等式
ちょっと特殊な愛し合い方をしているわたしたちの記録です。りん子へメール:hosinohadou@yahoo.co.jp
EDIT COMMENT
名前:
メールアドレス:
URL:
コメント:
とても興味深く読みました^^ 私が思う『奴隷』はちょっと違っています。 私にとってより近い存在で、具体的に想定しやすいのは家畜です。 なので、家畜を思い浮かべて頂けると分かりやすいかなと思います。 飼育している以上、まずその生命維持を担っていると考えます。 また、使役させるためには、最低限のメンテナンスは必要ですよね。 適切なケアや、そのモチベーションを一定以上に保つことは、実は飼われている側だけでなく、飼い主にとっても高い利益をもたらすというメリットが考えられる。 恐らく、それが理解できる主は、効率よく家畜(奴隷)を飼い慣らすことによって、より効果的に利益を得ていたのだろうと思います。 エジブトの奴隷は近年の発掘調査で、かなり優遇された生活環境を与えられたいたことが判ってきたという事を、何かの番組で見たことがあります。 勿論りん子さんが仰るように、物として扱うことも出来る。 でも実際には使い捨てるには非効率的な存在。 ケアやメンテナンスが必要で、愛情をかければ、より高い満足をもたらす可能性が高いもの。 それが私の考える奴隷の定義です。 ここまでで、りん子さんはもう気づかれたのではないかと思うのですが、私のこの定義は主側からの奴隷なんです。 そしてりん子さんの書かれた定義は、奴隷側からの定義だと思いますが、いかがでしょうか。 つまり、違う立場から見た、同じものに対する見解の違い、なのかもしれないとここまで書いてから思いました。 ちょっと違うと書きながら、私にとっては違っていなかったりします。 りん子さんは、どう思いますか? 主従と奴隷の違いは、主側は求めるものの違い。 精神的なものを(も?)求めるか、物理的(即物的?)なものを求めるか。 奴隷側は、 自らの意志を持って仕えるか、自らの意志そのものを認識されない、もしくは効果的に利用できる程度のものとしか思われないことを良しとする(求める)のか。 で、りん子さんの仰るとおり、現代日本において『御主人様と奴隷』の関係を結ぶ場合、ほとんどの場合その時点で『奴隷側の意志』が必要になるという矛盾が発生しますね(^◇^;)
password: