等式マジック
140字もどき
たまに相談されることがある。
『ご主人様が◯◯なのだけど、どう思うか』という内容で、わたしから見たら◯◯は当然バカげた話なので『わたしだったらイヤだ』と返信すると、『おかしいと思うのはわたしだけじゃなかったんだ!』安心したようで、『他にも△だし、×もしてくれなくなったし』と愚痴のオンパレード。
そのどれも、どうしてそんな人がいいの?と思うようなことなので、最終的に別れることをオススメすると、急に『いえ、辛いこともあるけど、わたしは幸せなんです!』といってくる。
あの〜、わたしあなたのことほとんど知らないし、あなたのメールは愚痴しか書かれていないから、そういったのだけど、。
わたしにどうしろっていうんだ(笑)
結局、共感してもらって、その人の代わりにご主人様に対しる怒りを表現して欲しいのだろうな。
でも、もうこういうことからも引退するの^^
だって、バカげた話を聞くと、必要以上にその怒りの感情に引っ張られてしまって、しんどいんだもん。
那智さんと『等式マジック』と呼んでいることがあってね。
これだけ自分と自分たちのことを書いているから、いろいろ省略できちゃう。
例えば、はじめて会う人にわたしたちのことを説明する必要はないなんてところは、とても便利なマジックだし、これだけ『那智さんステキ』と書いていると、那智さんは対外的に最小限の努力で高得点からスタートできる(笑)
そういう利点もあるけれど、逆もありで。
読んでいる人は、これだけ自己開示している『りん子』を見ていると、『自分はりん子を知っている=りん子もわたしを知っている』と勘違いする。
または、『自分はりん子を知っている=りん子は自分のことを何でもわかってくれる』。
わたしと自分の距離や境界線が曖昧になるのだ。
この相談してきた奴隷さんからは、そこまでの一体化は感じられなかったけど、散々不満を言った後、最後になって『でも幸せ』というあたりは『自分はりん子を知っている=りん子もわたしを知っている』な感覚だろう。
不満しか書かれていないんだから、知らんがな(笑)というツッコミを入れたくなります。
とにかく、大小様々、よしも悪しきも『等式マジック』が存在するのですね。
その奴隷さんには、今度話を聞くだけのやり取りをすることは丁重にお断りしました。
もう『等式マジック』のない、ごく少数の『実物のりん子』と適切な距離を保ってくれている好きな人と細々と穏やかに生きていくのでした^^
「等式」感想です。私とりん子の間で「等式マジック」と呼んでいる現象、良きも悪しきも偉大な効果をもたらす。でも、りん子は大変だよな、今も、昔も、お疲れさまです。
たまに相談されることがある。
『ご主人様が◯◯なのだけど、どう思うか』という内容で、わたしから見たら◯◯は当然バカげた話なので『わたしだったらイヤだ』と返信すると、『おかしいと思うのはわたしだけじゃなかったんだ!』安心したようで、『他にも△だし、×もしてくれなくなったし』と愚痴のオンパレード。
そのどれも、どうしてそんな人がいいの?と思うようなことなので、最終的に別れることをオススメすると、急に『いえ、辛いこともあるけど、わたしは幸せなんです!』といってくる。
あの〜、わたしあなたのことほとんど知らないし、あなたのメールは愚痴しか書かれていないから、そういったのだけど、。
わたしにどうしろっていうんだ(笑)
結局、共感してもらって、その人の代わりにご主人様に対しる怒りを表現して欲しいのだろうな。
でも、もうこういうことからも引退するの^^
だって、バカげた話を聞くと、必要以上にその怒りの感情に引っ張られてしまって、しんどいんだもん。
那智さんと『等式マジック』と呼んでいることがあってね。
これだけ自分と自分たちのことを書いているから、いろいろ省略できちゃう。
例えば、はじめて会う人にわたしたちのことを説明する必要はないなんてところは、とても便利なマジックだし、これだけ『那智さんステキ』と書いていると、那智さんは対外的に最小限の努力で高得点からスタートできる(笑)
そういう利点もあるけれど、逆もありで。
読んでいる人は、これだけ自己開示している『りん子』を見ていると、『自分はりん子を知っている=りん子もわたしを知っている』と勘違いする。
または、『自分はりん子を知っている=りん子は自分のことを何でもわかってくれる』。
わたしと自分の距離や境界線が曖昧になるのだ。
この相談してきた奴隷さんからは、そこまでの一体化は感じられなかったけど、散々不満を言った後、最後になって『でも幸せ』というあたりは『自分はりん子を知っている=りん子もわたしを知っている』な感覚だろう。
不満しか書かれていないんだから、知らんがな(笑)というツッコミを入れたくなります。
とにかく、大小様々、よしも悪しきも『等式マジック』が存在するのですね。
その奴隷さんには、今度話を聞くだけのやり取りをすることは丁重にお断りしました。
もう『等式マジック』のない、ごく少数の『実物のりん子』と適切な距離を保ってくれている好きな人と細々と穏やかに生きていくのでした^^
「等式」感想です。私とりん子の間で「等式マジック」と呼んでいる現象、良きも悪しきも偉大な効果をもたらす。でも、りん子は大変だよな、今も、昔も、お疲れさまです。
『空気が読めない』が存在しない場所
独り言
わたしはいわゆる『空気が読めない』ひとらしい。
先日もある集まりで『りん子はタイミング悪いからね』といわれた。
たしかに、みんなが揃って『さあ』というところで自体が把握できず流れを止めてしまったから、タイミングの悪いひとといわれてもしかたないけれど。
それをいった彼女は以前みんなの前で『りん子は人をイラつかせる』と言い放ったひとなので、よりそう思うこともあるだろう。
とにかく、いろいろな場面で自他共に『空気が読めない』と感じることがある。
ふと。
わたしは『空気が読めない』ことを意識しない、もしくは『空気が読めない』と感じない人間関係があることに気づく。
那智さんをはじめ、わたしがすきなひと、いまもこれからもお付き合いを続けていきたいと思っているひとたちといるときには、自分が『空気が読めない』ひとだということを忘れている。
『空気が読めない』ことをしても許容してくれるとか、笑って楽しんでくれるとかももちろんあるけど、そういう許容されて肯定的に思えるという以外に、『空気が読めない』ひとであるということを忘れている、もっと根源的な部分のことのようなのだ。
これって、なんでだろう。
おそらく、波長が合うのだよね。
わたしはわたしのリズムでいて、合うひとも自身のリズムでいて、そのリズムが合っているから、もしくはお互い邪魔しないでいられるリズムだから、相手を『空気が読めない』と感じる必要がないのだ。
あと、わたしがすきで一緒にいたいと思うひとたちは、もしかしたら『空気が読めない』ことでひとを見たり評価したりしないひとたちなのかもしれない。
それとは違う価値観の中で生きているひとたちなのではないだろうか。
そういうひとたちといると『空気が読めない』という概念自体、存在しなくなるんじゃないかなと思ったりする。
だとすると、いまの人間関係はとても貴重でありがたくて、心地よい。
仕事などで避けられない人間関係はしかたないとして、それ以外は、わたしはこの少数精鋭のひとたちとこれからも穏やかに過ごしていきたいなーと思うのだ。
もしかして、みなさん、わたしの空気の読めなさに目をつぶってくれているとしたら、こんなエントリ書いて、それこそ『空気が読めない』し、ごめんなさい、なんだけど^_^;
「等式」「空気が読めない」が存在しない場所 感想です。うーん、その場で読むのは「空気」ではなく各個人の今日の「感情」位かな後は読まなくても大丈夫、自分のままでね。(笑)
わたしはいわゆる『空気が読めない』ひとらしい。
先日もある集まりで『りん子はタイミング悪いからね』といわれた。
たしかに、みんなが揃って『さあ』というところで自体が把握できず流れを止めてしまったから、タイミングの悪いひとといわれてもしかたないけれど。
それをいった彼女は以前みんなの前で『りん子は人をイラつかせる』と言い放ったひとなので、よりそう思うこともあるだろう。
とにかく、いろいろな場面で自他共に『空気が読めない』と感じることがある。
ふと。
わたしは『空気が読めない』ことを意識しない、もしくは『空気が読めない』と感じない人間関係があることに気づく。
那智さんをはじめ、わたしがすきなひと、いまもこれからもお付き合いを続けていきたいと思っているひとたちといるときには、自分が『空気が読めない』ひとだということを忘れている。
『空気が読めない』ことをしても許容してくれるとか、笑って楽しんでくれるとかももちろんあるけど、そういう許容されて肯定的に思えるという以外に、『空気が読めない』ひとであるということを忘れている、もっと根源的な部分のことのようなのだ。
これって、なんでだろう。
おそらく、波長が合うのだよね。
わたしはわたしのリズムでいて、合うひとも自身のリズムでいて、そのリズムが合っているから、もしくはお互い邪魔しないでいられるリズムだから、相手を『空気が読めない』と感じる必要がないのだ。
あと、わたしがすきで一緒にいたいと思うひとたちは、もしかしたら『空気が読めない』ことでひとを見たり評価したりしないひとたちなのかもしれない。
それとは違う価値観の中で生きているひとたちなのではないだろうか。
そういうひとたちといると『空気が読めない』という概念自体、存在しなくなるんじゃないかなと思ったりする。
だとすると、いまの人間関係はとても貴重でありがたくて、心地よい。
仕事などで避けられない人間関係はしかたないとして、それ以外は、わたしはこの少数精鋭のひとたちとこれからも穏やかに過ごしていきたいなーと思うのだ。
もしかして、みなさん、わたしの空気の読めなさに目をつぶってくれているとしたら、こんなエントリ書いて、それこそ『空気が読めない』し、ごめんなさい、なんだけど^_^;
「等式」「空気が読めない」が存在しない場所 感想です。うーん、その場で読むのは「空気」ではなく各個人の今日の「感情」位かな後は読まなくても大丈夫、自分のままでね。(笑)
メキシコの夜
なんでもない日
那智さんと最近のお気に入りはメキシコ料理。
お仕事帰りに待ち合わせしていつものお店に向かう。
早めに到着して、お気に入りの席を確保するのだ。
ほどなくすると次々予約のひとや、予約なしのひとたちで店内は大賑わい。
ちょっと早めにいくのがよいのだ。
何を頼むか、あれこれ作戦を練るのも楽しい。
お店って何度か通うと、だんだん自分たちにとってのベストメニューが定まってくる。
どうしても最初は定番のものに行きがちだけど、すこしずつちょっと違うものを頼んで自分たちのベストが出来上がっていくのも、同じお店に通う醍醐味でもあるよね。
ここでも、はじめはタコスとかだったのだけど、最近はトルティーヤやパンを頼んで好きな具材を挟んだりつけたりという食べ方になっていった。
とにかく、那智さんとそんなことを決めていくのも楽しい。
店の賑わいに負けないくらいに『那智さん、那智さん』といちゃいちゃモード。
今夜はとくにそんな気分。
那智さんのまわりをくるくるまとわりついているようだ。
帰りに那智さんオススメのお茶を入れるポットを買ってもらったり、どこの駅から帰ろうか、きゃあきゃあ迷ったり、「お好きにどうぞ(笑)」と呆れながらも笑ってくれる那智さんに甘えていた。
帰りの電車はホームが別々。
送ろうとしてくれるから、大丈夫ですよと遠慮して見せると
ホームまでは行かないから安心して(笑)
と、こんな風に那智さんの範囲で優しくしてくれるから、わたしも安心して甘えられる。
(これがとことん広い範囲なんだけど)
那智さんは優しいなぁ。
そして、わたしは甘えさせてもらっているなぁ。
と思うメキシコ料理のデートだった。
「等式」「メキシコの夜」感想です。あそこ、何回行っているだろう、多分10回はご馳走になっているので、常連ではないけれど馴染み位なのかな(笑)おすすめは予約無しの端の席です、国際的な雰囲気が料理を、引き立てます❗
那智さんと最近のお気に入りはメキシコ料理。
お仕事帰りに待ち合わせしていつものお店に向かう。
早めに到着して、お気に入りの席を確保するのだ。
ほどなくすると次々予約のひとや、予約なしのひとたちで店内は大賑わい。
ちょっと早めにいくのがよいのだ。
何を頼むか、あれこれ作戦を練るのも楽しい。
お店って何度か通うと、だんだん自分たちにとってのベストメニューが定まってくる。
どうしても最初は定番のものに行きがちだけど、すこしずつちょっと違うものを頼んで自分たちのベストが出来上がっていくのも、同じお店に通う醍醐味でもあるよね。
ここでも、はじめはタコスとかだったのだけど、最近はトルティーヤやパンを頼んで好きな具材を挟んだりつけたりという食べ方になっていった。
とにかく、那智さんとそんなことを決めていくのも楽しい。
店の賑わいに負けないくらいに『那智さん、那智さん』といちゃいちゃモード。
今夜はとくにそんな気分。
那智さんのまわりをくるくるまとわりついているようだ。
帰りに那智さんオススメのお茶を入れるポットを買ってもらったり、どこの駅から帰ろうか、きゃあきゃあ迷ったり、「お好きにどうぞ(笑)」と呆れながらも笑ってくれる那智さんに甘えていた。
帰りの電車はホームが別々。
送ろうとしてくれるから、大丈夫ですよと遠慮して見せると
ホームまでは行かないから安心して(笑)
と、こんな風に那智さんの範囲で優しくしてくれるから、わたしも安心して甘えられる。
(これがとことん広い範囲なんだけど)
那智さんは優しいなぁ。
そして、わたしは甘えさせてもらっているなぁ。
と思うメキシコ料理のデートだった。
「等式」「メキシコの夜」感想です。あそこ、何回行っているだろう、多分10回はご馳走になっているので、常連ではないけれど馴染み位なのかな(笑)おすすめは予約無しの端の席です、国際的な雰囲気が料理を、引き立てます❗