『独特な幸福感』
一度だけ那智さんと旅行に行ったことがある。
たった一泊の旅行だったけど、とてもとても思い出に残る時間でした。
ワンピースの下は全裸で麻縄だったり、首輪を付けていたり、特急列車でフェラチオしたり、ネタとしては満載の旅だったのですが、それはちょっと置いといて(笑)。
数日前に降った初雪があちらこちらに根雪として残り、あと一週間もすれば本格的に雪が降り、一面雪原に変わる(らしい)、山の上のホテル。
そこではじめて本格的に鞭打ちをしたり、股縄をしたまま浴衣を着て夕食だったり、そんな過激な出来事はいつかお話しさせていただくことにして(笑)。
夕食の後、ホテルのスタッフが星座を案内してくれるというので、寒くないようにたくさん着込んで外に出てみました。
ホテルのある一角だけは明るいけれど、まさに一寸先は闇。
山頂のホテルの周りには、何もない。
四方がすべて下に向かっている。
その下りの山肌が、どこまで続いているかもわかない程の暗闇だ。
転げ落ちてしまおうか、なんだかわからない誘惑に駆られる。
離れないで、手を握っていて、でも、あなたが暗闇に行くなら、私も行く。
とにかく手を離さないで。
勝手に妄想して繋いだ手に力を入れてしまう。
見上げると満天の星空。
私は目が悪い。
普段コンタクトをしていても、それほど視力は上がらない。
だから、都会の星空で見える星なんて、限られている。
夜空にお砂糖をまぶしたような、キラキラと輝くお星様。
生まれてはじめて見た圧倒的な数の星は、吸い込まれそうなほどに美しい。
スタッフの案内なんて聞いているようで、聞いていない。
心は夜空。
そのうちに、みなさん引き上げて、私たちだけ腰掛けてしばらく星空のデート。
遠くに見える街の灯りや刺すような寒さを話題にしばらく夜空を見上げている。
ふと、視界に動く光りが映った。
「流れ星だ!」
一瞬の瞬きが、幻ではないかと確信を求めて、那智さんに嬉々として聞く。
「流れ星見えましたか?」
「うん」
嬉しい。
はじめて見た流れ星を那智さんと見ることができた。
この瞬間を共有できた喜びに、流れ星に感謝した。
「永遠」とか「奇跡」とか、恥ずかしくて口にできないような言葉を思い描いてしまう時間でした。
それから、那智さんはもう一回流れ星を見るまでは中に入らないと、意地っ張りの本領発揮!
寒がりな私は震えながら、いろんな意味で、もう一度流れ星を待ち焦がれるのでした。
『独特な幸福感』
一度だけ那智さんと旅行に行ったことがある。
たった一泊の旅行だったけど、とてもとても思い出に残る時間でした。
ワンピースの下は全裸で麻縄だったり、首輪を付けていたり、特急列車でフェラチオしたり、ネタとしては満載の旅だったのですが、それはちょっと置いといて(笑)。
数日前に降った初雪があちらこちらに根雪として残り、あと一週間もすれば本格的に雪が降り、一面雪原に変わる(らしい)、山の上のホテル。
そこではじめて本格的に鞭打ちをしたり、股縄をしたまま浴衣を着て夕食だったり、そんな過激な出来事はいつかお話しさせていただくことにして(笑)。
夕食の後、ホテルのスタッフが星座を案内してくれるというので、寒くないようにたくさん着込んで外に出てみました。
ホテルのある一角だけは明るいけれど、まさに一寸先は闇。
山頂のホテルの周りには、何もない。
四方がすべて下に向かっている。
その下りの山肌が、どこまで続いているかもわかない程の暗闇だ。
転げ落ちてしまおうか、なんだかわからない誘惑に駆られる。
離れないで、手を握っていて、でも、あなたが暗闇に行くなら、私も行く。
とにかく手を離さないで。
勝手に妄想して繋いだ手に力を入れてしまう。
見上げると満天の星空。
私は目が悪い。
普段コンタクトをしていても、それほど視力は上がらない。
だから、都会の星空で見える星なんて、限られている。
夜空にお砂糖をまぶしたような、キラキラと輝くお星様。
生まれてはじめて見た圧倒的な数の星は、吸い込まれそうなほどに美しい。
スタッフの案内なんて聞いているようで、聞いていない。
心は夜空。
そのうちに、みなさん引き上げて、私たちだけ腰掛けてしばらく星空のデート。
遠くに見える街の灯りや刺すような寒さを話題にしばらく夜空を見上げている。
ふと、視界に動く光りが映った。
「流れ星だ!」
一瞬の瞬きが、幻ではないかと確信を求めて、那智さんに嬉々として聞く。
「流れ星見えましたか?」
「うん」
嬉しい。
はじめて見た流れ星を那智さんと見ることができた。
この瞬間を共有できた喜びに、流れ星に感謝した。
「永遠」とか「奇跡」とか、恥ずかしくて口にできないような言葉を思い描いてしまう時間でした。
それから、那智さんはもう一回流れ星を見るまでは中に入らないと、意地っ張りの本領発揮!
寒がりな私は震えながら、いろんな意味で、もう一度流れ星を待ち焦がれるのでした。
適度(06/12/29)
宝物
『非日常的な日常』
その埠頭にある飲み屋さんは私が遊び盛りだったころからある。
知る人ぞ知るという場所だ。
工場や倉庫が並ぶ埠頭の橋の近くにそのお店はある。
店内は薄暗く、海に面した壁は全面ガラス張り。
夜景が水面に映ってゆらゆらと揺れていてとてもきれい。
小型のクルーザー、漁船(?)が何艘か停泊している、そのうちの一艘に夜釣りに出かける若者が数人目の前のデッキを通って乗り込んでいくのが見える。
お客は私たち以外に外国人男性が二人と、あとからカップルが一組、それだけだ。
客数が少ないので店内は騒がしくはなけれど、BGMの音量が大きいから人の少なさは気にならない。
一杯飲んで外国人男性たちは出て行った。
私たちは、4人掛けのの四角いテーブルに、私が店内に背を向けガラスに向かう合うように、那智さんは私の左手にカップルを背にする感じで座っている。
私は向かい合って座るより、横に並ぶのが好きだ。
だから、カウンター席が好き。
カウンターに座らないときは、なるべくこんな風に四角のくっついた辺に座るようにする。
正面から向き合うのは恥ずかしい、そして、なるべく近くにいたい。
観葉植物を挟んで、店内奥側に座ったカップルは、那智さんに背を向けて女性が、その女性の正面に男性が腰掛けている。
私がちらりと横を向けば、女性の背中と男性の顔が見える。
ちょうど女性の頭が壁になっていて、男性の顔は角度によって見えたり見えなかったりといった感じ。
それでもその男性と女性に随分と年齢に差があるのは、推測できる。
私はお酒を飲むのも、そういう空間に身を置くのも大好き。
少しアルコールが入って、上機嫌で饒舌になる。
楽しい夜を堪能してはしゃいでいる。
那智さんの手が、私の頬を撫で髪を触り、それだけでなんだかスイッチオンになってしまう。
那智さんの手が伸びて私の大きく開いた襟元から手をさっと入れ、ブラジャーの隙間に指を挟み込み乳首を摘む。
那智さんは酔うと大胆になる(いつも大胆だから、微妙な差ですけどね)。
このときは上機嫌ではしゃぐ私の心を揺さぶりたくなってしまったみたいだ。
お客が少ないとはいえ、お店の中で乳首を摘まれた私は周りを気にして不自然に胸を抑えて体を屈める。
「そんな手で隠すから、余計に目立つんだよ 笑」
そうだった、普通にしていないとだめだった。
そういってもう一回手を入れる。
今度はおとなしくされるがままにしておく。
どうか、カップルの男性が気づきませんように。
那智さんは、ジタバタする私も、そのあとおとなしく従う私も両方好きで両方楽しんでいるのだろう。
それにしても、気持ちが良い。
那智さんに委ねきれてしまえば(ここがポイント)、お外で気持ち良くしてもらうことは快感が倍増する。
ひとしきり気持ちよくなったあと、また那智さんの手が私の頬を撫でる。
うっとりとその手の感触を堪能する。
その右手が私の唇に触れて、口を閉じる指示を出した。
ビンタ?
ここで、ビンタをするの?
信じられない、こんなところで。
怯える私。
辺りを伺う那智さん。
「バチン」と鈍い音がして、私の頬は熱く痺れる。
痛い、周りが気になる。
驚きと痛みと、辺りを警戒して、私は身をすくめる。
もし気づいたら人はどう思うのでしょう。
喧嘩?DV?でも、女性は、そのあと微笑んでいる。
「那智さん、信じられない。周りが気づいたらどうするのですか?」
「大丈夫でしょ。」そう言って、パチンと一回手を叩いてみせる。
「ほら、たいして目立たないでしょ?」
確かに、飲み屋のBGMの中「パチン」という音はそれほど違和感は感じない。
「う〜ん、でも、もう少し鈍い音だったからな〜 笑」
そんなことを言って脅かす。
どぎまぎしている私の口にまた手を持ってきて、指示。
口を閉じる。
頬を差し出す。
目は開けていたい、私の頬を打つ那智さんを見ていたい。
辺りをチラッと気にして、二発目。
痛い、でも嬉しい。
ビンタは簡単なスイッチだ。
もうだんだんどうでもよくなってきてしまう。
続けて、もう一発。
私の視界の端に映る男性が女性の壁からずれている、ということはこちらの様子がわかりやすいということだ。
どうでもよくなってきているとはいえ、そこまで大胆にはなりにくい。
「那智さん、いまは男の人から丸見えです。」
「こっち向いているのは男の方なの?」
「はい。」
「それなら、別にいいや。」
もう一度、指示。
次の一発は、私の頬と耳の近くに当たった。
少し目標から逸れてしまったのだ。
耳が「ぐわ〜ん」としてしまった。
一瞬聞こえが悪い。
「那智さん耳が…。」
うっとりとした声で伝える。
「ごめん、大丈夫?聞こえる?」打っていない方の右耳を抑えて、聴力を確認してくれる。
「はい、大丈夫です。」
少しずつ、聞こえも戻ってきているから、大丈夫だろう。
この不慮の事故で、ビンタは終わってしまった。
それがなければ、もう少し続いたかもしれない。
安堵のような、残念なような。
最近那智さんはお外で遊ぶ楽しさを再認識してしまっている。
きっと、これからもっと増えてもっと大胆になるでしょう。
本当に大胆になるのが、予測できてしまって怖い。
適度に恥ずかしく、適度に大胆に、適度にみっともなく、適度に可愛い。
なにごとも、ほどほどが丁度良いのではないでしょうか、那智さん♪
私としては、「パンツでダッシュ」よりも「飲み屋でビンタ」のほうがいい。
どちらが「ほどほど」なのかは、わかりませんけどね。
『非日常的な日常』
その埠頭にある飲み屋さんは私が遊び盛りだったころからある。
知る人ぞ知るという場所だ。
工場や倉庫が並ぶ埠頭の橋の近くにそのお店はある。
店内は薄暗く、海に面した壁は全面ガラス張り。
夜景が水面に映ってゆらゆらと揺れていてとてもきれい。
小型のクルーザー、漁船(?)が何艘か停泊している、そのうちの一艘に夜釣りに出かける若者が数人目の前のデッキを通って乗り込んでいくのが見える。
お客は私たち以外に外国人男性が二人と、あとからカップルが一組、それだけだ。
客数が少ないので店内は騒がしくはなけれど、BGMの音量が大きいから人の少なさは気にならない。
一杯飲んで外国人男性たちは出て行った。
私たちは、4人掛けのの四角いテーブルに、私が店内に背を向けガラスに向かう合うように、那智さんは私の左手にカップルを背にする感じで座っている。
私は向かい合って座るより、横に並ぶのが好きだ。
だから、カウンター席が好き。
カウンターに座らないときは、なるべくこんな風に四角のくっついた辺に座るようにする。
正面から向き合うのは恥ずかしい、そして、なるべく近くにいたい。
観葉植物を挟んで、店内奥側に座ったカップルは、那智さんに背を向けて女性が、その女性の正面に男性が腰掛けている。
私がちらりと横を向けば、女性の背中と男性の顔が見える。
ちょうど女性の頭が壁になっていて、男性の顔は角度によって見えたり見えなかったりといった感じ。
それでもその男性と女性に随分と年齢に差があるのは、推測できる。
私はお酒を飲むのも、そういう空間に身を置くのも大好き。
少しアルコールが入って、上機嫌で饒舌になる。
楽しい夜を堪能してはしゃいでいる。
那智さんの手が、私の頬を撫で髪を触り、それだけでなんだかスイッチオンになってしまう。
那智さんの手が伸びて私の大きく開いた襟元から手をさっと入れ、ブラジャーの隙間に指を挟み込み乳首を摘む。
那智さんは酔うと大胆になる(いつも大胆だから、微妙な差ですけどね)。
このときは上機嫌ではしゃぐ私の心を揺さぶりたくなってしまったみたいだ。
お客が少ないとはいえ、お店の中で乳首を摘まれた私は周りを気にして不自然に胸を抑えて体を屈める。
「そんな手で隠すから、余計に目立つんだよ 笑」
そうだった、普通にしていないとだめだった。
そういってもう一回手を入れる。
今度はおとなしくされるがままにしておく。
どうか、カップルの男性が気づきませんように。
那智さんは、ジタバタする私も、そのあとおとなしく従う私も両方好きで両方楽しんでいるのだろう。
それにしても、気持ちが良い。
那智さんに委ねきれてしまえば(ここがポイント)、お外で気持ち良くしてもらうことは快感が倍増する。
ひとしきり気持ちよくなったあと、また那智さんの手が私の頬を撫でる。
うっとりとその手の感触を堪能する。
その右手が私の唇に触れて、口を閉じる指示を出した。
ビンタ?
ここで、ビンタをするの?
信じられない、こんなところで。
怯える私。
辺りを伺う那智さん。
「バチン」と鈍い音がして、私の頬は熱く痺れる。
痛い、周りが気になる。
驚きと痛みと、辺りを警戒して、私は身をすくめる。
もし気づいたら人はどう思うのでしょう。
喧嘩?DV?でも、女性は、そのあと微笑んでいる。
「那智さん、信じられない。周りが気づいたらどうするのですか?」
「大丈夫でしょ。」そう言って、パチンと一回手を叩いてみせる。
「ほら、たいして目立たないでしょ?」
確かに、飲み屋のBGMの中「パチン」という音はそれほど違和感は感じない。
「う〜ん、でも、もう少し鈍い音だったからな〜 笑」
そんなことを言って脅かす。
どぎまぎしている私の口にまた手を持ってきて、指示。
口を閉じる。
頬を差し出す。
目は開けていたい、私の頬を打つ那智さんを見ていたい。
辺りをチラッと気にして、二発目。
痛い、でも嬉しい。
ビンタは簡単なスイッチだ。
もうだんだんどうでもよくなってきてしまう。
続けて、もう一発。
私の視界の端に映る男性が女性の壁からずれている、ということはこちらの様子がわかりやすいということだ。
どうでもよくなってきているとはいえ、そこまで大胆にはなりにくい。
「那智さん、いまは男の人から丸見えです。」
「こっち向いているのは男の方なの?」
「はい。」
「それなら、別にいいや。」
もう一度、指示。
次の一発は、私の頬と耳の近くに当たった。
少し目標から逸れてしまったのだ。
耳が「ぐわ〜ん」としてしまった。
一瞬聞こえが悪い。
「那智さん耳が…。」
うっとりとした声で伝える。
「ごめん、大丈夫?聞こえる?」打っていない方の右耳を抑えて、聴力を確認してくれる。
「はい、大丈夫です。」
少しずつ、聞こえも戻ってきているから、大丈夫だろう。
この不慮の事故で、ビンタは終わってしまった。
それがなければ、もう少し続いたかもしれない。
安堵のような、残念なような。
最近那智さんはお外で遊ぶ楽しさを再認識してしまっている。
きっと、これからもっと増えてもっと大胆になるでしょう。
本当に大胆になるのが、予測できてしまって怖い。
適度に恥ずかしく、適度に大胆に、適度にみっともなく、適度に可愛い。
なにごとも、ほどほどが丁度良いのではないでしょうか、那智さん♪
私としては、「パンツでダッシュ」よりも「飲み屋でビンタ」のほうがいい。
どちらが「ほどほど」なのかは、わかりませんけどね。