いまどきの
140字もどき
あれは数年前のちょうどいまくらいの時期だった。
ホテルの後、よく行く安居酒屋に飲みに行ったときのこと。
飲み屋はだいたい午後5時スタートが多いなか、ここはそれより前からオープンしているので都合がいい。
開店して間もない店内はお客もまばらだったけど、わたしたちが通された窓際の席の隣りにはすでに先客がいた。
夕方には早い遅めの午後、窓の外はまだ明るかった。
そんな時間にもかかわらず、隣りの先客は4人とも皆スーツを着ている若者たちだった。
飲むの楽しいわたしたちに比べると多少盛り上がりに欠ける印象のお隣りさんたちだったけど、あまり気にすることもなく、わたしたちはビールとつまみをいくつか頼み、先に来たビールで乾杯する。
そうこうしているうちにすでにドリンクが揃っている隣りのテーブルに料理が運ばれてきた。
お待たせしました、こちら鳥の唐揚げです~
店員さんがそう告げると『あ、僕です』という感じで、一人の若者が小さく手を上げた。
???
鳥の唐揚げは、その若者の前に置かれた。
続けて「こちらは揚げ出し豆腐です~」に、また同じように向かいの若者が手を上げる。
当然、揚げ出し豆腐はその若者の前に置かれた。
同じように『肉野菜炒め』と『フライドポテト』もそれぞれの若者の前に置かれていった。
なになになに!!!???
耳がダンボならぬ目がダンボ状態(?)
あからさまに見るわけにはいかないので視界の限界を広げ隣りの状況を確認すると各々目の前にある自分が頼んだであろう料理を食べている。
ポツポツとぎこちない会話が進む中、唐揚げの人は唐揚げを、肉野菜炒めの人は肉野菜炒めを。
それ、おかしいでしょう!!!
なんだ、この『the 他人行儀』は!!!
いくら他者に踏みこみすぎるのはよくないとはいえ、ここは飲み屋だよ。
ランチプレートじゃないんだから、飲み屋でひとり一皿って!!!
遠慮の巨大塊だ(笑)
奇妙な光景にお尻がもぞもぞする。
那智さんも気づいて、ふたりしてもぞもぞ(笑)
ぎこちない雰囲気、スーツ姿の若者たちの『程よい』どころじゃない距離感。
これは何かと想像する。
ちょうど時期は4月初旬。
彼らは同じ会社の新入社員で今日はじめて会ったのだ。
だから、ぎこちない雰囲気。
しかも、新入社員研修とかで即席のグループになり、研修後にちょっと飲む?ってことになったのではないか。
なんで新入社員研修かっていうと、この先配属先がバラバラでもう会うこともないことがわかっているから、必要以上に頑張って仲を深めようという感じにならないんじゃなかと思うから。
もし、同じ部署の新人たちだったら、もう少し打ちとける努力をすると思う。
おそらく今日だけ、もしくは後数日一緒にいるだけのメンツで、とりあえず飲みに来てしまったのだ。
で、(オーダー時にはいなかったので最初から各々食べるって決まっていた可能性も否定できないけど)、最初の唐揚げの子が手を上げてしまったばっかりに、居酒屋でひとり一品という奇妙な状態を作ったのではないだろうか。
うー、気になってしょうがいない。
彼らがそれでいいならいいけど、でも、きっと居心地悪いと思うのだ。
誰かひとり勇気を出して「よかったら、これも食べる?」というんだ!!
そしたら、他のみんなも「俺のも、どうぞ」ってなる。
研修が終わればもう会わない同期だったとしても、いまこの時間のこの違和感が辛すぎるじゃないか!!
でも、すでに時間は過ぎ、半量はなくなっている中の『いまさら』感も否めない。
隣りでサラダもほっけもなんの遠慮もなくつつき合うわたしは他人事ながらモヤモヤしていた。
わたしは『いまどきの若者は』っていうの好きじゃない。
この言葉にはマイナスのイメージがある。
マイナスのことをいうときには、できるだけ一括りにしないようにしている(つもりだ)から。
ただ一括りにしていい例外はあって、その対象がわたしから見て強者(多数派とか立場が上とか、ルールを作る側とか)である場合は一括りにしてもよいと思っている。
たとえば、『ご主人様』を批判的に書くときとかは『ご主人様』と一括りにする。
これは『ご主人様と奴隷』という関係性、男女という社会的な強弱、おそらくご主人様が年上だろうとう想像による年齢としての上下などを考えるとご主人様は『強者』だから。
このルールに則っているので『いまどきの若者は』とはいわないのね。
(若者はわたしより年下だから、年長者のわたしのほうがいちおう強者と考えます)
だから、『いまどきの若者は』という言い方はしたくないのだ。
だけど、この時は思わず思ってしまったよ(笑)
いまどきの若者よ。
もうちょっとグッと押して行こうよって。
わたし自身も程よい距離感が得意ってわけじゃないけど、さすがに居酒屋では色々食べたいと思う(笑)
めずらしく一括りにしてしまった出来事でした。
那智さんなんて、思わず『みんなで食べなよ』と声かけたくなってしまったくらいの勢いだった記憶がある(笑)
それはそれで程よいを超越した距離感なので、思いとどまってくれてよかったですけれど。
それにしても、ホント、あれはなんのグループだったんだろうなぁ。
<関連エントリー>
いい男
社会的な男女の強弱がチラッと書いています。
「等式」「いまどきの」感想です。数年前の話だけれどあれが若者の間で流行していないようなので安信です。「取り合えず」ビールは死にかけたようだけれど私の周りでは復活したような気がする。
あれは数年前のちょうどいまくらいの時期だった。
ホテルの後、よく行く安居酒屋に飲みに行ったときのこと。
飲み屋はだいたい午後5時スタートが多いなか、ここはそれより前からオープンしているので都合がいい。
開店して間もない店内はお客もまばらだったけど、わたしたちが通された窓際の席の隣りにはすでに先客がいた。
夕方には早い遅めの午後、窓の外はまだ明るかった。
そんな時間にもかかわらず、隣りの先客は4人とも皆スーツを着ている若者たちだった。
飲むの楽しいわたしたちに比べると多少盛り上がりに欠ける印象のお隣りさんたちだったけど、あまり気にすることもなく、わたしたちはビールとつまみをいくつか頼み、先に来たビールで乾杯する。
そうこうしているうちにすでにドリンクが揃っている隣りのテーブルに料理が運ばれてきた。
お待たせしました、こちら鳥の唐揚げです~
店員さんがそう告げると『あ、僕です』という感じで、一人の若者が小さく手を上げた。
???
鳥の唐揚げは、その若者の前に置かれた。
続けて「こちらは揚げ出し豆腐です~」に、また同じように向かいの若者が手を上げる。
当然、揚げ出し豆腐はその若者の前に置かれた。
同じように『肉野菜炒め』と『フライドポテト』もそれぞれの若者の前に置かれていった。
なになになに!!!???
耳がダンボならぬ目がダンボ状態(?)
あからさまに見るわけにはいかないので視界の限界を広げ隣りの状況を確認すると各々目の前にある自分が頼んだであろう料理を食べている。
ポツポツとぎこちない会話が進む中、唐揚げの人は唐揚げを、肉野菜炒めの人は肉野菜炒めを。
それ、おかしいでしょう!!!
なんだ、この『the 他人行儀』は!!!
いくら他者に踏みこみすぎるのはよくないとはいえ、ここは飲み屋だよ。
ランチプレートじゃないんだから、飲み屋でひとり一皿って!!!
遠慮の巨大塊だ(笑)
奇妙な光景にお尻がもぞもぞする。
那智さんも気づいて、ふたりしてもぞもぞ(笑)
ぎこちない雰囲気、スーツ姿の若者たちの『程よい』どころじゃない距離感。
これは何かと想像する。
ちょうど時期は4月初旬。
彼らは同じ会社の新入社員で今日はじめて会ったのだ。
だから、ぎこちない雰囲気。
しかも、新入社員研修とかで即席のグループになり、研修後にちょっと飲む?ってことになったのではないか。
なんで新入社員研修かっていうと、この先配属先がバラバラでもう会うこともないことがわかっているから、必要以上に頑張って仲を深めようという感じにならないんじゃなかと思うから。
もし、同じ部署の新人たちだったら、もう少し打ちとける努力をすると思う。
おそらく今日だけ、もしくは後数日一緒にいるだけのメンツで、とりあえず飲みに来てしまったのだ。
で、(オーダー時にはいなかったので最初から各々食べるって決まっていた可能性も否定できないけど)、最初の唐揚げの子が手を上げてしまったばっかりに、居酒屋でひとり一品という奇妙な状態を作ったのではないだろうか。
うー、気になってしょうがいない。
彼らがそれでいいならいいけど、でも、きっと居心地悪いと思うのだ。
誰かひとり勇気を出して「よかったら、これも食べる?」というんだ!!
そしたら、他のみんなも「俺のも、どうぞ」ってなる。
研修が終わればもう会わない同期だったとしても、いまこの時間のこの違和感が辛すぎるじゃないか!!
でも、すでに時間は過ぎ、半量はなくなっている中の『いまさら』感も否めない。
隣りでサラダもほっけもなんの遠慮もなくつつき合うわたしは他人事ながらモヤモヤしていた。
わたしは『いまどきの若者は』っていうの好きじゃない。
この言葉にはマイナスのイメージがある。
マイナスのことをいうときには、できるだけ一括りにしないようにしている(つもりだ)から。
ただ一括りにしていい例外はあって、その対象がわたしから見て強者(多数派とか立場が上とか、ルールを作る側とか)である場合は一括りにしてもよいと思っている。
たとえば、『ご主人様』を批判的に書くときとかは『ご主人様』と一括りにする。
これは『ご主人様と奴隷』という関係性、男女という社会的な強弱、おそらくご主人様が年上だろうとう想像による年齢としての上下などを考えるとご主人様は『強者』だから。
このルールに則っているので『いまどきの若者は』とはいわないのね。
(若者はわたしより年下だから、年長者のわたしのほうがいちおう強者と考えます)
だから、『いまどきの若者は』という言い方はしたくないのだ。
だけど、この時は思わず思ってしまったよ(笑)
いまどきの若者よ。
もうちょっとグッと押して行こうよって。
わたし自身も程よい距離感が得意ってわけじゃないけど、さすがに居酒屋では色々食べたいと思う(笑)
めずらしく一括りにしてしまった出来事でした。
那智さんなんて、思わず『みんなで食べなよ』と声かけたくなってしまったくらいの勢いだった記憶がある(笑)
それはそれで程よいを超越した距離感なので、思いとどまってくれてよかったですけれど。
それにしても、ホント、あれはなんのグループだったんだろうなぁ。
<関連エントリー>
いい男
社会的な男女の強弱がチラッと書いています。
「等式」「いまどきの」感想です。数年前の話だけれどあれが若者の間で流行していないようなので安信です。「取り合えず」ビールは死にかけたようだけれど私の周りでは復活したような気がする。
エールだけのエントリー
140字もどき
待ち合わせの場所で那智さんの姿を見つけると、だいたい毎回「嬉しい♪」と思う。
あああ、ごめんなさい、こんなことしか書けなくて!!
じつは、ただいま那智さん超忙し中。
以前、『ドラマ化』で書いた案件が佳境を迎えているのだ。
連日遅くまで作業をし、あちこちから放り投げられる懸案事項を処理し、さらに別のおおごとも発生して、もう大変そう。
めずらしく「写真ちょうだい」とリクエストがあるほどだ。(目一杯いい顔作って自撮りした!!)
で、ここ連日の更新もわたしからのエールなのだ。
だけど、ちょっとゆっくりパソコンに向かう時間と精神的余裕が保てず、今日は『とりあえず』のエントリー(笑)
まあ、本当のことを書いているので、いけないことじゃないよね!!
ということで、今日はこれまで(笑)
那智さん、あと少しファイトです。
「等式」「エールだけのエントリー」感想です。初めての種類の大規模イベントで最後まで完全な準備が出来なかった。海外とのイベントはもうやりたくない❗(笑)
待ち合わせの場所で那智さんの姿を見つけると、だいたい毎回「嬉しい♪」と思う。
あああ、ごめんなさい、こんなことしか書けなくて!!
じつは、ただいま那智さん超忙し中。
以前、『ドラマ化』で書いた案件が佳境を迎えているのだ。
連日遅くまで作業をし、あちこちから放り投げられる懸案事項を処理し、さらに別のおおごとも発生して、もう大変そう。
めずらしく「写真ちょうだい」とリクエストがあるほどだ。(目一杯いい顔作って自撮りした!!)
で、ここ連日の更新もわたしからのエールなのだ。
だけど、ちょっとゆっくりパソコンに向かう時間と精神的余裕が保てず、今日は『とりあえず』のエントリー(笑)
まあ、本当のことを書いているので、いけないことじゃないよね!!
ということで、今日はこれまで(笑)
那智さん、あと少しファイトです。
「等式」「エールだけのエントリー」感想です。初めての種類の大規模イベントで最後まで完全な準備が出来なかった。海外とのイベントはもうやりたくない❗(笑)
愛のことば
独特な幸福感
出会って、それほど経たないうちに、たぶん2年くらいで、わたしたちは一度『会えなくなる』ことがあった。
那智さんのお仕事の環境が変わって、いままで平日取れていたお休みが取れなくなったのだ。
わたしは往復4時間かけてランチに会いに行った、那智さんは仕事帰りバイクを飛ばしてわずかな時間のためにわたしの地元まで会いに来てくれた。
ふと、そのときのことを思い出し、二人で「懐かしいね」と話した。
あのときの、あの情熱はなんだったのでしょう
わたしはひたすら那智さんに会いたかった。
一緒にいるだけでこんなに安心できるひとがいることを知り、その安心に触れていたい思いがわたしを動かしていた。
那智さんにとっては、なにが原動力だったのだろう。
会いたかったから?
それとも、会っていたほうがいいと思ったから?
会いたい気持ちはもちろんだけど、那智さんのことだから何か理由があって『会っておいたほうがいい』と判断していた可能性もあるなと思って聞いた。
(間隔を空けないほうがいいとか、一定を保ちたいとか)
やりたかったから、だよ(笑)
答えは、これだった。
ええ!?会いたかったからじゃないんですか!?
と咄嗟につっこんだけど、なんだか悪い気がしない。
愛だよ、愛(笑)
『会いたい』の『会い』にかけてごまかしている。
昔だったら「体だけなんて」とスネそうになったと思うけど、もう、わたしは知っている。
わたしを生きやすくしてくれて、たくさんたくさん幸せをくれるひとの『やりたかった』は最高の愛の言葉。
さすがに、10年以上前のあの頃ほどには『やりたい』とは思っていないとは思うけど。
心と体は一括り。
形を変えなながらいつまでも『やりたい』でい続ける。
それはマッサージだったり、するかもしれないけれどね(笑)
さあ、那智さん、もうひと踏ん張りです!!
マッサージが待っていますからね^^
<関連エントリー>
会えなかった頃
ノロケとトホホなお話
「等式」「愛のことば」感想です。そうですね、今の会いたい、やりたい、は昔のそれとどう違うのか考えたけれどあまり変わらないのかも知れない。今、会える状況が恵まれているだけで。
出会って、それほど経たないうちに、たぶん2年くらいで、わたしたちは一度『会えなくなる』ことがあった。
那智さんのお仕事の環境が変わって、いままで平日取れていたお休みが取れなくなったのだ。
わたしは往復4時間かけてランチに会いに行った、那智さんは仕事帰りバイクを飛ばしてわずかな時間のためにわたしの地元まで会いに来てくれた。
ふと、そのときのことを思い出し、二人で「懐かしいね」と話した。
あのときの、あの情熱はなんだったのでしょう
わたしはひたすら那智さんに会いたかった。
一緒にいるだけでこんなに安心できるひとがいることを知り、その安心に触れていたい思いがわたしを動かしていた。
那智さんにとっては、なにが原動力だったのだろう。
会いたかったから?
それとも、会っていたほうがいいと思ったから?
会いたい気持ちはもちろんだけど、那智さんのことだから何か理由があって『会っておいたほうがいい』と判断していた可能性もあるなと思って聞いた。
(間隔を空けないほうがいいとか、一定を保ちたいとか)
やりたかったから、だよ(笑)
答えは、これだった。
ええ!?会いたかったからじゃないんですか!?
と咄嗟につっこんだけど、なんだか悪い気がしない。
愛だよ、愛(笑)
『会いたい』の『会い』にかけてごまかしている。
昔だったら「体だけなんて」とスネそうになったと思うけど、もう、わたしは知っている。
わたしを生きやすくしてくれて、たくさんたくさん幸せをくれるひとの『やりたかった』は最高の愛の言葉。
さすがに、10年以上前のあの頃ほどには『やりたい』とは思っていないとは思うけど。
心と体は一括り。
形を変えなながらいつまでも『やりたい』でい続ける。
それはマッサージだったり、するかもしれないけれどね(笑)
さあ、那智さん、もうひと踏ん張りです!!
マッサージが待っていますからね^^
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会えなかった頃
ノロケとトホホなお話
「等式」「愛のことば」感想です。そうですね、今の会いたい、やりたい、は昔のそれとどう違うのか考えたけれどあまり変わらないのかも知れない。今、会える状況が恵まれているだけで。
そういうブログ
独特な幸福感
さすがに前エントリーのタイトルと、それと同じ本文の文字は恥ずかしい。
いや、本当に『愛の言葉』だと思うので間違いではないのだけど。
本文だけに留めておいてタイトルくらいは別にしてもよかったなとも思う。
時間のない中でさささっと書いたものなので吟味する余裕があまりなかった。
それでも『愛の言葉』と同じ意味で違う表現はないかちょっと考えたのは考えたのよ。
いかんせん、時間がなくてタイトルを練るのもできなかった^^;
まあ、『等式』は『そういうブログ』だから(どういうブログだ!?)、いまさら何言ってるんだって感じかもしれないけど、やっぱり恥ずかしいのは恥ずかしい。
そんな中、那智さんのお仕事は佳境を迎え「明日は17時まで通信不可」と忠告があった。
きっと会議でパソコン使うのだろう。
会議中、誰がパソコンを覗くかわからないのに『那智さ〜ん』とか『あー』とかポップアップしてきたら問題だ。
だから『通信不可』のお知らせがあると、わたしは大人しモードになる。
とはいえ、こちらも仕事があったりするのでそんなに頻繁に文字を送るわけではないから一生懸命大人しくしているというほどではないけれど、でも、やっぱりひとはダメと言われるとスルーできなくなるもの。
そこはかとなく17時を待つ。
指定された時間をちょっと過ぎたあたりで「那智さーん」と送る場合と、大丈夫のお知らせが来るまで待つ場合とある(那智さんの置かれている状況によって判断しているのと、あとは気分 笑)
今回はお知らせがあるまで待っておいたほうがいいパターンと判断したので待った。
17時、そわそわ。
17時20分、会議終わらないのかな
18時、トラブルになったりしてないかな
そろそろ焦れてくる。
来るはずのものが来ないと、なんだか恋しさが増すようだ。
そわそわ恋しくて感情を持て余す。
とうとう那智さんの仕事のホームページまで見始める始末(別に那智さんの写真があるわけでもないのに^^;)
待つこと数時間
解禁!!
と文字が来た。
那智さーーーん
那智さーーーん
きゃー
那智さんだー
那智さん、那智さん、那智さーーん
とうっとうしいほど送った。
と『愛の言葉』に負けないくらいのお恥ずかしいわたしを披露したエントリーですが、いいの、『等式』は『そういうブログ』だから!!
那智さん、ひとまずお疲れさまでした^^
一週間くらいはホッとできるみたいなのでゆっくりしましょうね〜。
皆さんも『そういうブログ』にお付き合いくださりありがとうございました^^
「等式」「そういうブログ」感想です。まあ、その通りです。私に対するエールのエントリーが続きましたので読者の方には申し訳なくおもいます。等式の膨大なエントリー数ですので過去エントリーも楽しんで下さい。昔の熱くとんがった私やりん子に会うことが出来ます(笑)
さすがに前エントリーのタイトルと、それと同じ本文の文字は恥ずかしい。
いや、本当に『愛の言葉』だと思うので間違いではないのだけど。
本文だけに留めておいてタイトルくらいは別にしてもよかったなとも思う。
時間のない中でさささっと書いたものなので吟味する余裕があまりなかった。
それでも『愛の言葉』と同じ意味で違う表現はないかちょっと考えたのは考えたのよ。
いかんせん、時間がなくてタイトルを練るのもできなかった^^;
まあ、『等式』は『そういうブログ』だから(どういうブログだ!?)、いまさら何言ってるんだって感じかもしれないけど、やっぱり恥ずかしいのは恥ずかしい。
そんな中、那智さんのお仕事は佳境を迎え「明日は17時まで通信不可」と忠告があった。
きっと会議でパソコン使うのだろう。
会議中、誰がパソコンを覗くかわからないのに『那智さ〜ん』とか『あー』とかポップアップしてきたら問題だ。
だから『通信不可』のお知らせがあると、わたしは大人しモードになる。
とはいえ、こちらも仕事があったりするのでそんなに頻繁に文字を送るわけではないから一生懸命大人しくしているというほどではないけれど、でも、やっぱりひとはダメと言われるとスルーできなくなるもの。
そこはかとなく17時を待つ。
指定された時間をちょっと過ぎたあたりで「那智さーん」と送る場合と、大丈夫のお知らせが来るまで待つ場合とある(那智さんの置かれている状況によって判断しているのと、あとは気分 笑)
今回はお知らせがあるまで待っておいたほうがいいパターンと判断したので待った。
17時、そわそわ。
17時20分、会議終わらないのかな
18時、トラブルになったりしてないかな
そろそろ焦れてくる。
来るはずのものが来ないと、なんだか恋しさが増すようだ。
そわそわ恋しくて感情を持て余す。
とうとう那智さんの仕事のホームページまで見始める始末(別に那智さんの写真があるわけでもないのに^^;)
待つこと数時間
解禁!!
と文字が来た。
那智さーーーん
那智さーーーん
きゃー
那智さんだー
那智さん、那智さん、那智さーーん
とうっとうしいほど送った。
と『愛の言葉』に負けないくらいのお恥ずかしいわたしを披露したエントリーですが、いいの、『等式』は『そういうブログ』だから!!
那智さん、ひとまずお疲れさまでした^^
一週間くらいはホッとできるみたいなのでゆっくりしましょうね〜。
皆さんも『そういうブログ』にお付き合いくださりありがとうございました^^
「等式」「そういうブログ」感想です。まあ、その通りです。私に対するエールのエントリーが続きましたので読者の方には申し訳なくおもいます。等式の膨大なエントリー数ですので過去エントリーも楽しんで下さい。昔の熱くとんがった私やりん子に会うことが出来ます(笑)
普通のひとで愛し合おう1
いつか「えらかったね」とほめてもらうための記録
那智さんと出会って1年と少し過ぎたころだった。
ある日電話で思いもよらぬことを持ちかけられた。
プロポーズをするための準備をしていいか?
というのだ。
詳細はわからないけど、何かしらの理由で那智さん家にとって夫婦の籍を分けたほうが有利な事態になっていたのだそうだ。(税金的に?福祉的に?)
それをきっかけにいずれ事実上の夫婦であることも解消し、わたしにプロポーズもできる。
選択肢のひとつとしてその案が浮上しているのだけど、プロポーズをする準備として進めてもいいか?ということだった。
とてもとても驚いた。
あのころ、すでにわたしの人生に那智さんは不可欠な人になっていた。
わたしのほしかったものを与え、抱えていた問題を一緒に解決してくれ、また仕事の後押しもしてくれたし、深刻ないじめになりかねない我が子の相談などにも乗ってくれていた。
なぜこの人から離れなければならないのかという思いに襲われることも何度もあった。
いつか遠い未来に一緒になれる日が来るかもしれない。
漠然とそんな思いを描いていたこともある。
ただ出会って1年少しで、その思いを確固たるものだと思い切れる力はわたしにはなかった。
ううん、そう思うことは思っていた。
でも、それと同じくらい、わたしの行動で周囲を不幸にしたくないという思いも充分すぎるほどあった。
ずっと手のかかる子で妹で、つい10年前大きな理由もなく最初の結婚を破棄したときだって助けてくれた身内。
多少問題ありだけど基本は仲良くすごせている夫、まだ幼い我が子。
彼らを傷つけ不幸にしてしまうことは、あまりにつらい。
いっそ暴力を振るわれたりしていたら一歩踏み出せたかもしれないけれど、20代前半で離婚に突き進んだときより、わたしはたくさんの責任を背負っていたのだ。
それを秤にかけたとき「はい」とはいえなかった。
ただただ涙ばかりあふれた。
那智さんはいう。
俺たちの関係において、俺がプロポーズをして断られたら、もう関係継続はできない
と。
『対等で上下』、あの当時はまだそうハッキリ言語化できていたわけではないけれど、那智さんが決めわたしが従う上下関係はすでにできていたので、那智さんの一大決心のプロポーズを断るということは、その上下の関係を崩してしまうことになり継続はできないということだった。
(いま思えば、もっと単純に『男の子の沽券』かもしれないけど)
いわんとしていることは理解できた。
那智さんにとって結婚の申し出を断られることは振られることと同義なのだろう。
だから、「プロポーズをするための準備をしていいか」と前段階でわたしに聞いたのだ。
長いこと話し合った。
なぜいまなのか。
りん子の子どもがまだ小さいうちのほうがなんとかカバーしていかれる(もしくは、ずっと大きくなってからとも言っていた)
誰も不幸にしたくない。
俺が迎えにいく、ついてくればいい。
その先の人生ずっと泣いていてもいいよ、俺がずっとそばにいて慰める。
何かきっかけがあってプロポーズされるなんてイヤだ。
わたしがほしいからじゃなきゃイヤだ。
そうだね。
ずっと泣いていた。
どうしてわたしはふたりいないんだろう。
ありもしない妄想に逃げた。
結局、わたしが答えを出せなかったことと、那智さんのほうの事情もあり(と思う)、この話しはなしになった。
周囲を不幸にしないですんだ安堵と那智さんと離れていなければならないつらさの複雑な気持ちだった。
それと共に、一抹の疑問も感じていた。
もともとすごく良好な夫婦とはいえない様子ではあったけど、どこの夫婦だってそれなりに問題は抱えているもので、その範疇かと思っていたけれど、たとえ有利だったとしても籍を抜くという選択肢が浮上するということは、もしかしたら、わたしが想像するより夫婦仲は悪いのだろうか。
那智さんの快適を願い、那智さんに幸せでいてほしい気持ちが強いわたしは家庭での那智さんの快適でない状況を想像して、勝手に落ち着かない気持ちにもなっていた。
いま思えば、すでにあのころから10年後に起こる出来事はははじまっていたのかもしれない。
でも、当時のわたしには想像すらできずにいた。