意識するな(07/02/06)
宝物
『独特な幸福感』
「SMを意識するな」
この言葉をわたしは那智さんから何回か言われたことがある。
まだ知り合って3ヶ月くらいのころが最初だったと思う。
電話でお話ししてるときに、あらたまった感じで言われたのが最初だった。
そのとき「ふたつ注意事項がある」と言って、「今後はなるべくSMを意識しないで、SMという言葉もあまり使わないように」と言われた。
あともうひとつの注意事項は覚えてないから、それはわたしにはそれほど衝撃ではなかったのだろう。
ということは、「SMを意識するな」ということは、わたしにはショックだったということ。
だって、SMがしたくて、わたしはさまよっていたんだよ。(「惹かれ合う理由」の「旅」」シリーズ)
やっと、尊敬できて愛してる人に出会えて、その人とSMができるようになったのに、意識も言葉にもするなって。
わたしは、その時、衝撃と悲しさで、受話器を持ちながら崖から突き落とされたような気分だった。(大げさだけど、ほんと)
わたしも、既製の「SM」に違和感を持っていたから、那智さんの「自然な感じのSM」はありがたかったのは確かんなだけど。
でも、それはまるでわたしが「マゾ」だということを受け入れてもらえていないようで、悲しかった。
もしかしたら、わたしが「マゾ」だということが、那智さんには負担なのかもしれないとさえ感じる言葉だった。
もう縛ってくれないの?痛いことしてくれないの?メチャクチャにしてくれないの?
そんなふうに不安に思った。
それからも、那智さんは時折「SMを意識するな」と言い。
那智さん自身が「SMを意識せず、自然にできるのが嬉しい」と言った。
あれから数年。
那智さんは、変わらずわたしを縛り、叩き、晒して可愛がってくれる。
その時々によって上下はあるけど、確実にエスカレートしている。
「SMを意識するな」ということは、SM的なことをしないのではないようだ。
ただ「特別」なことをしてるという感覚が那智さんにはないのだろう。
最近は「意識しないで自然にできる」ということさえも「意識しない」のだそうだ。
わたしは?
わたしは、いまでもはっきりと「マゾ」だと思ってる。(那智さんに言わせると『変態』^^;)
だから、意識しないとは言い切れない。
ただ、ひとついえるのは。
自分の性癖や性質は意識してるけど、わたしは他を意識しなくなった。
わたしの中で「SMを意識する」とき、どうしても他と比べてしまうところがあったのね。
より痛そうなことをしてるほうが偉い、とか。
より酷いことで感じるほうが優れてる、とか。
うんこ食べられるほうが絆は強い、とか(笑)。
意味のない比較。
なにかに属するということは安心する、でも、反面比較対象ができてしまう。
比較して悲しくなるなら、それこそ無意味だ。
この無意味な比較から解放してくれたひとつが「SMを意識するな」という言葉だったのだと思う。
このことに気付いてから、わたしはとても楽になった。
他者と比べることは無意味。
自分たち以外のなにかに捕われてしまうのは不幸だ。
那智さんの「意識するな」という言葉は、そういうこと意味していたかはわからないけど、わたしはまたひとつ「解放」されるという実を結ぶことができた。
目的ではなく手段。
可愛がられ、触れ合う喜び。
那智さんに同化していくような安堵と快感。
それを感じる手段のひとつ。
だから、他と比べる必要はない。
そう思えるようになった。
あ、でも、じゃあ一生縛らないっていわれたら、それは、ちょっと寂しい…です(笑)
『独特な幸福感』
「SMを意識するな」
この言葉をわたしは那智さんから何回か言われたことがある。
まだ知り合って3ヶ月くらいのころが最初だったと思う。
電話でお話ししてるときに、あらたまった感じで言われたのが最初だった。
そのとき「ふたつ注意事項がある」と言って、「今後はなるべくSMを意識しないで、SMという言葉もあまり使わないように」と言われた。
あともうひとつの注意事項は覚えてないから、それはわたしにはそれほど衝撃ではなかったのだろう。
ということは、「SMを意識するな」ということは、わたしにはショックだったということ。
だって、SMがしたくて、わたしはさまよっていたんだよ。(「惹かれ合う理由」の「旅」」シリーズ)
やっと、尊敬できて愛してる人に出会えて、その人とSMができるようになったのに、意識も言葉にもするなって。
わたしは、その時、衝撃と悲しさで、受話器を持ちながら崖から突き落とされたような気分だった。(大げさだけど、ほんと)
わたしも、既製の「SM」に違和感を持っていたから、那智さんの「自然な感じのSM」はありがたかったのは確かんなだけど。
でも、それはまるでわたしが「マゾ」だということを受け入れてもらえていないようで、悲しかった。
もしかしたら、わたしが「マゾ」だということが、那智さんには負担なのかもしれないとさえ感じる言葉だった。
もう縛ってくれないの?痛いことしてくれないの?メチャクチャにしてくれないの?
そんなふうに不安に思った。
それからも、那智さんは時折「SMを意識するな」と言い。
那智さん自身が「SMを意識せず、自然にできるのが嬉しい」と言った。
あれから数年。
那智さんは、変わらずわたしを縛り、叩き、晒して可愛がってくれる。
その時々によって上下はあるけど、確実にエスカレートしている。
「SMを意識するな」ということは、SM的なことをしないのではないようだ。
ただ「特別」なことをしてるという感覚が那智さんにはないのだろう。
最近は「意識しないで自然にできる」ということさえも「意識しない」のだそうだ。
わたしは?
わたしは、いまでもはっきりと「マゾ」だと思ってる。(那智さんに言わせると『変態』^^;)
だから、意識しないとは言い切れない。
ただ、ひとついえるのは。
自分の性癖や性質は意識してるけど、わたしは他を意識しなくなった。
わたしの中で「SMを意識する」とき、どうしても他と比べてしまうところがあったのね。
より痛そうなことをしてるほうが偉い、とか。
より酷いことで感じるほうが優れてる、とか。
うんこ食べられるほうが絆は強い、とか(笑)。
意味のない比較。
なにかに属するということは安心する、でも、反面比較対象ができてしまう。
比較して悲しくなるなら、それこそ無意味だ。
この無意味な比較から解放してくれたひとつが「SMを意識するな」という言葉だったのだと思う。
このことに気付いてから、わたしはとても楽になった。
他者と比べることは無意味。
自分たち以外のなにかに捕われてしまうのは不幸だ。
那智さんの「意識するな」という言葉は、そういうこと意味していたかはわからないけど、わたしはまたひとつ「解放」されるという実を結ぶことができた。
目的ではなく手段。
可愛がられ、触れ合う喜び。
那智さんに同化していくような安堵と快感。
それを感じる手段のひとつ。
だから、他と比べる必要はない。
そう思えるようになった。
あ、でも、じゃあ一生縛らないっていわれたら、それは、ちょっと寂しい…です(笑)
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